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彼らが出立してから二日ほどして、丘から見えた村に着いていた
食料などはある程度余裕を持っていたが今は補給ができない
こちらの通貨は持っていないが、どうにかして食料などを調達する必要があった
「現地人と初めての接触か。ただの村に見えるが、一応警戒しておけ」
「はい。言葉、通じなかったらどうしましょう…」
「祈れ。一応3つほどの主要言語は話せるが、期待するな」
「魔女の祈りを聞き届けてくれる神様よりは確率が高そうですね。…というか何気に博識?」
「仕事柄いろんな国、人種と触れることが多いからな。文法とかはともかく日常会話程度ならなんとか行けるだけだ」
敵がいた、報酬はいくら、腹が減った
自分の意思を伝える程度ではあるが、必要に迫られると案外何とかなるものだ
ジグたちは意を決して踏み出した
村の中に入ると農作業をやっている人たちが見えてきた
茶髪やくすんだ金髪が多く、特段珍しさを感じない
その中の一人に声を掛けてみる
歳は4,50だろうか
農作業で日に焼けた女性はジグの顔を見るとにっかりと笑った
「少しいいか」
「うん?見ない顔だな兄ちゃん。旅人かい」
言葉が、通じる
それも普段使いの共通言語だ
内心で思わずガッツポーズをとりながらジグは尋ねた
「どこかで食料を分けてもらえないか?」
「金はあるんかい?」
「無い。乗って来た船が難破してしまってな。物々交換でもいいか?」
「船ぇ?もしかして兄ちゃんたち、あの海を渡ってきたのかい?」
「ああ」
ジグが肯定すると心底あきれたようにため息をつく
「死ぬ気かい?魔海を渡るなんて正気じゃない」
「魔海?」
「そんなことも知らないなんて、よっぽど遠くから来たんだねえ…」
こちらの人間は異大陸という認識がないのだろうか
田舎故の知識のなさか、大陸全体の認識なのか区別がつかない
「とは言ってもあたしも直接見たわけじゃないんだけどね。実際あそこに行って生きて帰ってきたものはほとんどいない。あそこにはとんでもない魔獣がわんさかいるからね」
魔獣
まさかここでその言葉を聞くとは
おとぎ話の存在である魔獣がこの大陸では残っているというのか
だがあの化け物
あれに名をつけるなら、魔獣という名が最もふさわしい
ジグも実際見ていなかったら信じてはいなかっただろう
「兄ちゃんたち、運がよかったよ。ああそういや食料だったね。今年は豊作だから、たいていどこでも物々交換できるよ。うちとするかい?」
「頼む」
ジグはいざというときのために小粒の宝石を持っている
主要都市から遠い田舎だと通貨が無いなんてザラだし、他国の通貨をどうしても用意できないことがあるためだ
どの国でもある程度価値があってなおかつ捌きやすい品を探した結果、小粒の宝石になった
準備のいい傭兵は多かれ少なかれこういった手段を持つのが定石だ
娘が喜ぶと快く交換に応じてくれた女性に頭を下げて礼を言う
「この辺に大きな街はあるか?」
「村を出て東にずっと行けば五日ほどでハリアンって街に着くよ。この地方じゃいっちばん大きな街さ。そんなもん背負ってるんだし剣は使えるんだろう?冒険者になるのもいいかもね」
そう言って女性は仕事に戻っていった
「…冒険者?」
聞いたことのない職業だ
冒険するのがなぜ仕事になるのだろう
気になったが何度も仕事を邪魔するわけにもいかない
ジグはシアーシャのところに戻った
「…」
シアーシャはじっと一点を見つめている
何をしているのか声を掛けようとしたところで気づく
刺激臭だ
ほんのわずかな、シアーシャと戦った時に比べると天と地ほどの差があるが
間違いなく、魔術の匂い
彼女ではない
即座に匂いの元へ構える
シアーシャの斜め前に移動、腰を落として双刃剣に手を掛ける
「落ち着いてください。あれです」
シアーシャが指す方へ警戒を解かずに視線を動かす
「なんだと…?」
そこでは青年が指に火を灯していた
火をつけようとしていたのか、竈につまった薪に近づけて息を吹きかけている
周りの人間は気にも留めていない
それが当たり前の光景であるように行われている
まさか
「まさか、魔術まで使われているとは思いませんでしたよ」
「あいつは魔女なのか?」
シアーシャは無言でかぶりを振る
「間違いなく人間です。ずっとここで観察していました。個人差こそありますが誰でも魔力を持っています。ここでは、魔術が生きているんですね…」
何かに感じ入るようにシアーシャが上を向く
大陸を渡った先で思わぬ共通項が見つかった
漠然と感じる気持ちを何と呼んでいいのか分からない
分からないが、悪い気持ちではなかった
「…」
シアーシャに気づかれぬようにジグが表情をゆがめる
魔術は非常に強力だ
敵に回した時の危険性は身に染みている
それを誰もが使える可能性があるなど冗談ではない
あの青年を見る限り大した術は使えない可能性もあるが―
「…希望的観測は捨てるべきか」
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。空いている納屋を借りられた。今日はそこに泊まるぞ。日の出とともに出発だ」
「了解です。次はどちらに?」
シアーシャに今後の予定を伝えながらもジグの意識は魔術のことにあった
魔獣なんてものがいるこの大陸で生きている人間たちが魔術を活用していないとは考えにくい
まず間違いなく戦闘用の術を編み出していることが考えられる
魔女ほどの術を使うとはさすがに考えにくいが、力がないものゆえの工夫というのは侮りがたいものだ
俺も本格的に魔術相手の戦闘方法を確立する必要があるな
これからのことを考えつつ上機嫌なシアーシャを連れて村のはずれにある納屋に向かった
「仕事をしようと思うんですよ」
村を出て二日
ハリアンへの道中で唐突にシアーシャが提案する
ぴたりとジグが止まる
一瞬考えたのちに歩き出す
「その心は?」
「ズバリ、人間社会に溶け込むことです」
どや顔で腰に手を当てている彼女に無言で続きを促す
「いまさら魔術を使わずに生活するのは私には難しいんですよ。二百年以上そうしてきましたから」
「そうだろうな」
さらりと告げられた年齢に驚きつつも話の腰を折らぬようにする
「だから最初は情報を集めて魔女に対する意識次第では人目のない静かなところで過ごそうと思ったんですよ」
「ああ。俺もその予定だった」
だがあの村でのことが頭に浮かぶ
魔術があり、それが当たり前のこととして受け入れられている社会
「もし魔術を使うことに何の問題もないのだったら、変に離れて関心を買うよりその中に溶け込む方がいいんじゃないかなって思ったんです」
それに、とシアーシャが続ける
蒼い瞳に映るのは今までとは違う
それは、期待の色だった
「人間の良いところを知ってみたいと、思ったんです。今まで悪いところばかり見てきて、良いところに目を向けたことがなかったので」
「そうか」
「はい。…ここは心変わりの理由を聞くところですよ?」
こちらを不満気に見上げながらシアーシャが口をとがらせる
その様子に思わず苦笑する
「…なぜだ?」
「よくぞ聞いてくれました」
望む返答に満足げなシアーシャ
「それはですね…」
言葉が途切れる
視線の先、道の真ん中に巨大な猪がいた
大きさは牛ほどもあろうかという巨体で、体を覆うのは体毛だけでなく鈍い色をした甲殻
牙は体の半分ほどもあり、使い込まれた傷跡が歴戦の風格を漂わせている
「猪…ですかね?」
「鎧をつけた猪など聞いたことがないがな」
既にジグは武器を抜いて戦闘態勢だ
鎧猪もこちらを敵とみなしたのか血走った目で地面を蹴っている
シアーシャが憤然としながら術を組んだ
「もう!いいところで邪魔しないで下さいよ!」
八つ当たり気味に放たれた術が猪を攻撃する
地の杭が鎧猪を下から襲う
腹部を無防備に攻撃されたが、なんと折れたのは杭の方だった
「硬ぁっ!?」
鎧猪は平然としているが、攻撃されたことで火が付いた
吠え声とともに突進する
その速度は速く、走って逃げるのは無理がある
「引き付ける。攻撃は任せた」
ジグが前に出た
猪の突進をなるべく引き付けて躱すと、その勢いで回転しながら左腹部を斬りつけた
鎧を削り傷をつけるが、肉には至らない
あまりの硬さに舌打ちしながら距離をとる
ダメージは与えられなかったが注意をひくことには成功したようだ
シアーシャから引き離すように距離をとっての追いかけっこが始まった
猪突猛進という言葉があるが、これは猪には当てはまらない
彼らは四つの足を使い地面をつかみ、機敏な方向転換を可能とする
ジグはその攻撃を巧みにフェイントを交えて躱し、すれ違うたびに鎧に覆われていない場所を斬りつけた
その攻防に術を差し込めず、見ているしかなかった
だが何もしていなかったわけではない
魔力を練り上げ、最高の一撃を繰り出す隙を窺っていた
そしてその時が来る
体中の細かな傷から血を流し続け、わずかに動きの鈍くなった猪
また突進を躱された
側面から斬られる前に強引にブレーキをかけ、猪は牙を大きく横に振るった
その攻撃を待っていたジグは身をかがめる
「ふっ!」
轟音と共に振るわれた牙をやり過ごし、渾身の一撃を見舞う
前足の膝裏
牙を振るうために上げられた前足の着地を狙う
鎧に覆われておらず、曲げられた膝に双刃剣が叩き込まれた
骨を避けるように振るわれた剣は脚を断ち切った
バランスを崩して倒れこむ猪に押しつぶされぬように距離をとる
そこにシアーシャの術が叩き込まれる
三倍ほどの大きさの杭が左右から襲う
魔力を込めて硬度の増した杭は鎧ごと猪を貫いた
苦痛に咆哮を上げる猪
その頭を三本目が真下から串刺しにした