人魔教会⑥
「お前らがやってきたこと全部引っくるめて、その仮面ごとぶっ潰す!!」
「やってみろ!!」
軌道は焔が刀を構えたのを見ると、いち早く神成りの面を発動させ、雲外鏡を焔を囲むように配置させる。
「む、やっぱこう来るよな…。」
神成りの面により光弾の収束もスピードを上げ、すぐさま4つの光弾が練り上がり、発射される。
発射された光弾は鏡同士を高速で移動しながら、焔の周りを飛び回る。
「その光の檻を攻略出来なければお前に勝ち目は無いぞ。」
雲外鏡で囲んでからの光弾の檻は、軌道の死角無しの必勝パターン。この形に追い込んだ時点で軌道はほぼ仕事を終えているのだ。
「確かに厄介だよな、これ…。でも、言ったろ軌道。こっからは本気の本気だって。」
「ほおう、2色目にかなり自信があるようだな?見せてみるがいい、本気の本気とやらを!」
軌道が叫んだと同時に、周りを飛び回っていた光弾の一つが焔の死角から焔に向けて飛び出した。
(速度も威力も落とさずに、死角から放たれる光弾…。完璧だ。これをどう捌くつもりだ、陽滅隊。)
鏡から焔に到達するまで1秒もかからず、必殺の一撃が確実に焔を仕留める。
筈だった…。
「な、何…!?」
なんと焔は背後から迫り来る光弾を、体を少し傾ける程度の最小の動きで避わして見せたのだ。それも背後を確認することなくだ。
その優々と避ける姿はまるで未来が見えていたかのようだった。
「俺の光弾をこうも容易く…。ありえん!」
しかし、焔は次に飛び出した光弾も同じような動きで避けて見せる。
「くっ!ではこれなら…。」
「光弾・乱射。」
焔の周りを飛び回っていた光弾が、中心にいる焔を狙うように中心を通りながら鏡間を移動し始める。その様子はさながら、銃弾が鏡間を飛び交っているようだった。
これでは、様々な方向から次々と飛んでくる光弾を焔は避け続けなければならない。
「おいおい、あんなの避けきれねぇぞ!」
大地含め、清水班・柊木班の面々も思わず身を乗り出す。
しかし、皆の心配は杞憂に終わる。
なんと、またもや焔はその場から足を動かすことなく全ての光弾を難なく避けていく。
360度至る所から襲いかかる光弾を気配と恐ろしいまでの身体能力だけで避けていく様は軌道に畏怖を抱かせる程だ。
(おかしい…、初めからコイツの身体能力には異常なものがあったがそれを踏まえても今の動きは異常すぎる。)
焔の背中から垂れる妖気でかたどられた尻尾には一つ一つに莫大な妖気が秘められており、その一本一本に異なる性質の妖気が流れている。
現在、軌道含めこの場の全員を驚かせているこの人間離れした驚異的な動きは数ある尾の内の最初の一本、「一尾」による効果だ。
「一尾」は焔を九尾へと近づける最初一本、その莫大な妖気により焔の五感、身体能力を本物の九尾とまでは行かぬまでも飛躍的に向上させる。
「そろそろ反撃と行くか!」
焔は光弾を難なく避わしながらそう言うと、足に妖気を集中させる。
そして次の瞬間には、焔を囲うように空中に浮いていた鏡のうちの一つが音を立てて粉々に砕け散った。
「何!!?」
見ると、焔が妖化によって強化された足で鏡を蹴り壊したようだ。誰にも悟られない程のスピードで鏡へと近づきそれを成したのだ。
(アイツ…、いつの間に移動した!?移動したのが一切見えなかったぞ…。)
軌道がそんなことを考えている内にも、焔は次々と鏡を破壊していく。
鏡が破壊されたことにより、転移出来なくなった光弾はそれぞれに散らばって飛んでいき、ホールの壁を破壊して消えいく。
「光弾の檻、破れたりッと!」
焔は周りを囲っていた最後の鏡を破壊すると、どうだ!と自慢げに笑う。
「軌道!お前の策は破れた、もう俺はあんな弾には当たらねぇぞ!!」
「そのようだな、だがこれならどうだ?」
軌道は内心焦りを抱えながらも、それを悟られぬよう淡々と次の手に打って出る。
軌道が闘気を練り始めると、軌道の背後に最大数だったはずの4つを大幅に超える、数十個もの光弾が収束し始める。
「おいおい、マジか…。」
搦め手で通用しないなら、単純な物量で押し潰して仕舞おうということだろう。確かに、単純な手ではあるがだからこそ厄介であることもある。
「4つで最大じゃなかったのか!?」
「この神成りの面は便利なものでな。妖気の能力を扱えるだけでなく、闘気の強化も同時に行える。」
そうしている間にもどんどん光が収束していき、その全てが発射準備を完了する。
「光弾・一斉射撃。」
収束された数十もの光の弾丸が一斉に焔へと向かって発射される。
「どれだけ動きが速かろうと避ける隙間も無ければ意味も無かろう。」
「やるな、軌道!」
しかし、数十もの光弾が目前に迫りながらも、焔は平然とした態度を崩すことはない。
「二尾狐火・火炎壁ッ!」
ゴウッ!!!
焔の纏っている妖気と同じく蒼い炎が、光弾を遮るように大きな壁となって燃え上がる。
この蒼い炎は「二尾」に宿る能力である「狐火」によるものだ。狐火は九尾の放つ特有の炎で普通の紅い炎と比べると温度・威力・持続力共に強力になっている。
「すげ〜、あの蒼い炎が焔の二色目なんか…。紅い炎と蒼い炎…、なんかロマンやな雛形…。」
「・・・・・・・。」
「雛形…?どうした…?」
「え!?あ…、いや何でも…。」
「ロマンだね…、響…。」
「お、おう…。」(陽太は乗って来るんかい…。)
燃え上がった蒼い炎の巨大な壁は、数十もの光の弾丸をものともせず、その全てを防ぎきった。
「あれを全て防ぎきる…だと…。」
軌道は炎の壁を睨みつけながら、冷や汗を流して膝をつく。それもそのはず、最大4つが限界だった光弾を神成りの面で無理矢理能力を引き上げているのだ、その分体に反動が帰ってきてしまうのだ。
「ほら見ろ、その神成りの面ってのが体を蝕み始めてる。勝負はついたろ。武器を捨てて投降しろ。」
「敵の心配とは、随分と余裕だな…。体への反動など承知の上、殺す気で来い!!」
軌道は焔の言葉には応じず、すでに着けている神成りの面の上からもう一つの面を装着する。
「あれは入り口で会った時の!!」
「来いッ!!!」
軌道がそう叫んだと同時に焔はフッと姿を消し、気づいた時には軌道の目の前へと飛ばされていた。
「やべッ!!」
軌道は焔が消える直前に刀を構えており、焔が目前に飛ばされて来た瞬間に素早く刀で薙ぎ払う。
ガギッ!!!!
焔はすんでのところで軌道の攻撃を刀で防ぐと、その衝撃で後方に飛ばされた。
「ッぶね!!!」(でも、こんくらいなら!!)
焔は吹き飛ばされながらも体勢を入れ替え、地面を力強く蹴り飛ばし、軌道へと向かって突進する。
「やはりな。お前ならそうすると分かっていたぞ!」
しかし、軌道はそれを分かっていたかのように突っ込んで来る焔へと向かって刀を向けていた。
そして、すでにその切っ先には最大限にまで収束した光弾が眩いほどに光り輝いている。
「あかんッ!!!軌道のヤツ最初からあれが狙いやったんか!!!」
「焔ッ!!!!!」
これには響と志乃も思わず絶叫する。
九尾の妖気を発動させているとは言え、焔の体自体は人間の体に他ならない。体は満身創痍のままだし、圧倒的な治癒力がある訳でもない。
今度、軌道の光弾を受けて仕舞えば致命傷では済まされないのだ。
「いくら化け物じみた反応速度と身体能力があろうと、この距離から強化した俺の光弾を避けることは不可能!」
次の瞬間、最大限まで収束された光弾は焔へと向かって一直線に発射された。
すでに軌道へと向かって来ている状態の焔ではこの光弾を避けることは出来ない。
慌てて刀で弾こうとする焔であったが、不意を突かれているが故にそれすらも間に合わなかった。
光弾が焔の刀の数センチのところを通り過ぎ、焔の腹の辺りに直撃する。
「うぐッ!!!!」
焔はその勢いで少し押し戻されつつも、何とか倒れることなく踏ん張った。
左手を腹を押さえるように添え、顔を下に向けたままピクリともせずに突っ立っている。表情も前髪に隠れて伺うことができない。
どうやら貫通はしなかったようだが、今頃焔の腹部はドクドクと血を垂れ流しているだろうことは容易に想像できる。
「今の光弾でおそらくお前の内臓は修復不可能なほどに破壊されている筈だ。立っているのも辛かろう。」
しかし、軌道はそう言いながら焔に一つの違和感を覚えた。
出血を抑えていると思われていた左手から全くと言っていいほど血が滴っている様子がないのだ。
軌道がその違和感に気づいた時、焔がゆっくりと顔をあげその表情が露わになる。
「流石に今のはちょっと焦ったぞ…。」
焔は苦しげな表情に冷や汗を流しながらも口だけはニカッと笑っていた。
どうやら、光弾が直撃したはずの腹部には傷を負っている様子はない。
「どういう事だ…、俺の光弾は確実にヤツを捉えたはず…。」
軌道が何が起こったのか分からず、思考を巡らしていると、焔が腹部を押さえていた左手を軌道に見せるようにして前に差し出した。
「ヘヘッ!驚いたろ、さっき壊した時取っといたんだ。」
焔の左手に握られていたのは、焔の手の平ほどの大きさの鏡の破片だった。
「それは…、雲外鏡の破片か!?」
「その通りッ!そんで、用意周到なお前なら今も配置してるはずだよな、俺から死角になるお前の背後によぉ!!」
「まさかッ!!!!!!」
軌道が全てに気づいて後ろを振り向こうとした瞬間、軌道の左肩を光弾が背後から貫いた。
「ぐぉおお!!!」
激しい痛みに思わず跪いた軌道の背後から現れたのは、唯一破壊されずに残っていた一枚の雲外鏡だった。これは正しく軌道自身が隠し玉として用意していたものだ。
焔は隠し持っていた雲外鏡のかけらで光弾を受け止め、その光弾が唯一残されていた雲外鏡へと転移され、今の状況に至った。
「く…、くそ…。」
軌道は懸命に立ちあがろうとするが体が言うことを聞かない。
そうこうしているうちに軌道を影が覆い、見上げるとそこにはいつの間に近づいたのか焔が見下ろすようにして立っていた。
「陽滅…隊…。」
「狐火・斬。」
焔の刀が振われ、神成りの面が灰になったのと同時に軌道の刀が遠くに蹴り飛ばされる。
「今度こそ俺の勝ち…、だよな?」
焔が問いかけると、軌道は応えることなくゆっくりと俯いた。
「コン、頼む。」
「キュイキュイ!!」
焔にコンと呼ばれた小さな子狐の形をしている式神は焔に応えるように縄へと姿を変えると軌道を拘束した。
「あれ?なんか、焔の式神しっぽ二つに増えてね?」
「うん?そうだった?」
焔と激しい攻防を繰り広げた軌道は、九尾の妖気を発動した焔の前に敗北。
清水班・柊木班共に任務の成功を喜び合い、大地が女子陣にハグを拒否られるなどした後、今に至る。
「今からお前たちの身柄を警察に引き渡すからな?」
九尾の妖気を解除し、すっかり元の姿に戻った焔は軌道に向かって声をかける。
「待って、焔くん。この人にいくつか聞きたいことがあるわ。」
座り込んでいる軌道を連れて行こうとする焔を静止し、薫が軌道の前に立つ。
「地下へ捕らえられていた彼らに聞いたわ。彼らより以前から捕らえられていた人達がいたと…。その人達をどこへやったの?」
「薫…、それって…。」
これには焔達全員が驚きの表情を浮かべる。
「引き取りに来た仲介人に引き渡した。どこへ連れて行くのかは俺も知らされていない。だが、一つだけ分かることがあるとするならば奴らの魂と体はとうに分離させられているだろうということだ。」
「あなた達以外にも仲間が…?」
「俺達なぞ末端も末端、ここ以外の教会の拠点は知らされていないし、他の幹部連中にも会ったことはない。」
「ちょっと待て!じゃあもう引き渡したって奴らは…。」
「お前たちの考えている通りだ。」
「お前なんの罪もない一般人を!!!」
焔が軌道に詰め寄ろうとするのをなんとか薫が静止する。
「ちょっと待て!!俺達が捕らえていたのは主に世にのさばってる犯罪者共だ!一般人に手をかけたことは誓ってねぇ!!」
「いや、そんな訳ないぞ!俺達は村でお前らが村人を拉致しようとしてたってのは聞いてんだ。それに、現にうちの隊員も警察官も捕まってたんだろ?」
副助祭の中で唯一意識を保っていた源藤が痺れを切らしたように反論するが、それを大地が遮る。
「それは俺達の部下が暴走してやったことだ!!俺達はなんの関与もしてねぇ、だよな軌道!」
「そんなの誰が信じるんだ!」
「いいえ、大地くん。彼の言っていることは本当よ。それは捕まっていた陽滅隊員に聞いて裏が取れてるわ。」
薫は皆と合流する前にある程度の情報は聞き出しており、以前に捕まっていた人物は軒並み指名手配されるほどの凶悪な犯罪者であることや部下が陽滅隊員達を連れてきた時、軌道達が叱責していた事などは情報に入っていた。
「だとしてもだろ…。」
焔が鋭い目つきで軌道を睨みつける。
「別に言い訳をするつもりもない。俺たちが原因で何人も人が死んでいることには変わりはない。煮るなり焼くなり好きにするといい。」
軌道は表情一つ変えずに淡々とそう答える。
「だが、司祭...、いや先生だけは俺たちの拉致監禁云々には一切関与していない。ただ司祭として訳も分からず祭り上げられていただけだ。」
軌道は未だに十字架へと向かって体を揺らしながらぶつぶつと何やらつぶやいている高齢の男性を見やる。
「先生...、そういえば追川樹里がそんなこと言ってたような...。」
志乃がアッと思い出したように言う。
「先生とは一体何者なの?」
「先生は...、俺たち5人の命の恩人、そして俺たちの育ての親に当たる人だ。」
薫の質問に源藤が顔に影を落としながら答える。
「アンタらの育ての親...。」
源藤は血がにじむほどに拳を握りしめながら、ぽつぽつと自らの過去を語り始めた。
時はさかのぼり、軌道大信ら5人の幼少期にまでさかのぼる。
軌道ら5人の生まれた家はそれぞれ貧しい家で、子供の食事などろくに用意もせず、日ごろのストレス発散に自らの子供を殴りつけるようないわゆる毒親と言われる両親を持つ子供たちだった。
ある者は捨てられ、ある者は売られ、ある者は命からがら逃げだし、ある者は両親が夜逃げし、ある者は無理心中に巻き込まれかけた。心や体に一生消えることのない傷を抱え、人生に絶望し、いつ命が尽きるかも分からずにさまよっている、軌道たち五人はそのような子供たちだった。
しかし、そんな地獄のような日々にも一筋の光が差し込む。5人はそれぞれ運が良かったというべきか手を差し伸べてくれる大人、先生と出会ったのだ。
先生こと川西良治は、村の小さな塾で子供達に勉強を教えている男性だ。心優しく、穏やかで誰に対してもゆっくりと丁寧な口調で話すような人物だった。
結婚はしていたものの若くして妻を亡くし、子宝にも恵まれていなかった。元来子供好きだった男は、妻を亡くした悲しみを埋めるように身寄りの無い子供達を引き取って育てるようになり、いつしか家で塾を開けるのではないか思えるほどの子供達を育てるようになった。
そんな男を村人や子供達は、仕事や家での様子から敬意と尊敬の念を込めて先生と呼ぶようになった。
そして、その先生に拾われた子供達の中で最も年長の5人が軌道達だった。
軌道達やその他の子供達もなにも初めから先生に心を許していた訳ではない。何度も何度も反発しぶつかり合う中で、時には優しく包み込み、時には厳しく叱ったりしながら真剣に向き合ってくれる先生の姿勢にいつしか子供達も心を許すようになったのだ。
先生や他の子供達との生活により、心の傷も少しずつ癒て、こんな生活がいつまでも続けば…。そんなことも考えるようになっていた。
しかし、その日は唐突にやって来る。
「先生、今日帰れないって本当か?」
「大信、申し訳ありません。この村から少し離れた街で講義をしてくれと頼まれまして…。苦労をかけますが、他の子達のことお願いできますか?」
「それはいいけど…。」
「先生…、帰って来ないんですか…?」
「樹里、心配しないでください。明日の朝には帰れるようにしますから。それに、今回講義に行くお陰で懐にかなり余裕ができそうなんです。街でご馳走を買ってきますから、帰ったら皆んなでたべましょうか。」
「先生!それ本当!?」
「やったぜ!ご馳走だ!!」
「やった!やった!」
先生が樹里の頭を撫でながらそう言うと、それを聞いた詩織と拳と閉司は目を輝かせる。
「では、それまでいい子にして待っていてもらえますか?あなた達5人はもうお兄ちゃん、お姉ちゃんなんですから他の子達のこと頼みますよ?」
「「「「「はい!!!!!」」」」」
「それでは、私はそろそろ行ってきます。危ないことはくれぐれもしないように。大信、頼みましたよ。」
先生は最後に大信の頭をポンと撫でると、街へと繰り出して行った。
先生を見送った後、大信ら5人は先生の言いつけ通り、いつも以上に他の子達の世話をし、注意を巡らせた。
幸い何事もなく一日が過ぎ去り、皆んなで夕食をとった後、遊び疲れた子供達は次々と眠りについていった。
「ふぅ〜、やっと皆んな寝てくれた〜。」
詩織は布団でぐっすりと寝ている子のお腹をポンポンと優しく叩きながら一息つく。
いつも以上に気を張っていたこともあり、今日一日でどっと疲れてしまったようだ。
「私たちもそろそろ寝る?」
「そうだな。王手。こっちもちょうど終わった。」
「げ!?い、いつの間に手詰まりに!?」
「やっぱ、大信は強いなぁ。」
「・・・・・・・・・。」
大信は悔しがる拳を尻目にそそくさと将棋盤を片付けると、さっさと自分の布団を敷き始める。
「ちぇ、もう寝んのかよ…。」
「まぁ、そろそろ夜も遅いしね。」
それを見た拳と閉司も大信に習い布団を敷き始める。しかし、5人の中で唯一未だに膝を抱えて床に座ったまま動かない者がいる。
「ちょっと、樹里?もう皆んな寝る準備始めてるわよ?樹里は寝ないの?」
「・・・・・・・・・。」
詩織が訪ねてみるものの、樹里は俯いたまま返事をすることはない。
「ねぇ?そうやって黙ってちゃ何も分からないっていつも言ってるでしょ?」
「・・・・・・・・・・・。」
「大方、先生がいなくて寂しいんだろ。」
「そうなの?」
「だって、先生帰ってこないんだもの…。」
樹里は大信の言葉に同意するように、静かに口を開いた。
「そうは言っても先生は明日の朝にしか帰らないんだし…。」
「あ!!それじゃあよ、先生の部屋で寝たら樹里も寂しくねぇんじゃねぇか?」
「ああ!それはいいかもね。」
「アンタ、拳の癖になかなかいい案出すじゃない。」
「んだと!?!」
「ねぇねぇ、大信?私達5人だけ先生の部屋で寝ない?」
「まぁ、今日くらいいいだろう。」
詩織の提案にすでにすっぽりと布団をかぶっている状態の大信が応える。
「よっし、決まり!樹里もこれから寂しくないでしょ?アタシらもついててあげるし!」
「うん・・・・・・。」
こうして、大信ら5人はちょうど子供達の寝ている部屋の真隣に位置する先生の部屋で寝ることにした。
最初は寂しがっていた樹里も布団に入って仕舞えば疲れもあってかすぐに寝息を立て始め、他の4人も次々と眠りについていった。
それから何時間経っただろうか、夜も深まり大人でさえ出歩かなくなる時間帯、大信達は耳をつんざくような子供達の悲鳴により目を覚ますことになる。
「は!?な、何よ今の声!?!!」
今までに聞いたこともないような只事ではない悲鳴を聞き、慌てて飛び起きた5人は一切状況を飲み込めず、思わず辺りを見回す。
「何なんだよ…、今の!!!」
「すごく、声が近かったような…。」
するとすぐに5人は、真横にある他の子供たちが寝ているはずの部屋からドタバタと走り回っているような音が聞こえていることに気がついた。
ちょうど、大信達のいる部屋と他の子供達のいる部屋は障子の襖で仕切られており、外から入る月明かりによって大信達から走り回る子供達の影が襖の障子に写って見えていた。
「もう、あの子達何を騒いで…。」
「ま、待て…。」
子供達がただ騒いでいるのだと思い込んだ詩織が子供達の部屋へ行こうとするのを大信が引き止める。
「ちょっと、何すんのよ。あの子達叱ってやらないと…。」
詩織がそこまで言いかけた時、何かに気づいた閉司が声にならない悲鳴をあげて尻餅をつく。
「おい!どうした閉司!」
何事かと拳が駆け寄って閉司に声をかけるが、閉司はブルブルと体を震わせ、口をパクパクさせながら震える指で子供達の寝室の方を指差すだけだ。
「一体なんだって・・・・・、」
一斉に閉司の指差す方を見た他の4人は、思わず絶句する。
そこには子供達の影の他に、およそ人間のものとは思えない巨大かつ恐ろしい化け物の影が佇んでいた。
「お、おい…、何なんだよ、あれ…。」
子供達はただ騒いで走り回っているのではなく、障子の向こう側にいる得体の知れない何者かから逃げ回っているのだとその瞬間に5人全員が理解した。
「あ、あぁ…、だめ…、あの子達を守らないと…。」
すると、詩織が狼狽した様子でガタガタと震える体を押さえつけ、ハイハイのように床を這って子供達の元へと向かおうとする。
「ダメだ、行くな!」
大信がそれを引き留める。しかし、それでもなお詩織は子供達の元へ向かおうとする。
すると次の瞬間、子供達の絶叫と共にビシャッと液体が飛び散ったような音が5人の耳に飛び込んできた。
「あ…、ああ…。」
見ると、化け物に乱暴に持ち上げられた頭と胴が分かれた子供の影とべっとりと張り付いた真っ赤な血飛沫が障子を染めていくところだった。
「う…、うぐ…。」
衝撃の光景を前に絶叫しかけた詩織の口を大信が必死に手で押さえつける。ここで声を出して仕舞えば、化け物に見つかってしまうからだ。
そして、その隣にはカタカタと声も出せずに震える拳と閉司。樹里の座りこんでいる畳にはみるみるしみが広がっていっている。
ショックで動くことの出来ない5人を尻目に、化け物の影は次々と子供達を襲い、聞いたことも無いような人の断末魔の叫びと共に障子が血に染まっていく。
それから何秒、いや何分の間、5人が障子から目を離せずに固まっていたかは分からない。
咄嗟に我に帰った大信は、未だに固まって動けずにいる4人を見て、どうにかして身を隠さなければと震える体を無理矢理押さえつけ、必死に動き出した。
「おい、拳、閉司!今すぐあそこの押し入れに隠れるぞ!詩織と樹里を連れてくの手伝ってくれ!」
詩織と樹里の様子を見るに、自ら動くことは出来ないだろうと判断し、拳と閉司に助けを求めることにした。
始めは声をかけても反応もしなかった二人だが、頬を力一杯引っ張ってやるとどうにか動き始めた。
恐怖というのは文字通り恐ろしいもので、ただ押し入れに隠れるという簡単なことがかくれんぼの時のように上手くいかない。
逸る気持ちとは裏腹に、体が震えて全く言うことを聞いてくれないのだ。それに今は、全く動けなくなってしまっている詩織と樹里を抱えてそれを行わなければならず余計に時間がかかってしまう。
それでもなんとか、化け物に気付かれる前に全員が押し入れに入ることが出来た。
恐怖で叫び出してしまわぬよう、大信と拳はそれぞれ詩織と樹里の口を片手で押さえつつ、自分の口も押さえていた。もちろん閉司も両手で自分の口を押さえ込んでいる。
押し入れの襖を数ミリだけあけ、大信だけが外の様子を伺えるようにした。化け物が迫った時、逃げ出せるようにする為だ。
そうこうしている間にも、化け物は動きを止めることなく変わらず子供達の絶叫と血の飛び散る音だけが屋敷内に響き渡っていた。
そのような異常な状況に5人が平静でいられるはずもなく、気がおかしくなってしまいそうになるのを必死で堪えながら、口と震える体を互いに押さえつけ、嵐が過ぎ去るのを祈りながら待つことしか出来なかった。
数十分後、あれだけ悲鳴を上げていた子供達の声が絶え、あのおかしくなりそうな飛沫の音もいつの間にか聞こえなくなっていた。
静寂を切り裂くようにあの化け物が障子を蹴り破って5人の隠れる部屋へと姿を現す。
「ナンダ…、モウオワリ…カ…。」
しゃがれた恐ろしい声に最近覚えたかのような拙い喋り方で辺りを見回している。
(くるな…、くるな…、くるな…!)
心の中で祈りにも似た思いを叫びながらも、化け物から目を離すことは出来なかった。
化け物はしばらく部屋を見回した後、首を傾げて別の部屋へと歩いていった。
「はぁぁあ…。」
極度の緊張から解放され、思わず安堵のため息を漏らす。
危険が去ったことを伝えるため、押し入れの奥で耐えている4人に目配せをすると、放心している詩織と樹里を除く閉司と拳がコクコクと頷いてみせた。
しかし、このままずっとここで隠れていてはいずれ見つかってしまうかもしれない。そう考えた大信は、もう一度部屋を確認する為に開けっ放しにしていた襖へと目を向ける。
「ひッ!!」
そこにあったのは押入れの隙間からこちらを伺うように大きく見開かれた化け物の瞳だった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ!!!!!」
目が覚めたのは先生のつんざくような絶叫を聞いた時だった。
見回すと大信は未だ押入れの中で倒れたままであり、他の四人も同じように倒れていた。見たところ四人が傷を負っているような様子はなくただ気を失っているだけのようだ。
開けっ放しの押入れの隙間からは太陽の光が差し込んでおり、現在が朝方であることは確認することが出来た。
「痛ッ!」
起き上がろうとするといつのまに負ったのか、右足の切り傷がズキンと傷んだ。大方、昨夜のあまりの恐怖で怪我を負ったことに気づかなかったのだろう。
昨夜のことは悪い夢だったのだ、そう思い込もうともしたが、痛む右足の傷と先生の絶叫がそれを許してはくれない。
急に寂しくなり、赤黒い染みと鉄臭い匂いの漂う屋敷を駆け抜け、先生の元へと駆けていった。
先生は両膝を地面に着き、目の前の状況を呆然と見つめいていた。
そして、そばには落としてぐちゃぐちゃになってしまった豪勢なお弁当が散らばっていた。
「先生ッ!」
思わず先生に抱きつくと、自分に気づいていなかったのか先生は一瞬驚いたような顔をした。
「ぐふっ!ぐ…、ぐうぅぅぅぅぅ…」
そして、大信を弱々しく包み込み、嗚咽を漏らして大粒の涙を流しながら泣いた。
今思えば、この時にはすでに先生の心はとっくに壊れていたのだろう。
それから先生は、大信を抱きしめたまま何時間も泣き続けた。
「なんて有様だ。お辛いでしょう…。」
いつの間にそこにいたのか、全身白の出立ちをした男が二人そこに立っていた。
二人とも長身の男で、大信の身長ではしっかりと顔を伺うことは出来なかったが、その内の一人が自分は人魔教会の教祖だと名乗った。
「坊や、怪我をしているじゃないか…。どれ見せてみなさい。」
教祖だと名乗る男は地面に片膝をついて大信の傷の状態を確認すると、人差し指と中指の2本を立て空を切るような仕草をしながら何かをポツリと呟いた。
すると、何をしたのか傷が何事もなかったかのように消え去ってしまった。
それを隣で見ていた先生は、光を失った目でその男を見あげる。
「これは我らが神から授かった力です。川西先生、貴方は素晴らしいお方です。神に尽くしさえすれば、神は子供達を貴方の元へ返してくれるでしょう。」
その時の先生には、それが救いの手に感じたのだろう。先生は男に額が地面につくほど頭を下げていた。
「そら、君も何か声をかけてあげなさい。」
教祖がもう一人の男に声をかけると、男は大信に目線を合わせるようにしゃがみ込み、大きな目を見開きながらしゃがれた声でこう言った。
「ダイ…、ジョウブ。ミンナカエッテ…クルヨ…。」
その大きな瞳と声で大信は昨夜の全てを思い出した。
化け物は大信達を見つけた後、「ノコシテオカナイト…。」と言う言葉を残し、屋敷から去っていったのだ。
全てが繋がった。昨夜の出来事は初めから人魔教会に仕組まれたことであり、全ての元凶はこの教祖を名乗る男だ。
そして、この目の前にいる不気味な笑顔の男こそが昨夜の化け物なのだ。
〜現在〜
「後から聞いた話によると、襲われたのは先生の家だけではなく近隣の村なども被害を受けていて、その生き残りは皆、人魔教会に入信していたそうだ…。」
源藤が過去を話し終えると、付け足すように軌道がそう語った。
「なんてひどい…。」
志乃は口元を手で覆い、言葉をなくしている。
「それから先生はまともに話せなくなり、今でもああやって殺された子供達の名前を唱え続けてる…。」
「あきら・・・、かほ・・・、たいち・・・」
軌道が悲しげに見つめる先で、やつれた高齢の男性は地面に膝をつき、今も十字架に向かって体を揺らし続けている。
「では、なぜあなた達はそんな人魔教会の元で働いているの?」
話を聞き終えた薫は、当然の疑問を口にする。
「あの夜、心を折られたのは先生だけじゃない。俺達は今でも妖怪・妖魔を見ると震えて動けなくなる…。それに、身寄りの無かった俺達は人魔教会の元でしか生きることが出来なかった、そういう理由だ…。」
「そう…。」
薫も思うところがあったのか、伏せ目がちに俯いている。
「お前らの話はよ〜く分かった!どれだけ辛い過去だったかってことも理解したつもりだ。でも!それでも、お前らの行いが仕方なかったことにはならねぇと俺は思う!」
これまで黙って聞いていた、焔が口を開く。
「いくら犯罪者だけを狙っていたとしてもだ!命の価値に違いはないはずだからな…。」
「そんなことは分かっている。ただ先生は人魔教会のいち被害者だと伝えたまでだ。」
軌道達は自分の保身の為ではなく、ただ先生を守る為だけに過去を語ったのだ。
「けどさ、けど…。これだけは言っとく。俺は必ず人魔教会をぶっ潰す!!」
焔は軌道の目を真っ直ぐに見つめ、そう言い放った。
「ふん、同情のつもりか?お前がこれから何をしようと俺達の過去は変わりはしない。」
「ヘヘッ、かもな!でもさ、悔しいじゃねぇか…。なんで、そんな辛い目に遭わなきゃならねぇ?何かした訳でもねぇのにって…。それじゃ、あんまりじゃねぇか!」
「焔…。」
焔の震える声に志乃も思わず声を漏らす。
「確かにお前らの過去は変えられないし、俺じゃお前らは助けられなかった。でも、これからの子供達なら助けられる!二度と誰かがお前らと同じような思いをしないように俺が全部助ける!」
「・・・・・・・。」
「だから、お前らしっかり罪を償ってこい。こっからは俺達の仕事だ!」
「生意気な、お前もまだ子供だろうに…。まぁいい、好きにしろ、千景焔。だが、せいぜい気を付けるがいい。奴らはお前達が思っている以上に巨大な組織だぞ。」
「にししッ!おう!!」
その後しばらくして警察官の応援が駆けつけ、その場にいた軌道達5人を含めた人魔教徒を連行していった。
警官に連行されるなか、軌道は最後に振り返り、
「最後にもう一つ忠告だ。人魔教会には、百鬼夜行とかいう別の組織と繋がりがあるそうだ。噂によれば、その組織の使者は人の姿をした化け物だったとか…。
その詳細は不明、頭に入れておいて損はないだろう。」
そう言い残して、軌道は連行されていった。
「百鬼夜行?なんだそれ?」
「おいおい、百鬼夜行って言ったら…。」
「ええ、百鬼夜行と言えば過去2回この国で起きた大事件。妖怪の総大将 ぬらりひょん率いる妖怪の大軍による大行進。いずれも日の国は甚大な被害を受けているわ。」
「有名な事件だけど、そういう名前の組織は聞いたことないよね?」
「危ない教会と繋がる謎の組織、分からんことが多すぎて…。てか、雛形はどこいった?」
「ああ、雛形さんなら先に戻るって言ってたよ。そう言えば、少し顔色が悪かったような…。」
清水班・柊木班ともに百鬼夜行という組織について知っている者はいないようだ。
「だあぁあー!!全然分からんし、俺はもう動けない〜!!!」
「む、情け無いぞ大地…、な!?ボロボロじゃねぇか!!大丈夫か、お前!!?」
「それはアンタも同じでしょ?焔…。あんまり無理しないでよ?」
「まぁ、任務は成功したことだし人魔教会と百鬼夜行については隊長に報告して調べてもらいましょう。みんな今日は帰ってゆっくり休みなさい。」
「そうだな!よっし!!帰ろぉーーーー!!!!」
「陽太、アイツなんであんな元気なん?」
「さぁ。」
こうして、消失村から関連する一連の問題は、軌道率いる人魔教徒5人とその部下の捕縛により解決。先生こと川西良治は、軌道らによる拉致監禁云々の犯行には一切関与していなかったとして罪に問われることはなかった。
今回、人魔教会の行いが明るみになったことによりその規模と危険性を加味し、国家公安委員会率いる警察と陰陽省直下の特殊組織 陽滅隊が協力し本格的に捜査が行われることが決定した。
また、清水班・柊木班の7人は入隊して間もないにも関わらず難易度の高い任務を解決に導いたことから、それに対する報奨とそれぞれの隊長からたくさんのお褒めの言葉を頂く結果になったという。
ここで一旦人魔教会編が終わりました!
ちなみに、あらすじには書いていたのですが本編に初めて出たと思うので補足すると、一応陽滅隊は日の国の政治を担う、政府の陰陽省直下の組織ということになります。なので焔達は一応公務員でもあります!
長かった人魔教会編、面白かったという方は評価・コメント等していただけると嬉しいです!!




