お話上手
暑い昼下がりのことだった。客車の中は外と同じく蒸し暑い。次の停車駅はテンプルクーム、到着までは後一時間ほど掛かる。客車には年端もいかぬ少女と幼女と小さな少年がいて、座席の隅の方には子供たちの叔母が座っている。向かいの席の離れたところには、男の客が独りで腰を下ろしていたが、一行との面識は無い。だが少年少女たちは無遠慮に客車を占拠していた。 叔母と子供たちは、狭い客車の中で絶え間の無いお喋りを続けている。それを耳にして思い浮かぶのは、あの気に障る、止むことのない蝿の羽音だった。一行の様子を見ていると、叔母の言葉のほとんどは「いけません」で始まり、子供の言葉はほとんど全て「どうして」で始まっていた。ひとり客は大きな声を上げることはなかったが、叔母の方は「いけません、シリルちゃん、いけません」と大声を出す。小さな男の子は音を立てながら座席のクッションを叩き、肘のところから綿埃がもうもうと舞い上がる。
「こっちに来て窓の外でも見てなさい」と、叔母は付け加えた。
男の子はしぶしぶと窓の方に席を移し、そして「どうして、あそこの羊さんは草っ原から、おいだされてるの?」と、叔母に尋ねる。
「きっと、もっと草のある方に追い立てられてるんでしょう」
叔母は自信無さげにそう答えた。
「でも草なら、あの草っ原にもたくさん生えてるよ」
男の子は続ける。
「あそこ、草しかないけど。ねえ、おばさん、草はたくさん生えてるよ」
「きっと他所の草の方が美味しいのよ」と、間の抜けた調子で叔母は答えた。
「どうして、よその方が美味しいの?」
すぐに、至極当然な質問が返ってきた。
「ほら見なさい、牛さんですよ!」
叔母が大声でそう告げる。線路沿いの草地では、雌牛や去勢した牡牛なんてものは実にありふれた光景なのだが、叔母の方は、それがさも珍しくて興味惹かれるものであるかのように声を上げるのだった。
それでも、シリル坊っちゃんは頑ななままであった。
「ねえ、どうして、よその原っぱの草の方が美味しいの?」
ひとり客は眉をひそめた。その顔に浮かぶ難色は次第に色濃いものになっていく。叔母は、この男は堅物で冷淡な人間に違いない、と決めつけた。それにしても、他所の草地の牧草については、叔母も満足のいく結論を出せないままでいた。
幼い方の女の子は気晴らしに「ビルマの王都へ続く道」を諳じはじめた。最初の一節しか知らなかったが、少女は限られた知識をできるだけ披露しようと、何度も何度もその節を繰り返した。夢見がちではあるものの、堅固な意思を感じさせる、よく通った声だった。まるで誰かと賭けでもしているようだと、ひとり客は思った。その一節を大声で二千回も繰り返せるかどうか、という賭けだが、賭けを持ちかけた方は誰であっても負けてしまうように思えた。
ひとり客は二度ほど叔母の方に目配せした。一度、男が非常用の通報索の方に目に向けたものだから、叔母は「こっちに来なさい。お話してあげるから」と声を上げた。
子供たちは面倒くさそうな感じで、客車の端にいる叔母のところへ寄っていった。どうやら叔母の「お話」に対する子供たちの評価はあまり高くないようだった。
叔母は内緒話でもするように小さな声で、ワクワクもせず、悲惨なくらい面白くもない物語を語り始めた。途中、聞き手からの「なんで」「どうして」という怒りっぽい大声で何度か中断されたものの、物語の粗筋は次のようなものだった。
良い子の女の子がおりまして、良い子だったおかげで、みんなと友達になりました。怒った牛さんが出てきましたが、その子の品行方正さに感心したたくさんの人が助けてくれて、女の子は救われました……という結末だ。
「その子がいい子じゃなかったら、だれも助けてくれなかったの?」
年上の方の女の子が問い質す。その質問は至極当然なもので、ひとり客も訊きたかったことだった。
「ええと、そうかもしれないわね」
叔母は腑に落ちぬ様子で弱々しく認めた。
「でもね、その子のことがあまり好きじゃなかったら、みんな、そんなに早く助けにはいかなかったんじゃないかしら」
「そんな、おバカさんなお話、あたし聞いたことないわ」
計り知れぬほどの説得力を持ちながら、上の女の子が言ってのけた。
「ぼく、さいしょの方しか聞いてないや。だって、とってもバカげてんだもの」と、シリル坊ちゃんも言ってのける。
幼い方の女の子は叔母のお話について特に何も言わなかったが、小声で何度もお気に入りの一節をずっと繰り返していた。
「あなた、物語を語るにしても、まるでなってないようですね」
隅の方に座っていたひとり客が、突然そんなことを言い出した。
この男の不意打ちに対して、叔母は苛立ちながら、その場しのぎの保身に走った。
「子供にも理解できて、それでいて面白い物語を話してやるのは、とても難しいことなんです」と、堅苦しい様子で叔母は言ってのけた。
「それには同意しかねますね」と、ひとり客。
「だったら、あなたが、お話ししてくれるのでしょうね」
それが叔母の返事だった。
「おはなし、お話しして」と、上の女の子がせがむ。
すると、ひとり客は語り始めた。
「昔々のことだった。ベルタという名前の女の子が一人おりました。この子は、とても良い子だったのさ、尋常ならざるくらいにね」
移り気な子供たちの関心は、すぐにチカチカと明滅しはじめ、今にも消えてしまいそうだった。哀しきかな、物語なんてものは、誰が話しても同じなのか。
「ベルタは言うことをちゃんと聞く子で、いつも正直。お洋服はいつも綺麗にしていて、乳臭いミルクプティングだって、まるでジャムタルトみたいに美味しそうに食べる。習い事は完璧にこなし、行儀作法もしっかりした女の子だった」
「その子、かわいい?」と、上の女の子が尋ねる。
「お嬢ちゃんほどじゃないけどね」と、ひとり客は続ける。
「でも、ベルタはゾッとするくらいの良い子だったんだ」
そのとき、この物語への好意的な反応が波の如く押し寄せてきた。「ゾッとする」「良い子」という言葉の組み合わせの珍奇さときたら、実に称賛ものだったからだ。まさに叔母の物語に出てきた幼な児に欠けていた、現実味の響きというものを告げているかのようであった。
「ベルタはとても良い子でした」
ひとり客は続ける。
「良い子のメダルをいくつも貰っていて、お洋服にピンで留めて、いつも身につけておりました。メダルの一つは、言いつけを守ったことで貰ったもの。もう一つは時間を守ったから貰ったもの。三つめは行儀が良かったから貰ったメダルだ。どれも鋼で出来た大きなものでね、ベルタが歩くと、メダルは別のメダルにぶつかってカチンカチンと音を鳴らすのさ。ベルタの暮らす町には、メダルを三つも貰っていた子供は他にはいなかった。だから、ベルタが並外れた良い子だということを、町の人はみんな、知っていたんだ」
「ゾッとするくらい、いい子だね」
シリルも言葉を借りて呟いた。
「そして、町のみんなが、口々に女の子が良い子だと語るものだから、その国の王様もそのことを聞きつけて、こう言ったのさ。『そのように、すこぶる良い子であるならば、週に一度は町のすぐ外にある我が庭園を散策するのを許そう』とね。王様のお庭は美しい庭園だったのだけど、これまで子供は誰ひとりとして足を踏み入れることは許されていなかった。だから、王様のお庭に行けるというのは、ベルタにとって素晴らしく名誉なことだったのさ」
「おにわには、羊さんはいたの?」と、シリル坊ちゃんが尋ねる。
「いや、羊は一頭もいないよ」と、ひとり客は答えた。
「なんで、いっぴきもいないの?」
男の返答に対して、至極当然の質問が飛び出した。
叔母の顔にようやく笑みが浮かぶ。それこそ、歯をむき出しにするくらいにだ。
「王様のお庭には、羊は一頭もおりませんでした」
ひとり客は続ける。
「なぜなら、その昔、王様のお母上が夢を見たからさ。自分の息子が、羊や倒れてくる柱時計のせいで命を落とす夢をね。そういったわけで、王様はお庭では決して羊を飼わなかったし、宮殿にも柱時計は置かなかった」
叔母は驚き、息を飲むほど感心してしまった。
「王さまは、羊さんや時計のせいでしんだの?」とシリル坊ちゃんが尋ねる。
「まだ生きておられるよ。だから、お母上の夢が本当になるかどうかは、教えられないね」と、ひとり客は無関心に答えた。
「ともあれ、王様のお庭には、羊は一頭もいなかった。でも、小さな子豚がたくさんいて、あちこち走り回っていたんだ」
「なに色の子ブタさん?」
「頭だけ白い黒豚もいたよ。黒の斑があるのも、全身まっ黒なのも、白い斑模様の灰色の子豚もいてね。全身まっ白なのも数頭ほど」
語り部は小休止し、しばし子供たちの想像に任せた。子供たちの頭の中では、王様の庭園が秘蔵の子豚たちで埋め尽くされていく。それから、また物語を再開した。
「でもベルタには、お庭にお花が一輪も咲いていないことの方が残念だった。というのも、お庭に来る前、ベルタは瞳に涙を湛えながら『王様のお花はどんなものでも摘み取りません』と叔母さんに約束していたからね。もちろん約束は守るつもりだったけれど、そもそも摘める花が一輪も咲いていないとなると、なんとも間抜けな気分になったのさ」
「なんで、お花はひとつもないの?」
「子豚がみんな食べてしまったからだよ」と、ひとり客は間髪入れずに答えた。
「庭師も王様に『子豚とお花の両方は無理でございますよ』と言ったんだ。だから、王様は子豚の方を取って、お花の方は諦めると決めた」
王様の英断に賛同する小さな騒めきが沸き起こった。大抵の人なら逆の決断をしただろう。
「お庭には他にも愉快なものがたくさんあってね。金や青、緑色の魚が泳いでいる池もあちこちにあったし、植木には気の利いた返事をすぐに返してくれる綺麗な鸚鵡が止まっていた。その頃の流行りの唄を何でも囀ってくれる歌鳥もいたよ。ベルタはあちこち散策し、大いに楽しんでいた。そして『もし私が並外れた良い子じゃなければ、こんなに美しいお庭に入ることは許されなかったし、こんな楽しそうな光景を目にすることもなかったはずだわ』と我が身のことに思いを馳せたのさ。ベルタが歩くと三つのメダルが互いに触れ合ってチリンチリンと音を鳴らして、自分がどれだけ良い子なのかを教えてくれた。するとその時、巨きな狼が一匹、彷徨い歩きながら、お庭にやってきました。その日の夕食のために太った子豚を捕まえられるか確かめに来たのさ」
「なに色のオオカミ?」
俄かに湧き立つ興味の渦に揉まれながら、子供たちは尋ねる。
「全身泥色さ。そして黒い舌に薄墨色の眼。その眼は、言葉にも出来ないくらい残忍にギラギラと光っていた。狼がお庭で最初に見にしたのは、ベルタだった。ベルタの子供服は染み一つ無く真っ白で清潔にしていたから、ずいぶんと離れたところからでも目に留まってしまったんだろうね。ベルタの方も狼に気がついて、狼がこっちに忍び寄ろうとしているのにも気づいた。すると、お庭に入るお許しなんて無ければ良かったのに、と思い始めたんだ。ベルタが力の限り走り出すと、狼も大きく飛び跳ねながらその後を追い駆けた。ベルタはなんとかして背の低い銀香梅の茂みまで辿り着くと、その中でも一際生い繁った茂みの中にその身を隠したんだ。狼の方は、口から黒い舌をだらりと垂らして、怒りまじりに薄墨色の眼を光らせながら、枝葉のあたりを嗅ぎまわっていたよ。ベルタはひどく脅えながら、『もし私が並外れた良い子じゃなければ、こんな時でも町の中で安穏に過ごせていたのに』と我が身のことに思いを馳せていたのさ。それでも、銀香梅の匂いが強烈だったから、狼はベルタがどこに隠れているのか嗅ぎ別けられなかった。そのうえ、とても深い茂みだったから、ベルタの姿を目にすることも出来ない。そのまま、長い時間を掛けて茂みの中を捜す羽目になるかもしれなかったから、狼はその場を立ち去って、代わりに子豚を狩った方がましだと思い始めたのさ。でも、狼が嗅ぎまわりながら彷徨い歩き、ベルタのすぐ傍まで来たときは、ベルタもひどく震え上がってしまった。ベルタが身を震わせると、言いつけを守って貰ったメダルが、行儀作法のメダルと時間厳守のメダルにぶつかってカチャリカチャリと音が鳴る。ちょうどそのとき、その場を後にしようとしていた狼も、メダルが打ち合うその音を耳にしたんだ。そして、すぐ傍の茂みで、またメダルの音がすると、狼は耳を澄ますのを止めて、そのまま茂みの中に駆け込む。その薄墨色の眼に残虐さと勝利を浮かべて輝かせながら、ベルタを茂みから引き摺り出し、そして最後の一口まで貪り食ってしまった。残されたのは靴と噛み千切られた子供服、そして良い子を讃える三つのメダルだけだったとさ」
「子ブタは、どれくらいころされたの?」
「一匹も殺されてないよ。みんな逃げてしまったからね」
「おはなし、はじめはむずかしかったけど」と、幼い方の女の子が呟いた。
「でも、おわりはすてきだったわ」
「あたしが聞いた中でも、いちばんステキなお話だわ」と、上の女の子も太鼓判を押した。
「ぼくが聞いた中でも、たったひとつのステキなお話だね」と、シリル坊ちゃん。
しかし大多数の意見には従えぬらしく、叔母は異を唱えた。
「幼い子供たちに聞かせるには、全くもって不適切で不道徳な物語ですわ! 何年もかけて入念に教育してきたのに、あなたのせいで台無しよ!」
「いずれにしてもですね」
列車を降りる支度をして、手荷物をまとめながら、ひとり客は言ってのけた。
「その子らをね、僕は十分も静かにさせていたんです。あなたよりもずっと長い時間ね。」
「いやはや、実に不幸なご婦人だ!」
テンプルクーム駅のプラットホームを降りながら、男は独り言ちた。
「あと半年かそこらは、あの子らも不適切で不道徳な物語を求めて、公衆の面前だろうと所かまわずに、あのご婦人を責め立てることだろうね!」
原著:「Beasts and Super-Beasts」(1914) 所収「The Story-Teller」
原著者:Saki (Hector Hugh Munro, 1870-1916)
(Sakiの著作権保護期間が満了していることをここに書き添えておきます。)
翻訳者:着地した鶏
底本:「Beasts and Super-Beasts」(Project Gutenberg) 所収「The Story-Teller」
初訳公開:2020年5月6日
【訳註もといメモ】
1. 『お話上手』(The Story-Teller)
タイトルの「The Story-Teller」だが、「話の上手な人」だとか「物語作家」「嘘つき」という意味がある。タイトルの邦題というのは本当に頭を悩ませる。「話の上手な人」だと「単に喋りが上手い人」というニュアンスが感じ取れるので相応しくないように思えるし、「物語作家」や「嘘つき」も聊か本題からはかけ離れている。個人的には「物語師」や「語り部」が合っている気もするが、何とも取っつきにくい感じがして、結局、過去の偉大なる既訳様々に合わせて「お話上手」で妥協することと相成った。長いものには巻かれておこう。
2. 『テンプルクーム』(Templecombe)
イングランド南方のサマセット州の村。名はテンプル騎士団に由来する田舎の村落。
3. 『叔母』(an aunt)
「an aunt」を「伯母」と訳すか「叔母」と訳すかは、意見が分かれるところだろう。ちなみに既訳ではほとんど「伯母」と訳されている。無論、「an aunt」という語句にそもそも長幼の区別は無いのだからどちらでも構わない(というか、そんな議論自体が不毛)と思うが、ここでは「叔母」とした。伯母さんよりも叔母さんの方が口煩いものだ、という個人的な経験によるものだ(正直、どちらも口煩いものだが……)。
4. 『ひとり客』(a bachelor)
言わずもがな「bachelor」は「独身男」の意味である。だがしかし、どうして一見しただけで列車の同乗者が独り者だと分かるというのか。見も知らぬ他人の結婚事情など一目見ただけでは分かるはずがあるまい……というは建前で、ことあるごとに「独身男」と書かれ訳されている作中の男がひどく不憫に思えたので、同情心から「ひとり客」と訳した次第である。それにしてもこの旅客は、レジナルドやクローヴィスのようである。きっとサキ本人を想定しているのやもしれない。
5. 『ビルマの王都へ続く道』(On the Road to Mandalay)
マンダレイ(Mandalay)は当時のビルマ(現・ミャンマー)の首都。ジャングル・ブックで知られる英国の作家ラドヤード・キプリング(Joseph Rudyard Kipling, 1865-1936)の詩「マンダレイ(Mandalay, 1890)」(詩集「ぼろ小屋のバラッド(Barrack-Room Ballads)」に収録)に、米国の作曲家であるオーリィ・スピークス(Oley Speaks, 1874-1948)が曲をつけたのが「ビルマの王都へ続く道(On the Road to Mandalay, 1907)」である。この歌の最初の一節は「モウルメンの古き仏舎利塔から東方の大海を見ゆ(By the old Moulmein Pagoda, lookin' eastward to the sea)」である。
6. 『非常用の通報索』(the communication cord)
通報索というのは、客室内の窓側の壁に備え付けられている索のことで、おそらく機関室や車掌室に繋がっているので、非常時にこの索を引っ張ることで通報することできる。映画「Back to the Future Part III」を見ると、客車内でヒロインがこの索を引っ張って汽車を止めているのが分かる。
7. 『ベルタ』(Bertha)と『王様』(the Prince)
既訳では「Bertha」は「バーサ」、「the Prince」は「王子様」と素直に訳しているものが多い。ただ「Bertha」というのはゲルマン系の名前で、アングロ・サクソンぽくはない。その響きの珍しさや古めかしさを表現したかったので、英語読みの「バーサ」ではなくゲルマン読みの「ベルタ」にした。「the Prince」もまた、話しの流れから、王族の子息というよりは領主の意味合いが強く読み取れたので、「王子」と訳すよりも「君主」や「大公」と訳した方が個人的にはしっくりきた。はじめは「大公」と訳していたが分かりやすさから「王」とした。まあ、趣味の問題である。