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自動文頭下げなる機能をマスターしたので活用してみました。
大きく息を吸って、吐く。
肩幅に開いた足を一歩下げ、左半身に体勢を変える。
構えた双刃剣は下段。
左半身を前に出して、上刃を後方に向けた脇構えの崩し。
脇構えは武器の間合いを隠し、勢いをつけられて威力に優れる反面、正眼などの剣を前面に向ける構えに比べるとどうしてもワンテンポ防御が遅れる。
その点双刃剣ならば下刃を防御に、上刃を攻撃にと用途を使い分けることができる。その大きさゆえに武器の間合いは目立ってしまうが、持ち手の長さも考慮すると迂闊な見切りを躊躇させる効果もある。
それだけ挙げると万能のように聞こえるが、重量は倍増し下刃の動きまで計算しなければならないため要される膂力と技量は並外れたものとなる。
吐いた息に合わせて四肢の末端まで意識を向ける。
筋肉や関節の動きを意識し、血が十分に巡り体が温まっていることを確かめると、動く。
「―――ふっ!」
轟と、風が吹いた。
足の捻りから腰を切り、上体から剣へ。
力と速度を無駄なく伝播させた双刃剣が烈風を生み出す。
嵐の様な剣風を受けて庭に干されていた洗濯物がひらひらとはためいている。
双刃剣は一振りでは終わらない。
右下から左上へと振り抜かれた上刃が弧を描き、反対の逆袈裟へ繋げられる。
下刃上刃の連斬り上げから身を捻り、背を向けた状態から下刃での裏突き。
連撃はそれにとどまらず、ときに体術を交えながらとめどなく繰り出される。
淀みなく流れるように繰り出される剣技はまさに熟達。
体に染みつくまで幾度も繰り返されたそれは、文字通り血反吐を吐きながら身に付けたジグの業そのもの。
戦場で磨き上げ続けた業はこれまで無数の敵を屠って来た。
(―――だが、まだ足りない)
誰が見ても文句のつけようがない実力。
しかしそれでもジグは、今の自分に満足してはいなかった。
剣を振りながらも脳裏をよぎるは先の一戦。
まさに死闘を演じることとなった免罪官、ヤサエル=バーロン。
技量で大きく先を行かれ、腕力と体力に加えてこれまでの経験を総動員してかろうじて勝つことのできた強敵。
勝ちは勝ちだ。
今更そこに関してどうこう言うつもりはない。
だがもう一度立ち会った時、あるいは同等の実力者が居た場合に同じ結果を出せるという自信はなかった。
戦いは総合力、というのはジグの持論だ。
確かに一芸を突き詰めれば他を寄せ付けない何かを掴むことはできる。
しかし世の中それだけでどうにかできるほど真っ当な戦場ばかりではない。
速さだけでは、力だけでは、技だけでは―――
そういった一芸のみでは通じない場面というのは必ず存在する。
それらを前にしたとき、取れる選択肢は二つ。
逃げるか、ある手札でどうにかするか。
逃げられるならばそれに越したことはない。
適材適所。不得意な分野で無理をするくらいならば得意な者に任せるのが合理的といえるだろう。
合理的だが、理想論だ。
普通の仕事ならばそれでいい。
しかし戦場ではそうもいかない。
敵が目の前にいるのに“今担当の者を呼ぶのでお待ちください”というわけには行かないのだ。
逃げることも、得意な者に代わることもできない状況。
そうなったときに頼れる手札は多ければ多いほどいい。
苦手だからで逃れられるほど戦争は甘くない。
だからこそ、ジグは力のみならず技も速度も研鑽を怠らなかった。
怠らなかった、つもりなのだが……
(近頃、力でどうにかできる場面が多かったからな……言い訳だが)
平たく言うと甘えていたのである。
力は一級品。場数も多く、技も結構な練度とくればそうそう負けることもない。
それで勝ててしまうのだからと、鍛錬を怠っていないとは言い切れなかった。
先日ヤサエルの使った、“本物の技”というものを見て目が覚めた気持だった。
(今一度、引き締めなおす必要がある)
脳裏に焼き付いた免罪官の動きをなぞる様に剣を振るい続ける。
彼の冴え渡る技を思い出すたび、自分の粗さが目につくようになってしまった。
「おぉーい、そろそろ終わりにしないかい?」
そうして納得行くまで剣を振っていたら、全身汗だくになっていた。
満足行く出来には程遠いが、今日の所はここまでだろう。
「一日にしてならず、か」
独り言ちて鍛錬を切り上げると、掛けられた声に振り返る。
恰幅の良い腹を揺らして落ちそうになっていた洗濯物を回収している彼は、感心したような顔でジグを見た。
「いやぁ、すごいね! 離れていたのにビュンビュン聞こえたよ。それだけ動ければもう大丈夫だろうけど……どこか体の具合に違和感はないかい?」
言われてジグは思い出したように体の調子を確かめる。
元々そのつもりで裏庭を借りて剣を振っていたというのに、すっかり忘れて鍛錬にいそしんでしまった。
いつまでも戻らないジグを心配したドレアが確認しに来るほどには集中していたようだ。
「すまないな、先生。体はどこにも問題はない」
「そっか、良かった」
ドレアは人の良さそうな笑顔を浮かべると、乾きたての手拭いを渡してくれた。
気遣いに多少の申し訳なさを覚えながらも、礼を言って受け取ると汗を拭う。
「本当に世話になった。また頼む」
「嬉しいんだけど、怪我を歓迎するのも医者としてどうかなぁ……」
ジグの礼に困ったように笑うドレアであった。
四日に及ぶ入院生活はこれにて終わりだ。
体調は万全とまでいえる程に回復しており、術後の違和感もない。
文句なしと言えるほどの快調だ……ただ一つ、懐の寒さを除いては。
「金が、ない」
ドレアの提示した医療費はとても良心的で、決して吹っ掛けられたわけではない。
ただそれでも、四日間一人の患者に掛かりきりになる費用は決して少なくはなかった。
結局持ち合わせが足りず、虎の子の宝石を売り払って工面した医療費と装備修繕費で財布はすっからかん。
わずかばかり残った金額で今日の朝食を買えば子供の駄賃にも劣る残高。
これほど金欠で苦しむのはいつ以来だろうか。
「そう言えば忘れてましたけど、お金がないから仕事しようとしてこんな騒ぎに巻き込まれたんでしたね」
「……これからは負傷時の食費を計算に入れておかないとな」
数日前の事なのにもはや懐かしいと感じるシアーシャと、計算の甘さを渋い顔で反省するジグ。
退院した足で二人が向かうのは当然ギルドだ。
時刻は既に昼。
今からではめぼしい仕事はないだろうが、それでも稼がなければ今日の寝るところにも困る。
そう思って様子を見れば、何やら物々しい雰囲気を感じる。
受付嬢や職員が慌ただしく飛び回り、負傷した冒険者たちが次々運ばれている。
傷跡は何かで斬られたようなものが多く、出血が酷い者を優先的に処置している。
「何かあったんでしょうか?」
「また賞金首でも出たかもしれんな」
「それは困りますね……また狩場立ち入り禁止になったらジグさんが干上がっちゃいます」
「……」
もしそうなったらどこぞの冒険者にでも賞金首狩りに雇ってもらおうと企てているジグであった。
二人がそうしていると、その姿に気づいた受付嬢が駆け寄って来た。
アオイ=カスカベだ。
怜悧な美人だが、不愛想な表情がそれを台無しにしてしまっている受付嬢。
彼女は表情を変えぬまま、しかしわずかに汗を滲ませている。
冷静沈着を絵に描いたような彼女が多少なりとも常と違う。
これは思ったよりも大きな事態かもしれないとジグは思い直した。
「ジグ様、シアーシャ様。良い所に」
「随分騒がしいですけど……何かありましたか?」
「それに関しまして、お二人……この場合はシアーシャ様にギルドより依頼があります。申し訳ありませんが、ギルドの緊急招集依頼です」
非常時における緊急の依頼。
ギルドからの特別要請ともいえるそれは、拒否すると強いペナルティが科せられる。その分手当も十分に出るとのことだが、普通の依頼と比べて危険なのは間違いない。
ある種劇薬の様なもので、よほどのことがなければギルドも発令はしない特別権限と言われている。
つまり、よほどのことが起きたということだ。
「これはまた、渡りに船というか……ほらジグさん、やっぱり他人の不幸はお金になりますよ?」
「……笑顔で言うな。実際そう思っていたとしてもだ」
彼女と同じことを考えてしまったことは棚に上げておくジグであった。
「で、俺たちにやってもらいたい仕事とはなんだ?」
取り繕うようにアオイへ水を向ける。
「人命救助です」
「誰を助ければいい?」
「出来るだけ多くを」
アオイの曖昧な返答に眉根を寄せる。
おかしな依頼だ。
救助依頼とは基本的に誰それを助けろと指定があるものだ。
国の兵士でもあるまいに、災害でも起きたのだろうか。
「そういえば、何が起きたのか話していませんでしたね」
そう言って彼女が口にしたのは、ジグをしても顔を顰める面倒な内容であった。
「蜂の巣をつついたのです」
書籍化情報お待たせして申し訳ありません。
まだ詳しい日程はお伝え出来ませんが、遅めの春予定となっております。
そのうちキャラクターデザインも上げますのでお楽しみに。
ちなみに、結構加筆修正しております。
話の大筋を変えるものはありませんが、以前投稿した物語を補強するようなお話が多めです。
ジグとシアーシャ、二人の描写も増やしておりますのでご期待ください。




