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カークによるギルド立ち入り禁止宣言。
それを聞いた二人の反応は、またしても対照的だった。
やはりそうなったか、と半ば予想していた事態に肩を竦めるジグと―――
「は?」
声と同時、隣で抑える気のない感情の高ぶりと共に魔力の奔流がジグの髪を揺らした。
まるで戦場でバリスタが真横に着弾した時のような感覚を覚えた。
甲高い音がして壁に掛けてあった防音の魔具が弾ける。何かの部品が飛び出ていて、一目で壊れたと分かる損壊状況だ。小さな爆発音をさせた湯沸かし用の魔具は跡形もなく、机の破裂痕だけがその存在を示していた。
どちらも過剰に注がれた魔力による暴発と、刻印の破損によるものだ。
突然の魔具の破損に驚いたのはジグ一人のみ。
それを引き起こしたシアーシャは無論のこと、カークは自身に向けられる威圧にそれどころではない。
彼女が浮かべる感情は疑問と、怒り。
「なぜ?」
吹き出る魔力がシアーシャの髪を浮かび上がらせている。
波打つ黒髪をそのままに発した言葉は短いが、何を問うているかは明白だ。
「……っ、彼が持ち込んだ厄介事は、ギルドに不利益をもたらすものだ。澄人教に狙われている彼を、ギルドに入れるわけには行かない。二度やらせるつもりがないとは、そういう事だ」
肺が潰れそうなほどの重圧を覚えながらもカークは答える。
対峙する女性の蒼い瞳は美しく、虫を見るようにカークを見据えている。どこまでも深い蒼を見ていると、得も言われぬ恐怖心がふつふつと心の奥底から湧き上がってくる。
かつて経験した様々な豪傑との交渉。そのどれとも違う異次元の圧力は歴戦ともいえる彼を戸惑わせた。
「……私の護衛なんですが」
「うちで優秀な冒険者を組ませる。希望があれば、出来るだけ聞こう」
(必要ないだろう!)
身に感じる畏怖にそう叫びたい気持ちを押さえつけて代替案を提示する。
しかしそれでは彼女を満足させるには到底足りなかったようだ。足を組んだシアーシャが眉尻を吊り上げて視線をさらに険しくする。
―――私より弱い者が護衛とは、何の冗談だ?
気に入らない。その場所はすでに埋まっているものだ。
自分の脇に他の者が立っているところを想像しただけで虫唾が走る。
脳裏をよぎった光景に唇を噛む。
感情をそのまま魔力にしてぶつけてしまいたくなるが、カークの目を見て思いとどまる。さしたる戦闘能力も持たない人の身でありながら、毅然と答えるこの男の胆力を尊重してできるだけ言葉を選ぶ。
「彼でなければ、駄目なんですよ」
「……彼だけは、駄目なんだ」
「私が、冒険者を止めるとしても?」
「それよりも、澄人教と争いになる方が損失が大きいと我々は判断した」
「……話にならないな。私を挑発しているのか?」
問答を重ねるがシアーシャの怒りは増すばかり。荒くなり始める口調にジグがわずかに腰を浮かせた。脂汗を流し始めたカークを見て頃合いかと助け舟を出す。
「シアーシャ、待て」
「断る。黙っていて」
ジグの制止に即答で否が返って来た。どうやら余程頭に来ているようで、普段は聞き分けのいい彼女も今度ばかりは譲れぬと頑なだ。撒き散らされる魔力に乾いた音を立ててティーカップの持ち手が取れた。
(……グローブをメンテに出しておいて本当に良かった)
手に嵌めているあれが暴発するところなど考えたくもない。
「落ち着け。怒りをぶつけてもこの男は決定を変える類の人間じゃない」
「……」
ジグに諭されて彼女の意識と視線がカークから逸らされる。彼は強烈な重圧が弱まったことで呼吸を思い出したかのように息をついた。
静かに据わった視線がジグに向けられる。
激情を抑え切れない未熟なシアーシャは、その怒気をジグへも向けてしまう。カークと違い、机を挟まない近距離で魔女の威圧を一身に受ける。
長年生きていたからといっても彼女が人と関わり始めてまだまだ日が浅い。激情の御し方など知らぬ彼女では親しい人間にまでその矛先を向けてしまうのも無理はない。
彼女にとって他の人間をあてがわれることは相当に腹立たしいことのようだ。悪い気はしないが。
自惚れでなければ、信の置かれている自分ならば彼女を無理矢理なだめることはできるだろう。
だが、とジグはひり付く視線を受けながら目を細める。
ここで安易にその感情を押さえつけてしまうのも……どこか違うような気がした。
嫌なことを堪えるのも人の世で生きる上で大切なことではある。しかし、毎回それではいずれ彼女は破綻してしまうだろう。溜め込んだ激情が抑えきれなくなったときに、倫理観が根本から違う魔女であるシアーシャがどのような行動に出るか……自分では想像もつかない。
(ここは、少し無茶をしてでも彼女の鬱憤を晴らしておくべきか)
ジグは射貫くような蒼い瞳から視線を逸らさない。
方針は決めたのだ。ならば、そのために必要なことは―――
「カークに当たるのもいいが……その怒りを向ける場所は、そこでいいのか?」
「……どういう意味です?」
視線はそのままに問いを返す。激情のぶつけ場所は未だに定まっておらず、迸る魔力は収まらぬままだが、とりあえず話を聞かせることには成功した。
「副頭取ほどの立場の人間が直接部外者に立ち入り禁止宣告をする必要などない。職員に言わせて締め出してしまえばそれで終わりだ。お前の怒りを買うようなことをわざわざこの男が言いに来たわけではあるまい」
そうだろう、とカークへ視線を向ける。
呼吸を落ち着けた彼が眼鏡の位置を直してすまし顔で首を傾げる。
「さて、何を言いたいのか分からないな……私はただ、君が澄人教に狙われている間はギルドへ被害をもたらすので立ち入り禁止と言っているだけだ。その件が、片付いているのならば……なにも問題はない。違うかね?」
白々しい顔でそう言い切るカーク。
いっそ分かりやすいくらいに露骨に言ってくれているが、その手のやり取りに疎いシアーシャはまだ意図を掴み切れていないようで首を傾げている。
「ふむ、その片付け方とは?」
「それは私の関知するところではない。当人同士の問題に、どうして部外者である私が口を挟めるというのだね。……あくまでも一般論だが、やはり暴力はよくないな。話し合いなどどうだろうか?」
あくまでも淡々とした口調で一般論を語り、ジグももっともらしくそれに頷く。
「なるほど、勉強になるな。……参考までに、一般論以外の意見を聞かせてくれないか?」
「私はギルドの利益を最優先する立場の人間だが……」
そう断ってから、紅茶へ手を伸ばす。取っ手が取れていることに気づくと眉をひそめた後、鷲掴みで一気に飲み干した。
カークは一度強く目を閉じてから、開く。
「俺個人の意見を言わせてもらうならば、目障りな狂信者どもが痛い目を見るのは……あぁ、控えめに言って、最高だ」
そうして開いた目には先ほどまでの理性的な色は薄れ、剣呑な獣性と嫌悪感が滲み出ていた。
それまでとは正反対の物騒な発言にジグが苦笑する。
「公私混同じゃないか?」
「覚えておけ、若造。公私混同が許されないのは、利益や行動原理がどちらかに偏りすぎているからだ。どちらにとっても益があれば、誰も文句は言わない」
成功すれば個人的にもギルドとしても目障りな澄人教の勢力が減退し、仮にジグが失敗しても関わりのない部外者が何をしたところでギルドに責があろうはずもない。ギルドにとって害はないのだ。
彼らギルドは証拠がないので報復をできないといったが、それは公に動かないだけの話。証拠が残らない攻撃をしてきたのならば、同じ事を返すだけのことだ。
そして丁度良い鉄砲玉が目の前にいた。
流石に強かだと内心で舌を巻いた。
シアーシャの怒りで予想外に流れを止められてしまったが、元よりこうするつもりだったのだろう。ギルドという組織で副頭取にまで上り詰めただけあって実に狡猾な人間だ。
掌の上で踊るのは気に食わないが、自分の目的が果たせるのならこの際文句は言うまい。
「冒険者たちの中にも教徒はいるみたいだが、それはどうする?」
「信仰は自由だ。しかしギルドや他所に迷惑をかけるような教義を振りかざす者はうちのギルドには必要ないし、居ないことになっている。登録するときの契約書にもそう書いてある」
ギルドの言いつけを守れずいざという時に敵に回りかねない不穏な存在は、消しておくに限る。
そう言いたげに彼は冷たい視線をしている。
つまり、やってしまっても構わないというわけだ。
明言したわけではないが、不幸な事故で居なくなってしまっても騒ぎ立てるようなことはない。そうカークは言っている。
「……そう、ですか。そういうことですか」
シアーシャは事ここに至ってようやくジグたちが何を言っているのか理解した。
怒りを向けるべき矛先、根本的な責はどこにあるのかを理解した彼女はにこりと笑った。
まき散らしていた魔力を収め、口調も元に戻っている。しかし、恐ろしさはむしろ増しているとカークは感じた。
「時に、この街で一番大きな澄人教の教会はどこにありますか? いえ、ちょっと彼らの教えに興味が湧いてしまいましてね?」
「西の外れ、富裕層が多い区画だ。くれぐれも、穏便にな?」
白々しい念押しに薄く笑ったシアーシャが席を立つ。
黒髪を靡かせながら応接間を出る彼女にジグが続く。途中、ふと思いついたことにジグが振り向いた。
「一つ聞きたいんだが」
ティーセットを片付けていたカークが視線で続けろと促す。
「奴らはなぜ鱗人という呼び方を知っていたんだ?」
ギルドの幹部ですら知らない情報をどうやって手に入れていたのかが気になっていた。異種族は亜人という呼び名を消極的にだが受け入れ、自分たちの種族名を極力口にしないようにしていたという。
それなのになぜ飯屋で二階に上がる前、ジグがたった一度口にした鱗人という言葉に反応できたのだろうか。
ジグの質問に彼はなんだそんなことかと拍子抜けしたような顔をした。
「弾劾する対象を知っていなきゃ言葉狩りもできないだろう。奴らはその言葉を消したいがために、誰よりも異種族の名前に詳しいのさ。これ以上ないくらい皮肉だろう?」




