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お待たせして申し訳ない……
ハリアンの街、その北部。
二大マフィアの一つであるバザルタ・ファミリーが牛耳るその区画。そこは表では出しにくい怪しげな店が立ち並び、明らかに堅気ではない雰囲気の男たちが闊歩するのが散見される特殊な区域。
その表層は主に歓楽街となっており娼館や賭場、闘技場紛いの見世物まである。
鍛冶屋を出たジグは北区へ向かっていた。
娼館はジグも幾度か利用したことがあり、朝の走り込みなどでもよく見かける光景だ。
そこまでは一般人でも足を運ぶのは珍しくない。誰にでも息抜きは必要ということだ。冒険者などは毎日のようにここへ足を運んでいる者もおり、危険な仕事の見返りとばかりに欲望を解消している。
ちなみに南区のカンタレラ・ファミリーの管理する歓楽街も趣きこそ違うが、概ね似たような構造をしている。
「それにしても活気があるな。まだ夜には早かろうに」
歓楽街は夜が本番だが、ここは昼でもそれなりに人気が多い。
薄暗い路地へ視線をやれば宿代をケチった男女が絡み合い、煙を吸いながらケタケタと笑ったり項垂れるように壁に寄りかかったりなど“お楽しみ”中の者たちがそこかしこに見受けられる。
客引きこそいないものの、店もいくつか開いている。
ジグが居た大陸ではそれなりに大きな街ではよく見る光景だが、海を跨いでもそれは変わらないらしい。利用者が正規兵や傭兵から冒険者へ変わっているだけだ。
治安も当然ながらあまりよくはない。値踏みするような視線がスリと思しき人間からいくつも送られており、危機意識のない者ならばたちまち食い物にされてしまうだろう。
その点においてジグは自分の容姿と体格に感謝していた。一目見てわかる物騒な見た目だけにスリやゴロツキには絡まれにくく、相手の方から避けてくれる。それでも全くいないというわけではないので気を抜くことはないが。
ここへ来た用件は遊びに来たわけではなく、人を探しに来たのだ。道中で親切なマフィアから目当ての人物の居場所を聞き出しておいたので迷う心配もない。
聞きだした情報をもとにジグは足を進め、とある一つの酒場へ向かう。他より少しだけ店構えの立派なウエスタンドアを開いて店に入ると、目当ての人物を探した。時間帯のせいか、店内には一組のグループがテーブルを囲って酒を飲んでいるだけだ。
「ん? おぉ兄さん、今は貸し切り中だ。ワリィな」
テーブルの一つを陣取っていた一人がジグに気づいて、帰りなとひらひら手を振る。鍛えられた立派な体格と暴力的な風貌をしたマフィアと思しき男だ。
しかしジグはそれに構わず進み、彼らの方へ向かう。
それに気づいた男は舌打ち一つ。億劫そうに席を立ってジグの進路を塞ぐように立ちはだかる。
「……よぉ、言ってる言葉伝わらなかったかよ? 俺ぁ優しいからもう一度だけ言うぞ? 失せろ」
無用に相手を恫喝しない、しかし有無を言わせぬ態度。マフィアにしては大分まともな部類だろう。
何事かと腰を浮かせる仲間を手で制しながら視線を動かす。まずジグのガタイに驚き、次に得物に眉を動かす。最後に目を見て、その鋭さを警戒に値する相手だと判断したのだろう。
腰に手をやり武器を確認しながら出方を見る。同時に反対の手で仲間にハンドサイン。
「人を探していてな。ここにいると聞いた」
「ほぉ……見つかったかい?」
他のマフィアが席を立ち、ゆっくりとジグを囲むように動く。
「いや、まだだ」
「そりゃ残念だ。じゃあ他を当たってくれや」
「そうもいかん。まだ探しきれていない」
「……見てわかるだろ? ここにゃ俺らしかいねえよ」
徐々に剣呑さを増していく雰囲気。それに構わずジグは顔を動かし、バーテンダーのいないカウンターへ視線をやる。カウンターの中には従業員用と思われる扉が一つ。
「もう一人、居るんだろう? カティアに用がある」
「……てめぇ」
男が凶悪に顔を歪めて唸るように歯を剥く。一触即発の雰囲気に殺気立つマフィアたち。
ナイフや短剣など、各々携帯性に優れた武器を抜いて牽制するように距離を取る。
「……刺客か。どこに雇われた? カンタレラか?」
「早とちりするな。彼女に頼み事……いや、苦情申し立てがあって来た」
彼らを刺激しないようにゆっくりと懐に手を入れ、一通の手紙を取り出す。
目の前の男にそれを差し出すと、警戒しながらも受け取り裏返す。
送り主を確認した男が小さく口から息を漏らすと、武器を収めて顎をしゃくる。
「……付いて来い」
「アニキ?」
アニキと呼ばれた男は他のマフィアたちが怪訝そうにするのを手を振り下がらせる。
「いい、コイツは客だ。俺が持つから、お前ぇらは好きに飲んでろ」
「はぁ……」
突然敵ではないと言われ、納得できないながらも上の言うことなので引き下がるマフィアたち。
踵を返す男にジグがついて行く。
肩越しにジグの武器を見た男が何かに気づいたように口を開いた。
「その妙な武器……お前まさか、アグリエーシャとの抗争の時にお嬢の護衛をしていたとかいう傭兵かよ? アルバーノの野郎から聞いてた通りだな」
「お前もあの抗争に参加していたのか?」
「まぁな。……ったく、それならそうと早く言いやがれ。ヤク使ったアグリエーシャの幹部共をお嬢護りながら返り討ちにしちまう化け物相手に喧嘩なんて冗談じゃねえ」
愚痴るようにバーカウンターの中に入ると奥の扉の鍵を開ける。
中に入ると酒の置いてある倉庫の脇、恐らくは従業員が寝泊まりをするための部屋に案内される。
「お嬢ぉ、俺です。今いいですかい?」
ガンガンと雑にノックをしながら男が声を掛ければ、中で人が動くような気配。
「……おぉ、開いてるぞー」
「失礼しますぜ」
断ってから扉を開けると中に入る。
ジグの泊まる宿の部屋より少し狭いが、家具は高価なものを揃えているのか少しアンバランスな印象を受ける部屋だ。
部屋の主はあまり清掃が得意ではないのだろう。乱雑に脱ぎ散らかされた服と洗われていない乾いたソースのこびりついた食器が平積みにされている。それだけ見ると男のやもめ暮らしといった感じだ。
そして肝心の彼女だが、ベッドの上で服を着かけたまま何かを探している。
「あれー下着どこ行ったっけ?」
「お嬢ぉ……どうしていつも言ってるのにそんなだらしないんだよ……」
寝る時に服を脱ぐタイプの人間なのだろう。上着だけ肩に引っ掛けて下に何も穿いていないカティアがベッドの下を覗き込んで衣服を探している。
栗色のショートヘアが逆さまになったまま左右に振られている。
肩に掛けた上着が落ち、背中と丸く小さな尻がジグと男の前に丸出しになっていた。
「なんだよ、いいじゃないか別に。お前はアタシの裸なんかガキん頃から見飽きてるだろうに……おっ、あったあった!」
やがてカティアは目当てのものを見つけたのか小さな布を手にして起き上がる。
「―――え?」
身を起こした彼女の目に映るのはいつもの見慣れた世話係……だけではない。
彼の横には、いつか仕事を頼んだ仏頂面の傭兵が真顔のままカティアの裸体を見ていた。
固まったままのカティアと目が合ったその大男はうむ、と鷹揚に一つ頷いて腕を組んだ。
「構わん、続けろ」
あまりにも堂々とした覗き宣言。
生娘ならば騒ぎ立てるであろう場面だが、それでも彼女はマフィアの女。
ぶしつけな視線を送る男どもに無言で大きなため息をつくと、見つけた下着を着けて落ちた上着を羽織る。
「……で? 野郎どもが雁首揃えて乙女の裸を眺めに来たわけじゃないってんなら、何の用だ?」
動じていない風を装っているがわずかに頬を赤らめているのは彼女の若さゆえだろうか。
「お嬢、今更カッコつけても余計ダサい」
「恥じらいも大切だぞ?」
「うるさいよ男ども! ……大体あんたらいい大人だろ? 娘ぐらいの歳した裸見て何が楽しいんだか……」
幼い頃から面倒見てもらっている世話係と、以前に色々助けてもらった傭兵相手では虚勢を張る意味もないとカティアが頭に手を当てた。
「……お前、いくつだ?」
「え、なんだい急に……十七だけど?」
突然年齢を聞かれたカティアが戸惑いながらも答えると、ジグは顎に手を当てて頷く。
「そうか。俺は二十三だから、お前の裸鑑賞は十分楽しいぞ?」
そう言って眼福だと組まれた脚を見る。
鍛えているだけあってしなやかな体と、小ぶりだが形のいい女性らしさが慎ましくとも品がある。心中でそう評したジグが鼻の下も伸ばさずに真顔で鑑賞している。
「え、二十三? マジ?」
「は? 嘘だろその顔で二十代!?」
自分と同年代か少し下だと思い込んでいた男が思わずといった様子でジグを見た。カティアも驚いた様子で隠すように胸元に手をやったが、いまひとついやらしさを感じない視線なので信じ難かった。
そして二人から老け顔扱いされたジグはひっそりと傷つき、その駄賃とばかりにカティアの肢体を眺めるのであった。




