15話 「三度の叫び」
暗闇に遠く、灯りが見えた。野道を照らすための照明なのだろうが、この先で盗賊が待っていると言うのに無用心なことだ。
二台の馬車が、急ぎ気味に走ってくる。その進行方向には、三人の人影があった。
「うわぁ!」
なるべく速く通り過ぎてしまおうとスピードを上げていたため、気づいた時には大分近くなっていた。
商人は驚きの声を上げて、馬車を急停車させる。しかし、それでは間に合わない。商人にも、それは分かっていた。停止しようとしたその場から停止することはできない。慣性の力が彼らの背中を押して、意思に関係なく突き進んでしまう。
人を轢き殺してしまう。その想像が商人の心に恐怖となってこびりつく。
目の前が暗くなる。暗闇を照らす灯りがあるはずなのに、まるで火が消えてしまったかのように黒く視界を覆う。
それと反対に、頭は真っ白になったのが分かる。何も考えられない。何も思いつかない。何も考えたくない。人を、……してしまうことなんて、考えたくない。
いっそ、その現実を受け止めないように、両の目を強く閉じる。
音を立てて急停止する馬車に衝撃が走り、眼下に三人の亡骸が出来上がる――はずだった。
「――ぁ?」
恐る恐る、目を開く。自分が幻視していた最悪の光景は、そこにはなかった。人影が進路上にあることは以前変わりないが、位置が変わっていた。
本来、今馬車が停止している場所にいた人間が、馬車から離れた位置で立っている。
彼らは反応できなかった筈だ。逃げる時間などなかった。なのに、現実はそうじゃなかった。
人並外れた、いやそれすらも超えた回避能力だ。まるで、時間でも止めてしまったかのような。
「さて、あんた達。この辺りは盗賊がうろついてんだから、そんな無用心に走ってても狙われるだけだぞ」
「だ、誰だあんたら!」
「誰でもいいだろ、別に。ただ、あんた達がカモにされそうだから、注意しにきたんだよ」
「余計なお世話だ!大体なんだ、あんたらは。俺たちのことを知ったような口聞いて。辺境に住んでる人間は、危険を冒してでも城下町に物売らないとやっていけないんだよ!」
死人が出ていなかった事実に心が軽くなった商人の男は、自分の進行を邪魔されたことに激怒する。
しかし、商人のその返答も想定済みだったのか、
「それは、命を賭けてでもやんなくちゃいけないことなのか?」
鋭く、厳しい目線を感じる。フードに隠れた顔が、しかし確かな意思を宿したそれがはっきりと見える。
一瞬、緊張感から息を飲む。恐らく商人の目にもファルベは遥かに幼い人間という風に写っている。
だが、その見下ろすほどの背丈の中に、どれほどの人生経験をしたのか。強い感情の秘められた双眸にはこちらが気圧される何かが感じられる。
「命……この先にいくと殺される、ってのか」
彼が言いたいことはそういうことなのだろう。
殺される、もしもそれが本当であるなら考えたくもない状況だ。
「そうだな。あんた達がどう扱われるかは知らないけど、そういう事例もあるな」
ファルベが非情な現実を突きつける。
「そう言われてもな……馬車に積んである荷物は早く運ばないといけない。今日中に城下町まで持っていって朝一で売り払わないと……」
思い詰めたような顔で、ボソリと呟く。さぞかし金銭が切迫しているのか、深刻な雰囲気を醸し出す商人に少し同情するような目を向けると、
「それもわかってる。だから、俺がここにいるんだ」
「どういう……ことだ……?」
商人の男が置かれている状況と、目の前にいる少年との関係性が彼には分からなかった。
「あんたらが盗賊に合わなくて済むように、こっちで手を回してやるってことだ」
*
ファルベ達が話し合ってまとめた意見をそのまま商人達へ伝えた。
納得してもらえるかは確信はなかったが、きちんと説明をすれば受け入れてくれるだろうという期待はあった。
実際その通りで、最初こそ胡散臭いと思っていそうな表情が絶えなかったが、言葉を続けていくうちに信頼を獲得することができた。
「だけどよ……本当に大丈夫なのか?」
「なんだ? 盗賊の連中は気付いてないよ。それに、仮に気づいたところでこんな森の方までわざわざ来ることもないだろ」
今現在。森の中を進んでいるのは三人だけだ。内二人は平原を走っていた商人で、もう一人はファルベである。作戦通り、ルナとシャルロットの二人は盗賊の元へ戻り、あらかじめ考えていた説明を行なっている。
向こうもなんとか説得に成功していると信じるほかない。
「いやそっちじゃなくてな、魔物だよ」
「魔物は普段から冒険者達が躍起になって討伐してるだろ。だからそんなに数はいない筈だ。それに、夜は魔物の活動もそこまで活発じゃないし」
探せば夜行性の魔物だっているのだろうが、普通の魔物は基本的に朝から夕方までを活動範囲としている。
だが、全くいないという訳ではない。なので、彼らが警戒をするのも理解できる。
「そんなもんかね……」
いまいち納得がいかないようだったが、それで足を止めるということはなく、馬車は走り続ける。
そして、
「――ん?」
ファルベがふとそんな声を出した。急に何かに気づいたような様子を見せたため、商人の男は、
「なんだ。何かあったのか?」
声をかける。だが、それに返事はなく、ファルベはどこか別の方向を見ていた。
「お前、本当にどうし……」
商人の男のその言葉が最後まで発せられることなく、
「ちょっと離れる。俺が戻るまで待っててもいいし、このまま進んでさっさと森の外に出てもいい。あんたらに任せる」
ファルベは言い切る前に馬車から飛び降りると、走り出した。
きた道を戻っていくファルベの背中を見送ることしかできず、商人の男達は二人で顔を見合わせていた。
*
規則性もなく生えている木々が視界を覆い、自分が今森の中のどの位置にいるのかを見失わせる。
そもそもファルベが見たのもほんの一瞬だけで、それもちゃんと視認できたのか怪しい。もしかしたら、幻だったのかもしれない。そんな曖昧な記憶だけを頼りに突き進んでいく。
「どこだ……?」
見間違いだったか、と疑いかける。実際のところそうなのかもしれないが、確かめずにはいられない。
もし、ファルベの見たのものが本当に存在していのならば、あれは何かの建物だった。
こんな森の中に、それも魔獣の群生地となっている場所に家を建てるなんて考えにくい。
ならば、何のために建てられたものなのか。それに、いつ建てられたのか。
周囲を見渡す。他の場所と同じく、木々が生い茂りろくに景色も眺められないが、その中に一つ違和感のあるところを見つけた。
「あれか」
木とその葉っぱで、茶と緑が多く埋め尽くす中に、灰色の何かが見えた。
迷わずそこへ向かう。何かの罠だったり、意味のない場所の可能性もあったが、それよりも恐らく好奇心の方が優っていたのだ。
「やっぱり……建物」
灰色の壁に囲まれた家屋がそこにあった。
石造りでも、木造でもなく、鉄や土でもない壁だ。何の素材を用いているものなのか、ファルベには心当たりがない。
しかし、分かることもあった。この建物は、随分昔に建てられたものということだ。壁の老朽化がひどく、汚れもこびりついて変色している。
見るからにすぐ壊れそうな建物だが、軽くついても何も起こらない。少し強く叩いても、傷一つ付かない。見た目以上に頑丈な壁のようだ。
装飾は特になく、無骨な建物に入り口のようなものは見当たらず、本格的に建てた目的がわからなくなってきた。
それに、思えば森の中に建物があるなんて情報は今まで聞いたこともなかった。誰も知らず、どこにも情報が渡っていない建物。
しかし、これにも何かしらの意味がある筈だ。なければ建てる必要性がない。
「けど、何のために……」
見当もつかないその疑問に終止符を打ったのは、一つの声だった。
それは叫び声だった。男のもので、今この森の中にいる男といえば、商人だけだ。
まさか、魔物に襲われたか。そう思って駆け出そうとする。一瞬、謎の解けない建物から離れるのかと足が止まりかけたが、分からないものを分からないままただ眺めていても仕方がない。
「暇ができたら、もう一回来れば良いよな」
そう誓って踵を返し、声の聞こえた方向に戻っていった。
しばらくして、一人の人間が姿を表す。どこからともなく、何の前触れもなく。
先ほどまでファルベの見ていた灰色の建物を、指先で優しく触れながら、
「さて。どうしたものかな」
その声が、暗闇に沈んだ森の中に静かに響いていた。
*
叫び声が聞こえた場所は、最後にファルベと商人が分かれたところから寸分違わず同じだった。
律儀にファルベの帰りを待っていたのだろう。待っていても良いと言ってはいたが流石に森を抜けているのだと思っていたファルベは驚きを隠せないが、
「てめえら! こんなとこに逃げやがってよぉ! 俺たちを舐めてんのか!?」
それより驚いたのは、盗賊達が商人の二人に刃物を突きつけ、まさに命を奪おうとしているこの状況だった。
「……ッ!」
一つ息を吸い込むと、ファルベは即座にスキルを発動させる。足音を殺し、姿を消して、距離を詰める。
ルナとシャルロットが言いくるめて、平原で留めているのではないか、とか森に逃げたのが何故バレたのかとか疑問を持つところはいろいろあったが、それらを考えるのは今の状況を何とかした後でいい。
商人を取り押さえているので二人、リーダー格が一人、見張りが一人だ。
最初に狙ったのは、商人を捕らえている二人だ。走り抜けた勢いはそのままに木の幹を蹴りつけて、跳ぶように加速する。
景色に違和感を感じたところでもう遅い。スキルの効果を解き、衆目の前に姿を現す。
それと時を同じくして振るわれた刃が、二人の盗賊の腕を斬り落とす。
「あ、やべ」
焦ったことで力んでしまった。腕を動かせない程度の傷を負わせるはずが、勢い余って斬り落としてしまったのだ。
だが、それは仕方がないと割り切り、思考を切り替える。
次はリーダー格の隣で立っていた見張り役の男。突如として現れたファルベの姿に目を丸くしている。その間隙を縫うように、男の頭を掴むと近くの木の幹に叩きつける。
頭部の衝撃によろめいた彼の鳩尾を蹴り、気絶させる。
「で、なんでここに気づいた? お前達に見られる前に森へ移動したし、その後も気づかれるようなことはしてない」
ずっと森の中を走って、一度も平原の方へ出ていっていない。だから、見つかることはない筈だった。
「それと、二人が戻っていると思うんだけどな。報酬を持って」
商人を襲い、奪ったという体の金目の品物。それを仕事の報酬、その分け前として彼らに渡す手筈だった。
それで誤魔化す予定だったのに、どこで狂ったのか。
「な、なんだよ……報酬って。そんなもんしらねぇ……俺はただ、聞かされて……」
刹那の間に仲間達があっさりやられたことに恐怖を感じているのか、視線を泳がせながら震えた声で話す。
「は? 知らないって、なんだそれ……いや、それよりも」
彼の言葉に何か違和感のある部分があって、ファルベの心に引っかかるそれを確かめようと言葉を発する、直前。
「ァァアアアアアア!」
叫び声。突如として盗賊のリーダーが大きな叫びを上げた。
状況の目まぐるしい変化に頭がパンクしそうなのをなんとか抑えて、理解しようと試みる。
よくよく彼の視線を見ると、それはファルベに向いておらず、その背後だった。
そして、状況の変化は更なる転機を迎える。
彼の視線がどこに向いていたのか理解した後、ファルベ視界から盗賊のリーダーの姿が消える。いや、それだけではなく、倒れていた盗賊達の姿も一瞬にして消えてなくなった。目の前にあるのは木とその幹だけだ。
そして、
「すまない、ファルベ君。私とした事が、間に合わなかったらしい」
いつのまにか、ファルベの体に手を回して抱き寄せるように体を支えている女性がいた。
顔を回して背後をなんとか覗くと、そこにいたのはシャルロットだった。
彼女が見ているのは、今ファルベ達が立っている場所から左に五メートルほど行った場所だ。
そこには倒れた三人の盗賊達と、怯えて動けない商人の姿。それと――
――頭部を潰されたリーダー格の男だった。
それを行ったのは黒い体毛に覆われた巨大な手。そこから辿っていくと、次に同じ体毛の腕が見えて、肩へと続いて、頑丈な顎、口に収まりきらずはみ出る牙。その後、突き出した鼻に血の色を映したかのような赤い瞳。
そのほか全ては黒い体毛が埋め尽くしている。
端的に表現するならば、熊に一番近しいと言える。ただ、片腕で人の頭を潰すことからも、その大きさは常軌を逸している。
「―――――!」
三度目の、叫び声。一度目は、盗賊に襲われた商人の声。二度目は、盗賊の男の恐怖の声。三度目は――
血肉に飢えた理性のない獣の、雄叫びだった。




