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「ふむぅ……」
唸るような声と共にコトリと机に置かれた白いカップから湯気がたなびく。
カーク手ずから注いだ琥珀色の紅茶が揺れる。趣味と実益を兼ねた彼の適切な淹れ方は見事な物で、高価な茶葉を無駄にすることなく芳醇な香りを生み出している。
だが室内で交わされる会話は芳しい香りとは対照的に血生臭い物だった。
「ジグ君を襲った二人組は一人が判別もできないほどに頭部を潰され即死。だがもう一人を生かして捕らえることができた。今は拘留して、しかるべき処置を取っている」
「それでジグさんは昨日怪我して帰って来たわけですか……なるほど、確かにまともな冒険者に頼む依頼ではありませんね?」
傭兵ならば最悪死んでも構わず、使い捨ての駒として都合がいい。冒険者を使うより余程安上がりでギルドにとっても人的被害がない。
ジグならそう言うであろうがシアーシャとしては面白くないので、多少圧を掛けてカークを見やる。
彼女の視線に呼応するようにカップが震え、紅茶がわずかに波打つ。
しかし彼も伊達や酔狂で副頭取を務めているわけではない。
先日は不意を突かれたが、その脅しはもう一度見たものだ。自分に非があるわけでもないそれに一々怯える程、カークという人間は甘くはなかった。
シアーシャも本気で怒っているわけでもない。ジグへ立ち入り禁止を通達した時や、先ほど扉が引き裂かれた時に比べてその視線は些か弱いところがある。
「利用しているのはお互い様だろう。相応の報酬も払っている。……私としてもまさか、こうも早く尻尾を掴むとは思ってもいなかったがね。乱暴なやり方ではあるが、彼は優秀だよ」
お互い承知の上で契約した以上、第三者からどうこう言われる筋合いはないと涼しい顔だ。
「……ふん、タヌキめ」
どこまで知っていたのか分かったものではないとジト目を向けるが、どこ吹く風といった様子で紅茶を飲んでいる。
シアーシャもただの八つ当たりだと理解しているのでそれ以上は口を噤むしかない。
「それで……君はどうするのかね? 余計なお世話かもしれないが、彼は他人に仕事へ介入されるのを嫌うタイプだと思うぞ?」
「本当に余計なことを……分かっていますよ、そんなこと」
痛いところを突かれたシアーシャがそっぽを向いた。
自分も手伝うといったところで断られるのは目に見えている。そんなことは誰よりわかっているのだ。だからと言って、ただ帰りを待つだけなのはもううんざりだ。
「私は同業者……いえ仲間である冒険者たちを巻き込んだ犯人を許せないという、正義の心が抑えきれない……ただそれだけの事です」
悪漢ゆるすまじと、義憤にシアーシャがぐっと拳を握り締めれば。
「そうか。歳若い冒険者が仲間の死にここまで真摯になってくれるとは、この時代もまだまだ捨てたものではないな?」
感動したなーと表情一つ変えない冷めた目つきでカークはそれを眺めた。
だがまあ、とカークは思い直す。
仮にどんな動機であれ、使える駒が増えたというのは悪いことではない。既に知ってしまっている以上、口止めよりも利用した方が都合が良い。
「ではその正義感溢れるシアーシャ君にやってもらいたいことがあるんだが、手伝ってくれるね?」
「いいですよ。いくらですか?」
「……正義の心で動いているのならば仕事ではなく善意で行動してくれると信じているよ、友よ?」
だから指でマルを作るのは止めなさいとカーク。
シアーシャはにこやかに笑って指でカップのふちをなぞると、蒼い瞳で見る。
「ふむ、確かに私が動くのは正義感によるものですが……その行動に感謝した誰かが、それを形で示してくれるというのならば……受け取るのは吝かではありませんよ、友よ?」
返された言葉に、初めてカークの額を冷や汗が伝った。
ジグへ出した依頼はギルドを通した正式なものではない。当然ながら経費にならないため、自腹だ。
副頭取だけあって給料が低いわけではないが、それでも個人でジグへ出した金額を考えれば痛い出費なのだ。
だが今は手が欲しい。
予想が正しければこれから間違いなく人手が必要になる。それも腕の立つ人間が。
もとより彼女のことは将来有望な冒険者として耳に入っていた。そして先の救出隊の報告はそれを裏付けるに十分なものだった。
……もっともそんな報告など受けなくとも、初めて会った時からシアーシャという人間の異常性は理解していたが。
身銭を切るくらいで彼女の協力を得られるのであれば……それは必要な犠牲だろう。
「……考えておく」
「楽しみにしておきます」
断腸の思いで項垂れるように首を縦に振れば、親愛なる友はそれはそれは美しい笑顔を返してくれたのだった。
交渉、もとい友人同士の歓談が終わった頃。
話も終わったと紅茶を飲み干したシアーシャが立とうとした時、部屋の外から騒々しい足音が響いた。
「うわっ扉が……!? いやそんなことより、カークさん!」
「それは気にするな。どうした?」
足音の主は扉の惨状に一瞬戸惑ったが、カークに言われると疑問を後回しにして報告を優先する。
中年の小綺麗な見た目をした職員が扉の無い部屋に入り、シアーシャに気づいて迷ったように視線を彷徨わせた後耳打ちする。
「……そうか、分かった」
それを受けたカークは身振りだけで職員を退室させると、シアーシャへ向き直った。
カークの表情は変わらないが、先ほどの職員の様子を見るにあまりいい報告ではなさそうだ。
「例の暗殺者が殺されたようだ」
そんな予想を裏付けるように淡々と告げられた事実。
あまりにもなんでもないことのように言うので、言葉の意味を理解するのに少し時間が掛かった。
「……?」
首を傾げ、毛先を指でくるくると回し、枝毛を見つけたところでようやくシアーシャが再起動した。
「……ちょっと、何やってるんですか。せっかくの手がかりをみすみす死なせてしまうなんて」
剣呑な光を瞳に宿らせたシアーシャが低い声を出す。
これで犯人を捜す手がかりは無くなってしまった。
相手も警戒して迂闊には動かなくなるだろう。そうなればなおのこと探すのは難しくなる。
「ジグさんが体を張って捕まえた努力を無に帰すなんて……眼鏡、新調しますか?」
シアーシャが恫喝するように目を細め、掌に拳ほどの大きさをした石弾を浮かべた。
過剰な魔力を注ぎ込まれた石弾が軋むような音を立てて黒ずんでいく。
先ほどの様な八つ当たり交じりの戯れとは違う、怒りの発露。
殺意までには届いていないが、常人ならば動けなくなるほどのそれを間近で浴びたカークは……不敵に笑っていた。
「……?」
不可解な反応に首を傾げるシアーシャ。
そんな彼女に彼は笑みを深くする。
「なるほどな? ジグ君との見た目の差に騙されていたが、君は随分と脳筋よりな人間のようだ。いや、冒険者という職業を考えれば珍しくもないか?」
そこまで言われてやっとシアーシャが気付いた。
ジグは決して頭脳派という人間ではないが、豊富な経験は堅実で間違いの無い手を打つ。
捕まった人間の口封じ程度、想定していないわけがない。
「……まさか」
「お察しの通りだ」
鷹揚に頷いたカークは今朝がたジグと話し合ったことを説明し始めた。
捕まえた暗殺者の取り扱いについてジグとカークは一つ仕掛けをした。
腕の立つ暗殺者に情報を吐かせるのは非常に難しい。彼らに要求されるのは確実な仕事の遂行だが、それ以上に要求されるのが高い情報の秘匿性である。
どれだけ腕が良くとも、依頼主のことをペラペラ話す暗殺者など誰も雇いたくはないだろう。
痛みや恐怖に強い耐性があり、薬物を使ってもそう易々とはいかない。酷い場合は自己暗示で記憶に鍵をかけている場合すらある。
それでも拷問とは耐えがたい苦痛をもたらし、人の忍耐には限界がある。如何に強靭な精神力を持っていようと、絶え間なく心と体を責め続ければほとんどの人間はいずれ吐かせることはできるだろう。
だがそれを悠長に待っていればいつまで掛かるか分からない。
それにもし拷問に耐え切るか、あるいは体が耐え切れなくなり命を落とせば情報を得られぬまま時間だけを消費してしまう。
そこでジグとカークはあえて警備を手薄にした。
手薄と言っても露骨に警備を減らすのではなく、ギルド側に尋問をするための正規の手続きを取らせたのだ。このご時世、本来なら現行犯の尋問程度にそこまで面倒な手段を取ることはない。相手にそれなりの身分や立場がある場合にのみ手続きを要し、基本的には暗黙の了解で通される。
ただ世の中にはいるのだ。必要のない面倒な手続きだろうと真面目にしっかりとこなさなければ気が済まない、クソ真面目な人間というのが。
そう言った人物を調べて任せたところ、狙い通り正規の手続きを申請。
上から承認が降りるまではギルド側も迂闊に手を出せなくなった。
「それを嗅ぎつけた犯人たちがこれ幸いと、口を割る前に始末しに来たという事さ」
「……そういう事でしたか。ではその始末しに来た人間は?」
「無論、追いかけさせているよ」
眼光鋭くカークがそう言えば、シアーシャは石弾を手で握るようにして消し去る。
「眼鏡の新調は不要かな?」
これまで暴威でやり込まれてきたカークがしてやったりと不敵に笑い、それに苦笑いを返すしかないシアーシャが降参ですと両手を上げた。
「……ええ。曇ってはいなかったようですね」
お待たせして申し訳ない。長期休暇前は忙しくて……
 




