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とりあえず、とシアーシャの手続きを先に済ませてくれたシアンにざっとの事情を伝えると受付を後にする。
「ああ、そうだ。これをさっき運ばれた冒険者に渡しておいてくれ」
「ハインツさんの武器ですね。こちらで預かっておきます」
返す間もなく行ってしまったリザのことを思い出し、受付に預けておけば間違いないだろうと渡しておくことにした。
シアンとは別の男性職員が出てきてハルバードを受取る。重量のある武器だがその職員は重さを感じさせずにしっかりと持って奥へ行った。
その歩く姿は重心がブレる様子もなく見事な物で、明らかに心得のある者の足運びだった。
(……ギルド職員にも腕の立つ者がいるのだな)
荒事を専門とする冒険者の相手をするのだからそういう人物も必要なのだろう。そんなことを考えながらシアーシャの後に続く。
「やあ、ジグ」
その二人を途中で呼び止める声があった。声の方を見ると、緑の鱗に身を包んだ蜥蜴顔の知人が話しかけてきた。
「ウルバスか、久しぶりだな」
「うん。……久しぶりっていうほどは、経っていないと思うけど」
そう言って彼、鱗人である緑鱗氏族のウルバスは右手で握りこぶしを作りジグに差し出してきた。ジグは左手で握りこぶしを作るとウルバスのそれに合わせる。上下に揺らして節をこする彼ら特有の挨拶を交わす。
「……そう言えばそうだったか。色々あったから、随分経ったように感じていたようだ」
「相変わらず、派手にやっているみたい」
こぶしを離すとウルバスがしゅるしゅると舌を出して目を細めた。彼らの表情は人間であるジグには分かりにくいが、おそらく笑っているのだろう。
「ジグたちも今日は上がり?」
「ああ」
「このあと一緒にご飯でもどう? 前のお礼に、奢らせて」
「俺は構わんが……」
言ってシアーシャを見る。
「いいですね。おいしいお店、期待していますよ?」
「……うん、まかせて」
にっこりと笑った彼女にウルバスが舌を引っ込める。もしかしたら少しひるんでいるのかもしれない。以前彼女が真っ二つにした削岩竜を思い出したのか、少しだけ固くなった動作で頷くウルバス。
ジグはそれに苦笑し、少しだけ振る速度の増した彼の尻尾を眺めながらおすすめの店とやらに向かった。
ウルバスが案内してくれたのは、以前アラン達と来た冒険者御用達の中規模な店だった。
冒険者御用達とは言ってもそれなり程度の冒険者が気軽に来れる店ではなく、五等級以上の稼ぎでなければかなり奮発しないといけないほどの価格はするランクの違う店だ。
「いくら稼ぎが良くなっても、格式張ったお店は嫌って人多い」
「なるほど。上位冒険者用の大衆食堂ってことですね」
「僕みたいな亜人種だと、門前払いされることもあるから。こういうお店、助かる」
「鱗人も大変だな」
ジグの独り言にウルバスが慣れていると肩を竦めた。
寄って来た店員に指で人数を伝えると“お好きな席へどうぞー”と返される。
ウルバスはよくここを利用するのか慣れた足取りで二階席へ向かう。その途中、いくつかの視線を向けられたことにジグが気づいた。悪意を孕んだ視線だ。
「……」
その場で振り返って確認はせず、階段を上がる際に目線のみ動かして先ほどの視線の主を探す。
幾人かの冒険者が嫌悪を込めて睨んできているが、どうやら向けられているのはジグではなくウルバスのようだ。
指先がピクリと動いたのを見るに恐らく本人も気づいているが特に何も言わない。
シアーシャは無反応……というより多分気づいていない。人間程度の殺意にもならぬ悪意など、彼女にとってそよ風にも劣る。直接向けられない限りは気づくこともないだろう。
二階席奥の人気が少ない場所にウルバスが座った。適当に注文を頼むと料理を待つ間、雑談に興じる。
「今日は、どんな依頼を?」
「猿狗の討伐です」
「猿狗か……何連れてた?」
「三面鬼、それも群れですよ」
ウルバスが大きな目をぱちくりとしばたかせた。白い瞬膜が乾いた眼球を潤し、ごみを取る。
「猿狗が三面鬼連れてること、あるんだ。生息域全然違うのに……」
「おかげでいい収入になりました」
寒冷地帯に住む魔獣の素材は同等級の魔獣に比べて高く売れる。需要に比べて供給が少ないためだ。暑さはそれ用の魔具があれば冷もとれるし水も出せるが、寒さはそうはいかない。
暖を取る魔具を使っても体全体を隙間なく温めることなどできないし、体が冷えれば当然動きも鈍くなる。体温を確保するため食料も多く必要になるため荷物も嵩張るし、降り積もる雪は視界も動きも制限される等々。
要は寒冷地の魔獣を狩るのは手間なのだ。必然、素材価格も高騰する。
「普通の猿狗と思ってかかったら、痛い目見そう。被害、出た?」
「結構死んでましたよ。えーっと……十人?」
既に怪しい記憶を辿るシアーシャと、それに相槌を打つウルバス。そうこうしているうちに店内が混み始めてきた。とは言っても普通の食事処に比べれば大分ましな方だが。
周囲の空いている席にも客が座り始めるが、ジグはその客層に違和感を感じた。
(そういう事か)
下の階をちらりと見たジグは想像通りの光景が広がっているのを確認するとウルバスへ視線を戻す。
丁度その時頼んでいた料理が机に並べられるところだった。
話は一旦中断して食事を始める三人。
「んー、美味しいです。やっぱり値段が違うと味も違いますね……でもそれだけとはまた違う味わいがあるような?」
なんでしょうと首を傾げる彼女に食事の手を休めぬままジグが答える。
「覚えておけシアーシャ。“他人の金で食う飯は美味い”」
「……至言、ですね」
「間違ってないけど、教育に良くない」
軽い談笑を挟みながらも食事はつつがなく進んでいった。
「今日は一人なんだな」
冒険者という職業柄か鱗人の特性かは分からないが、ウルバスもジグも食事を摂るのが早いため先に食べ終わっていた。
食後の茶を二人してすすりながら一息ついているとジグが話を切り出した。
「うん。仲間は別のお店行ってる。仲間の知り合いが開いてるお店」
「やはり種族が違うと食性も違うのか?」
「食べるものは、あまり変わらない。好みの味付けは、結構違う」
彼が言うに鱗人は濃い味付けを好むらしい。香辛料を多く使うのでクセが強く人間は好き嫌いがはっきり分かれるとか。
「……後は、ジグも気づいてるだろうけど」
言葉を切り無言で下を指すウルバス。
「……ふむ」
今いる二階には客層にとある特徴があった。
全てではないが、ジグたちの周りに座るのはほとんどが何かしらの特徴的な外見をしていたのだ。
俗に言う、亜人。
それに対して先ほど一階を見た時にはその大多数を人間が占めていた。
「ウルバス、聞きたいことがある。……澄人教とはなんだ?」
ジグは気になっていたことを尋ねる。
瞬間、周囲から複数の視線が飛んできたのを感じた。
大声を出していた訳ではないが声を潜めていたわけでもない。耳のいい種族ならば容易に聞き取れるだろう。それでも注目を集めたのはジグが口にしたその言葉が原因だった。
澄人教。
その単語を出した途端に周囲が意識をジグへ移す。
「……」
空気が張り詰めるのを感じる。
周囲の反応を見るため意図的に声を潜めなかったのだが、想像以上だ。
向けられるのは敵意ではなく、悪意でもない。
少しの警戒と、純粋な興味。
問われた鱗人がどう答え、問うた人間がどう反応するのか。
そういった好奇の視線だった。
ウルバスは茶を飲み干して喉を潤すと、ゆっくりと口を開いた。
「彼女は、知っているようだった。聞かなかったの?」
彼の視線の先には周囲の注目など気にも留めていないシアーシャが蟹らしき甲殻類の爪と悪戦苦闘していた。
ジグは無言でその爪を取ると親指と人差し指だけの力でばきりとヒビを入れて返してやる。
「シアーシャに本を借りて読んだ。だが、お前たちの意見も聞きたい」
「……何故?」
不思議そうにしたウルバスが舌を頻繁に出し入れする。
「俺は傭兵だぞ? 片方の国に味方した次の日には敵になっていることだってある。一方の言い分だけ聞いて真に受ける愚かさは、良く知っている」
ある国が、己の正当性を叫んだ。
国境沿いにある小さな農村がいくつも滅ぼされ、作物ごと全てを焼き払われたと。国民を守るため、戦争を仕掛けたのだと。
その農村では禁じられた麻薬を大量に生産し、攻撃してきた国との貿易にその麻薬を使っていた。再三の警告にも応じず密輸を繰り返し、国が内側から崩れていくのに危機感を覚えて実力行使に出たのだ。
「嘘は書いていなくとも、真実を偽る手段などいくらでもある。お偉方の能書きではなく、お前の目から見た澄人教というものを教えてくれ」
ウルバスの縦に長い瞳孔がジグの目を正面から見据えた。
そこには何の熱もなかった。
ただ別の意見も聞きたい、それだけが伝わってくる。
ウルバスたち異種族に肩入れするでもなく、澄人教に敵対するでもない、冷たさすら感じる平坦な目。
―――あの時、自分たちがどう呼ばれているかではなく、どう名乗っているかを聞いてくれた目と同じだ。
「……そこまで、言うのなら」
友人は無事、タイ送りになりました。
そして、現地で美人な嫁さんを掴まえてきました。
なんでや。




