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「はい、乾いたよ」
「すまんな」
パンパンと埃を払って渡された服を身に着けていく。胸当てやバトルグローブはまだ乾ききっていなかったため置いていくことにする。
服と装備を身に着け終えた辺りでシャナイアが切り出した。
「さぁて、これからどうする?」
「とりあえず食事だ。腹が減っては何もできん」
「昨日食べてた茶色くて臭いやつは?」
「その言い方はやめろ。……あれは非常食だからな、割高な上に味も悪い。ちゃんとした食事を摂るに越したことはない」
靴紐を結びなおしたジグが外套を着けて扉を開ける。錆び付いて軋んだ音を立てる扉は天然の鳴子のようで、静かに開けるのは困難だ。
「この辺りで腹持ちのいいものを出している店はないか?」
「ここで食事するときは店よりも屋台を探した方がいいよぉ」
「ほう?」
二人で話ながら階段を降り、酒瓶を抱えて眠りこけた老婆を横目に宿を出る。
「マフィアの抗争だったり、ゴロツキ同士の喧嘩だったりでしょっちゅう壊されるからねぇ……そのたびに作り直していたんじゃいくらあっても足りない。店舗と屋台じゃ被害に大分差が出るのさ」
「なるほどな」
シャナイアの案内で屋台が密集した場所へ向かう。道中、彼女からこの街のことを色々と話を聞かせてもらった。
この街で食事を出しているのは必ず一般の住人らしい。なんでも過去に大規模な抗争で食事に毒を混ぜる事件が起きたことがあり、やられた方もそれを真似し始めて泥沼化。最終的にマフィア、一般人問わず毒殺された死体がそこら中を埋め尽くす未曽有の大惨事が起こったとか。
それ以来、最低限の協定として“飲食に絡む仕事は堅気のモノ”という取り決めがされた。
人の手が入った食べ物が一切信用ならないため、火を通しただけの小麦や根菜をそのまま食して飢えを凌ぐ日々は如何にマフィアと言えども堪えたのだろう。
「そういう事情もあって、この街じゃぁ食べ物に混ぜての毒殺は御法度。他のどんな殺しや卑劣行為が許されても、それだけは許されないのさぁ」
「……無法地帯にもそこなりの法がある、とはよく言われるものだが……流石に呆れるな」
やる前にこうなると気づかなかったのもそうだが、組織単位でそれに加担するとはいくら何でも頭が足りなさすぎる。敵対国の井戸に毒を入れることを非道と思いこそすれ否定はしないが、自分たちの住む街でそれをやるとは。
「そういう訳だから、味はともかく毒殺とかは気にしなくてもいいよぉ。……安すぎるところで食べるとお腹壊すかもしれないけど」
「……生ものは避けよう」
「賢明だねぇ」
この大陸では魔術で氷が生成できるため、保冷技術が高く食材が痛みにくい。そのため食文化もジグたちのいた大陸よりも発展しており、その一つとして挙げられるのが魚の生食だ。
ジグやシアーシャからすると魚を生で食べるなど正気ではないが、この地の人間は抵抗がない。芋虫を生でいけるのに魚は駄目なのかと思うかもしれないが、食の慣れとはそんなものである。
ちなみに、以前二人で朝市を巡った時に決死の覚悟で口にしたが、意外と悪くなかった。
シアーシャは末期患者を見守るような視線を注ぐだけで口にはしなかった。昔に川魚を生で食べて死にかけたことがあるとか。
「着いたよ。まだこの時間だからすいてるねぇ」
昔を思い出していたジグが何とも言えない顔をしている間に着いたようだ。
小汚い屋台がいくつも立ち並んでおり、忙しく手を動かしている。まだ客入りはまばらだが、朝食には早い時間帯を考えると作り置きをしているのだろう。
木組みの素っ気ない屋台はシャナイアの言っていた通り、幾度も補修した跡が見て取れる。ハリアンにある屋台通りとは様々な面で比べるべくもないが、この街の住人なりの営業努力というやつだろう。
それでも一応、屋台にも差があるらしい。椅子などなく客が地べたに座り込んで茶色い粥をかき込んでいるだけの所もあれば、食材を入れていた木箱などで申し訳程度の椅子とテーブルを用意しているところもある。
ジグはその中で肉と野菜の炒め物をパンに挟んでいる屋台へ向かった。
店主が土魔術で用意した椅子とテーブルに麻の布を被せている。この辺りではかなりの高級店と言っていい。
「六個くれ。水はあるか?」
「……銀貨二枚、前払い。椀を貸すから自分で入れろ。終わったら返せ」
少し高いがサイズも大きい。
銀貨を渡し、作り置きをしている中の古い物から受け取る。古いとは言っても出来てからさして時間は経っていないようで、まだわずかに湯気を上げている。
椅子に座ると、待っていたシャナイアに一つ差し出す。
「ありがとねぇ」
「水を頼む」
言って椀を渡すなり、返事も待たずに先に食べ始める。
多少横柄な物言いになってしまったが、魔術が使えないのを誤魔化すためなので仕方がない。
水を出す程度の初歩魔術は子供でも知っている。それすらできないジグという存在はかなり奇異に映るのは間違いない。
飯を奢るのだからそのくらいの雑用は当然だ……そう思っているように振舞う。
幸い彼女も特に疑問を覚えていないようで注いだ水をジグの前に置くと、手に持つパンを口に運んだ。
「あぁ、美味しいぃ……ちゃんと味のあるものを口にしたのはいつ振りかなぁ」
本当に幸せそうな顔で口の周りをソースで汚していた。
ジグはその様子を横目で見ながら二口で飲み込んだ。椀の水を少しだけ口に含んで毒などが入れられていないかを確かめる。味に違和感がないのを確認してから椀を傾けて一気に流し込み、次へ手を伸ばす。
パサパサで、少し酸味のするパンを齧る。野菜は根元ばかりで瑞々しさもなく、肉は小間切れのボロばかり。ソースは塩気ばかりが主張し、雑な刺々しさが舌に残る。
ハッキリ言って質が悪い。同じ値段を出せばハリアンでもっといい物を沢山食べられるだろう。
とはいえ温かい食べ物はそれだけで心身が満たされるし、保存食よりはよほど美味い。ジグとて贅沢舌という訳では無いので文句もない。戦時では腹が満たせるだけで御の字なのだ。
ただ食事の質はその街の質を表す。
銀貨を出してこの程度のものしか食べられないあたり、この街はあまりいい状況ではないようだ。
先程から次々食べるジグの食事を羨ましそうに見ている者達が後を断たないほどだ。まさしく指をくわえてという表現がぴったりである。
それらの視線を無視し、三つ目を飲み込んだジグが腰へ手を伸ばす。
「シャナイア、こういった物を売り捌ける場所を知っているか?」
「それは……戦闘用の魔具かな」
ジグが手にする腕輪を見たシャナイアが目を細める。
「知っているには知っているけど……伝手とかないと買い叩かれるよぉ? ジグ君が持っていた方が余程使い道があると思うけどぉ」
「……構わん。最低限、武器をどうにかせんことには落ち着かない。元より魔力量には自信がなくてな」
適当に話を合わせて四つ目に食いつく。
多少買い叩かれたとしても、今は何より金が必要だ。武器の無い傭兵など木偶の坊にも劣る。
戦闘用の魔具は非常に高価で、多少足元を見られたとしても間に合わせの武器程度ならば買える額になるはずだ。
「背に腹は代えられないかぁ……もったいないけど仕方ないねぇ」
食べ終えたシャナイアが名残惜しそうに指のソースを舐め、それからジグの方を見た。
どうやら物足りないようだ。ジグはともかく女性にとって一個あれば十分腹が満たせる量だったと思うが、それだけ腹を空かせていたのだろう。
奢るといった手前、腹を空かせた相手にケチるのも情けない。
「随分見せつけてくれるじゃねえか……ええおい?」
もう一つ買ってやろうかと、ジグが腰を浮かせかけた時にそれはやって来た。
剣呑な声と敵意の篭った視線が突き刺さる……にはいささか眼力が弱い。シャナイアが見向きもせずにジグの持つパンに視線を注ぎ続けているのがその証拠だ。
見せつけている、というほど自分とシャナイアは甘い関係に見えるだろうか? とそちらを見れば、居たのは六人のゴロツキ。皆一様にジグの持つパンに熱い視線を向けていた。
彼らが食べていたのは黒くて岩のように硬そうなパンと、薄い塩味がするだけのスープだ。
「……ふむ」
なるほど、確かにジグが景気よく胃袋に納めているのは彼らにとって“見せつけている”と言えるだろう。その日暮らしの仕事や盗みを働くのが精々の彼らにとって、ジグの食べている肉野菜サンドはそうそう手が出ない贅沢品だ。
「……俺たちにもよぉ、その景気の良さを分けちゃあくれねえか?」
ゴロツキの一人は飢えた視線を隠そうともせず、粗末な刃物を抜いた。
短剣ですらない、果実ナイフのような貧相な得物を得意気に向けて脅してくる。先ほどまでじろじろと見ていたのはジグが丸腰なのを確認していたのかもしれない。
「……有り金と女を置いてけ。武器もなしにこの人数とやり合えねえだろう?」
下卑た笑みを浮かべたゴロツキを無視して四つ目を口に放り込む。
グローブくらいは着けてくるべきだったかもしれない。
溜息をついたジグが最後の一つをシャナイアに渡して立ち上がる。嬉しそうに受け取った彼女が早速かぶりつき、ゴロツキたちの視線を集めた。
「ああ、そうだ。何か拳に巻くものを持っていないか?」
「うん? ちょっと待っておふれよぉ……ハイ」
パンをくわえた彼女はもそもそと動き、懐から帯状の布を差し出す。
ほのかに温かいそれを受取り、くるくると慣れた手つきで拳に巻きつけていく。左右均等に巻き終えると力を籠めてちぎり、端の方を指の間に挟んで握り込む。
「おいてめぇ、何のつも―――」
言葉を遮るのは肉を打つ鈍い打撃音。台詞半ばにして、ゴロツキの頭が後ろに吹っ飛ぶ。
相手の言葉を無視して先制した左アッパーが顔面に直撃し、鼻の骨を砕いて意識と体を飛ばす。体重も載せていない腰の振りと上半身だけの打撃で人が飛んだ。
倒れた男の手放したナイフが甲高い音を立てて転がっていく。
「腹ごなしには少し物足りないが……まあいいだろう」
宙を舞う仲間を見て喧嘩を売る相手を間違えたと、ゴロツキたちが気付いた時には既に遅かった。
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