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6話 「錯誤の利用法」

 ファルベの右腕が、外套ごと削がれるように消失した直後、彼の掴んでいた長剣が支えを失い、甲高い金属音を立てて地に落ちた。鋭い刃先が地面に突き刺さり、短く生えた草花を地面ごと軽く抉る。

 だが、ファルベは腕が消えた現象を無感情に眺めて、


「ふぅ……これはちょっと想定外、だな」


「今更強がらなくても良いんだぜえ? 右腕吹っ飛んで、泣きたくなるほど痛えんだろ? いいんだぜ?泣いても。泣き喚いて無様なてめえをボコボコにしてぶっ殺してやっからよお!」


 肩から噴いた赤色の液体が全身に飛散し、焦げ茶で無地の外套に斑点模様が描かれたファルベと見比べて、圧倒的な優位性を得たと確信した男は大声で挑発する。

 そんな中で、


「ししょー」


 一つの声がした。それはファルベから近い位置にいる少女から発せられたもので、


「早く、終わらせてくださいね」


「分かってるよ……あと、少しだ」


 彼女のその言葉にファルベは不敵な笑いで応じる。

 そんな彼らのやりとりを、挑発のように受け取ったのか、相対する大男が、


「なァにを! ごちゃごちゃ言ってやがる! あと少しだァ!?何があと少しなんだよぉ!」


 怒気を孕んだ荒々しい言葉とともに、再度肥大化した腕を振り下ろす。その巨大さに似合わぬスピードで上から叩き潰そうと迫ってくる拳をファルベは体を軽く傾けることで避ける。

 目標に当たらなかったそれはただひたすらに風切り音を鳴らし空を切るだけに留まり、莫大なエネルギーを空中で散らす――筈が。


「う……らァ!」


 空ぶった腕のスピードはそのままに振り切って、地面へ叩きつける。ただの一振りで人を殺害できるほどに高まった威力の拳は、叩きつけた地面すら突き破って大穴を開ける。

 一人の人間が片腕のみで地面にクレーターを作る異様な光景は、しかしそれでもファルベという人間を止めることは叶わない。

 拳から発せられる衝撃が地面を伝わってファルベの体へ到達する前にその体躯を空中へ躍らせる。そして大穴のできる一部始終を空中で見つつ相対する男の元に向かう。


 それに気づいた男は片腕を地面に突き刺したまま支えとし倒立するように体を逆さにする。更に、


「筋肉の強化が、一箇所だけだって…誰が言ったァ!」


 縦に回転する男の脚が丁度、頂点にまで達するというところで、回る右足が急速な膨張を始める。もちろん、右腕の肥大化は今も保ったままで。

 ほんの一瞬で変貌を遂げた脚が、彼に向かって跳ぶファルベの頭にかかとから振り下ろされる。


「ハッ……!」


 目の前に来る男のかかとが直撃し、ファルベの決して大きくない頭部をひしゃげさせ、無惨な形に変貌させる、その寸前。彼は空中で強引に姿勢を制御し、人間離れした動きで全身を捻るように旋回させる。


 元から触れられると致死は免れない上に、回転の慣性も加わり恐ろしい威力を秘めた丸太のような脚がファルベの外套をほんの少しだけ掠めて通り過ぎる。


 しかし、そのかかと落としによって発生した強力な風圧がファルベの古びた外套を荒ぶらせる。まるで前に壁でも作られたように感じるほどの風圧を意に介せず跳ぶファルベだが、彼の頭の被さったフードはその圧力に耐えきれず、彼の顔を覆うという役目を放棄する。


 艶やかな黒髪が酷く乱れているが、その髪色と同じ漆黒の瞳はまるで風圧の影響を感じさせないほど真っすぐに相手を捉えている。

 そして、彼の口元には確かな笑みが刻まれていた。獰猛、という言葉で表すことが適切であると言いたくなるような、その笑みが。


 大男のかかと落としで再び地面に広がる衝撃波。そして、直後に訪れる地表の崩壊。

 それら全ての事象が収まった後、最早原型すら留めていない大地にトン、とほとんど音を立てずに着地すると――



 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 *



 その瞬間が訪れたとき、男――ゲインという名の冒険者の思考は無理解の海に沈んだ。

 左脚に力が入らず、そこから崩れ落ちるように体が倒れる。その先に、フードの剥がれた少年の姿があった。

 彼は得物を振り切った体勢から、体を戻し剣を構え直していた。


 再びその刃が振られる前になんとか妨害したいが、左脚がほとんど動かせないこの状況では厳しい。回避も同様だ。

 ならば、防ぐ手段を用意しなくてはいけない。未だスキルの効果が残っている右腕を持ち上げ、少年によって振られる得物の進行方向へ割り込ませる――


「……ぁ」


 けれど、遅かった。少年から放たれた鈍色の光は宙に綺麗な弧を描いてゲインの左腕に、スキルの恩恵を受けていない部位へ的確に、正確に吸い込まれていく。

 左腕から鮮血が吹き出し、力が入らなくなる。こちらもまた、腱を断ち切られたようだ。


「はぁ……はぁ……」


 血が流れていく。息が切れる。止まることのない痛みが全身を貫く。段々と視界がぼやけていっているような気さえする。

 気づくと、右手脚の隆起していた筋肉が徐々に縮んでいくのが見えた。左手脚の痛覚に耐えることに集中するあまり、自身のスキルを持続させることができなくなったためだ。


「必要ないとは思うけど、一応。抵抗されるのも面倒だしな」


 その言葉が聞こえた後に、彼の長剣が閃き右側の手脚に綺麗な断面を刻みこむ。

 支えとなるものを全て失ったゲインの体は、その重さに耐えきれずに地に伏した。


 両の手脚は最早動かず、地面に近くなった視線を上げて相対する少年を睨みつけるしか出来ない。


「なんで……」


「ん……ああ、これのことか?」


 言って、少年は自分の右腕を軽く持ち上げる。


 そうだ。少年の右腕は確かに消失していた。ゲインの持つスキル「筋力増加」により人ならざる膂力を獲得した拳で地面を砕いた際に、飛散した瓦礫の数々が少年の右腕を跡形もなく吹き飛ばした筈だ。

 だけど、今この状況は右手で振られた一振りの長剣によってもたらされたものなのだ。

 何故だ?理解ができない。

 そんなゲインの疑問は、


「勘違いだよ。誤認、若しくは錯誤って言ってもいいな。ともかく、俺の腕は最初から消えてなんかない」


 直後の少年の言葉によって解消される。

 だが、確かにゲインは見た。少年が肩から大量の赤い液体を噴出させながら長剣を握る腕が消えてなくなる、その現象を。

 それが見間違いでも、勘違いでもないことは少年の外套に付着している赤色の斑点模様が証明している。


「勘違いなんかじゃねえ……じゃねえとその血は一体…」


「血? いや、血に見えて当然だな。でもこいつは――」


 少年が自分の体に視線を移してその斑点を見ながら応える。


 今も存在し続けるその模様は、彼の言葉が聞こえた直後に、姿を消滅する。否、正確に言えば消滅したのではない。ただ液体の色が消えただけだ。少年の外套にはいくつもの水滴が付着した痕跡が残っている。

 さっきまでと違うのは本当にそこだけだ。赤色の液体が無色透明の液体になって、それはまるで――


「――()()()()()()


 少年はゲインが到達しかけた事実を口にする。


「俺が赤色を付けた水が飛んで、背景と同化するように色を付けた右腕があんたの視界から消えた。それをあんたが勝手に、右腕を吹っ飛ばし跡形もなく消したって勘違いしただけだ」


 少年は、それになと接続詞を付け加えた後に、


「もし本当に腕が吹っ飛ばされたんだとすれば血だけじゃなく肉片だって跳ぶだろうしこんな綺麗に消えるなんてことはないだろ。ついでに言えば、この剣だって瓦礫が当たってひしゃげるか、刃こぼれするかで使い物にならなくなるだろ」


 言って、自分の持っている長剣をゲインに見せつける。

 それは陽光を反射して無骨ながらも煌びやかな印象を与える。そこに目立った傷などなく、ゲインの四肢を斬り裂いた際の返り血すら付いてはいない。少年の言葉通り、ゲインの用いた岩の散弾が直撃していたのなら今この場で原型を留めているかすら怪しい。


 つまりは全てゲインという男の慢心によって起きた錯誤。自身のスキルを過信してしまったことによって起きた錯誤。それにまんまと足をすくわれたということか。


「さ、種明かしも済んだわけだしそろそろ捕まえてギルドまで連行したいところだけど、何か言い残したことはあるか?」


 少年は疲れた様子もなくフードを被り直しながら、問いかける。

 四肢の腱を削がれてうつ伏せで倒れるゲインが、全ての事実を理解して最後に聞いたのは、


「てめえ……何者だ……」


 力を持って思いあがって、それが今まで打ち破られたことなどなかった。誰もが自分より非力で、無力で力不足だった。

 そんな自分を騙し欺いて、手玉にとって対処したこの少年の素性が知りたかった。


 もし、彼が自分の想像より凄い人物だったとしたら、例えば、単体で天変地異すら引き起こせるほどの力を持つと言われている上級冒険者の一人であったのなら、自分の小さなプライドはきっと壊れないでいてくれるだろうから。


「『冒険者狩り』――()()そう呼ばれてる」


 ゲインは「冒険者狩り」という名称を口の中で反芻する。それは冒険者であれば誰でもよく知っている名前で、


「ああ……そうか……」


 事の真偽などどうでも良い。自分を倒した相手は「冒険者狩り」を名乗る強者だったという事実だけで良い。



 ゲインが最後に見せた表情は目の前にいる少年にしか見えなかった。



 *



「いやぁ、終わりましたねー。ししょー」


 意識を失った大男の傷ついた手脚に応急処置を行うファルベに一人の少女が声をかける。


「何事もなくて良かった、ってところだな。ルナが声をかけてきた辺りから手を出してくるんじゃないかって思って内心ひやひやしてたんだけど」


「そんなことしないですよー。ししょーに何もするなって言われたんですから、ルナは手を出したりなんてしませんよ」


 ニコニコと嬉しそうに話すルナ。実際に彼女は嘘を言っていない。ルナはファルベが手を出すなと言えば余程の事態でない限りは絶対に手を出さない。何故なら、


「それに、ししょーの戦いを見ておかないとルナがししょーに付いてきた意味がなくなっちゃいますしね」


「そうだった。……これで良いかな」


 ファルベの応急処置は終わったようだ。と言ってもファルベは医療を行うスキルではないので、大したことはしていないのだが。せいぜい止血、消毒して包帯を巻いた程度である。


「一応、手首も縛っとくか。こいつにはそんなに意味があるとは思えないけど」


「厳重ですね。そこまで警戒しなくてもいいと思うんですけど」


 ルナは、うつ伏せで起き上がらない大男に特に関心がないのか、彼を見ることもなく呆れたように言う。


「だから、一応だって――」


 ファルベの言葉は、言い切る前に途切れる。その理由は、彼らの近くに別の人物が現れたことによるものだ。

 ガシャガシャと金属の擦れる音を立てて、近づく誰かの足音。


「これはこれはファルベ様。いつもお疲れ様です」


 分厚い鎧を着込んだ青年が、胸に手を当てて深くお辞儀する。金色の髪を揺らして顔を上げると、その端正な顔立ちが目に入る。藍色の双眸に少し焼けた肌色の顔。背中には目を疑うような巨大な剣を背負っているが、それに見合わぬ細い体格が絶妙な違和感を残す。


「あんた……騎士団の人だったっけ。こんなところまで来て何かあったのか?」


「いえ、特に何も」


 青年は当たり前のような顔で応じる。その返答に「なら本当に何で来たんだよ……」とげんなりした表情を見せるファルベ。


「ふらりとギルドに立ち寄った時にファルベ様がちょうど仕事の方へ出立した様子が見えたので、気になって付いてきた次第にございます」


「……ってことはさっきのも見てたのか」


「さっきの……と言いますと、この男との闘いのことでしょうか」


 ファルベの足元で倒れる大男を指差す。


「当然ながら拝見させて頂きましたが…もしや、手が必要でしたか?私にはあの程度のお相手でしたらファルベ様の敵ではないと判断し、お邪魔にならないよう傍観に徹していたのですが」


「そりゃ信頼のあることで。……ま、いいや。そんなことより、騎士団の人間がいるならちょうどいい。こいつも、どうせあの変態のところに送るんだろ?ギルドに持ってくのも面倒だしそっちで連れて行ってくれないか」


 青年はほんの少しだけ逡巡するもすぐに切り替えると、


「畏まりました」


 そう言って、何やら円形の小さな物体を取り出す。そして薄い蓋を上方向に開くと中には水晶がはめ込まれている。

 水晶に青年の指が触れられると、ぼんやりと青白い光を発し始める。


「聞こえますか? 私です。すぐに馬車の手配を。はい。場所?場所は、そうですね。今情報を送るのでそこに」


 言って、軽く目を瞑るとすぐに開け、円形の物体の蓋を閉じる。

 それが閉じられる寸前、発光する水晶の光が消えるのが見えた。


「さてこれで私の部下が彼の身柄を送り届けてくれるはずですので、ファルベ様。このままお帰りになられると良いでしょう。ああ、まだ他に仕事があるのでしたら……」


「いいや、今日はこれで終わりだ。俺はスキルの関係上、一回の戦闘で集中力を結構使うからな。一日にそう何人も相手にできないよ」


「そうですか。であればあと半日ほど、ゆっくりとお休みください」


 そして、再び深くお辞儀する。その姿を背にしてファルベは帰路に着く。集落の舗装されていない凸凹な道を立ち止まることなく。


「ししょー!待ってくださいよー」


 後ろから、活発な少女の声が響くと同時に足音が聞こえる。たたた、と軽快な音を立てて駆ける彼女は先を歩く少年の背中のみを見つめて追いすがる。


 そんな二人が見えなくなるまで騎士団の青年は見つめていた。見つめ続けていた。検分するように、何かを見定めるように。


 ただひたすらに。



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