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刃蜂は頑丈な顎で獲物を解体して運ぶ。
魔獣の中では比較的小柄である上に、飛行する特性を持っている彼らが一度に運べる量は多くない。
尾の刃は飛行の勢いをつけて攻撃に使うもので、鋸のような運用には向いていないようだ。
前脚と顎を使い器用に解体し、胴体のような大きい部分は肉団子の様にまとめて巣へ運んでいく。
なかなかに興味深い生態だったが、それを口にするのは流石に不謹慎なので心の中に留めておく。
周囲に新鮮な餌があるため刃蜂の居場所も察知しやすいので進行速度が落ちることはなかった。
歩みを進めるがそれ以上刃蜂の数は増えず、反対側を回っていた隊の合流地点まで辿り着いた。
「こちらが早く着いてしまったようだね。少し休憩をとろう」
ノートンの指示に従い各々で楽な姿勢を取る。
それでも完全に気を抜く者はおらず、どこか空気は張りつめたままではあるが。
木にもたれて休むジグの元にノートンがやって来た。
「近頃、魔獣の動きが少しおかしい」
手で断ってから大剣を地に刺し、柄にもたれるとそう語りだす。
「俺は魔獣の知識には疎いから知らんが、そうなのか?」
「一つ一つはそこまで騒ぐ程のことはないんだけどね。こうも立て続けに起きることは流石にないかな」
ノートンは指を折りながら数え上げる。
「幽霊鮫、狂爪蟲の群れ、蒼双兜に寄生した魔繰蟲、本来の生息域から離れた削岩竜と三面鬼……今回の刃蜂は人的災害だからちょっと違うかな? いずれにしろ、ここまで短期間に異常が起こることは考えられない」
「……ふむ、確かに多いな」
「僕はこれらの出来事が繋がっているんじゃないかと考えているんだ」
「少し、早計ではないか? 偶然が重なることだってあるだろう」
「一つ二つならともかく、これだけ多くの異常が無関係だなんて普通ありえないよ。なにか関連していることがあるはずなんだ」
「……そうか」
ノートンは気持ち前のめりになりながら一連の異常事態に関する推測を語っていく。
時折合いの手を入れてその推測が明後日の方へ飛ぶようそれとなく誘導してみるが、残念ながらうまくいくことはなかった。
「……」
視線を動かしさり気なく彼の武器の間合い、歩幅などを記憶に刻んでおく。
遠からず、その事件全てに関わっていた人物が浮かび上がってくることだろう。“その時”が来た場合に備えておく必要がある。
事前の情報があるとないとでは取れる手に大きく差が出る。
以前エルシア達とやり合った時にはそれで痛い目に遭った。
今日は彼の戦い方を見ることが出来そうなので、不幸中の幸いという奴だ。
ジグは既にノートンと戦うことを視野に入れている。
過去の経験からこういった場合に弁解が通じたことなど一度もないので、それも無理からぬことであるが。
いっそ全員張り倒して迷惑料として身ぐるみ剥げば資金難は解決するのでは?
そんな誘惑が脳裏をよぎるが、なんとか振り払う。
結果的にそうなったのならばともかく、狙ってそれをやるようでは色々とお終いだ。
そんなことをしている間に別れたもう一つの隊が追い付いたようだ。
無駄話を止めて仕事に戻る。
「遅かったな。何かあったのかい?」
「途中で生存者を見つけたんで、運んでたんだ」
絶望的だと思われていた生存報告に冒険者たちの間で静かに歓声が上がる。
「良かった……何人だ?」
「六人だ。騒動が起きてすぐに足を怪我して、逃げきれないと考えたらしい。魔術で穴を掘って隠れていたようだ」
その穴を踏み抜いて大騒ぎになるところだったと肩を竦めて笑った。
「刃蜂は地中に巣を作ると聞いたが、穴を掘れないのか?」
疑問に思ったことを近くにいたシバシクルの斥候に聞いてみる。
彼は近づいて来たジグの体格に一瞬怯んだが、先ほどノートンと話していたところを見ていたようで丁寧に説明してくれた。
「刃蜂はその全てがあの形をしているわけではない。普段外に出ているのは餌をとったり外敵を駆除する兵隊蜂だ。穴を掘るには向いていない。巣の中には穴を掘ったり巣を補強するための役割を持った働き蜂がいる。私も見たことはないがな」
「確かにあの尾では地中での生活には向いているようには見えない。魔獣も役割分担するんだな……助かった、ありがとう」
礼を言って離れる。
分かれた隊との情報交換が終わったのか、ノートンが皆に出発を呼びかける。
「搬送隊はここで待機、見つけた怪我人の手当てとギルドへの搬送を。捜索隊は横に展開して生存者を探す。……一応下も気にしておいてくれ。先ほどの様に穴を掘っている者もいるかもしれない」
つまりここからは虱潰しというわけだ。
ジグはシアーシャの元まで戻り、冒険者たちも日頃組んでいる者達でまとまって広がる。
「よし、では捜索開……」
号令を掛けようとしたノートンが動きを止める。
何かあったのかと彼を見る冒険者たち。
「ノートン、何か……」
「静かに」
仲間が声を掛けようとしたのを遮って黙り込むノートン。
彼の視線は奥を向いたまま微動だにしない。
「ジグさん?」
そしてジグも、その異変に気づいていた。
「……マズいぞ」
その額を冷や汗が伝う。
耳に届くのは、低く響く風の音。
無数の翅が浮力を得るためにはばたく音そのものだった。
木々をかき分ける音がした。
弾かれるようにそちらを見ると、何人かが必死の形相でこちらに向かって走ってくる。
「―――ッ退避ぃぃぃぃいいいいい!!!」
ノートンが叫ぶのと、それが姿を現すのは同時。
黒い雲。
そう表現するに相応しいほどの集合体。
小さな子供ほどの黒い点が無数に集まってできた黒い雲は、重低音を響かせながらうねるように移動する。
突如として現れた視界を覆いつくすほどの刃蜂の群れは一直線にこちらに向かって来た。
「シアーシャ、壁だ!」
「っ!」
叫んだジグの意図を理解したシアーシャは即座に詠唱。
片手を地面に押し当て術を行使する。
途端、土が盛り上がり一枚の巨大な壁が生成される。
しかし相手は空を飛ぶ。大きいと言えど壁一枚程度でどうにかなるものではない。回り込むなり飛び越えるなりすればそれでお終いだ。
目的は注意を引くこと。
今から動こうと準備をしていた捜索隊はともかく、その場で陣を敷いて待機準備をしていた搬送隊は逃げる時間も心構えもない。
このまま自分たちだけが逃げては彼らが全滅する。
そう判断したジグはシアーシャに壁を作らせて、搬送隊を物理的・視覚的に隠すことで刃蜂の標的になるのを防いだのだ。
「ッ!」
捜索のため横に展開していた彼らの動きは素早い。
遅れてジグの意図を理解した彼らは散開して刃蜂の注意を引きつけると、搬送隊から引き離しにかかる。
捜索隊十名は三方向に散った。
六、三、四の組み合わせで刃蜂を引き付けて走る。
ジグ、シアーシャ、ノートン、それに加えて逃げてきた冒険者三名だ。
散った獲物に刃蜂の群れは迷うように揺れた後、一方向を追い始める。
「くそっ、ツイていない!」
数が多いせいか、それとも最初に追いかけていた獲物に執着しているのか。
刃蜂の群れは鳥肌の立つ羽音を鳴らしながらこちらを追ってきている。
「君たち、これはどういうことだい!?」
ノートンが合流してきた冒険者たちを問いただす。
剣士姿の男、肩に弓を掛けた男、魔術師風のローブを着た女。
追いかけられていた三人の冒険者はいずれも若いが、駆け出しという雰囲気でもない。
「か、隠れてたんだけど、別のでかい魔獣に見つかっちゃって……!」
「その音で辺りの刃蜂が全部集まってきちまった! 当のデカブツは刃蜂にたかられてあっちゅう間にやられたよ!!」
弓使い、剣士の順に答える。
魔術師らしき女は体力がないのか、息せき切っていて返事をする余裕すらないようだ。
「他に生存者は!?」
「そんな余裕ねえよ! 結構生きてたと思うが数までは知らん!!」
全滅という最悪の状況は避けられたようだ。
しかし今はその朗報を素直に喜べるほど余裕はない。
「シアーシャ、魔術いけるか?」
「さ、流石に走りながらは無理ですっ!」
走りながらの詠唱にはかなりの体力と肺活量が必要だ。シアーシャは森育ちなので体力がない訳ではないが、走りながら詠唱するには足りない。
とはいえ剣でどうにかできる相手ではない。
如何な達人と言えどあの数の前には轢き殺されるだけ。
シアーシャの術をもってしても二度目の詠唱中に飲み込まれて終わるだろう。
死を恐れない圧倒的な数の前には歴戦の傭兵だろうと、最強の魔女であろうと抗うことはできないのだ。
ジグとノートンならば振り切れるだろうが、彼らを置いていくわけにもいかない。面倒を引き連れてきたとはいえ、彼らも救助対象なのだ。
仕事で受けた以上、見捨てるのは最後の手段だ。
「担ぐぞ!」
「え、わっ、きゃあ!?」
横を走る彼女を抱え、頭が後ろになるように左肩へ担ぎ上げる。
突然持ち上げられた彼女が可愛い悲鳴を上げるが、今はそれに構っている余裕はない。
なるべく安定するように担ぐと片腕で保持して走る速度を維持する。
「迎撃、任せたぞ!」
「……なるほど! お任せください!」
少し呼吸を整えた後、魔術の詠唱を始めるシアーシャ。
強烈な刺激臭と共に周囲に無数の岩槍が生成されていく。
「遠慮はいらん、撃ちまくれ!」
ジグの言葉と同時、それらが一斉に解き放たれた。




