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このライトノベルがすごい2024にて一位とまでは行きませんでしたが、ランクインかつ新作アンケート最高順位に皆様への感謝を込めて更新致します。
「……はぁ」
狐顔の亜人は辟易したようにため息をつくのを抑えられなかった。
上から下された命令とはいえ、真昼間から盛り始める男女を監視するというのはいい気分ではない。
愛でも囁いているのか、小声になってくれたのは正直助かる。同じ雄の求愛など聞くに堪えない。種族こそ違えど同性の甘い言葉に虫唾が走るのは万国共通である。
それでも仕事を放り出すわけには行かないので、仕方なく露店を眺めるふりをしながら距離を縮める。用心して十分に距離を取っているので、五感に優れた亜人でもない限り気づかれることはないだろう。
「ったく、いい御身分だな」
女の手が男の尻を揉みしだくのが視界に入り、舌打ちしながら吐き捨てる。
どこぞのスラムから拾って来たのか、それとも奴隷を買ったのか。襤褸を着た女はみすぼらしかったが、まともな服になれば中々の上玉なのがまた腹立たしい。
着飾らせた女を侍らせて睦み合う男女に独り身が抱く感想は基本的に似たようなものだ。
ガタイ相応にでかそうなナニが捥げてしまえと、独り身男性を代表して呪詛を送る。
「だが修道女を汚すプレイとは……あの人間、分かっていやがる」
あの野郎は気に入らないが、そっちの趣味はいい……そんな感じだ。
「……お、やっと始めるか?」
彼の視界の先。
尻をなぞる女の手つきにとうとう我慢できなくなったのか、大男が女の肩を寄せて細い路地へ引きずり込んだ。宿を取らずにこのままやり始めるようだ。
「この辺でやるのは流石に病気が怖ぇ……いや、そうか。大きめの外套はこのためか。手際がいいじゃねえか人間……!」
やり慣れた手際の良さに思わず称賛の言葉が漏れる。
とにかく、接触するなら今だ。性行為をしている最中はどんな強者でも無防備になる。お話するには好都合だ。ついでにしばらく観賞しておこう。
万が一釣られた可能性も考慮してある程度遠ざかるのを待ち、背後に気を付けながら一度通り過ぎて待ち伏せがいないことを確認する。
横目で見た細い路地。薄暗く一瞬だが、女が男らしき人影を壁に押し付けるようにしているのが見えた。
「……ッ、馬鹿が」
心から、そう言わずにはいられなかった。
修道女が自分から襲い掛かってどうする。嫌がり、抵抗するのを無理矢理やることこそ醍醐味ではないのか。
大男は最後の最後で、基本的な詰めを誤ったようだ。相手がプレイの趣旨を理解していなかったという基本的にして、致命的なミス。
もういい、見ていられない。
狐顔に諦観と悲哀を滲ませ、手早く済ませるべく隠し持っていた片手剣を抜いた。
「残念だよ、人間」
そうして一気に距離を詰めるべく両脚に力を籠め、
「……お前は何を言っているんだ?」
声が降る。同時、重いものが着地したような衝撃。
「なっ!?」
突如背後に降り立ったジグ。
体格のいい亜人をしても見上げるほどの威圧感に狐亜人の背筋が粟立つ。
反射的に距離を取りながら振り向いた狐顔が驚愕に歪み、嵌められたことを悟って苦いものに変わる。
切り替えが早い。先ほどの用心深さといい、中々にできる相手のようだ。
茶番を止めたシャナイアが挟み込むように背後を塞ぎ、これ見よがしに詠唱する。
「……壁に張り付くとは、ガタイの割に随分器用じゃねえか」
聞こえた声の方向や着地音から、どうやって背後をとったのかを理解した狐亜人が牽制するように片手剣を構える。
「下ばかり見ていないで、上も見ておくんだったな」
「忠告ありがとよ。次に活かさせてもらうぜ」
「ほう?」
次があるのか? と視線で問えば、答えるかのように狐亜人が前に出る。
悪くない選択だ。一見魔術師であるシャナイアの方が対処しやすいように見えるが、逃げ場のない路地では魔術の狙い撃ちになる。上に避けるしかなく、飛べば格好の的になり速度も落ちて追いつかれる。
逆にこちらへ突っ込めば同士討ちを避けて魔術は使いにくい。丸腰を一人凌げば表通りだ。逃げ場はいくらでもある。
弱めの防御術らしき匂い。嗅ぎ慣れたそれに相手の狙いを悟ったジグが動いた。
指弾を鼻先向けて放つが、狐亜人は難なくそれを弾いて片手剣を振りかぶる。
「死ねぇ!」
大振りな片手剣と剥き出しの敵意。丸腰ならば下がって回避してからの反撃を狙うだろう。
三倍とまでは言わないが、無手と剣を持つ側とではかなりの実力差を埋めることができる。魔術が使えないジグでは尚更だ。
手甲がないジグもそうした。それが狐亜人の狙いだった。
ジグが下がると土の柱を生成。ただし狙いはジグではなく、狐亜人の少し前。
助走をつけて突っ込むと、土柱を足場に大きく跳躍。
強化術と亜人の身体能力を活かしたそれはジグ二人分ほどの高さを生み出した。
反撃に移ろうとしたジグをも跳び越えて逃げの一手。捨て身と見せかけての離脱は、後の先を取るつもりだった相手の不意を突けた。
「あばよっ!」
成功を確信した狐亜人の、足首が掴まれる。
「……あれ?」
「―――最近、魔術の属性にもわずかな差があることに気づいてな」
勢いが、止まる。
ふわりとした浮遊感が消え、地獄に引きずり込まれるかのような落下速度へと変わる。
「頭、しっかり守れよ?」
狐亜人の狙いを読んだジグが、垂直跳びで掴んだ足首。それを、振り下ろす。
四メートルもの高さ。
そこから落ちる速度に加えて振り下ろされる勢いは、狐亜人に死を覚悟させるのに十分なものであった。
刀身を眺め、二振りほど試す。
鋭い風切り音。しかしジグの表情はあまり満足いくものではない。
軽すぎる、と言うのが感想だ。
作りは悪くない。何かの合金を使っているのか丈夫さもそれなり。だが隠し持つためかコンパクトになっており、ジグが持つと短剣程度のサイズ感になってしまう。
「……まあ、無いよりましか」
意識を失った狐亜人を拘束し、武器や財布を剥いでいたジグが手にした片手剣を腰へ下げる。
「凄い音したけど生きてるのかい?」
「ちゃんと頭は守っていたし、加減もしたから大丈夫だろう」
保証はしないが、と内心だけで付け加える。
相手が思ったよりも飛ぶから勢いが付き過ぎてしまったのだ。彼の頑丈さに期待するしかない。
「ふむ……」
先ほどの匂いを思い出す。相手の狙いが読めたのは、狐亜人が土魔術を使用すると気づいたからだ。
同じ系統の魔術でもわずかに匂いの違いがあると気づいたのは最近のことだ。あくまで感覚的なものだが、土魔術は最も馴染みが深いので嗅ぎ分けやすい。
嗅ぎ慣れたのか、感覚が鋭くなっているのかは分からない。だが悪い変化ではないはずだ。
使われるのが火か氷か、事前に分かれば取れる手段も変わってくる。
「さて、と……シャナイア、起こしてくれ」
「はいよぉ」
答えた彼女はすぐに詠唱し、水の塊を生み出す。
水球はふよふよと浮遊して移動し、狐亜人の顔の上で落下する。
「ぶっは!?」
飛び起きた彼は水を吐き出しながら咽ると、体に走る痛みに眉を顰める。
悶絶するほどの痛みを強引に飲み込むと、ひきつったような笑顔でジグたちを見返した。
「っ! ……いやあ、やられちまったね。身軽さには自信があったんだが……あの高さまで跳べるなんて、あんたホントに人間かよ?」
軽口を叩きながらもこちらの隙を窺い、体の調子を確かめるために身じろぎしている。
「思っていたより元気そうで何よりだ。手短に行くぞ。俺に何の用だ?」
「……マフィアがそう簡単に口を割ると思うか?」
「思わんさ。殴った程度で口を割る奴を危険な相手の尾行役には選ばんだろう」
挑発するように笑みを浮かべ、歯を剥きながら威嚇する狐亜人。
マフィアは身内の裏切りに非常に厳しいことで有名だ。
血の掟―――オメルタ。
裏切りや仲間の情報を売った者に凄惨な制裁が加えられ、見せしめとして殺される。
その残酷さは殺された方が遥かに楽とまで言わしめるという。
「だが何から何まで喋ってはいけないわけでもあるまい。組織に粛清されず、俺が満足する程度の情報を試しに渡してみてはどうだ? お前とてここで死にたくはないだろう」
「……」
「心配するな。気に入らなかった時は楽に殺してやる。拷問は苦手だが、即死させるのは得意だぞ?」
「……滅茶苦茶だねぇ」
酷い尋問だ。傍から見ていたシャナイアが呆れて思わず呟くほどに酷い。
だが悪い手ではない。尋問の素人が、下っ端でもないマフィアの口を割らせるのは困難だ。薬や魔術を使ってじっくりやればできないことはないが、時間も手間も掛かる。
半端に暴力に走ればどうせ殺されるのだからと貝のように口を閉ざしてしまうだろうが、あれならば一縷の望みに掛けて口を開いてくれるかもしれない。
粛清に繋がるほどの重要な情報は要らないと逃げ道を残してやっているのも上手い。
狙ってやっているなら大したものだが、恐らく違う。
彼は馬鹿ではないが、そう言った交渉のやり取り上手とは違うように感じる。
「駄目だったら……本当に殺すんだろうなぁ」
無駄な労力を掛けず、手に入ったらいいな程度の感覚でやるからこその雑な尋問。
益にならないならば迷わず殺す。そう思わせるに足るだけの眼つきと、実際にそうしてきた人間にしか出せない雰囲気。
「……何が知りたい」
果たして、狐亜人の口からそんな言葉が出てきたのであった。




