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飲み干したティーカップがことりとテーブルに置かれ、そのふちを白い指がなぞる。
「ストリゴ……確か西の方にある街でしたっけ? 話に聞いただけですが、とても治安が悪いとか」
「治安が悪いね。それはまた随分とマイルドな表現だ」
過去にあの街を視察に訪れたことのあるカークからすると、些か以上に語弊のある表現だろう。
皮肉気に笑ったカークが眼鏡を指で押しあげる。
「私としてもあの街は非常に厄介かつ、触れたくない面倒なものでね。少し前にも薬物関連でこの街に色々被害を巻き起こしたこともある。……冒険者からも、被害が出た」
「ふーん……」
さして興味なさそうにカップを差し出すシアーシャ。
おかわりの要求にティーポットから紅茶を注ぎながら彼女を観察するが、特に何も読み取れなかった。
何人かの冒険者が行方不明になっていることを彼女が知っている可能性もあるかと思ったが、流石に考えすぎだったようだ。
カークは苦笑しながら邪推を止めて話を続ける。
「シアーシャ君はストリゴの治安の悪さ……その具体的な内容を知っているかね?」
カークの問いにシアーシャがゆるく首を振って視線で説明を促す。
彼女は興味の向いたことには非常に熱心になるが、それ以外への関心は皆無と言っていい。とはいえこの場合、余所の街へ関心がないというより冒険業に熱心だったためだが。
「あの街を一言で表すなら、そうだな…………混沌の坩堝」
ストリゴには決まった統治者がいない。
複数のマフィアや麻薬カルテルが勢力争いを繰り広げ、その時最も力を持つ派閥が発言権を持つ。頭が決まれば、それをよく思わない他勢力同士が結託して追い落としに掛かる。そして肝心なところで裏切り、自分だけが美味しい思いをしようと誰もが考えている。
出る杭は打たれ、低い杭は根っこまで掘り起こして貪る……ある意味で正しく弱肉強食の世界だ。
街長は一応いるにはいるが、お飾りですらない完全なる操り人形と化している。しかしそれを無能だと罵るのは酷というものだろう。
マフィアを撲滅すると豪語した者がいた。
それを口にした彼は次の日、妻と娘の頭に挟まれて串団子になっていた。洗濯ばさみで無理矢理作られた笑顔は、民衆から反抗する意思を奪うのに十分だった。
それが三度続いたところで、誰も街長に手を挙げなくなった。
誰もが逃げるようにその座を押し付け合い、拒み切れなかった者がなる貧乏くじ。それがストリゴにおける街長という立場だ。
街には麻薬が蔓延し、緩やかに腐っていく。職にあぶれ、マフィアにもなれぬ者がより弱者から奪う負の連鎖。
マフィア同士の抗争に巻き込まれて死ぬ者も数多くおり、そんなことが日常のように繰り返されている。
それでも人がいなくならないのは、ストリゴの不思議なところだろう。
どれだけ荒れていてもストリゴに行く者は後を断たない。それはかの街が、如何なる人物であろうとも拒まない場所だからだろう。
表にいられなくなった者。世間に馴染めず弾かれた者。どこにも居場所がない者。
彼らが最後に辿り着く場所こそ、ストリゴなのだ。
「ストリゴとはそういう場所だ。あそこと比べればこの街で起きている騒ぎなど、取るに足らんよ。今回関わっている奴らの面倒さが、理解できたかね?」
語り終えたカークが様子を窺う。
多少は真剣味を増してくれたかと期待したが、当の本人は呑気なものだ。
「ふーん。あ、お団子食べたくなってきましたね」
紅茶にいくつ角砂糖を入れるかで真剣に悩んでいた彼女は、やがて二つを摘まんで投入する。かき混ぜた紅茶を飲んで満足そうに頷いている。
「…………」
今の話を聞いた感想がそれか? そう言いたくなるのを我慢したカークが冷ややかな目でシアーシャを観察する。
血気盛んな冒険者特有の、殊更に残酷ぶって見せているような素振りもない。……そうであってくれればどれだけ扱いやすいか。
「……君はストリゴでも十分やっていけそうだな?」
せめてとばかりに精一杯の皮肉を飛ばしてみる。しかし常人の嫌味など、異物に通じるわけもない。
「私、この街は結構気に入ってますから。しばらく移動の予定はありませんね!」
花開くように笑うシアーシャに反比例してカークの顔は暗くなっていく。
このような危険人物、早く出て行って欲しいというのが彼の本音であった。しかし今は優秀な冒険者を手放せるほど余裕のある状況ではない。
その苦悩を知ってか知らずか、魔女は楽し気に微笑んだ。
「嬉しいでしょう、カーク?」
「…………嬉しいとも、泣きそうなほど」
「……それにしても彼は仕事が早い。まだ調査を頼んで数日しか経っていないのが信じられん」
目じりの涙を拭ったカークが頭と話を切り替える。
カークがジグに仕事を頼んだのは使い勝手の良さと、その人脈を当てにしてのことだった。本人にそこまでの情報収集能力を期待していたわけではないのだ。
しかし蓋を開けてみればどうだ?
先日の襲撃者が持っていた魔具からドラッグが出て、それがストリゴ製のものであると確認できたという報告までほとんど間がない。それもバザルタからのお墨付というのだから間違いないだろう。
情報屋顔負けの速度と正確性は、カークの傭兵という定義を大きく揺らがせるものだった。
実際は数々の騒動に、様々な面から絡んでいたというだけの話なのだが。
それでもこの結果を導き出せたのは彼の行動力あってのものだろう。人任せにせず、自ら足を動かしてこそ得られるものもある。その行動力が仇となって、傭兵団にいた頃は指揮向きではないと判断されたほどだ。
「ジグさんは仕事熱心ですから。さて、と……」
紅茶を飲み干したシアーシャが腰を上げる。彼女の意識は既に戦いのものへと切り替わっていた。
「行くのかね?」
「はい。荒事になりそうですし。場所は?」
「先ほど連絡があった。暗殺者を始末した人物は北区の歓楽街、その外れにある小さな商店へ入って行ったそうだ。詳しい場所はこれを見たまえ」
意外な場所にシアーシャが思わず目を丸くして確認する。
「マフィアのお膝元に? 随分とまあ、大胆な」
「葉を隠すなら森の中とはよく言うが……現に今まで見つかっていない以上、見事というべきか」
カークが敵ながら大したものだと鼻を鳴らす。バザルタがこれを知ったら怒り狂うのは間違いないだろう。面子を重視する稼業がこうも舐めた態度を取られては黙っていられるわけがない。
もっとも、今回はそんなマフィアたちの慢心のせいもあるだろうが。
「ジグ君にも場所は連絡した。彼は今歓楽街にいるようだ。恐らくすぐに向かうだろう」
「おや、では乗り遅れないようにしないと!」
腕をぐるぐる回して気合を入れるシアーシャ。
随分やる気のようだが、カークには一抹の不安が残っていた。
「……相手はやり手だと聞く。生粋の魔術師であるシアーシャ君には危険ではないかね?」
魔術師は基本、近接戦闘を不得手としている。如何に強力であろうと詠唱という手間が必要な都合上、即応性に欠けるのだ。そして魔獣と違い、人間を殺すのには一振りの剣で十分だ。
また戦闘中に敵の攻撃を避けながら詠唱するのもかなりの練度を要する。ただ唱えるだけでなく、魔力を練って制御するという工程を戦いながらこなすのは容易ではない。
魔剣士と名乗る者も、そのほとんどは剣と魔術を切り離して使用している“魔術も使える剣士”にすぎないのが実態だ。
生粋の剣士と魔術師が争えば、その戦いは一方的なものになる。
剣の届かぬ遠距離から一方的に魔術を浴びせるか。近距離で唱える間もなく斬り殺すかだ。
建物ごと圧壊させる皆殺しならばともかく、今回は情報を吐かせるために何人か生かす必要がある。
必然、こちらから踏み込むことになるので間合いの確保も難しい。
「……おや、カーク。私のことを心配してくれるのですか?」
シアーシャは一瞬意外そうな顔をしたが、艶然と微笑むと揶揄うような視線を向ける。
常人であれば目を奪われるような妖しい魅力を秘めた視線だが、カークの実利主義はその程度では揺るぎもしない。
「無論だとも。我らは“友”だからな?」
不敵な視線は鋭く、打算と欲望に満ちた実に人間らしいものだ。だが不思議と不快感はない。
満足いく答えにシアーシャは口の端を釣り上げた。
「あら嬉しい。でもご安心なさい。冒険者こそ駆け出しの私ですが……」
彼女はそこで言葉を切って肩越しにカークを見た。
「―――人狩りは年季が入っているんです」
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