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お待たせして申し訳ない……二巻の加筆部分が中々に多くて遅れてしまいました。
丸々一章新規エピソードなのでお楽しみに……!
「ジグさんがまた厄介ごとに首を突っ込んでいる気配がします……!」
朝、いつものようにジグに起こされたシアーシャはぼさぼさの頭でそう悟った。その視線は先ほどまでジグがいた方向へ向けられている。寝起きにもかかわらず普段の穴あきチーズの様な顔は姿を潜め、珍しくその表情はしっかりしていた。
ここ最近のジグは何か調べ物をしているようだ。冒険業に手を抜いているわけではないが、明らかにそれ以外の何かを探っているような動きをしている。
恐らくだが、昨晩辺りに何かしらの戦闘があったのだろう。相手の腕も相応だったようで、先ほど起こしに来たジグはいつもより少しだけ気を張っていた。
傍目には分からぬほどの小さな変化であったが、シアーシャはそれを経験と勘で気づいた。
「本当に仕事熱心すぎますね……」
彼は基本的に仕事のことをあまり語らない。厄介なことになっていたとしても普段通りに振る舞い、その大変さをおくびにも出さないのだ。
それは彼の仕事における流儀とかケジメとか、そういったものだ。
「筋を通すのが大事とか言ってましたね。……私、お肉は筋切りした方が良いと思うんですけど」
濡れた手拭いで顔を拭いて、櫛で髪の毛を整えながらそうぼやく。
シアーシャにその手の考え方はよく分からないが、ジグが大切にしているのならそれを尊重したい。
彼が血の匂いをさせてきたのならば、その傷を癒そう。
時折他の女の匂いをさせていたとしても、上書きすればいいだけの話だ。一刻も髪を梳かせればそれは容易い。
だがそれはそれとして、だ。
「いい加減、ただ待っているというのも飽きました」
待つだけの女でいてはいけないとシアンも言っていた。意味はよく分からないが。
傷つくのは仕方がない。彼はそういう生き物だし、そのことに過剰反応されるのを好まないだろう。しかしそれが、自分のあずかり知らぬところで負ったものだというのが気に食わない。
そんなことを考えながら櫛を仕舞い、桶に張った水へ手拭いを浸ける。
朝日を浴びて輝く黒髪が肩口から垂れるのを払い、夜着を脱いだ。女性的でありながら、品のある美しさを兼ね備えた裸体を惜しげもなく晒す。
均整の取れた体と魔女としての雰囲気が生み出す魅力はまさに魔性。生まれながら持った人を狂わせる妖美がそこにはあった。
自制心の弱いものが見ればそれだけで正気を失って襲いかねない官能的かつ神秘的な光景。
しかし長年一人で過ごしてきた当人にその自覚はない。それがまた一層、彼女の魅力を増していた。
「ふぅ」
裸はいい。露出の趣味はないが、部屋にいるときぐらいは何も纏わずにいるのもいい。
しかし以前にジグを招いた際に全裸でいたら、真剣な顔で“止めて欲しい”と窘められた。普段冷静な彼にしては珍しいことに焦っていたように見えるのが印象的だった。
彼がなぜそんなに焦っていたのかは分からないが、裸でいるとあまりこちらを見てくれなくなるのでそれに従うことにした。
白磁の陶器のような汚れを知らぬ肌へ絞った手拭いを這わせていく。
汗を拭うと下着を纏い、服を身に着ける。ジグが選んでくれた蒼を基調としたお気に入りのワンピース。一張羅という訳では無いが、やはりこれを着ているのが一番しっくりくる。
この服も、この居場所も、全て彼が与えてくれたものだ。
ジグという人間は既にシアーシャの世界に大きく入り込んでいる。ならば自分も、彼の世界に入り込む必要があるだろう。それが対等というものだ。
そうこじつけたシアーシャは良しと一つ頷いて部屋を出る。その歩みは早くもなく遅くもなく、しかし上下に揺れる黒髪だけが彼女の機嫌を分かりやすく表していた。
身支度を整えたシアーシャはギルドへ向かっていた。ちなみに今日の冒険業は休みとなっている。
一応部屋へ様子を見に行ったが、既にジグの姿はなかった。恐らく仕事関係の外出だろう。
朝食にと途中で買ったフィッシュサンドを頬張りながら繁華街を歩く。追加料金で増量したマスタードが良いアクセントとなっていて美味しい。原価を抑えるためか中々に硬いパンだが、あらかじめ染みこませたソースのおかげで許容範囲まで柔らかくなっている。
「ジグさんお肉が好きだから一人の時は魚介を食べたくなっちゃいますね」
なお魚の種類は謎である。安く大量に取れた白身魚を片っ端からフライにしているため、次も同じ味になるとは限らないと店主が笑っていた。
サクサクと音を立てて食べながら考えるのはジグの動向だ。
「ジグさんの様子が変わったのは確か、刃蜂騒動の後からでしたね」
まずは外堀からだろう。直接尋ねたところでジグが依頼内容を漏らすはずがないのはこれまでの付き合いでよく知っている。
「この前オオカミさんたちに聞いていたのがそれ絡みだとは思うんですけど……」
あの時はセブの尻尾に夢中だったために他の名前をあまり覚えていないが、確か刃蜂の騒動は意図的なものか否かという話だったはずだ。
「要は犯人探しですか」
ジグがその調査中に戦闘になったということはつまり、犯人はいるのだろう。
まあその辺はどうでもいい。人間同士で殺し合う分には好きにすればいい。親しい人間だけ無事ならばそれで良い。
「あ、でも臨時の緊急依頼がでるから評価値美味しいかも……いやいや、そのせいでまた狩場制限になったら本末転倒じゃないですか」
ひとしきり損得勘定をしていたシアーシャだったが、やがて結論が出たのか食べ終えた包み紙を握り締めて斜め上を睨みつけた。
「よし―――なんて酷いことを! 犯人許すまじ」
彼女の心ばかりの都合と、迸る正義の心が悪逆の犯人を許して置けるはずもない。
「同じ冒険者として、亡くなっていった彼らの無念を思うと動かないわけには行きません……うん、これで行きましょう!」
方針を決めれば後は行動あるのみだ。ちょうどギルドに着いたシアーシャが見慣れた扉を開けて中に入る。ごった返す人の群れをすり抜けるようにして進み、顔見知りからの挨拶を返しながら受付へ。
ジグは仕事に関わることにとても口が堅い。例えシアーシャが頼んだとしても概要以上には話してくれないだろう。
「なら、切り口を変えるまでです」
だが、彼の依頼主ならばどうか。
ジグは人間の中でも非常に特殊な個体だ。本来人間という種はそこまで義理堅くも、意志が強くもないことをシアーシャは知っている。
だから彼の依頼主と思しき人物に話を聞きに行くことにした。
幸い、依頼主のあたりはついている。ギルドへ被害を及ぼした人物の調査依頼ならば高確率でその関係者、それも立場が上の人間だ。
私怨での依頼という線の可能性もなくはないが、その場合は依頼主を確かめるのに時間が掛かりすぎるので諦めて別の手段をとることにしよう。
「あら、シアーシャさん。今日はお休みのはずでは?」
馴染みの受付嬢であるシアンがこちらに気づいて微笑んだ。いつもお世話になっている、数少ないシアーシャにとって親しいといえる人物だ。
彼女へ挨拶をしながらシアーシャは用件を話した。
「こんにちは。今日はちょっと別件で来まして……取り次いで欲しい人がいるんですよ」
騒々しい一階の喧騒を背景音楽に仕事をしているカーク。ペンの音だけがする部屋にノックの音が控えめに響いた。
「入りたまえ」
書類から目を離さぬまま短くそう告げると、遠慮がちに扉が開かれる。
「あのぉ……副頭取」
おずおずとした声に小さく溜息をついたカークがペンを置いてそちらを見た。最近入った新人の女性職員で、確か名前は……
「なにかな?」
覚えていないので気にしないことにした。それでも新人にいきなり威圧的に接するほどギルドも人手が足りているわけではない。笑顔とまではいかないが、なるべく穏やかな声を心がけて話しかける。
「副頭取に、お客様が来ていますが……どうされます?」
「……客?」
来客予定メモを取り出して確認するが、今日のこの時間に予定は入っていない。
まあそれ自体は珍しいことではないのでさして気にしないことにする。
「商会の飛び込み営業かなにかか。悪いが忙しいのでお引き取り願ってくれ」
そう伝えて仕事に戻ろうとするも、新人職員は首を振って言葉を続ける。
「あ、あの、そうじゃなくて……うち所属の冒険者が、副頭取とお話がしたいと」
「冒険者が……? 等級と名前は?」
訝し気な顔をして先を促す。
そして彼女が口にした名前を聞いたカークは非常に嫌そうな顔をした。まるで迫りくる竜巻か何かを見てしまったかのような顔である。
「……私は居ない。今日一日戻らないと、そう伝えてくれ。ああ、それから次に彼女が来た際には何かと理由をつけて追い払ってくれ。いいね? まったく迷惑な……最近の若い者はすぐに暴力に訴えていけない。あれでは獣だ」
一度口にすると彼女への文句が次々わいてくるのか、珍しく饒舌になるカーク。
「あのぉ、副頭取……」
「君も気を付けるんだよ? 如何に容姿が優れていようと大事なのは性格だ。何かにつけ人を脅すようになってはいけない。あれではあの男にもいつか愛想を……」
「あのぉ!!」
言葉を遮って突然大きな声を上げる新人職員。控えめそうな彼女が上げた声に驚いて口を閉ざしたカークが彼女を見る。
「先に伝えなかった私も、悪いんですけどぉ…………もう、来てます」
本当に申し訳なさそうにしていながらも、こちらを非難するような口調。彼女の言葉の意味を理解するのに、数瞬を要した。
よく見れば彼女は壁にもたれかかるように足を震わせ、その目は何かに怯えるようにちらちらと扉の外へ向けられていた。
その扉はミシミシと何かの圧を掛けられ軋む音を、まるで悲鳴のように立てていた。
「………………そう、か」
そこでやっと、全てを理解した。
カークの体から力が抜けていく。虚空を見る視線はまるで、死期を悟った病人のようだった。
どうしてもっと早く気が付かなかったのか。疲れ、環境の変化……
現実逃避するように自問自答するカーク。
「で、ではぁ、ごゆっくりぃいひいいい!?」
そんな彼をおいて悲鳴を上げながら去っていく新人職員。
―――そしてゆっくりと、カークにとっての災害が姿を現した。
久々に話した友人が一巻の後書きを音読してくるという畜生行動に出てくれました。悪魔かな?




