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16話 「助ける手段」

 全身が闇夜と同じ漆黒に覆い尽くされた獣が、高く、遠く吠える。闇に紛れる色合いでありながらその姿がはっきりと見えたのは、商人の乗っていた馬車の松明が明るく照らしていたからだ。

 だが、その持ち主は巨大な獣のすぐ近くに位置しており、このまま何もしなければその命は風前の灯火なことは明白だ。


 獣は地面に突き刺した腕を、ゆっくりと持ち上げる。その下にある、原型を保っていない頭蓋だったものと、そこに溜め込まれていてしかし今は地面に赤い水溜りを作る役目しか残らない鮮血を、見せつけるように。

 グチャ、グチャリと肉塊が耳障りな音を立てて掌から落ちる。その音はまるで断末魔すらあげることを許されなかったリーダー格の男の代わりに、悲鳴をあげているかのようで。


「あいつは……魔物……なのか」


「だろうね。とはいえ、あれほど巨大な魔物は見たことがないから、信じられないのは私も同じだよ」


 普通、魔物はそれほど大きくはない。通常の動物と違って、魔力を持つことと人間へ危害を加えるというだけで、大きさの上限値としては人の身長と同じ程度がせいぜいだ。


 だというのに、この魔物は人をゆうに越える身長を持ち、その体躯をもって人間を殺めている。


「とにかく、あの魔物の付近にいる連中を逃したい。シャルロット、頼めるか?」


「私の『停止』だって無限に止められるわけじゃない。時間制限と距離を考えても、助けられそうなのは一人だけだ」


 シャルロットのその言葉に、ファルベは歯噛みする。本当なら、「一人じゃなくて、全員助けろ!」と言ってしまいたいのだが、彼女のスキルで無理して全員を救おうとすると、今度は彼女の方が危険になる可能性が高い。


 そもそも、自分ができないからこそ彼女に頼んでいるのだ。それにかこつけて、彼女にできる範囲を超えた頼みを押し付けることなど、できるはずもない。


「君もスキルで奴の視界から姿を消せば、一人ぐらいは逃すことができるから、私の一人を合わせて二人。この場から助けられるけど、どうしようか」


 彼女はそんなこと言わなくても分かるだろ、という風に目配せしてくる。

 魔物の近くには商人二人と、腕を斬られた痛みで動けない盗賊の二人と、木の幹にもたれるように気絶している盗賊の片割れだ。


 ファルベとシャルロットで二人助けることが可能なら、真っ先に候補に上がるのは商人の二人。彼らは今回、ただ巻き込まれただけの人間だ。


 平原を渡れば、盗賊達に軒並み荷物を奪われ、森へ逃げると埒外の魔物に襲われるという袋小路の運命に直面した、被害者だ。だから彼らを助けるのが当然の考えで、シャルロットもそう思っている。


 けれど、


「なんとか、全員を逃す方法はないのか……」


 ファルベは、当然の犠牲すら許容することはできなかった。

 これ以上誰も失わず、誰も死なせない。そんな都合の良い結果を残す道を模索する。


「ファルベ君にしては、随分と甘い考えをしているようだね。盗賊の彼らには悪いけれど、自業自得と割り切ってもらうしかない」


 冷徹な意見であるように思えるが、それが極々一般的な考え方であると、ファルベ自身も分かっている。

 盗賊が平原を生業の場としていたことで出た被害は多大だ。まだ直接の殺害といったレベルのものはないが、金銭的な面では冗談では済まない類のものだ。


「早く決めないと、魔物が動き出してしまうよ。待てるのはあと五秒ってところかな」


 冷静な彼女の判断を内心で正しいと分かっている。これ以上考えても、犠牲を出さずに済む方法が思いつくとも思えない。


 分かっている。分かってはいるのだ。考えるだけ無駄。時間を消費すればするほど商人達だけじゃなく、自分たちも危険になる。

 別にファルベは自分のスキルで身体の強度を上げられるわけじゃない。だから、あの魔物に一撃でももらえば即死は免れない。

 自分たちに注意が向く前に、どちらを助けるか選択しないといけない。


「分かった……」


 ファルベのその返答に、満足したような表情で、動き出そうとした、が。


「――って、言うわけねぇだろ!」


 分かっていた。犠牲をゼロで突破する方法が思いつかなかった時点で、誰かを犠牲にしなくてはいけないことぐらい。


 ――なら、その犠牲は自分であるべきだ。


 思考は一時、判断は一刻、行動は一瞬だ。言葉を紡ぎ終える前に、ファルベは魔物に向かって走り出した。


「なっ……!」


 背後でシャルロットが驚いたような声をあげる。それも当然だろう。先程まで助け出す手段を模索していた人間が、突貫しだしたのだから。


 大きく振りかぶった魔物の豪腕が、再びその致命の一撃を放たんとしている。それが完全に振り下ろされたら、顔だけひしゃげさせた死体の完成だ。


「んなことさせるか……ッ!」


 振り上げた腕が頂点に達し、落下軌道に乗ろうとした瞬間を狙って、長剣を振り抜く。

 その刃は暗い景色に鈍色の軌跡を描いて漆黒の体毛を切り裂き、宙に散らす。そのまま勢いを殺さず筋肉を断ち切る――ことなく、ガキィィィン!という、まるで金属同士の打ち合うかのような音が響き、剣が弾かれる。


「う……っそだろ……」


 おかしい。絶対におかしい。どうして肉を斬り付けたら金属を斬ったような音が出るのか。

 そういえば、最近の仕事で同じような出来事があったような。そんなデジャブを感じるが、そもそも刃を弾ける筋肉を持つ相手と短期間で戦闘することがおかしい。


 しかし、その経験は確かに役立って、長剣を弾かれたことにさほど動揺することなく、相手の様子を確認できた。

 獲物の殺害を邪魔された魔物は、その怒りを体現するような真紅の双眸をファルベに向けている。彼の狙い通り、完全に奴の標的となったのだ。


「シャルロット! 俺が引きつける間に、全員連れて森を抜けろ!」


「なんで……キミはそこまでして……」


 彼女は、ファルベが何故その行動をするのか理解できていない。彼女からすれば、危ない橋を余計に渡っているようにしか見えない。


 だが、分かられなくてもいいし、元より分かってもらえるとも思っていない。


 一つ言えるとするなら、こうして誰かを救おうとするのは、過去への償い。罪滅ぼしのようなものだ。それが、ファルベの償いたい相手にどう見えているのかは彼にも想像できないが。


「ただの偽善……って、そう思われても仕方ないよな」


 致死の攻撃が振るわれる死線の中にいながら、ファルベは苦笑する。その笑みは自虐的で、自罰的で、自嘲的だ。


 一見、戦闘とは無関係の思考だが、そのおかげか頭は至って冷静だ。一撃ももらえない状況でも死の恐怖に竦むことなく相手の攻撃を避け続ける。


 魔物の攻撃は一撃が重いがその分腕を振るってから再度振り下ろすまでの間隔がある。

 隙をみてチラリとシャルロットの方へ視線を向ける。そこには彼女の姿はなく、周囲に誰もいない。

 ファルベの言葉の通り、全員を引き連れて森の出口へと向かっていったようだ。


「よし、なら後はお前だけだな」


 後顧の憂いを断った今、ファルベの心に余裕が生まれた。

 これならば、目の前の相手に集中できる。集中ができた――だからなのか、ファルベはそれに気づく。


 そして、


「さあ、こっからが本番だ。魔物は専門外だけどな、相手してやるよ」


 言って、不敵に口の端を上げる。



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