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見張りへ話を通したレナードについて中に通される。
建物は良い造りをしているが、想像していた大規模マフィアの拠点としては控えめなものだ。亜人たちの性格なのか、ボスの趣味なのかは分からない。それでも下町と比べれば雲泥と言える差がある。
客間のような場所でしばし待つように伝えられ、レナードが奥へ引っ込んだ。かと思えばすぐに戻り、脚の拘束部分を手で叩いた。
「これとっていい?」
レナードがこうして無事に通されている以上、ここが敵対組織と言うことはないだろう。ならば誤解を生む可能性のある拘束は取っておくべきだ。今更逃げる必要などないのだから。
「ああ。間違って脚を落とすなよ? せっかく無傷で連れてきた意味がなくなる」
「……」
平気な顔で言われたレナードが複雑な顔で歪んだ鼻を指差す。血は止まっているが、加減したとはいえ膝を叩き込まれた鼻はひしゃげたままだ。
無言で送られる抗議の視線に微塵も動じず、ソファに腰かけたジグが腕を組む。
「頭があって手が二本に足が二本。しかも尾までついている。無傷じゃないか」
「……」
あまりにも大雑把なキズモノ判定だ。思わず泣きそうになった狐顔にシャナイアが小悪魔のようにニヤついた笑みを返す。
「大丈夫、男前になったよぉ?」
「……ドウモ」
容赦のない追い打ちに、尻尾をしょげさせたレナードはこれ以上傷つかないうちに退散するのであった。
「大分なし崩し的に勢いでここまで来ちゃったけどぉ、ジグ君はファミリアに何を聞くつもりなんだい?」
「そうだな……」
特に考えがあったわけではない。レナードを絞ったら思ったよりも良い条件が出てきたから乗ったというだけだ。それでもせっかくの機会なので活かさせてもらう。
こちらでの勢力争いなどどうでもいいことだが、全く知らないと思わぬ痛い目を見ることになるだろう。仮にもマフィアのボスなのだ。その辺りの事情には詳しいはず。
カララクの狙いも気になる。なぜハリアンに手を出そうとしたのか。
「……やっぱりぃ、街を出るのかい?」
考えを巡らせながら歩いていると、少しだけうつむいたシャナイアが小さくこぼした。ソファの背に腰を掛けて足をぷらぷらと揺らす。
「いくらストリゴが荒れているからって、マフィアのボスなら出る手段くらいは用意できるだろうねぇ」
「だろうな」
相槌を打ちながら席を立ち、部屋を見回す。
規模の大きいマフィアだけあって客間もそれなりに広い。扉や窓の配置など、いざというときに逃げられる逃走経路を確認しておく。
「なら僕の準備が整うまでもない……よねぇ」
肩を落としてシャナイアが諦観の混ざったため息を漏らす。
待つ必要もなく、面倒な人探しなどせずとも帰れるならそちらを選ぶのは当然であり、それが普通だ。
「いや、それは別問題だ」
「……え?」
ジグは机の表面を拳で叩いて強度を確かめながら、シャナイアが驚いているのにも構わずそう言った。
「お前の準備が整うまでという期間付きではあるが、その依頼を納得して受けた。俺は先約優先だ」
より良い条件を出されたからと言って一度受けた依頼を放り出すのは傭兵ではご法度だ。
約束を守らない傭兵ほど恐ろしいものはない。今雇っている者達がいつ金銭で裏切り、背中から斬りつけてくるか分からないとなれば誰も傭兵など雇わなくなってしまう。
そうなれば困るのは他ならぬ傭兵たちだ。
義も情もなく戦い、敵味方が日々入れ替わる彼らだからこそ契約というものは重視される。
金を払った方へ味方をするだけの装置。信用と呼ぶにはあまりにも殺伐としている関係だが、必要な存在だ。
「確かにお前の依頼を受けずにいれば早く出られたがな。それとこれとは別問題だ」
迷いなく言い切ったジグは一通り調べて満足したのか、再びソファへ腰かける。
反応のないシャナイアの方を見れば、彼女は面白いものを見るように金の瞳を輝かせていた。
独特の光彩をした眼球が注視するようにキュッと動いてジグを捉える。
「……良いよぉ……すっごく、イイ」
何がいいのかはさっぱり分からないが、彼女の反応を見るにこちらの対応はお気に召したようだ。
そのまま黙ってこちらを見つめていたシャナイアの視線が動いた。レナードの消えていった扉の向こうを険しい目で睨みつける。
「来たようだな」
近づく気配と複数の足音。それなりの人数を引き連れているようだ。
「……ジグ君、気を付けてぇ。結構いるよぉ?」
「承知の上だ」
見つめる視線の先、扉が開け放たれる。
肩で風切り、堂々たる姿でこの屋敷の主が部屋に入ってくる。
「オマエか。オレに用あるって人間は」
先頭に立つのは一人の蜥蜴型亜人。
赤い瞳は鋭くジグを射抜き、その攻撃性を示しているかのようだ。黒い鱗は所々傷つき、長い時を修羅場で過ごしてきたことを窺わせる。
言葉がやや片言なのは発声方法の問題だろうか。尖った口先からは舌を覗かせないのは、ウルバスよりも感情を隠すことに慣れている証だろう。
「そこの狐に招かれてな」
蜥蜴亜人は正面のソファへ横向きにどっかりと腰掛ける。長い尾の先端が手すりをトントンと叩く。
後に続いて次々と亜人たちがなだれ込んできた。その数十名。いずれも相応に出来る者達のようだ。端の方で所在なさげなレナードがおろおろしながらこちらを見ている。
タン! と強く尾を鳴らした黒い蜥蜴。
こちらの意識を引いたのを確認すると、低い声で名乗りを上げる。
「クロコス。ファミリアまとめてる」
「ジグ。傭兵だ」
傭兵と聞いた亜人たちがせせら笑ったが、クロコスの一瞥で黙らされる。
頬杖ついて横柄にソファへ寄りかかったクロコスは顎先を上げて見下すように口の端を歪める。
「ウチの駄狐、世話になった。その礼、受取ってくれるか? 裸猿」
「なに、礼には及ばない。だが詫びなら受け取ってやるぞ? 鱗人」
挑発の応酬。
一見そう見える煽り合いだが、その実は大きく違う。驚いたのも不意を突かれたのも一方のみ。
「……キサマ、何者だ?」
失われつつある自分たちの種族名を呼ばれたクロコスの視線が険を増し、赤い視線に強い警戒が混ざる。他の亜人たちからもふざけた様子が一瞬で消え、武器に手を掛けながら出口を塞ぐように立ち位置を変えていく。
「今言っただろう、傭兵だ。鳥頭でもないのに記憶力に難があるようだな?」
「……裸猿が、調子に乗るな」
裸猿とはおそらく人間の蔑称だろう。確かに鱗や毛皮で覆われた彼らからすると、肌を剥き出しにしている人間の方こそおかしく見えるのかもしれない。
ソファに寄りかかるのを止めて身を乗り出したクロコスが低く恫喝するような声を出す。
「言え。どこでその言葉聞いた? 傭兵如きが知っていい呼び名じゃない」
「順番を間違えるなよ。聞くのはこちらが先だ。その答え次第では教えてやらんでもない」
言葉をぶつけ、視線をぶつける。
灰と赤の視線がお互いの主張を押し通さんとぶつかり、どちらも譲る気がないことを理解する。
「……そうか」
先に視線を逸らしたのはクロコスの方だった。しかしそれは引いたわけでも、受け入れたわけでもない。交渉が別の段階へ移っただけだ。
赤眼よりも赤い舌をゆるりと一度だけ出し、クロコスが声を上げる。
「バルジ!」
「おう、オヤジ」
声に応じて一人の亜人が前に出る。
狼型の亜人だ。ジグより頭半分ほど小さいが、十分に大柄の部類である。
灰色の毛皮からでもわかる鍛えられた肉体は生まれ持って恵まれた体だけに甘えず、弛まぬ鍛錬と実戦によって磨かれた強靭な武器だ。
横に来たバルジの背をクロコスの尾がバシンと叩く。
「口の利き方、教えてやれ」
「おうさ」
それに押されてバルジが前に出ると、鋭い爪の生えた指先でくいくいと挑発する。
「立ちな人間。ここじゃ力が全てだ。亜人だとか人間だとか関係ねぇ。何かを手に入れたかったら力を示せ」
牙を剥いて獰猛に笑うバルジ。その体から滲み出る野生の威圧は相当なものだ。
しかしジグは腕を組んだまま表情一つ変えずに顔を動かすと、正面にいる今にも飛び掛かってきそうなバルジなど眼中にないかのように部屋の端で縮こまる狐亜人へ声を掛けた。
「レナード……これがお前の言う“恩人待遇”か?」
びくりと尾を立てたレナードがぶんぶんと首を振った。
低い声に狐顔を情けなくなるほどに歪めたレナードが必死に弁明し始める。
「ちっ違うぅ!! こんなはずじゃ……お、オヤジ待ってくれ! その人間は俺が保証ぐぼぇ!?」
クロコスに駆け寄ろうとしたレナードがバルジに殴り飛ばされた。さり気なく大袈裟に身を捻って殴られた勢いを逃がし、綺麗に受け身を取っているのでほとんどダメージはないだろう。無駄に芸達者な狐である。
手応えからそれに気づいたバルジが呆れたように首を振った。
「黙れ駄狐。尾行が取り柄の癖にまんまと捕まりやがって。なに勝手にオヤジに会わせる約束してやがる。見せしめにされてぇか?」
「そうじゃなくてっ、その人間普通じゃねえですよバルジの兄貴! やめた方がいいですって!!」
「バカ野郎! 俺たちが人間相手に尻尾丸めて退くような真似ができるか!」
再度、今度は勢いを逃がせないように胸ぐらを掴んでヘッドバット。
狼の額を叩きつけられた狐鼻から血を撒き散らしてレナードが吹っ飛ぶ。
「立てぇ人間! 次はてめえの番だぁ!」
額からレナードの血を滴らせたバルジが興奮したのか、大きく声を上げる。
それを受けたジグはゆっくりと立ち上がると、鼻を抑えて悶えているレナードを一瞥した。
「俺が負けることを祈っていろよ? レナード」
「へっ?」
「首を……いや、毛皮を丁寧に洗っておけ」
ごきりと首を鳴らしたジグが外套と片手剣を外し、シャナイアに渡して下がらせる。
「亜人一匹を贅沢に使った狐皮のコート……楽しみだ」
「アホ狐ぇ、そこで神妙に待って居やがれ。このデカブツのしたら毛も生えてこないくらいにヤキ入れてやる」
大柄な二人が睨み合いながら戦闘態勢に移っていく。
どうあっても痛い目に遭うことを悟ったレナードは、涙を零しながら随分縮んだ狐鼻を労わる様に優しく撫でた。
 




