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「……なるほどね。事情は分かった。おいレダ、スキラッチはまだ正気か?」
「ついさっきまで目を光らせてたんでまだ大丈夫かと。呼んできましょうか?」
「頼む」
カティアは男に誰かを呼びつけるよう命じると、栗色の髪を手櫛で整えながら目を通した手紙を机に放った。ちなみに薄着だがしっかり服を着ている。グレーのキャミソールを身に着け上着を羽織っただけの彼女は一見すると娼婦のような格好だが、意思の強い瞳と客商売をするには不向きな目つきがそうは感じさせない。
「あんたを襲った殺し屋。そいつらの持っていた魔具から出てきたこのドラッグが、何処から持ち込まれたモンか調べてくれって話だな?」
「出来るか?」
「すぐには無理……と言いたいところだが、ツイてるなジグ。ちょうどプロがいるよ」
マフィアらしくにやりと笑ったカティアがトントンと膝を指で叩く。その顔はカティアという少女のものではなく、マフィアの構成員と呼ぶに相応しい打算と欲望に塗れたものであった。
「で? あんたはその情報の代わりに何を差し出せるんだい?」
当然ながら、マフィアのような組織に何かを求めるなら対価を要求される。彼らは弱い者から利益を吸い上げることを生業としているのだから。
情報弱者であるジグを食い物にするのも自然な成り行きと言えるだろう。
「……金か?」
「生憎だが、いち傭兵の貧相な財布狙うほどうちも困窮しちゃいないんだよ。……そうだねぇ、貸し一つってのはどうだい?」
煙草を取り出して火をつけながら彼女はそう提案した。細く煙を吐き出しながら、しなやかな脚を組んでジグの出方を窺っている。
貸し一つ。
それを言葉通りに受け取るのはまずいだろう。冒険者やギルドなど、表の立場がある人間との貸し借りならば問題はない。彼らには信用や周囲の目など、約束を守らないことに対するデメリットが非常に大きいからだ。しかしマフィアが傭兵一人との約束を反故にしたところで、気にする者などそうはいないだろう。
カティアが約束を守らないという訳では無いが、こちらから借りを作るのは得策ではない。後々非常に面倒な仕事を回される可能性もある。
「手紙にも書いてあっただろう? お前たちが縄張りを管理できていないから、その尻拭いをしようというんだ。それなのに貸しというのか?」
ドラッグの管理が出来ていないことを指摘して情報提供を迫ってみる。この街の裏を管理するのがお前たちの役割ではないのか、と。
「こいつは売人やらが持っていたわけじゃなくて、魔具の中に紛れ込んでいたって話じゃないか。あんたが襲われて、そいつが持っていた道具に偶々ドラッグが入っていた。それだけでうちのせいってのは、ちょっとおかしくはないかい?」
しかし相手はこの手の交渉事が本業だ。ジグの浅い指摘など口先一つで躱してみせた。
「……」
確かにそこを突かれると言い返すのは難しい。奴らがドラッグの販路を広げようとこの街に進出してきているのならばともかく、使っていた道具に紛れ込んでいた程度でマフィアの協力を得るのは無理がある。
「お嬢、スキラッチの奴を呼んできましたが……」
そんな時に世話役の男が戻って来た。彼の後ろには痩せた色白の男が一人いる。彼がスキラッチだろう。
「ちょっと待ってな、交渉中だ。……で、どうする?」
紫煙を燻らせて流し見るカティア。
彼女はおそらくジグが頷くと踏んでいた。仕事に忠実なこの大男ならば、多少のリスク程度ならば呑んでしまうだろうと。
この傭兵に貸しを作れる利点は大きい。武力という意味でジィンスゥ・ヤは確かに強力だが、彼らは汚れ仕事や不義理を働くような頼み事は基本的に受けない。
武人気質過ぎるのだ。街か、彼らにとって明確に害をなす存在でなければ動かせない強大な力は、あまりにも使い勝手が悪かった。それでもいるだけで牽制になるのだが。
その点この傭兵は金さえ払えばいいという、なんとも裏向きな都合の良さだ。口が堅く、腕も立つ何でも屋。出来ることなら貸しを作って縛り付けておきたい。
組織にとっても、個人にとっても、有用な人材だ。
「……仕方がない、ここは諦めて帰るとしよう」
だから、そう返されるのは予想外であった。
やれやれと首を振って立ち上がるジグに身を乗り出すカティア。
初めに貸しなどという不安を煽る条件を出しておいて、次に具体的な仕事を頼むことで協力を取り付けるつもりだった。
だがまさか、ほぼノータイムで諦める等とは思ってもいなかった。
「え、いやちょっと……いいのか?」
「仕方がないさ。ドラッグに関してマフィアからの協力は得られなかった……そう“雇い主”に伝えるだけだ」
雇い主の部分に意味ありげな響きを持たせてジグが薄く笑う。
その意味を考えたカティアの眉が動いた。
この男が動いているとすれば、当然仕事なのだろう。彼がどこかの勢力に属したという話は聞いたことがなく、文字通り金次第でどこの仕事も受けているのは調べがついている。
ならば今回は、どこに雇われた?
ジグの口ぶりではマフィアが協力を拒みづらい存在だ。ブラフの可能性もあるが、それにしても候補が思い浮かばないはったりなど意味がない。だがそんなものが何処にいるというのだろう。ドラッグ関係でマフィアが協力せざるを得ない組織など……いや、一つあった。
「そうか、あんたギルドに雇われて……!」
「話が早くて助かるよ」
やられたと、思わず舌打ちしてしまう。
憲兵だけでは防ぎきれぬ暴力をギルドが防ぎ、裏の取りまとめをマフィアが行うという、この街における暗黙の了解。
それにマフィアが協力しないのであれば、冒険者という戦力を持つギルドが見逃す理由もない。結局マフィアなどどこまで行っても犯罪組織。安易に駆除して無秩序な小悪党が跋扈するよりは管理が楽、そういう理由で見逃されているに過ぎないのだ。
結局こちらに選べる選択肢など、ハナから一つだけだったのだ。
「ああっクソ! それならそうと早く言えよぉ……スキラァッチィ!」
「へ、へいお嬢!」
苛立ち紛れに煙をふかして部下を呼びつけると、テーブルに乗った白い粒を指す。
「レダから話は聞いてんな? そのブツが何系で、どこ産か味見しろ」
「うっす!……あ、お嬢。集中したいんで煙草消してください」
「……」
スキラッチに言われてまだ長い煙草を渋々消す。すかさずレダと呼ばれた世話係の男が窓を開け、部屋を換気した。
匂いが薄まったことを確認した彼は懐から小さな匙を取り出した。匙に白い粒を載せて炙ろうと、指先から出した火を近づける。
「あ」
そこで動きを止めた彼は気まずそうにカティアを見る。
「なんだよ、まだなんかあるのか?」
「すいませんお嬢……臭いんで離れてもらえますか?」
「―――ぉ」
言葉のナイフとは、時にどれほどの名剣よりも鋭く人を傷つける。
彼女の名誉のために言うが、部屋こそ汚いもののカティアは不潔という訳では無い。スキラッチも煙草臭いという意味で言ったであろうことは分かる。煙草とは吸わない人間にとっては非常に不快な臭いを発するものというのも理解できる。
……だが、それでもだ。
いい歳したむさくるしい男に、年頃の少女が臭いと言われる精神的なダメージは如何ほどのものか。
怒りや悲しみすら浮かばぬ無の表情でよたよたと部屋の端へ行き、角っこにもたれるようにして座り込んだカティア。彼女は体育座りした両膝に顔を埋めてそれっきり動かなくなってしまった。
「惨いことを」
「……しばらく飯も食えんほどぶん殴るか」
罵詈雑言が日常であろうマフィアでも、流石に今のはあんまりだろう。
ジグが憐れみの視線を送り、青筋を浮かべたレダが拳を握り締めている。
「……? とにかく始めますよ」
カティアの反応を今一つ理解できていないスキラッチが味見を始めた。
ちなみにだが、スキラッチの無神経な発言は決して愛用しているドラッグによる影響ではなく、彼本来の性格ゆえであった。
炙られた白い粒から煙が立ち昇る。スキラッチは一筋の白い煙を鼻で吸い込んだ。
「―――あぁ……」
思わずといった風に漏れた声。
吐く息さえ惜しいとばかりに吸い込まれていく煙。スキラッチの瞳孔が開いていき、色白な肌が仄かに赤みを帯びる。
恍惚とした表情で鼻息荒くする彼とは対照的に、ジグとレダはげんなりした顔へ変わっていく。
男のトリップする姿など見ていて気持ちのいい物ではない。魔獣を眺めていた方が余程楽しいくらいだ。
「感覚を鋭敏にする類のドラッグっすね。魔黄麻の系統かと。かなーり魔力を吸った一級品ですぜ」
数分後。
トリップから戻って来たスキラッチが告げたのは聞いたことのない植物だった。有名どころはジグも知っているので、こちらの大陸特有のものだろうか。
原料を聞いたレダが眉を顰めているのを見るに、あまりまともな薬物というわけではなさそうだ。
「魔黄麻とは、また刺激の強いモンを……使い方間違えりゃ廃人一直線だぞ」
「そんなに強いモノなのか?」
「ドラッグ自体の依存性はそこまで高いわけじゃないんだがよ……こいつには実用性がある」
実用性。つまり感覚を鋭敏にする効能がそれほどまでに高いということ。
「こいつを使えば、降ってくる雨粒も目で追えるようになるって触れ込みらしいぜ? 幸福感のわりに感情面で変に興奮し過ぎないから、戦闘用よりは精密作業……特に彫金の類で使われるって聞いたことがあるなぁ。自己肯定感が高まるから、大胆かつ精密に作業が出来るとかなんとか……」
「彫金ね……なるほどな」
魔具から出てきたという話にも辻褄が合っている。
あれを作った職人は魔術刻印を刻む際に魔黄麻を使用していたのだろう。その上でガントに二流と言わしめるあたり、あの魔具を作った奴が三流以下というのも間違いではなさそうだ。
「その魔黄麻とやらはこの街で扱っているのか?」
「馬鹿言ってんじゃねえよ。こいつは実用よりのドラッグだ。うち……いやこの街で、そんな刺激物は協定で禁止されてる。俺たちが扱っているのは、よい子がシアワセになれるだけの白いお粉だけだっての!」
「……そうか。ではこれはどこのモノだ?」
これが違法かどうかにはさして興味がない。実用的なドラッグを扱っている場所は少し気になるが、今はこれの出所を調べに来たのだ。
ジグの疑問にスキラッチが得意気に答える。
「これだけの上物を混ぜ物なしで流通させることができるのなんて、あそこしかないっすね」
「……やっぱ、ストリゴか」
レダが苦虫を噛み潰したような顔でその街の名を口にした。




