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光で視界が埋め尽くされた瞬間、ジグは自らの失敗を悟った。
あの刺突剣使いの目的は魔術師の護衛だったのだと、今更ながらに気づく。
「ああいう護り方もあるのか」
まるで都合の良い捨て駒であるかのような振る舞いにすっかり騙されてしまった。
死してなお、あの男は自分の仕事を果たしたのだろう。敵ながら見事と言う他あるまい。
あの魔術師がどういった理由でギルドへ損害を与えようとしたのか、どこの組織がそれを命じたのか。それらの情報を握っているのは間違いなさそうだが、ジグにはもうどうすることもできない。
「カティアたちか、応援とやらに期待するしかあるまい。だが今は……」
ジグは自分の状況を振り返る。
この感覚には覚えがある。恐らく自分は転移させられたのだろう。
転移魔術など早々できるものではないと聞いていたのだが、他に説明がつかない。よく思い出せばギルドで使用していた転移石板のものとは少し違うような気もするが、問題はそこではない。
そう、それは今問題ではないのだ。ジグは無言のまま両の拳を握り締めた。
徐々に光が収まっていく。
五感が戻るにつれて人の気配と、何か騒ぐような声が遠くで聞こえる。どこかぼんやりと聞こえていたそれは徐々にハッキリとした音となり、光が完全に消えた。
「おい、何が―――誰だおまっ……ぐぁああ!?」
視界が戻ると同時、ジグは目の前にいた男の顔を右手で鷲掴みにする。
ミシミシと音を立てる程に強く握って吊り上げると、状況を把握するべく首を振って周囲を見渡す。
どこかのボロ家らしき屋内には頭を掴まれている男を含めて三人の男がいた。彼らは突然室内に誰かが現れたというのに驚いた様子も見せず、こちらを警戒している。
よく見ると本当にただのあばら家で、朽ちた扉やテーブルなど街の外れにならいくらでも見かけるものだ。だがそんな場所に暴力の匂いをさせた男が三人もいるというのは考えにくい。
あの男の隠れ家か何かに飛ばされたと考えるべきだろう。
「何者だ? スティルツはどうした?」
男の一人が殺気を漏らしながら詰問する。あの刺突剣使いはスティルツと言うらしい。
彼らは浮浪者のような恰好をしているが、漂わせる気配は荒事に慣れた者のそれだ。
「……ふむ」
「は、放せぇ……がぁぁああああ!!」
ジグはそれを無視し、騒ぐ男は腕に力を籠めて黙らせると他に伏兵がいないか等を確認する。
相手の装備は短剣が精々で防具も着けていないが、先日の暗殺者のように魔具を身に着けている可能性は捨てきれない。
それを加味しても貧弱な装備と言いたいところだが、今はあまり人の事を言える状態ではなかった。
双刃剣はスティルツから離れる際に手放してしまっており、剥ぎ取り用のナイフもない。
大きく削れた手甲は芯まで傷つけられてしまっているのか違和感を感じる。限界を迎えるのも時間の問題かもしれない。
今の装備は胸当てと脚甲にバトルグローブ、指弾用の硬貨が数枚あるのみ。
バトルグローブも衝撃波の残弾が幾つ残っているのかは不明だ。そこまで派手に使っているつもりはないが、使用するときは高出力で撃つことばかりなので不安が残る。
「なんとも、寂しいものだ」
「……答える気がないのなら、体に聞くしかないな」
その言葉が合図となった。
男がこれ見よがしにちらつかせる短剣には目もくれず、ひそかに魔術を唱えていたもう一人の方へ吊り上げていた男を放り投げた。
「ぐわぁ!?」
男は投げつけられた仲間を回避しながらも詠唱を途切れさせなかったが、回避の隙を狙った指弾が首筋に当たる。浅く肉を裂く痛みにも男は怯まなかったが、蒼金剛により練り上げていた魔術が霧散したことに驚いて動きが一瞬止まった。
その隙にジグはもう一人の男まで距離を詰める。
振るわれた短剣を壊れかけの左手甲で弾き、右のボディブロー。
腰の入った拳があばらの下あたりに鈍い音を立てて直撃し、その衝撃に男が胃液を漏らして体をくの字に折る。下がった顔を膝蹴りで出迎えると、鼻血を噴きながら頭が打ち上がる。
「ふっ!」
下ろした右脚を軸に変え、無防備に晒される喉仏を左ストレートで殴り飛ばす。
ぐちゅりと何かが潰れるような手応え。
「っぁ!!?」
喉を潰された男が悲鳴を上げることもできずに壁に叩きつけられる。
節約のためにバトルグローブは温存したが、あれだけ気道を滅茶苦茶にされては呼吸もままならずそう遠くないうちに死ぬだろう。
この大陸の人間は重傷を負っても回復術を使って一命はとりとめられるが、呼吸が出来なくては魔力を練ることも詠唱もできない。そうなれば体本来の弱さも手伝って存外呆気ないものだ。
一人を無力化したジグは男が手放した短剣を拾い上げると、先ほど放り投げた男へ投擲。
「ぎゃ!?」
立ち上がろうとしていた腿に深々と短剣が突き刺さり、悲鳴を上げて男が転ぶ。
ジグは追撃に移ろうとしたが、魔術の匂いに足を止める。
残る男が時間差で十字に放った二本の氷刃がジグを引き裂かんと迫っていた。
体を横に逸らして縦の氷刃を躱し、足元を狙った氷刃を跳んでやり過ごす。
「もらった!」
ジグが跳ぶのを待っていた男が隠し持っていた腕輪型の魔具を起動。生み出された岩槍が着地するタイミングに合わせて放たれる。
「ちぃ……!」
双刃剣があれば弾くこともできたが、ない物ねだりをしても仕方がない。
咄嗟に手甲で受け止め、殺しきれない衝撃を仰向けに倒れるように転がることでいなす。まともに魔術を受けた手甲が嫌な音を立てたが、それでも何とか受けきることに成功した。
衝撃で乱れた呼吸を無視して体を動かし、二射目を回避すると足元の椅子を蹴り飛ばす。
椅子は狙い過たず男のかざした腕に当たり、一時その狙いを乱した。
男が再度魔具を使おうとした時、
「―――あ」
視界を埋め尽くさんばかりに迫るジグがいた。
右肘を鏃のように正面に構えた突撃体勢。速度と重量が生み出す破滅的な暴力は男を木っ端のように巻き込み、あばら家の壁をぶち抜いた。
そのまま外へ飛び出していき、石壁にぶつかることでようやく止まった。
ジグの肘と石の壁にサンドされた男の首は捥げかかっており、即死していた。
「……ふぅ。やはり武器がないと辛いな」
徒手ではどうしても殺すのにひと手間かかってしまう。もしくは先ほどのように全力の一撃を叩き込む必要がある。
その点、刃物があれば一突きで済む。
武器がない時のための訓練は積んでいるが、あるならば使うに越したことはないのだ。徒手を磨いて手間暇かけるのは効率的ではない。
背中の重みがないことに寂しさを覚えながら一息つくと、辺りを見回した。
どこかのスラム街だろうか。
寂れたあばら家……と言うより天幕の様な粗末な掘立小屋が点在し、そこかしこにゴミが積まれるがままになっている。それなりの頻度で生ごみも混ざっているあたり、相当に治安が悪いのだろう。生ごみを漁る丸々太った鼠を狙った罠も見かけた。
「ハリアン……ではなさそうだな」
あの街も治安が悪い場所はあるが、ここまで酷いのは見たことがない。
「よ、よせ! 来るなぁ!?」
悍ましい物を見たかのような悲鳴に視線をやれば、そこには足に短剣を生やしたままの男がいた。
ジグが後で情報を得ようと生かしておいたその男は逃げようとしていたらしい。
だが片足を引きずって必死に逃げる男はジグとは別の者に追われていた。
追っているのは一人ではない。痩せこけた複数の浮浪者たちだ。
彼らはどこから現れたのかどんどんとその数を増していき、男を追いかける。決して速くはなく、明らかに栄養が足りていないだろうその動きはむしろ遅いくらいだ。
それでも片足が動かせない男よりは速く、何より数が多い。
「来るなぁっ、殺すぞ! ……あっ!?」
威嚇しながら逃げていた男が何かに躓いて転んだ。
傷ついた足を庇って倒れた男は自分が躓いた生ごみと目が合ってしまった。
「ひぃ!?」
落ち窪んだ眼窩とだらしなく開いた口。物言わぬソレはこれから加わる新たな仲間を歓迎しているかのようだった。
そうして男に浮浪者たちが追い付いた。
男も戦い慣れているだけあって、何人かは殴り飛ばされた。だが、そこまでだ。殺到する多数を凌ぐには手数が足りない。
どれほどの強者であろうと、足が止まってしまえば多数に嬲られるだけになるのは傭兵もマフィアも変わらない。
「いぎぁあああああああ!?」
浮浪者の一人が足に刺さった短剣を掴んで、捩じった。痛みに男が絶叫し、動きが鈍る。その隙に他の浮浪者が開いた傷口を垢で汚れた手でほじくり回し、獲物の体力を奪おうとする。
動きの止まった男はそうして彼らの食い物にされていった。かつて男たちがそうしていたように、弱者はただ喰われるだけだ。
「……あれでは楽に死ねそうもないな」
たかられ、身ぐるみを剥がされて引きずられていく男に多少の憐憫を覚えないでもない。
情報を得られなくなったのは残念だが、あの光景には割って入る気にはなれなかった。
「紛争地帯でもここまで酷くはなかったと思うが……む?」
気配がした方を見ると、たった今殺した男を浮浪者が引きずろうとしていた。
存在感の無さ故か、気づくのが遅れたジグと浮浪者の目がバッチリと合ってしまう。
ジグと目が合った浮浪者は固まったまま動かない。多少怪我をしているとはいえ、流石にジグを獲物とは見なさないようだ。
蛇に睨まれた蛙のように動かない浮浪者。
「……その腕輪は置いていけ。後は好きにしていい」
魔具である腕輪を指してジグがそう言うと、浮浪者は恐る恐る動き出した。
ゆっくりと腕輪を地面に置き、ジグの方をちらちらと警戒しながら男を引きずって行った。
「やれやれ、これほど酷い場所とはな……」
何とも言えない不気味さにジグがため息をついた。
とりあえずこの後どう動くかを考えるために、腕輪を拾ってあばら家へ戻ることにする。
当然ながら喉を潰した男の姿はすでにない。どころか男たちの死体のみならず、壊れた手甲の破片や指弾に使った硬貨までなくなっていた。
「スラムの掃除屋か……」
ちらりと視線を外へ向ける。薄暗い建物の影や掘立小屋など、値踏みするかのような目がそこかしこから向けられていた。
今のところ害はない。だがそれはジグが喰われるだけの弱者でないことを彼らが理解しているからだ。喰えると思ったらいつでも襲い掛かってくる。
傷つき動けなくなれば、あの男たちと同じ結末が待っているだろう。
あまり長居するべき場所ではないようだ。
ジグは応急手当てを済ませると、自分が転移してきた場所を手早く調べ始めた。
友人が二巻発売祝いに寿司を奢ってくれました。
お高い寿司なのに「しっかり食え。お代わりもいいぞ」と景気よく振舞う友人。
きっと私の偉大さにようやく気付いたのですね……




