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8.鬼は選べる


 鬼に求められたのは獄卒の義務に従順であること。


 日々生まれくる無数の獄卒達と共に、同じものを望み、同じ仕事をし、そして同じ様な消え方をすること。

 秩序通りの獄卒。その在り方を守るために。


 地獄での秩序崩壊は、実質輪廻の崩壊を意味する。

 輪廻が消失すれば、輪廻の担い手たる寿命無き者たちも共に崩壊する。


 地獄は数百年かけてこの在り方に辿り着き、輪廻の安定を保ってきた。

 積み重ねてきた過去を忘れてはならず、寿命無き者たちは同じ過ちを繰り替えすことを許さない。


 地獄の炎から生まれる獄卒の存在も、その秩序の中で厳格に定められる者たちだ。

 僅かにでも反抗の意思ありと見なされれば地獄の炎に返され消える。


 抗うことは許さない。

 命令に従え。

 思考を捨てろ。

 目的にのみ従順に、寿命を全うせよ。


 獄卒達には生れた瞬間からそれが強烈に焼き付けられ、僅かに芽生えた己の個性すら焼かれる。

 結果生まれてくるのは地獄にとって都合のいい仕事中毒な者たちだ。



 賽の河原に足しげく通う鬼の個性はいつ炎に焼かれてもおかしくは無い。

 彼が今の今まで存在していられるのは、曲がりなりにも獄卒の仕事に従順であったからだ。


 獄卒の仕事を嫌悪しながらも、一定以上の仕事はして見せる。

 なぜか。


 仕事は嫌だが、それよりも燃えて消えるのは一段と嫌だからである。


 生まれたからには寿命を全うしたい。消えたくない。

 ならば嫌々ながらも仕事はしなければならない。

 存在し続けるためならば、嫌悪を覚える仕事だろうと吝かではない。


 だから彼は獄卒としての自分に甘んじた。

 存在するためにと、己の嫌悪を押し殺す事を選んだ。


 獄卒の中にあらざるべき自己保存の本能と損得の思考。

 今日まで鬼が消失しなかったのは、彼が個性として持ち合わせていたそれらから来る、人間特有のずる賢さによるところが大きかった。


 地獄を地獄だと認識し、嗜好興味関心を持ち合わせ、彼自身無自覚にも心の動きまでも生れた。

 彼はどの獄卒よりも人間に近しい思考を持っていると言える。



「上からの命令だ」



 それはつまり、彼は同情も慈悲も執着も持ちうる。

 彼にとって、その感情を向けた初めての相手は。



「あの白い少女の転生を見逃せ」



 彼女だった。





 長老からの指示は単純だ。


 賽の河原に居る白い少女が、地蔵菩薩に連れていかれるのを黙認しろというものだ。


 簡単な命令だ。

 獄卒が誰も賽の河原に行かなければいいだけだ。

 あの白い少女は所詮亡者、地蔵菩薩がその気になれば彼女の抵抗など物ともせず、彼女の意思すら介さず輪廻に流すだろう。


 ついでに多少なり子供の亡者が輪廻の流れに乗るだろうが、石積の刑に処される亡者は名目上存在する罪によって留まっているだけのほぼ無垢な亡者だ。


 親不孝は罪である。親に対する裏切りや殺害は、この地獄においてもっとも重い罪とされる。

 それは子供とて例外ではない。

 十も現世に居られなかったとて、子供らの魂は形式上、親より先に死んだことで親不孝の有罪ではあるが、ほとんど穢れがない。

 このまま転生の流れに乗せてもよかったのだが、罪は罪だ。

 そこで折衷案として設置されたのが、三途の川のすぐ脇、賽の河原での石積だった。


 名目上の罪の贖罪をしている、元より無垢な者たちばかりなのだから、ある程度残っていればさほど気にはしない。



 そこにあの少女が残っていなくとも。



 賽の河原に行かない。そう、それだけで鬼はその命令を完璧に遂行できる。


 獄卒ならば命令厳守。勅命とあらば尚更、むしろ喜んで従う。

 それが獄卒。


「……何故ですか」


 けれど鬼は彼女と約束した。

 反故にしたくない。そんな思いが鬼の口から疑問の言葉を絞り出した。


「さぁな? 俺ぁただそういう命令を受けて、現担当のおめぇさんに伝えたまでよ」


 獄卒の長老と言えど獄卒のうちの一人。

 獄卒は地獄の道具であれ、と宣う尊い方々からすれば、一々理由など説明しないだろう。


 それでも鬼は何故と叫びたかった。

 納得できる理由が欲しい。

 初めて交わした約束を反故にするほどの事情が欲しい。


 だがそれは獄卒らしくない。胸の内で暴れる衝動を、生まれた時より持った殻で覆って平静を装う。


 ここで騒いで己が燃やされる危険と、今衝動を天秤にかける。



「……そうですか」


 一旦は留まった。

 そう。彼は獄卒であることを選んできた。

 獄卒として存在することを選んできた。


 鬼は臆病だ。

 人間らしく、器用に立ち回りつつ、何も与えられず。

 ただ存在していられる権利のみを貪欲に採取し続けた。


 今この瞬間に全てを放り投げる度胸は、彼には無い。

 表情を僅かに揺れるだけに留め、鬼は在れた胸の内を平坦にする。


「ちなみに、もうすでに地蔵菩薩が来ている」


「……っ」


 再び鬼の表情が揺れる。


 今。この老鬼は今と言ったか。

 視線が賽の河原に向く。


 鬼の理性は行くなと叫ぶ。

 行って、もし衝動的に、約束通りに、転生を妨げたら。

 鬼は間違いなく炎に焼かれる。それは明らかな命令違反だ。

 鬼があの約束を口に出せたのは、地蔵菩薩の転生妨害は一応認められているからだ。


 行きさえしなければ、鬼は命令を破らずに済む。



 けれど鬼は賽の河原の目前まで来ていた。

 足に若干の倦怠感。走っていたのだろう。


 灰色の河が見える。

 もう少し進めば、灰色の子供らが居て、その中にポツンと白い少女が見えるはず。



「来ないで!」



 頭蓋に響くほどの金切声で足が止まった。

 鬼に向けられた言葉ではない。まだ鬼にも彼女にも、どちらの姿も見えていない。 

 それでもあの少女の声だと鬼は気づく。


「あぁ。憐れな子よ。何故救いを阻むのだ」


 不思議と興奮が冷める声。

 長老の言う通り、地蔵菩薩はすでにこの場に来ていた。


(どうすればいい?)


 これ以上先に進むことを獄卒としての彼が許さない。

 しかし約束を反故にすることはしたくない。


 思考の迷路に捕らわれた鬼はその場から動けなくなった。


「不幸になるのが救いなの!?」


「救いが必ずしも幸福な選択になるわけではない。その不幸の先に救済があるだから」


「そんな救いいらない!」


 小さな足音。

 はっと鬼は顔を上げると、同じ表情をした白い少女が遠くに居た。


 どうするか。鬼はまだ決められていない。



「鬼さん! 助けて!」



 反射的に重心が前を向く。

 同時に視界に入る柔和な表情を浮かべて少女の背後を追う地蔵菩薩と、背後からチラつく不気味な炎。


 沈黙が流れる。

 鬼は答えることも、応えることも出来なかった。


「……鬼さん?」


 少女の肩に、菩薩の手が触れる。

 すかさず少女は手で弾くが、逆に手を痛める結果に終わった。


「鬼さん!」


 鬼は動かない。

 背後を炙る炎が揺れる。恐らく少女からは見えていない。

 重心が前に出たまま、次の足を出せない。


 動かない鬼を見て、少女は茫然とした顔で察する。

 鬼は助けに動かない。



「嘘つき……!」



 動かない、動けないは関係ない。

 今この場で彼が動かないのならば。


「裏切者! 最初から守る気なんて無かったのね!」


 それは彼女への裏切りを意味する。



「あなた達は……っ、私が不幸になるのがそんなにも楽しいの!?」



 肩を掴まれた彼女は激昂を隠しもせず、この地獄で呪詛を叫ぶ。


「許さない。絶対に許さない……っ! もうこんなことの繰り返しは懲り懲りよ! こんな世界ぐちゃぐちゃにしてや……っ!」



 言葉の途中。少女の姿は忽然と姿を消した。

 鬼にはわかる。彼女は転生させられた。

 もう、死後の世界に彼女の魂は無い。


 今頃は、現世に居る誰かの腹の中だ。


「あぁ。愚かな娘だ。何も出来ぬのに口だけはよく動く」


「…………」


 背後に迫っていた熱は消えたが、爪が割れるほどに握り込んだ拳からは赤い熱が零れ落ちる。胸の内から湧き出る淀みと嫌にじっとりとした熱さが体中を行き場もなく彷徨っていた。


 鬼は沈黙を通した。


「その点、お主は賢明な獄卒であったな。長生きな獄卒めによろしく伝えて……」


「帰れ菩薩。もはやここに留まる用は無いはずだ」


 苛立たし気に言う。

 彼女が居なければ、ここに居るのは不仲とされる獄卒と地蔵菩薩。

 彼の態度は何ら不敬でも不自然でもない。


 菩薩は柔和な表情を崩さぬまま、肩を竦めて消えていった。



 鬼はしばらく立ち尽くし、何もせず、何もできずに、来た道を歩いて戻る。


 鬼の目の前には、いつもの地獄が見えていた。

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