表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/12

2.鬼は己も異質と知る


「おぉ。戻ったかぁ」


 賽の河原で六時間ほど塔を崩した鬼は長老のいるところへと戻っていた。


「はい。戻りました。なんですかあの子供は」


「変わっとるだろう」


 獄卒の長老は咽たような笑い声をあげる。

 『あの子供』だけでどの亡者かがわかるあたり、長老は白い少女の存在を認知していたらしい。


「変わっているどころじゃないでしょう。閻魔様は把握しているのですか」


 彼女の在り方は異質だった。

 亡者は喜怒哀楽の内、哀しみしか持つことが許されず、他の感情は死んだ直後に削られてししまう。

 さらに地獄の秩序を保つため、亡者の行動には強い制限がかけられているはずなのだ。

 この世で輪廻を巡る魂ならば、その縛りに例外は無い。


 それなのに白い子供は笑みを浮かべ、石積みの刑に縛られることなく歩き回った挙句獄卒の真似事などやっていた。


 地獄とはその荒々しさとは裏腹に繊細な場であるのだ。一度秩序が乱れれば現世や極楽浄土への影響は計り知れない。


 故に亡者は生前の後悔と罪の懺悔を背負い、地獄の在り方に従順でなくてはならず、彼女のような異質は地獄の最高責任管たる閻魔王が許すはずがない。


「閻魔王は知っとる。そのうえで放置しとる」


「何故ですか」


「別段、なにが変わるわけでもねぇからだな。あの子供さ一人でこの地獄を乱すほどの力は無し。あの河原に居る限りあの子供は非力な亡者の一人よ」


「では、このまま現状維持なんですか」


「そうなるな。まぁあれがいると河原に派遣してる獄卒どもが心持長持ちするってのもあるし、あそこまで異質かつ無害な例外もそうそういねぇ」


「……わざと俺に、会わせたんですね」


 乾いた咳にも似た音が長老から鳴る。どうやら笑っているようだ。


「わりぃわりぃ。察しのいい後輩で俺ぁ嬉しいね。おめぇさんにゃいろんな経験積んでおかせようと思ってよ」


「俺は役立たずでしょう」


「そう捻くれるな。確かに獄卒としては随分と非力だし、よく怠けてんのぁ見てっけどよ。俺ぁおめぇさんを買ってるんだぜ」


「買ってる割には随分な言いようですね」


「あぁ攻めてるわけじゃぁねぇんだ。俺ぁ昔っから本音しか言えなくてよぉ。しかし嘘つきは地獄に落ちるっつうが、地獄の獄卒ぁ嘘が吐けねぇってのは面白い話だよなぁ」


 ケヒケヒ。と笑う、ご機嫌な様子の長老を見て、鬼はふと思う。


 ——今日はやけに地獄で笑うやつを見るな。


 本日二人目ではあるが、案外地獄で笑みを浮かべる輩は珍しくもないのかもしれない。というか拷問している獄卒達はみんな笑顔だ。珍しい物でもなかったと考え直した。



「だからよぉ。買ってるって話も本音だぜ。おめぇさんは獄卒の在り方を嫌ってるわりにゃ割り切ってる。身の程を弁えてる。賢いこった。それが出来ずに消されてった獄卒もいた」


 鬼は少し驚いた。

 自分以外にも獄卒の義務を嫌悪した者が居たのかと。

 そしてこの長老が自分を随分観察しているらしいことを。


「俺ぁなんだかんだ長生きでよぉ。おめぇさんみてぇなちっとばかし個性的な獄卒っつうのはそこそこの頻度で見てんだよ。つぅか見つけやすいんだ。生まれたばかりの獄卒どもはどいつもこいつも似たような詰まらねぇ面引っ提げて、やれ拷問だ下層行きだ。異口同音に同じことばっか言いやがる。それを言わねぇ奴らは大体、大事なモンを持ってねぇか獄卒の在り方を拒否した異端児どもだ」


「そいつらは今何処にいるんですか」


「おめぇさん以外全員消えた。この間消えた河原のやつは欲求が欠けた一人だったなぁ。職務を放棄したやつは地獄の炎が食っちまう。長生きすんのは多少なり頭の使えるやつだけだ。俺ぁみてぇにな」


 なるほど。と鬼は思う。

 この長老は自称だが千年生きているらしい。真偽は定かではないが、長生き相応に経験も知識も豊富だ。それに裏付けられた観察眼も持っている。故に上層の獄卒達を管理出来る権限が与えられているのだろう。

 日々生まれてくる獄卒達を振り分けるのが彼の獄卒としての仕事なのだ。

 獄卒として相応しくなく、短命で終わってしまう者を河原へ。

 獄卒として望ましく、活躍を期待できるものを下へ。


 賽の河原に行った獄卒が短命な理由もここにある。

 河原に行くから短命なのではなく、短命だから河原に行かせられるのだ。

 無能な者が河原に行く、というのはあながち間違っているわけではなかったらしい。


「俺は、長生きするのだろうか」


「長生きするだろうよ。おら働け若造。炎に食われるぞ」


 早く働けと、炎が鬼を舐める。長老に炎が向かないのだから、この炎は若干の意思を持っているようだ。

 仕事熱心な炎に鬼は嫌気がさす。


「俺達は随分と厳重に監視されるんですね」


 まるで亡者みたいだ。と鬼は去り際に悪態じみたことを呟いた。



「ったりめぇだ。いつだって地獄の秩序を乱すのは獄卒共だからな」


 地獄耳でそれを拾い上げ、長老はそう答えた。

 鬼は振り返ったが、炎が壁となり追及は出来そうになかった。





 近頃の獄卒は優秀で、短命になりそうな者がなかなか現れないのだそうだ。

 なし崩し的に、鬼はしばらくの間賽の河原と地獄上層部を行き来することとなった。

 それぞれの場所を休憩もなく六時間毎に往復する。現世の人間にとってはかなりの重労働だが、二十四時間三百六十五日文字通り不眠不休で拷問に勤しむ獄卒の体で生まれた鬼にとってはさして苦痛ではない。

 むしろ、拷問を楽しむ同族を見ているより、河を見ているほうが幾分楽に感じられた。


 地獄上層部で六時間拷問を見守り、河原に行く僅かな時間に、獄卒が地獄を乱すとはどういうことか、長老に聞きに行こうとしたが、新しく生まれた新米獄卒に活を入れているところだった。

 どうも長老に対して反抗的な獄卒が居たらしく、長老は甚く不機嫌だ。

 鬼と同時期に生まれた獄卒にも随分と反抗的な個体が居たので、きっと一定の割合でああいった個体も生まれてくるのだろうと鬼は思考した。


 巻き込まれるのはごめん被るので、鬼はひそひそと河原に向かった。


 河原は相も変わらず悲しい静けさに包まれていた。

 何もかもが灰色の場所だ。

 獄卒である鬼が姿を現せば、灰色の子供らはのろのろと石積みを始める。

 子供らはまた、灰色の罰を贖いはじめる。


「こんばんわ鬼さん。お勤めご苦労様ね」


 ただ一人。

 白い少女は灰色の全てを無視して薄ら笑う。


「石を積め小娘」


「あら冷たい。可愛い娘が日々の労働を労ってご挨拶したのに、そんなこと言うのかしら」


「小生意気な娘の間違いだろう」


「可愛い評価ね。初めて言われたわ」


 クスクスと笑う。

 彼女の声はよく通る。

 それはこの場所が静か過ぎるからだろう。


 鬼はこの白い異質な笑みが、少しだけ灰色に色を加えたような気がした。


 異質な亡者だとわかっていても、鬼はぽつりと疑問を漏らす。


「……お前はなんで笑っていられるんだ」


「あら不思議なことを聞くのね」


「俺はお前の存在自体が不思議だよ」


「だってここが天国なんだもの」


「……何を言い出すかと思えば。ここは賽の河原っつう地獄だ。滅多なこと言うな」


「じゃあここは賽の河原っていう天国なのよ」


「何を根拠に……」


「お腹も減らないし、寒くも熱くもない、傷だってすぐ治るわ。石積みはあるけど休憩もある。ここには苦痛がないの。ずっと居ていたいくらいなのだから、ここは私にとって天国なのよ。天国にいるのだから私はこれ以上に無く幸せだわ。自然と笑っちゃうくらいにね」


 そう言って笑った彼女の薄い笑みは、どことなく歪んで見えた。

 鬼は彼女の言を理解できない。天国という場所がどういった所なのか、鬼は知らない。

 だけれど、彼女の言葉は間違っていることは断言出来る。

 ここは天国などといった高尚な場ではなく、まごうことなき地獄である。



「……お前は随分と歪んでいる」


「そうかしら? そうかもしれないわね。それも初めて言われたわ」


「お前の周りは随分と無口なんだな」


「誰も興味を持ってくれないのだもの。言われようがないわ。だから鬼さんはとてもおしゃべりな鬼さんね」


 普通の獄卒は例え異質であったとしても亡者と会話などしない。ましてや亡者同士でも会話は出来ないだろう。亡者にはそういった意思も剥奪されているはずなのだから。

 獄卒と亡者の関係は、ただ蹂躙する側とされる側である。雑談に興じ、馴れ合う間柄になるはずがない。


 眉間に皺を寄せ強面を顰める鬼に、白い少女は「おかしな顔ね。初めて見たわ」と笑う。



 恐らく前例のない獄卒と亡者のおかしな関係。

 亡者との会話に応じた鬼自身も、この地獄の中ではやはり異質な者であった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ