ずるずる子鹿(再)
この世界には空にふたつの月がある。
近く大きなものと、遠く、豆粒のような月。
互い違いに昇ったり、追いかけっこをしたりする。
それがそのどちらもが揃って同じように夜空に昇る日があるらしい。
その日はやっぱり、世界にも様々な作用があると、おじ様は教えてくれた。
潮の満ち引きや、人の体調の変化、精神の揺らぎ。季節の移ろい。普段のいつにも増して変化を感じるとのことだ。
良いね。
そういった世界の動きが活発な時は、力を貰い受け易い。
私は帰還の日を、ふたつの月が一緒に空に昇る日に決めた。
ちなみに同日に満月になることもあるとか。
揃って満ちることは何十年に一度とかの周期らしい。そりゃそうだろうね。
でもさすがにそれを待っていられるほど気長では無い。
「私のお前、こっちに来い」
とうとう『お前』と呼ぶだけでは満足出来ず、頭に『私の』が付くようになった。
もういちいちにイラっとしたり、揚げ足取るのにも疲れてきた。
リコの仰る通りに、広げた腕の中に入ってやる。膝の上に座るのだって、どうってことない。
もぞもぞ撫でられるのだって慣れたもんさ。
リコは満足そうに私を抱き寄せると、長椅子に寄りかかる。落ち着いた様子でゆっくりと息を吐き出した。
私の頭を掴んで、リコは自分の肩に乗せようとぐいぐい押している。
これも素直に従ってやる。
口付けでも何でも、別にしたけりゃするが良いさ。
でも、うーん。
もう少しあちこち採取に行きたかった。
こりゃしばらく離す気は無いな。
可愛らしくおんもに出たいと拗ねてやろうか。
まぁいいか、面倒だし。なんか演じるのもしんどくなってきた。
多分、身体の内に溜め込んだ力の制御に神経を注いでいるからだ。
ふと油断したらふわふわ流れて出そうになる。せっかく集めたのに、もったいない。
ぐるぐる循環させながら留めておくには、そこそこ心の平静を保たないと難しい。
元いた世界では呼吸するより無意識に出来てたことが、こっちだとまぁまぁ集中力が要った。
「どうした考えごとか? 腹でも空いたか」
うん……腹は空いたな。
お腹を押さえる仕草で示すと、リコはふふと笑って、私を横抱きにしたまま立ち上がる。
「甘い菓子が良いか? それとも果物にするか?」
生の果物がいいな。あまり手の加わってない食べ物の方が良い。
二本の指を立ててリコに見せると、分かったと頷いた。
リコが選択肢を用意して、私が選んでそのぶん指で表す。
いつの間にか定着したやり方で、リコだけが喋り、私の方が話さないという不便はかなり目立たなくなった。
今更リコも、どうにか声を出させようとは考えなくなったみたいだ。
ああ、もしかしたら。
私に気を使って、もう言わないようにしているのかもしれない。
こいつ、なんて言うか。
まぁ、ちょっとは見られるようになってきたかな。
他人のことを自分の手足か、それ以下にしか思って無さそうだったけど、なんだかおじ様や、護衛騎士君に掛ける言葉が柔らかくなった。
時には優しさや、労いの気持ちを表している。
人は恋をすると変わるねぇ。
大人になって初めてなら尚のことだねぇ。
おじ様にはそこはかとなく余裕が見られるようになった。
護衛騎士君からは、握手を求められて、感謝の言葉をもらった。
うんうん。
敬いたまえよ、遠慮なく。
しょぼい国王を、まぁ人としてそこそこの水準にまで押し上げてやったんだからな。
充分じゃ無いだろうけど、まあまあ国の為にはなったでしょうよ。
ここらで勘弁していただこう。
綺麗に晴れた夜。
濃紺の空を引っ掻いたような白い月が大小、ひと目で見える位置にいた。
小さな星の粒々も、大小綺麗に瞬いていた。
夕食を済ませた後、庭に出た私の後を、リコが付いて追いかけてくる。
「良い月だな……」
うん。
確かに良い夜空だな、リコ。
でもこれは、私の知る星の並びじゃない。
じゃあな。
衣食住で、かなりな贅沢をさせてもらったよ。
大昔にひと時、国と王に仕えたことはあったけど、その時はあまり人としては扱ってもらえなかった。
王城に居ながらも、質素で簡素なもんだったよ。
それに比べたら。
本当にお姫様みたいな生活だった。
慣れることは無かったけどな。
私が市場で買って、この国に持ってきた、高純度の白金と鋼。それから鉱石なんかは、この国には無いものだってディナートおじ様が言ってたよ。
売るなりなんなりして、自由にしてくれて良い。宿代の代わりだ。
着てきた服はさっさと捨てろ? 持ってられると気持ち悪いからな。
うん。
やっぱり良いな。
庭のあちこちに力が細く糸を引いているのが見える。
端から手繰り寄せて、身体の中で練っていた力と混ぜて縒り合わせる。
「……どうしたんだ、私のお前」
私はね、リコ。
閑寂の魔女って、二つ名が付いててね。
声が出ないのは、病気だからじゃ無いんだ。
私の魔力は強過ぎて、声に術が絡みつく。
音にすら呪が乗ってしまう。
「…………じゃあね、リコ。さようなら。……この世界も、ありがとう」
私の世界の詠唱でも上手く発動した。
見慣れた真っ白の光は、目が開けていられない程になって。
それが落ち着いた頃には。
緑深い見慣れた色の中にいた。
すこし湿り気のあるすっとした香り。
濃淡様々な緑と、ひっそり謙虚な花々。
うるさいくらいの鳥の声。
帰ってきた。
私の森に。
『ご主人んんんんーーーーーー!!!!!』
「ぐは………………っ!」
『どこ行ってたのもうどこ行ってたのもうどこ行ってたのもうどこ行ってたのもうどこ行ってたのもう心配したんだぞ!!!!!!』
……大変良い体当たりだな、ノアル。大も小も腸が引き千切れそうだ。
内側に一歩踏み込んだ途端これか。
思ったより早いぞ。構える隙も無かった。
腹を抱えて蹲った私の周りをふんはふんはとぐるぐる回って、しばらくしたらがばりと伸し掛られた。
べろべろに顔を舐められるのを、止めさせようと、真っ黒な毛並みをぐりぐりに撫でる。
『急に居なくならないで……』
思い出したように、心底 寂しそうな声でひゅーんひゅーんと鳴きだした。
異世界に行っても、私との主従は途切れなかったようだ。細くても繋がっていたのか、ノアルに供給される私の魔力も、枯渇はしてないみたいだ。随分と空には近いけど。
ごめんごめん……いきなり呼び出されたもんだからさ。
ぺたんと寝てしまっている耳を揃えて上に立ててやる。
大きな口をさらに後ろににゅいっと引っ張った。大きな頭を撫でて、太い首に抱きつく。
悪かった……でもちゃんと戻って来たよ。ノアル・ブレイユ、良い子にしてたかい?
『すごく良い子にしてたよ、ちゃんとお家も守った!!』
そうか。良くやったね、偉いよ。
『俺良い子? 良い使い魔?』
私の最高の使い魔だな。
『やった! ご主人は俺の最高の魔女だな!』
……知ってる。
ところでノアル。私はどれくらいの間、居なかった?
『ひと月だよ!! 心配したんだぞ!!』
ごめんごめん……ひと月か……まぁ向こうに居た期間とそれほど変わりがないな。
『ご主人ご主人! 俺を抱っこしろ!』
はいはい……今は重たくて歩けないから、お家に帰ったらね。
『じゃあ、抱っこさせろ!』
うーん。
とか渋っている間にでっかい犬から、人の形になると、私を子どものように抱き上げた。
歩きながらも器用に、私のお腹に顔を埋める。
「ご主人美味しそうな匂いがするな……何食べたんだ……鳥か?」
ああ……そういや、さっき夕食を済ませたばかりだった。
お腹減ったのか、ブレイユ。
「いや……知らない空気の匂いもするし、男の匂いもだ……誰だこいつ」
はは。
苦しいから、そんなに締め付けないでくれ。
……嫉妬が爆発してるな。
ノアルに戻ってくんない?
「断る……納得いくまで話してもらうからな」
……うぇーい。
「ちゃんと返事しろよ」
ふぇいふぇーい。
……なぁ、やっぱりノアルに戻ってよ。
黒いもふもふに包まれたい。
「話の後だ……」
ええぇぇぇぇぇ……めんどーい。
んで眠ーーーい。
そういや、夜だよ、私時間では。
「何言ってるんだ、まだ昼間だぞ」
んじゃあさ、昼寝させてくれ。
話はその後ね。
「……一緒に寝てくれるならな」
ノアルとね。
「俺とだ」
なんだよケチケチすんなよ。
ふかふかの毛皮をくれよぅ。
「駄目だ」
んふー……。
まぁ我慢してやろう。
心配かけたからな。
「全くだ……ほんとに俺のご主人は仕様がない」
いつもと変わりない会話。
戻って来たんだと、にんまりする。
ここが我が家だ。
私の居場所。
「……で、なんだ。このずるずるひらひらの服は。出て行った時と違うぞ、ご主人」
あー……ほんとにねぇ……大変だったんだぞ、ご主人はよぅ。
丸一日も経てば、時間差でぼんやりしていたのも、しゃっきりと戻った。
家の中はノアル・ブレイユが言っていた通り、きれいに保たれていた。
森の中の内陣も。
きちんと護られていた。
ほんと良い使い魔だよ。
もっふりした黒い毛皮に凭れてする日向ぼっこは至福でしかない。
身も心も癒される…………ほっこり。
『ご主人ご主人……あとでトカゲ取りに行くぞ!』
いいよいいよ。行こうねぇ……よしよし。
大っきいのが良いかい? それとも飛ぶやつかい? 赤いの? 黒いの? どれにする?
『うーんとねぇ……飛ぶやつ! 翠の!』
うんうん……ノアルはアレが好きだねぇ。
『美味いからな!』
そうだねぇ。
……すっかりお婆ちゃんと孫の会話だ。
主従どこいった。
まぁ、いっか。
ほっこり。
ぷつり、と糸が切れる音がする。
同時にノアルがぴんと耳を立てて首を持ち上げる。
『ご主人! 俺が追い返してくる!』
はいよ。気を付けるんだよ。
『わかった!』
ノアルがすっくと立ち上がって、私は急に支えを失ってごろりと倒れた。
ごめんねと顔をべろべろ舐めてから、矢のようにノアルは真っ直ぐ走り出す。
内陣に迷い込んだ者があれば、そこで結界は一度途切れる。
今のはそれが切れた音。
侵入者の対処はノアルの仕事。
大概は森で迷った大の大人だから、真っ黒くてでっかい犬が、遠くから走って向かってくれば、侵入者は外側に逃げていく。
逃げれば後からゆっくりと、また結界を張り直しに行く。
あーあぁ……まだまだ本調子じゃないのに、なんだよもぅ。
べっとべとになった顔を洗うかと、起き上がったところで、ノアルの声がした。
『ご主人! なんか、キモいの居る!』
キモいの?
『なんか、コレ! オバケだ!!』
お化けみたいな犬にお化け呼ばわりされるとは。一体どんなお化けだよ。
待ってなノアル。
今行く。
食べちゃダメだよ、お腹壊すから。
ノアルのすぐ側に転移して、その背に手を置いた。
おっおー。
まじかコレ。
すんごい既視感。
ていうか、ありありと思い出せる体感。
……お化けだなぁ。
こりゃ、オバケだ。
『ズルズルでキモいよ! どろどろべたべた!』
だなー……。
産まれたてかな?
卵から生まれたんだな。
頭から足先まで白身まみれで、のたうち回りながら立とうと頑張ってるわ。
『何してんのコイツ! ぷるぷる震えてるよ!』
うーん。
変なとこに力が入っちゃうんだよな……ちょっとでも気を抜くと転げちゃうから。
「ゔ……げっほ! げほげほ! うべべ……」
『変な鳴き声!』
ほんとなー。
どこの異世界の化け物だろうな。
……ちきしょう。
ディナートおじ様、やりやがったな。
こいつ、どうやって返したら良いんだ。
まぁ、私が世話になった分の身の保証はしてやるから、ありがたく思え。
だがいいか、半分だ!
半月の内に絶対還してやるからな!!
「うぅぅ……私のお前……ごほごほ……んん! ……はぁ…………どうだ……来てやったぞ」
後その尊大な態度をべっこりヘコませてやる!!
これにて本編は終了でございます。
ここまでお付き合い頂きまして、本当にありがとうございます!!
この後のお話はオマケになります。
どうぞお寄り下さい。




