147話 「正義の在り処」
「お前も、なのかよ……」
未来を見た四人の、最後の一人。それこそがこの老人なのだ。
「少年もラルフのやつから話は聞いていたのだろうが、実際に目にしたわけではあるまい」
老人の言葉は事実だ。ファルベは世界の崩壊を事実として語るが、それを証明することはできない。
ファルベがこの事実を信じて動くのは、ラルフという命の恩人の言葉を疑いたくないという理由だけだ。具体的ななにかがあるわけじゃない。
一応、魔物の総数の増加や国王の現状など、証拠として挙げられるものもあるが、それと世界の滅亡の関係はそれほど強くない。
「儂がその光景を見た瞬間は確かに、ラルフのように魔物が人間を襲い、結果世界を滅ぼしたのかと考えた。だが、それが間違いだということを悟ったのだ」
「なんで、そう言い切れるんだよ」
「儂らが見た景色に――魔物の姿なぞ映っていなかった」
「なっ……!」
それが本当だとしたら、魔物によって人類が滅亡するという説の信ぴょう性が薄くなる。そういえば、ラルフも「人類が滅ぼされる」ということは話しても、魔物に滅ぼされる光景を見たとまでは言っていなかった。
あえてぼかしていたのだろうか。それはラルフにしか分からない。
「ラルフは魔物を専門としていた故、魔物が原因だと結論付けたようだったが、その証拠なぞなかった。だから儂も王も、別の理由があると考えたが、ある日を境に王に異変が起こり、魔物を敵視し始めてから、全てが変わった」
老人は遠い日を懐かしみながらも、どこか憎しみを感じる視線を空に向ける。
「冒険者を無闇矢鱈に増やし始め、本来の用途とは全く変容した状態になっても構わず続けた。結果どうなったかは少年、貴様もよくわかっていることであろう。冒険者どもはその立場を利用し、甘い汁をすすろうとたかり、他人の成果を奪い、自己を誇示するために他人を軽んじるようになった」
「……」
老人の言葉を、ファルベは否定できなかった。魔物を倒すという役割を背負った冒険者が、道を踏み外しては己の欲望を満たすようになった姿を、何度も見ていたから。何度も相対したし、何度も戦った。
「道を踏み外した冒険者くずれどもも、今はまだ大人しくしている。魔物という、冒険者にとっても、犯罪者にとっても共通の敵がいるからだ。だから犯罪者どもも、魔物を刈る冒険者を完全に排除することはできない。だが、今の国王やラルフの望み通り、魔物をせん滅できたとしたら、どうなると思う」
魔物という最大にして共通の敵を失い、この世界に人間しかいなくなった場合、犯罪者のような自分の欲望を満たすために他人を傷つけることを厭わない人間は、どう動くのか。そんなことは考えずとも分かる。
「次の標的は、人間になる。犯罪者を捕まえようとする冒険者や騎士団を敵にするようになる。それがエスカレートした結果が人類の滅亡という未来だ」
「なんで、そうなるんだよ……話が飛躍しすぎだろ」
「そうなるのだ。確実に。人間は欲深く、欲におぼれやすい。人間は滅ぼされる。他でもない、人間同士の争いの果てにな」
これを否定する材料を必死に探すが、見つからなかった。狂ったように魔物のせん滅を願う国王と、冒険者という組織の腐敗。人類滅亡の未来に魔物が映っていなかった理由。全てにつじつまが合う。むしろ、その考えに至らなかったラルフに疑惑の目すら向けてしまう。
だけど、
「違う、魔物さえ倒せば、綺麗に収まるんだ。絶対に、そうなんだよ……」
そうでなければ、いけないのだ。もし、魔物を倒し切っても争いが終わらず、人間同士で仲間割れを始め、結果人類が滅ぶのだとしたら、ファルベが今までやってきたことは一体なんだったというのか。
「少年よ。魔物を倒せば人類を救えるなどという妄想を補強する証拠はない。それにすがっていては自らの理想に食いつぶされてしまうぞ」
「そ……そもそも、犯罪者を集めて組織を作っていた奴の言うことなんて信じるかよ! お前の言い分が正しいかどうかなんて関係ない! 俺はお前の言うことなんて信じるか!」
揺らぐ。自分の中の「正義」が根本から間違っているのかもしれないという可能性に、心が揺らぐ。もし敵の言う言葉が事実なら、ファルベが魔物せん滅に向けて動いているのは、人類全滅を助長していることになる。
自分の正しい行いが、人類を滅ぼすことになるなんて、信じたくなかった。
「だいたい、冒険者を殺すことが人類を救うことに繋がるんだよ! お前こそ人類を滅ぼそうとしてんじゃねえか!」
信じないように、老人の言う言葉が全くの妄言だと思いたくて、ファルベは粗を見つけようと頭を回す。
「儂は増えすぎた冒険者の数を減らし、魔物と人間の戦力を均衡させているのだ。少年、貴様が知っているかどうかは知らぬが、今の冒険者は魔物の総数よりも多いと言われておる。それだけ増えた冒険者が日々魔物を殺し続ければ、いずれ魔物は全滅する。だからこそ、冒険者の総数を減らして魔物と人間が戦い続けられるようにしているのだ」
いつか、シエロが言っていた言葉があった。
『組織名は、『イクイリブリアム』。なんか、『均衡』……みたいな意味らしいけど、なんでそんな言葉を組織名にしたのかは知らない』
この組織の名前は、「均衡」という意味を持つ。つまり、人類と魔物の戦力の均衡を保ち、現状を維持するための組織。人類が争いから解放されることはないが、滅ぶという結末を遅らせることを目的にする。
「犯罪者を集めていたのは冒険者を殺すのにためらいがない人間が必要だったことと、魔物を倒すという目的を見失い、道を誤ったからこそいなくなっても困ることはない。加えて、たとえ死んだとて、犯罪者が一人世界から消えるだけだ。使いつぶしても問題のない駒にしているだけだ」
老人は当たり前だとでも言わんばかりに、言葉を紡ぐ。
「儂の名はシムルグ。少年よ。儂の目的に賛同する意思があるのなら、今ここでその芽を潰すのは惜しい。儂とともに、人類を救うための礎とならないか」
こちらに手を差し伸べてくる。ファルベは、その手を掴むわけにはいかなかった。それを握ってしまったら、またあの頃のファルベに逆戻りしてしまう。
しかも今度は、世界を救うためという大義名分までできてしまう。その分自己を正当化するのが楽になり、結果的に殺人のハードルが下がる。
そうしてただ人を殺すための機械になってしまう。それがとてつもなく怖かった。
「……なるわけ、ないだろ」
「だが、このままでは少年の行いは世界を破滅させるぞ。正義を振りかざし、自分で自分の世界を終わらせることとなる。それでも良いと言うのか」
「良くはねえけど……でも、シャルを殺したやつと同じ場所にいたくねえよ!」
たとえどんな意義があったとしても、この老人――シムルグはファルベの大切な人間を殺した。それでどうして、行動を共にしようと思えるのか。
「そのような一時の感情に任せて世界を滅ぼして良いのか? 私情か、世界か。本当に選択すべきはどちらか、それを考えた上での答えか?」
シムルグが次から次へと畳み掛けてくる。もうファルベの脳みそはグチャグチャだった。正しいと思っていたことも、正義だと信じていたことも崩れて、自分でもどこに進めば良いのか分からなくなっていた。
……もしかしたら、シムルグ言い分の方が正しいのかもしれない。
正直なところ、ラルフの言う魔物が世界を滅ぼすという論には証拠がない。魔物の数が急増したというのも、ラルフが言っていたというだけで、具体的なデータがない。
であれば、普通は証拠のあるシムルグの論を信用すべきだ。冒険者を殺して、魔物を敢えて全滅させないように仕向ける。そちらの方が説得力がある。
「殺して、殺し続けて……それで最後は平和になるのかよ!」
「世界平和などあり得ない。だが、現状を維持することはできる。魔物に殺される人間はもちろんいる。儂らによって殺される人間もいる。だが、死ぬ人間より多くの人間を救うことになる。それは理想論ばかりを追求して共倒れする未来よりよほどマシな未来だと言えるだろう」
理想は、しょせん理想。叶うことなどないとシムルグは突きつけてくる。
「儂と共に来い。もうこの組織は儂を除いて全滅した。だから、再び儂は組織を作り上げる。そのためには人材が必要だ。少年よ、こちらへ来い」
なるほど、ファルベを殺しにこないのはそういうことか。新しく作り上げる組織のメンバーとしてファルベが欲しかったから、むやみと殺すわけにはいかなかった。
「俺は……俺はお前らとは違う……!」
「貴様が犯罪者を捕らえるようになったのも、他人にそれを求められたからであろう? 世界のためだのなんだのというのは所詮後付けの理由に過ぎん。流され、流され続けた結果が今なのだから、それにこだわる必要もあるまい」
ファルベに、自分の意志がないと言われているようで腹が立つだが、ファルベの中にある「正義」が、他人からの借り物であるということは否定できない。
命を助けてくれたラルフに犯罪者を捕らえる役目を果たしてほしいと願われたから、それに応えたいと思っていただけ。
自分の生きる目的を与えられたから、その分の恩返しがしたかっただけ。ただ、それだけだった。
世界の滅亡を防ぐ、なんて大層な正義感を持っているように見せているが、それが後付けの動機なのも図星だった。
「借り物の正義。借り物の立場。借り物の意思。少年自身が自ら手に入れたものはなんだ? なにがあった? なにもない。貴様は他人に都合よく動かされる人形なのか。否、己の意思を持つ人間だ。なればこそ、今ここで決めろ」
シムルグがゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。元から気迫のある佇まいだったというのに、すぐ近くまで来られると、より一層圧を感じる。
「これからも流され続けて世界の破滅を迎えるか、ここで儂の組織に入るという決断をして儂の手を取るか。貴様が選べ」
揺れる。ファルベの心も、決意も、グラグラと。極度の不安から浮遊感のようなものを感じる。自分がちゃんと立てているのかすら確かではない。
頭がぼうっとする。なにかを考えようとしても思考が上手くまとまらない。
なんと答えたらいい。なにが正解なのか。全く分からない。
「俺、は……」
自分の中にあったはずの「正義」その在り処を探し続けていた。




