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逃走から迎撃に切り替わってしばらく。
爆炎と石弾によって群れはその数を大きく減らしつつあった。
普段なら森でこんな騒動を起こしながら移動していれば途端に魔獣が寄ってきてしまう。
しかし今は刃蜂が殺気立っているせいか他の魔獣が姿を見せることはなかった。
稀に遭遇してしまった魔獣もノートンが斬り捨てるか、刃蜂に飲まれるかの違いしかない。
「ハァハァ……よし、だいぶ減って来たぞ!」
ざっと数えられる程度にまで数を減らした刃蜂。
振り返った剣士姿の男が息を切らしながら歓声を上げた。
「……最後、大きいの行くよ。これで魔力空っぽだから、あとよろしく」
一方的に言うなり詠唱を始めるノーラ。
その時間を稼ぐようにシアーシャがワンサイズ大きい石弾を撒き散らす。
数が減った分自由に飛べるようになった刃蜂は速度を上げるが、密度を増した石弾に距離を詰め切れない。
ノーラの詠唱が完成していく。
これが直撃すれば刃蜂の群れはほとんど壊滅できるだろう。
「や、やった……! 助かる、っ!?」
そこで緊張の糸が解けたのか、体力の限界だったのか。
弓使いが足をもつれさせた。
ジグは両腕が塞がっており、ノートンは位置が悪く、剣士姿の男は余力がない。
「がっ、ぐ!?」
弓使いが受け身も取れずに倒れ、転がる。
長時間走り続けてきた彼にはそこから立て直す余力はなかった。
詠唱を続けたまま背後を見たノーラの目が見開かれ、逡巡する。
このまま追い抜いて術を放てば仲間を巻き込むが、使わなかったとて彼の死は揺るがない。
それでも自分の手で仲間を殺してしまう判断を即座に下せるほど、彼女は非情になり切れなかった。
今度こそ、手を差し伸べる者はいない。
―――手は。
「死んでくれるなよ?」
「……え?」
降って来た救いの声は、聞いた者の背筋を凍らせるほどの悪寒を伴っていた。
彼の視界に映るは一切の容赦を投げ捨て、走る勢いを乗せたジグの右脚。
本人と抱えた二人分の重量を左の軸足一本で地を削りながら支え切り、死神の振るう鎌の如く弧を描く。
「ふっ飛べ!!」
彼はその時、刃蜂よりも、魔獣よりも、賞金首よりも。
ただ一発の蹴りが、何よりも身近に死を感じた。
すくい上げるような蹴りが弓使いの胸を蹴り上げる。
鈍い音を立てて胸にめり込む蹴り上げに、彼は悲鳴を上げることすらできずに宙を舞う。
きっと何かの声を上げていたのだろうが、それが音になって届くことはなかった。
彼はジグたちの進行方向へ斜めの角度をつけて飛んでいる。
口から血を流して回転しながら空を行く弓使い。
ノートンともう一人があまりにもな光景に口をあけていたが、いち早く我に返ったノートンが受け止めるべく走る速度を上げた。
そして完成する詠唱。
ジグの狂行と、蹴りの揺れにもめげずに詠唱を続けていたノーラが術を解き放つ。
熱風が吹き荒れた。
刃蜂とノーラの間に突如発生した炎の渦。
巻き上がる炎は突っ込んできた刃蜂が止まる間すらなく呑み込んでいく。
たっぷり五秒は残っていた炎渦が緩やかに消えた。
まだ熱は残っており、赤みを帯びた地面は徐々に黒へと変わっていく。
刃蜂は跡形もなく焼却され、微かに舞う灰だけがその存在を示すのみだった。
わずかに逃げ延びた個体もすぐに石弾に撃ち落とされる。
追手がいないことを確認したジグたちがようやく走る足を止める。
弓使いを降ろして周囲を警戒するノートンと、仲間の怪我を手当てする剣士。
「……大丈夫だ、周囲にはもういない」
とりあえずの安全確認をしたノートンが声を掛けると、ようやく一行は肩の力を抜いてほっと息をついた。
「ハァ、ハァ……流石に……ハァ、堪えるな」
肩の二人を降ろしたジグが膝をついて荒い呼吸を繰り返している。
女とはいえ成人二人を抱えてフル装備で走り続けていたのだ。スタミナに自信のあるジグであっても相当に苦しいのは間違いない。
動けないジグをシアーシャが介抱する。
「ジグさん、大丈夫ですか?」
「み……」
「はい、水ですね」
シアーシャの差し出した水筒を震える手で受け取ると、浴びるように飲む。
途中むせながらも半分ほどを飲むと、残りを頭からかぶって熱を持った体を冷やす。
酸欠であえぐジグの汗をシアーシャが拭い、魔術で空の水筒に水を満たして渡す。
それを受取り、今度はゆっくりと味わうように飲む。
「……助かる」
「いえいえ」
そうして話せるほどに回復したジグが礼を言うと、にっこりとシアーシャが微笑んだ。
まだ震える膝を何とか支えて立ち上がり、先ほど蹴り飛ばした弓使いの様子を見に行く。
「レスリー! しっかりしろ!」
「……ぐ、うぅ……ラディアン……?」
揺らさぬように頬を叩かれたレスリーと呼ばれた弓使いは、呻きながらも目を開ける。
意識があるのを確認した剣士……ラディアンが怪我の具合を確かめる。
そのままでは防具を外せないが、動かすわけにもいかない。非常時と割り切り、止め紐をナイフで切って慎重に防具を外す。
「……なんて有様だ」
防具の惨状にラディアンは思わず顔を顰めた。
レスリーは弓主体のため要所を守る装備で軽装だが、それでも胸部を守る防具は十分な強度を持った素材で出来ている。
それがべっこりとへこみ、それでもなお殺しきれない衝撃が肋骨に大きなダメージを与えていた。
まともな人間の脚力ではこうはなるまい。
「これを使ってくれ」
「……助かるぜ」
ノートンが支給された医療品を渡す。
使用経験があるのか、手際よく治療を進めるラディアン。
「無事か?」
そこに蹴った張本人であるジグが現れた。
「しばらくは入院生活決定だし、あの人が受け止めてくれなかったら落ち方次第じゃ後遺症になったかもしれねえ。どう言い繕っても無事じゃねえわな」
「そうか」
背を向けたまま治療を続けていたラディアンが容体を淡々と語る。
「……だが、ありがとよ。おかげで誰も死なずに生き残れた」
「仕事だからな。……できれば無傷で届けたかったが」
「それを許す状況じゃなかったってのは、流石に理解してるぜっと」
応急処置を終えたラディアンが立ち上がるとジグへ向き直った。
「ラディアンだ。景気よく飛んでたのがレスリー。ゲロ撒き散らしてたのがエレオノーラ」
「ジグだ。傭兵をやっている」
彼の差し出した右手を握り、軽い自己紹介を済ませる。
握った手のタコと力強さは彼の剣士としての実力を物語っていた。
「噂には聞いてるぜ? ハインツの野郎が世話になったらしいじゃねえか」
「知り合いか?」
「同期で、同じ等級だ」
茶の短髪のラディアン、黒髪のレスリー、赤毛のエレオノーラ。
長い逃走劇の末、三人の冒険者を救助することに成功した。
「そろそろ休憩は終わりにしよう。ないとは思うけど、次が来たら持たない」
「まだ足がキツイが、そうも言ってられねえか。もうあんなのはこりごりだぜ……」
愚痴を吐きながらもラディアンが水筒を仕舞いながら立ち上がる。
それを余所にノートンはジグに近づいて心配そうに体調を尋ねてきた。
「ジグ、大丈夫か? かなり無茶をさせてしまったが……」
「問題ない。俺一人ならば全員見捨てて逃げ切れる体力は残してある」
軽口を叩きながら立ち上がるジグ。
疲労の色が見えるがふらついているわけでもなく、本当に走る程度の余力はありそうだ。
「……とんでもないな」
「日頃走っておいて良かったと、心から思うよ」
日々の鍛錬に助けられることは多いが、今日ほどそれを実感したことはかつてなかった。
この習慣を叩き込んでくれた師と、それを怠けることなく行って来た過去の自分に感謝しておかねば。
「それで、彼はどう運ぶ?」
「俺がやるよ。どうせ剣は放り投げちまったし」
あの状況で荷台を持ってこれるはずもなくレスリーを運ぶには誰かが背負うしかない。
重荷になるからと早々に剣を手放したラディアンが名乗り出る。
「あ、私運べますよ?」
「いやいや、流石に魔術師に肉体労働頼むのは……」
断ろうとしたラディアンの言葉は、土の盾に寝かせたレスリーを浮かべる様子を見て引っ込んだ。
当然だが、肋骨が折れている怪我人を背負うのはあまり褒められた方法ではない。
「……お願いします」
「任されましょう」
周囲を警戒しながら合流地点へ向かう一行。
先頭をノートンが進み、左右にラディアンとノーラ。殿をジグが護り、レスリーを運ぶシアーシャが中央にいる布陣。
唐突にジグがノーラへ声を掛ける。
「そういえばお前、歳はいくつだ?」
「急に何……? 十九だけど」
「……よし」
表情を変えずにガッツポーズをとる。
「ああ、そういう事……」
その意味を誤解したノーラが息をついて肩を竦める。
「……ま、一回や二回くらい別にいいけど。一応命の恩人だし」
彼女の容姿は悪くない。ついでにスタイルも。
そういう目で男の冒険者に見られることは慣れている。
ラディアンが微妙に気まずそうな空気を出しているが、取り立てて文句は言ってこない。
助けた冒険者の年齢でカークから出る報酬額が変わるので聞いただけだったのだが、くれるというのなら貰っておいて損はないだろう。
最近少し溜まり気味だったジグは短絡的にそう考えて答えた。
「む、そういう意図はなかったのだが。……しかしまあ、断るというのも」
「―――おやおやジグさん、報酬の二重取りですか? いけませんねぇ……」
「お前たちを助ける報酬はしっかりギルドから出ている。感謝の気持ちだけ、受け取っておこう」
ぐりんと首だけこちらに向けたシアーシャ。
黒髪の隙間から覗く目から視線を逸らすようにしてジグはノーラの誘いを断った。
そこに何らかの力関係を読み取ったノーラたち。
以降彼女たちはジグではなく、シアーシャに意向を尋ねるようになった。




