8話 「ルナの力」
何故此処にいるのか。その男性の名前を聞いて、真っ先に思ったのはそれだった。
ファルベの持つ依頼書には城下町の一角の住所が書かれていた。そしてここは城下町から離れた位置にある。ここも青年の自宅も共にギルドから近い場所ではあるのだが、その方向は全くの逆だ。
つまり、この青年は城下町の自宅から郊外まで出かけてきているわけだ。
それ自体がおかしいというわけではないが、気になるのはそのタイミングだ。
彼の自宅とされている住所からギルドまで、馬車で一時間ほど。ギルドから中心街を通ってこの郊外の村まで一時間ほど。
仮につい先ほどここに来たのであれば、逆算して考えると、この青年が自宅から出発したのは、ルナが中心街で一時間ほど滞在している時で、ファルベがギルドから出立し丁度彼の自宅へ着く頃、ということになる。
つまり、彼はファルベと行き違いする形で自宅から出発しているというわけだ。
それはあまりに都合が良すぎるというか、まるでファルベが自宅に向かっているのを知っていたかのようだ。
だが今の推測はあくまでさっき到着した場合、という仮定に基づいたものであり、事前に来ていたのであればその限りではない。昨日か、その前から泊まり込みでここまで来ていたとしたら単に依頼書の内容に不備があったということになるが――
ルナがそこまで思考をまとめたところで、
「あの、すみません。どうか致しましたか?」
青年――アソルブから声をかけられる。彼の顔には不安そうな表情が浮かんでいた。
「い、いえ。なんでもないです」
「そうですか。急に黙り込んでしまったので、また私が何か失礼をしてしまったのではないかと……」
依頼の対象がこの場にいることに動揺していたことと、それに整合性のある理由を見つけるために思考していたことがアソルブの心配を招いたようだ。
「ちょっと、考え事があっただけですよ。あなたが悪いわけではないです」
「それは良かった。ところで、その考え事というのをお聞かせ願えませんか? 私が失礼してしまったお詫びに、悩みがあるなら共に悩ませてください。それであなたの為になるのであれば本望です!」
やたらルナに対して熱のこもった発言をするアソルブは体を前のめりにして顔を近づける。
言葉の丁寧さに反して何故か積極的な彼に少し引きつつ、
「そうですね…なら一つ聞きたいことがあるんですけど」
「ぜひ! なんでもお聞きください!」
「あなたがここに着いたのはルナとぶつかった時…ついさっきのことですか?」
「はい。そうですが」
何故そんなことを?と言わんばかりの返答をする。
しかし、その答えはルナにとっては仮説の証明になった。
今の発言によって事前に来ていたという線はなくなり、つまりは都合よくファルベと行き違いになるように家を出発したことが確定した。
これで大きな問題が発生した。
ルナの師匠ことファルベはあれで多忙な身の上だ。それもそのはず、冒険者はその役割の重要さから地位と名誉が他の職業より比較的に高くなっている。それを悪用して私利私欲のため動く人間は少なくなく、全国各地に存在している。
ファルベはそんな人間達を捕える職業に就いているため、必然的に休みはなくなり、毎日のように国から届く依頼を解決しなくてはいけない。
それをサポートするため、ギルドが彼のスケジュールをきっちり管理している。つまり、今日を逃せば、明日には明日で別の依頼があり、その次の日はその次の日で依頼が既に予定に組み込まれている。そうして先延ばしにされていくと最終的にもう一度この依頼を行うのが数ヶ月後という形になりかねない。
だから、今ここでルナが知るべき情報は、
「あなたはいつまでここに滞在する予定ですか?」
「あはは、その質問は二つ目ですよ。まあ私は全然構いませんが。それで質問の答えですが、明日の夜まで、ですね」
ルナの知る限り最悪の答えが返ってきた。アソルブが今日中に帰らないとなれば、それを知らないファルベは依頼を一度中断し、次に空きができるまで先延ばしにする可能性が高くなってしまった。
となると今すぐファルベに報告すべきではあるが、彼と会う為には馬車を使って二時間かけて向かわなければならない。
一応遠距離でも連絡する手段はあるが、それに必要な道具は今ルナの手持ちにない。
何より、ここでアソルブから目を離して同行が追えなくなると、連絡ができたとして意味はない。
自宅とされている場所にはおらず、予期せぬ外泊を行うアソルブを偶然発見したこの機会を逃すわけにはいかない。
――ルナは、ファルベから固く言いつけられている「冒険者狩り」としての活動禁止を破る覚悟を決めた。
「なんでこんなところで滞在を?こう言っては失礼ですけど観光地でもないですし、ご自宅の近くの方がよほど遊べるでしょう」
「まがりなりにも城下町ですからね。家の方が周りにいろいろあるのはそうなんですが、たまにはこうして静かな場所でゆっくり過ごすのもいいかなと…」
「違いますよね?」
先ほどまでの雰囲気とは打って変わって、鋭く問い詰めるような話し方になったルナに驚くような目を向ける。
ただ、その表情も一瞬ですぐににこやかな笑顔に戻る。
「はい? なんのことですか?私は嘘なんて言ってませんよ。やっぱり普段から人が多い場所にいると、長閑なところに行きたくなるものですよ」
「本当にそうですか?もしかして、誰かから逃げている、とか」
「急にどうしたんですか? 何故急にそんなことを言いはじめたのか、学の浅い私には理解が追いつかないのですが」
とても落ち着いた様子で話すところは本当に理解できず混乱しているようである。
だが、ルナとて何の根拠もなしにこんな発言をしているわけではない。というか、これは鎌をかけているわけではなく、
「そうですか。それにしても――ルナがあなたの自宅の場所を知っていることに驚いていないようでしたけど」
「……ッ!」
既に鎌はかけ終えていた、ということだ。
「普通に考えれば、ついさっき偶然会った他人が自分の住所を知っているような話し方してたなら、少なくともルナは驚くと思うんですよね」
当然といえば当然の主張だ。
例えば、道端で通りすがった人間がいきなり「あなたのお宅って、都会にあるから遊べる場所いっぱいありますよね」なんて言われて欠片も動じないとしたらそれはむしろおかしいだろう。どう考えても恐怖の対象でしかない。
だというのに、アソルブはそれを聞いても普通に会話を続けていた。
よほど精神的に強いのか、それとも知られていることを知っていたのか。
そのどちらであるかなど容易に知れようというものだ。
「……はあ。よりにもよって、私がそんな簡単なヘマをするなんて。子供だからと油断しすぎましたか」
もはや言い逃れは不可能と判断したのか、しかしそれでも尚落ち着いた口調は崩さず、ひとりごちる。
「それで? 私が『冒険者狩り』から逃げているとして、どうするつもりですか?まさかあなたが私を捕まえようだなんて言わないですよね」
「あなたの返答次第、と言っておきます」
「ほお」
余裕綽綽といった風な態度は変わらず、どこか煽るような口調で話すが、それを流すルナ。
「私になにが聞きたいんですか? 言える範囲だけですがなるべく答えますよ?」
「あなたは周囲の人間から魔力を吸い取って、多大な被害が出ているのはご存知ですよね。当事者ですし。聞きたいことって言われるとなんでそんなことをするのかですよ」
「あなたの質問に答える前に、先に訂正させてもらいますが、多大な被害という程ではありませんよ。私は自分のスキルを数人にしか行使していません。そして、質問への回答をするなら理由はひとつだけです」
そう言って、じっくりとルナを見つめてから、
「私は小さな女の子が好きだからです」
「はい? ルナの質問と噛み合ってないですよね、それ。意味がつながらないんですけど」
ルナの今の心情を簡潔に表すなら、何言ってんだこいつ、が一番適切であるがそれを何重ものオブラートに包んでなんとか会話を続ける。
「さっき私はスキルを数人にしか使っていないと言いましたが、その数人というのは全て幼き女性というわけです」
それから言葉を繋げて、
「そして、あなたはもう知っておられるので言いますが、私はスキルで他人から魔力を徴収できます。それをされた人間がどうなるかわかりますか? 盗られた魔力量に応じて衰弱するんですよ。私は女の子のその様子を見るのがとても、とても大好きなんですよ!」
――絶句。ルナはまさにその状態で、なにも言葉を発せずにいた。
そんな理由で、それだけの利己的な理由のみで、少女達へ危害を加えたのか。
彼にとってはそれで道理が通っているつもりなのだろうか。
「その子達は、どうなったんですか。もしかして死……」
「私が女の子を死なせるなんてとんでもない!そんなことをするはずがないですよ。だって、殺してしまったら、それ以上弱々しく震えた声で私に助けを乞う、その様が見られないじゃないですか!やはり活かせ続けて何度も、何度も使わないと!」
もはや、聞きたくもない弁明を熱く語っている彼に向ける視線は、軽蔑を超えた何かになっていた。
「……もういいです。あなたのその様子から見て反省するつもりもないようですね」
「反省? 反省すべきことなどないでしょう。あ、それからあなたとぶつかったのも偶然じゃないんですよ。いや、出会ったのは偶然なんですがぶつかったのは故意です。その理由ももうお分かりかと思いますが」
「知りたくもないですし、知る必要ないですよね」
彼は恐らく、ルナも標的にしていたのだろう。ルナの年齢は丁度十歳。彼の言う、「小さな女の子」に十分当てはまる。
「優しい男性を演じると、年端の行かない女の子達は疑問もなく着いてきましてね、私の家に招いてから本来の性格を見せると恐怖から反射的にスキルを使うんですが、その際に魔力を吸い取ってしまえばお終いですよね!」
ルナの言葉など聞いていないのか、自分の性癖語りに夢中になっている彼の言葉にはとてつもない熱がこもっている。
「もういいって言いましたよね。これ以上聞いていると、頭がおかしくなりそうです」
言いつつ、ルナはその台詞にひとつだけ納得のいったことがあった。それは彼のスキルの条件だ。
彼は、「スキルを使ったときに魔力を吸い取る」と話していたが、ルナは少し前にそれと同じことを聞いていた。
『恐らく、こいつのスキルの条件は――』
ギルドにて聞いた、その言葉を思い出す。
『相手がスキルを使った瞬間にしか発動できない、だろう。そもそも、スキルは人の体内にある魔力に指向性を与えて、本来空気と同じように漂うだけの物質が世界に干渉できるようになる現象のことなんだ』
『つまり、スキルという超常現象に変換される前は、ただの魔力っていうエネルギーに過ぎない。その瞬間を狙って人から奪っているんだろう。スキルを使う瞬間だけってのは、魔力吸収って強力なものならそれぐらいの制限は最低でもありそうっていうただの予想だけどな』
結果から言うと、ファルベの言っていたことは的中していたわけだ。
だから、ルナは納得がいくところがあったのだ。
ただ、それで彼の気持ち悪い暴露話が軽減されるわけでもなく、
「ししょーが説得に難儀するのがわかった気がします……。こんな人たちが相手だったら」
ファルベはいつもなるべく話し合って自首するように促そうとするのだが、それが成功した試しはほぼほぼない。その理由をルナは今体感した。したくはなかったが。
「やっぱり、実力行使しかなさそうですね」
「実力行使ですか。いいですよ。あなたがスキル使うなら私にとっても好都合ですよ! それとももしかして、スキルを使わず捕えるつもりですか?そんな細腕で」
確かに、成人男性と少女では腕力での差が激しすぎる。だから当然、そんなことはしない。
「スキルなんて使いませんし、使えません。ですからルナが使うのは――」
そう言って、ルナは一度、腕を振る。ただ、それだけのことだ。それだけのことで、
「――ただの魔力ですよ」
直後、ルナの目の前にある土地も物質も、すべてが押しつぶされ、崩壊する。
それに直撃したアソルブという男も当然無事でいるはずがなく、全身で血を吹き出しながら吹き飛んでいった。