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4.鬼は少女の生涯を知らず



「……っ! あら。鬼さんさっきぶり、ね」


 目の前の亡者を粉砕しつつ突然現れた鬼に、少女は目を白黒させて驚いた風だったが、すぐに薄い笑みの仮面で覆われた。

 それでも驚いていたのは隠せず、若干頬を引きつらせて座り込んでいる。


「戻れ。お前には過ぎた地獄だ」


「ええそうね。とても刺激的だったわ。特に目の前で粉砕される亡者の方とか」


「減らず口を叩く余裕があるならとっとと立て」


「……ねぇ鬼さん。腰を抜かした経験ってあるかしら」


「……ねぇな」


「私初めてなの。運んでいただけないかしら」


「…………」


 少女の薄ら笑みは変わらず、ともすれば鬼をからかっているようにも受け取れる。

 それでも鬼は嘘だとは思わなかった。

 数日とは言え、一日の半日近く雑談を交わした仲だ。薄い笑みの下に困惑の陰が見えるくらいには、鬼は少女を見てきた。


「その持ち方には異議を唱えるわ」


「大人しくしてろ」


 装束の腰ひもを掴み、小脇に挟む。

 丁度目線を寄越した長老に白い少女を見せ、戻してくることを身振りで伝えると、追い払う仕草を返された。鬼は内心、サボる口実が出来たことを密かに喜んだ。


「お姫様抱っこを所望するわ」


「何様だお前」


「お姫様よ」


「投げるぞ」


「冗談よ」


「そうか。俺は本気だ」


「鬼の所業ね」


「鬼だからな」


 燃え盛る焦土を背後に、少女を抱えた鬼は河原に向かう。

 炎の轟音と亡者の悲鳴が遠退き、河のせせらぎが微かに聞こえて来たところで、鬼は尋ねた。


「なにしにあんなところにいた」


「退屈しのぎに天国巡りをしていたら、たまたま面会になっていたわ」


「なんだそりゃ」


「さっき鬼さんが粉々にしちゃった亡者さん。私の生前の父親よ」


「お前の父親は随分とろくでなしだったんだな」


 現在鬼が働いている地獄は現世において暴力や窃盗の常習犯が落ちる地獄だ。再三処罰されても生涯己の行動を省みない者たちはこうして死後報いを受ける。

 そこに落ちてくるということは生前ろくでもない人間だったことは容易に想像できたので、鬼は厳しくも事実である評価を彼女の元父親に下した。


「えぇ。本当に、死んだ先でも相変わらず酷い父親だったわ。死後に会ったのは初めてだったはずなのに、私を遠目に見た途端何度も駆け寄ろうとするの。一応は父親だったのだし、一言二言ぐらいお話しようかと思ったから待ってたの」


「お前が駆け寄ってやれよ」


「嫌よ。巻き添えになったら汚れちゃうわ」


「お前も大概だな」


「あら。私だって元父が何度も捕まって鬼さん達にゴミ屑のようにぐちゃぐちゃになっていくのを何も感じずに見ていたわけじゃないわ」


「塵芥を見るように見ていたんだな」


 ろくでなしだったとは言え生前の父親をここまで扱き下ろす子供も珍しい。

 彼女にここまで言わしめるほどの事を、生前に彼はしでかしているのだろうと、鬼は勝手に想像した。


「それでも最後の最後に、鬼さん達の目を掻い潜って足元まで来れたのよ。なんて執念かしらね。我が父ながら感服するわ」


「何か喋っていたか?」


「えぇ。なんて言ってたと思う?」


「さぁな。謝罪でもしたか?」


「謝罪だったらちょっとは許せたかもしれないわね。でも残念。正解は『おれとかわれ』よ。救いようがないわね。本当に。早々に死んでよかったと心から思ったわ。一張羅に煤の手形まで付けちゃって、もう二度と会ってあげないんだから」


「普通はほいほい面会に来るようなところじゃねぇよ」


 河原に着いた鬼は、小脇に抱えた荷物を落とす。

 石くれの上に受け身も取れず落とされた少女は「虐待よ!」と叫ぶが、鬼は無視して河原にいる子供らの違和感を見つめる。

 時間外のため、河原の亡者たちは休憩中だ。休憩と言っても彼らに休息を楽しむ心は無い。ただ漠然と河の流れを眺めているだけだ。鬼も少女も、彼らが何を考えているのかわからない。


「……減ったな」


「十人ぐらい減ったかしら?」


 そんな子供らの数が確実に減っていた。

 河原で石を積む亡者はそうそう多くは無い。三桁に届いた時代もあったらしいが、今はどんなに忙しくともその半分程度だ。ある程度数が減れば、数に頓着しない鬼でも気づく。


「運が無かったな。大方、地蔵菩薩が来て転生させたんだろう」


 賽の河原には、不定期で地蔵菩薩が現れ、刑期を終えた子供の亡者を地獄から救い出して転生させる。それは子供らがこの地獄から抜けるための唯一の手段であるため、この時ばかりは亡者の目にも希望が宿る。


 暗黙の了解として、それは大抵獄卒のいない間に行われる。

 


「いいえ。私は運がいいわ。まだ天国にいられるんだもの」


「あの惨状を見てまだ言うか」


「どう思うかなんて私の勝手よ。ここは天国よ」


「ここは地獄だ。俺は戻る」


 今度は河原を背に、燃え盛る炎が待つ焦土に向かう。

 少しゆっくり歩こう。あの虚無の時間を短くするために。


「鬼さん鬼さん」


「なんだ?」




「助けてくれてありがとう」




 少女が作ったのは、地獄には不釣り合いなほどに曇りの無い言葉だった。

 皮肉や揶揄ではない、純粋な感謝。

 罵詈雑言の言葉を聞き慣れた鬼にとって、生れて初めて受け取った言葉はどこか、地獄に存在しない晴れやかな空のような印象を受けた。


「おう」


 そっけなく返せただろうか。

 内心の動揺を出来るだけ悟られぬよう、武骨で無難に返事を返す。

 ゆっくり戻ろうと考えたのは何だったのか、今は早くこの場を去りたい心持だった。俗に言う照れ隠しだった、と鬼は後になって思う。





 早足で去って行く鬼を見送る。


 本当に変わった鬼だと少女は思う。

 今までに関わってきた鬼の中では鬼らしくもなく、随分と人に近しいと感性を持っていると感じた。


「とても珍しい鬼さんよね。あなたもそう思わない?」


「…………」


 唐突に話題を振られた子供の亡者は、少女の言葉など届いていないかのように反応を示さない。もしかしたら本当に聞こえていないのかもしれない。


 まずこの地獄で普通に会話成立している時点でだいぶ珍しい。


 これまでに河原を担当していた獄卒は、話しかけても支離滅裂な事しか言わなかったり、機械のように同じ言葉を繰り返していたり、そもそも会話に応じないなど、そもそも『はい』か『いいえ』の回答を得られることが稀なほどに会話の成立しない生き物だった。


 それがあの鬼はどうだろう。少女の振った話に『はい』『いいえ』で答えるだけでなく皮肉を交えたり、偶に鬼の方から話題を振ってきたりする。

 始めてあの鬼に会ったとき、少女は長年望んだ話し相手を得ることが出来て静かに歓喜したものだ。


 そしてあの照れ染みた行動だ。本人、否、本鬼は隠していたつもりだろうが、彼女から見れば大変わかりやすい。

 情緒を求めるな、と言っていた割には実に感情豊かである。


 とてもからかい甲斐のありそうな鬼だ。等と少女は思っているが、本心では嫌われたくないため、露骨にそのようにはしていない。

 感謝の言葉も本心だ。

 鬼が面白い反応を示したのはただの偶然だった。


 あの鬼がこの河原を担当してから灰色の天国生活にも色が出てきて、少女はご機嫌だった。


 しかしこの幸せを分かち合える者がこの河原にはいない。

 ので河沿いを散歩していた。今の自分なら、もっと幸福を重ねてくれる誰かに出会えると、何となく思っていた。

 単に浮かれているだけなのかもしれない。


「あら?」



 妙な生き物を見つけるまでは。


 そいつの第一印象は汚物だ。

 糞を全身に浴びたような酷い臭い。

 身長は少女の鳩尾より少し高いくらい。

 全身が浅黒く、暗緑色のカビが斑点となって至る所に浮き出ている。

 目はくぼんで眼球が飛び出ているように見え、頭蓋骨に薄い皮が貼られているような顔だ。

 手足は細く、軽く力を入れれば枯れ枝のように折れてしまいそうなのに、腹はその四肢に不釣り合いなほど大きく膨れ、まるで爆発寸前の水風船のようだった。


 餓鬼、と呼ばれる地獄の生き物。

 主に食物の略奪・独占に関する罪を犯した者たちが、刑罰として転生させられる醜悪な化物だ。


「……ア゛アア゛」


 見た目も酷ければ声も酷い。

 刃こぼれだらけの裁ちばさみで布を引き千切る音の中に黒板に爪を立てた音が途切れ途切れに混じるのだ。


 さしもの少女も薄い笑みが消える。

 出会って数秒でこの生き物と関わることを拒絶していた。


 気分が乗ってしまったのか、気付かぬうちに賽の河原とは別の区画に入ってしまったらしい。

 ご機嫌だった気分は一気に落ち着いてしまった少女は、この生物を見なかったことにして賽の河原に戻ることを決めた。


 しかし数歩で歩を止めてしまう。


「今日はよく服を汚される日だわ。離していただけないかしら」


 餓鬼が、装束の袖を掴んでいた。

 汚物で汚れた手で掴んだために、彼女の装束にはまた新たな手形が付いてしまう。

 軽い吐き気を覚えつつ、少女は乱暴に腕を払う。

 枯れ枝の腕は力がないのか、あっさりと手が離れた。


「オオ、マ゛え。ぉマエ゛のセイデ!」


「気に障ったのなら謝るわ。でも私の服を汚したのだからお相子ということにしましょう。さようなら」


 言葉を話すらしいが、餓鬼を話し相手にしたくない少女は早口にそう言って距離を取ろうとする。



「ヤク゛タタズ!」



 その一言にふと引っ掛かりを覚え、少女は再び足を止めた。

 曇天を見上げ、たっぷり数秒間思考を巡らせた後、正視を避けていた餓鬼の目を見る。


「もしかしなくても、元母親かしら」



 生前に散々言われた文句を思い返し、懐かしさと嫌悪を覚えつつ問うた矢先。

 荒ぶる餓鬼は鼻息を荒くし、その問いに首肯した。




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