19話 「一日の終わり」
森の中に、黒煙が立ち上る。長く、遠く、高く天まで伸びるそれが勝利の証だとでも言うかのように。
煙の発生源には、燃焼しきった灰が残るのみで、そこ以外には生物の気配はない――その灰を囲む二人の人影を除けば。
「これで威力が劣化してるなんて、やっぱり信じられねえな」
魔物の肉体のみならず、それがあった地面の土や周囲の木々すら先の電撃によって焼き焦がされている。
これほどの規模で力が行使できるのは、冒険者の中でも強力な方だ。それに加えて、本来の能力より五分の一程度の威力しか出ていないというのだから、恐ろしい話だ。
「私も実際、これほどの力を秘めているのは知らなかったからね。信じられないのはファルベ君と同じだよ」
シャルロットは、それほど感情が表に出ないタイプではあるが、この魔道具の威力には流石に驚きを隠せない様子で、ファルベは物珍しげに眺める。
彼女の見つめる視線、地面に向けるそれを追いかけるように、ファルベも下方へ視線を向けて――そして、あることに気づく。
「そういえば、あいつを倒した枝……いや、杖はどこにやったんだ? 使った後から見えなくなってるんだが」
眩い閃光が眼球を焼いて、暫く目の前の景色が定まらなかった状態が続き、それら全てが終わった後から、彼女の手には何も握られていなかった。
眼前の脅威を排除できた安心感で手を握る力が緩まったのかとも思ったのだが、彼女の足元には燃え滓の灰以外何も落ちていない。
「ああ。それもそうだろうね。だって、あの電撃を放ってすぐに、砕けてしまったからね」
「砕けた?」
「言っただろう? 私は付与術師に持ち込みで、それも選りすぐりの素材で作ってもらったわけじゃなく、耐久性のないもので作って貰ったんだよ? そんなものであの規模の電撃を放てば、その反動に耐え切れるわけがない」
言われてみてから、思い出す。そういえばそんなことも言っていた気がする。
「なんか、その……ごめんな」
「どうして、ファルベ君が謝るんだい? キミと一緒に戦おうとしたのは私の意思で、それに魔道具を使おうと思ったのも私の決断だ。キミに謝られるようなことは無い筈だよ」
自分と一緒になって戦ってくれたことで、貴重な攻撃手段である魔道具を失わせてしまったことに謝罪しようとしたところを、先んじて防がれてしまった。
それが彼女なりの気遣いなのか、心からの言葉であるかはわからないまでも、その言葉の中に確かな温かみを感じ、少しだけ救われたような気持ちになる。
「それで、今回の出来事について、ファルベ君はどう思う?」
「どう思うも何も、普通に夜行性の魔物が…夜行性の時点で普通じゃないが、それだけだろ?」
どうにも湿っぽくなりそうな話題から切り替え、シャルロットから問われる。
だが、質問の意図がわからないファルベは首を傾げて質問を返す。
「いいや、それだけって話ではないよ。これまで多くの冒険者がこの森へ魔物を狩りに来ているけど、さっきの魔物のような大型の種類がいたという報告はされていないんだ」
「だから、それが問題だっていうことなのか? 今までが偶然出会わなかっただけで、俺たちが不運だったってだけの可能性もあるだろ」
「ここも結構昔から探索はされていてね、ほとんど情報は出し尽くされているような場所だよ? そんな所で私達だけが偶然、事前情報のない魔物と遭遇するなんて可能性はないと言いたいところだね」
ファルベも薄々は気づいていて、信じたくはなかった話を彼女は肩を竦めて言う。
冒険者の数は今や魔物と同等、もしくはそれ以上だと言われている。そんな冒険者が幾度となく突入し、ギルドに情報提供を行なっている。
それなのに、今更未知の要素が出現するなんて普通に考えたらあり得ないだろう。
「分かった。それも含めて、有識者に話を聞きに行くよ。どうせ、報告書を出すついでだ」
「有識者? ……ああ、彼のことか。そうだね、彼なら何か知っているのかもしれない。それより、報告書なんていつ書いていたんだい?」
「今朝だよ。お前との待ち合わせまでに書いてたんだ」
「へえ、珍しい。今のキミがそんなミスをするなんてどんなことがあったか聞いてもいいかな」
「俺じゃねえよ。ルナだ、ルナ。あいつ本当に目を離したら何しでかすかわからないからな……まあ、あの一件に関していえば、俺も助けられた部分があるからあんまり強くは言えないんだけどな」
調査書にない事態で、ファルベが着く前に事を片付けていた所だけ見ると大いに助けられたとファルベ自身も自覚している。
「……ってよく考えたら、今回もまた報告書案件だろこれ! 嘘だろ……面倒臭え……」
「ははは。確かに、私達が何かミスをしたわけではないけど、予定外の事態に違いはないからね。国の方針としては、出さないといけないって結論になると思うよ」
シャルロットの無慈悲な結論にファルベは頭を抱える。
昨日といい、今日といい二日連続で報告書を書くのは初めての事象だ。
「……はあ、気が重い。あいつに会うってだけでも精神削られるってのに」
「なんなら、報告書の方は私がやっておくよ? これはそもそも私に来た依頼なんだから」
「お前も会うことになるぞ? 本当に良いのか?」
「うーん。出来れば遠慮したいのはそうなんだけど」
「だろ? 良いよ、俺がやっとく。どうせついでだって言ったろ?」
「……分かった。それなら、キミにお願いするよ」
ファルベに押し切られる形でシャルロットが先に折れた。
今回の戦いにおけるMVPにその後の処理までさせることを良しとしなかったファルベにはありがたいことだ。
「それで決まりな。じゃあ、とっとと帰ろうぜ。いつまでもこんな所でぐだぐだ喋ってても良いことはなさそうだし……寝る時間が減る」
夜の帳が下りてから、随分と時間が経ってしまった。いつもなら、明日に向けて睡眠をとっているような時間だ。
それに、夜だとはいえここは魔物の生息する森だ。出会うことはほとんどないが、例外を目の当たりにした今、長いこと森で留まるとまた襲われる危険性だってある。
「そうだね。森を抜けるまでの道は覚えているから、案内するよ」
「ああ」
シャルロットの提案に頷いて、先を歩く彼女に付いていく。
地面をも走った電撃によって、現場の付近の土は乾いてボロボロだったが、そこから離れていくほどに湿った地面が二人を歓迎する。
そこでようやく、戦いが終わったのだという実感を得る。張り詰めていた心が解れ、プレッシャーや重圧から解放される。
一歩、一歩。死を覚悟して、けれど生き残ったその足で、確かめるように歩く。
一回でも攻撃されたら終わりとか、剣の刃が通らない皮膚だとか、研ぎ澄まされた感覚器官とか。強いスキルを持たないファルベには厳しい相手だった。
それに比べて、冒険者相手なら斬れば傷つくし、怪我させれば動きが鈍る。そういう、常識が通用する。
やっぱり、慣れない仕事は引き受けないほうがいいな。そんな反省をしながら、しかし、
「でも、この達成感は、悪くないな」
ボソリと一言、そう呟いた。後悔でもなく、悔恨でもなく、自責でもない、スッキリとした微笑みで。
「うん? ファルベ君、何か言ったかい?」
「いや、何でもない。気にしないでくれ」
――何か大きな仕事を終えた後は、少しだけ気分が高揚する。それはきっと、自分に自信が持てるからだ。
ちっぽけな自分が、誰より非力で無力で、誇れる能力のない自分が、それでもやり遂げられたのだと。弱い自分を少し、ほんの少しだけ、認めてやれるからなのだと思う。
*
「ファルベ君、森を抜けるよ」
その声に前を向くと、広く地平線まで続く平原が見えた。
暗い中でも月明かりに照らされて、神秘的にすら感じる草花に挟まれた道を歩く。
疲労し切ったその足で、ゆっくりと時間をかけて歩く。どれだけ時間が経ったのか、詳しいところまではわからないが、長い長い道のりを越えて、
「戻ってきた……」
二人はようやく、城下町の門を潜る。あんまり遅い時間だった為、夜勤の門番に怪訝な目を向けられることになったが、何とか説教をくらうことなくそれを回避して城下町内部へ辿り着く。
そして、門から進んで少し歩いた所にある民家の陰から、
「おかえりなさい、ししょー。待ちくたびれましたよ」
商人たちの案内役を無事に完遂した、ルナにそう声をかけられた。
「なんだ、居たのかよ。先に帰って寝てれば良かったのに」
「ししょーが頑張ってるのに、そんな薄情なこと出来ませんよ。それに、まだあれも聞いていませんし」
「あれ……? ああ、そうか」
ルナに言われた、「あれ」を理解しようと思考を巡らせて、結局理解できなかったが、彼女の爛々と煌くその表情で気づくことができた。
「お疲れ、ルナ。頑張ったな」
言って、ルナの頭を撫でる。普段ならこんなことはほとんどしないのだが、昨日の件も労ってやってなかったので、それも含めてここで感謝を表す。
「ふへへ〜」
気の抜けた顔で、されるがまま頭を撫でられているルナはにこやかな笑顔で幸せそうな声を出す。
どうやら、ファルベに撫でられるのが嬉しいようでそれ自体悪い気はしないのだが、彼女のように取り繕うことなく素直に態度で示されると、少し照れ臭くなる。
「本当にファルベ君とルナちゃんは仲が良いね。微笑ましいよ」
更に、こうやって外から茶化されているのだから、尚更気恥ずかしい。
「そんなことどうでもいいだろ。それよりシャルロットは、家どの辺りにあるんだ?」
「何だい、ファルベ君は私の家を知ってどうしようって思っているのかな。もしかして、私に興味を示してくれたのかい? ルナちゃんだけでは飽き足らず、私までもなんて、浮気性だね」
「ちげーよ! お前の家が遠いなら送ってやろうかって思ったけど、さっきのでその気も失せたわ!」
「冗談、冗談。言われなくても分かっているさ。キミの気持ちはありがたく受け取っておくけど、その必要はないよ。私の家はここから少し遠いから、取り敢えず今日は宿を借りて泊まらせてもらうことにするからね」
冗談でよかった。やたらめったら女性に色目を使うなんて誤解をされてしまったら、素知らぬ顔で街を歩けなくなってしまう所だった。
普段から外套に付いているフードで顔を隠しているから、素知らぬ顔も何もないのだが。
「なら、これで今日は解散だね。また、私だけでは対処しづらい依頼があれば、頼らせてもらうよ」
「それはお互い様だからな。俺らも頼るときは頼らせてもらうぞ」
「ふふ、そうだね。その時は、喜んで力になるよ」
お互いが力を貸し合うという協力関係を確かめてから、別れる。
二人と一人が背を向け合って、振り返ることなく帰路についた。
そうやって、今日という一日が終わりを迎える。
少しの間、二人の少年少女の楽しげな声は聞こえたが、それもすぐに聞こえなくなり、街は完全な静寂に包まれた。




