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ずるずる子鹿






うーん。

あっれぇ?

おっかしーなー。

ちがくね?

ちがうよね、コレ、ぜったい。

ていうか、なんじゃこりゃ……




小さく一歩を踏み出そうとして、後ろの方の足が滑る。

前のめりに倒れそうになるから、とっさに両手を出したけど、その前に両膝が地面に激突した。


「ぶはっっ……うべべ……」


両膝の痛みはかなりのものだったにも関わらず、急に口の中に入ったものに、喉を塞がれる。


両膝の激痛よりも、呼吸困難の方が生命の危機だ。思いっきり咳きこむと、息を吸う勢いで口の中に入るものに咳きこまされる悪循環。

落ち着いてゆっくり息をするようにして、ご機嫌斜めな気管さんにお伺いをたてる。


なんか色々出てきた口元を拭って、目の前に手を持ってくる。けど、なんか目もよく見えない……。

目にも入ってるのか。

ぱちぱちさせて、持ち上げた手の甲で目の周りも拭う。


しろみ?


なんだコレ……どろっと、ねばっと、透明の。


切り口からこんな感じの液体が出てくる草や木もあるけど、ここまで粘っこくない。もうちょいさらりとしてるもんな。


どうかっていうと、植物性というよりは、動物性……なんというか、やっぱり白身っぽい。


そう、卵の白身。


うーん。さすがの私も頭から卵の白身的なものをひっかぶるのは初めてだわ。


いやぁ。

余りの想定外にどん引…………


「ぐっ……はっ。…………はぁ……」


ちょっと体勢を変えただけで、滑ってすっ転んだ。危ねぇな。

後頭部どころか体の背面全部を打ち付けたぜ。びっくりー。

おまけに口を開けたので、また白身的なものが入ってきた。ぺっしなきゃ。ぺぺぺ。


あら、無味無臭……。


しかし……どうしたもんだこれ……下手に動けんな。


仰向けで見上げたものは、高い高い場所にある、半球の石造りの天井。

太い石の柱がその天井を支え、壁も床も石造り。窓が無いので薄暗い。壁で燃えている小さな火だけで、この部屋の明るさを保っている。


白身まみれでよくわからないふけど、じめっとかび臭そう。


清々しい森の空気が恋しい。


間違えたのは分かるけど、何をどう間違えたのかが、さっぱりだ。


久しぶりに遠い場所の市場に出かけて、良い買い物をした。

ほくほく気分で家に帰ろうとした。


その手前の森の中に、転移。

したつもりだったんだけど。


……さっきから、なんだか意味のよくわからない言葉で話しかけられてるし。


どこだろう、ここ。


ちょっとぼんやりすると、白身に鼻と口を塞がれて息もままならなくなるし。


もうやだ、お家に帰りたいなー。


おう、そうだ。

お家に帰ればいいんだ。


ずるずる滑りながら、何とか起き上がる。

周りで話しかけてくるローブ姿の怪しげな人たちを見回した。


少し下の位置にいる。

というか、私が少し高い場所にいる。

石造りの円形の舞台のような場所にいるけど、縁の端にはぐるりと文字が彫り込まれている。


見たことのない文字だけど、何かの術の陣なんだとわかる。それっぽい規則性は見て取れた。


私も魔術を修めている者なので。


まぁ、そんなことはどうでもいい。

はい……では、さようなら。

私はお家に帰ります。



……うーん。

……あっれぇ?

おっかしーなー。

おかしくね?


いつかこの世の全てを滅ぼす。

もしくはこの世の全てに命を謳わせるとか言わせしめた私の力が。


閑寂の魔女として畏敬の念を持たれつつ、下手に関われなくて放置されている、この私の無尽蔵な魔力が。


欠片も感じない。







余りのことに参ったと途方に暮れていると、壁際で大人しくしていたふたりの男たちが前に進み出る。


後ろに控えたひとりは、屈強そうな、どう見ても護衛。きりっと勇ましい顔で騎士っぽい雰囲気。

金属の胸当てと、脛当て。腰には長剣。


もうひとりはそれに護られてるだろう人物。

賢くて気難しそうな顔。しゅっとした雰囲気が嫌味ったらしい。

銀糸の刺繍で縁取られた、お高そうで上品なお召し物だ。

偉そうな貴人様ですこと。


ローブ姿のひとりを呼び寄せて、言葉を交わした。


ローブにつられて貴人様は私を見上げる。


嫌悪に顔を歪めた。

腐敗した死体でも見るような顔だ。

失敬だな、私は生きているぞ。

白身まみれだけどな!!


顔を歪めたまま私を見据えて、何事かを吐き捨てるように言葉を放つ。


うーーーわーーー。

言葉は分からなくても、口調と低音で悪口叩かれてるのは分かるーーー。


ローブに言葉短に何か言うと、貴人様はこの部屋を出て行った。騎士っぽい人が後を追う。




何かしら命令されたっぽいローブ姿が、穏やかな口調で話しかけながら、私に向かってゆっくりと歩いてくる。


というより、そろそろと近付いている。

ちょっと腰が引けていた。

でっかい犬に恐る恐る近寄ろうとする人のようだ。

心配しなくても、私は滅多に噛みつかないぞ。


話しかけながら手を差し伸べて、私を立たせようとしているのが分かるけど。


いや、ずっと遠巻きに見てただろ。

産まれたての子鹿みたいに、ぷるぷるしながら立ち上がっては派手にこけていたのを。


無理だと首を振ると、意味が通じたのか手を引っ込めた。

察してくれたらしい。


否、は首を横に振ればいいのか。

ふむふむ。

この仕草は通じるみたいだな。


ローブの人は、フードを取って首元の装飾を外した。


剃髪の頭部全体から頬の片側に刺青が入っている。

おじさん、気合い入ってるーーー。


こういうのを無意味にやる人はいない。

紋様も意味ありげだ。

私の国だと呪術師という括りの人々に似た雰囲気だ。

この怪しい儀式をしたっぽい部屋からしても、汲み取れる。


ローブを脱いで私に被せると、ぎゅっと巻き付けてそのまま私を肩に担いだ。

ずるずるの白身に触らないように陣の中から出て行く。


おじさん、気合い入ってるし、力持ちーーー。


私は肩に担がれたまま、部屋から運び出される。


後ろ向きに狭い通路を見ていた。

そこそこ長い階段を登っている。


明るい場所までやってきて、見えたものは、緑萌える中庭だった。


ということは今まで地下にいたのか。


手の込んだ、美しく整った庭を横目に見ながら、回廊を進んでいく。


一旦 庭が途切れて建物の中をくぐると、水音が聞こえてきた。


空気が変わったような気がして、もごもご動きながらなんとか振り返る。


建物の外側は濃い緑が生い茂る、深い森のような場所だった。

高い位置から細く長く水が落ち、その下の滝つぼは小さいながらも沢山の水を湛えて、ゆったりとした流れを作っている。


ふむ、と息を吐くと、おじさんはゆっくりと私を地面に下ろした。


足の裏に大きくて丸っこい石の感触がする。

またずるっと滑りそうな気がしたので、おじさんが支えている間に、慌てて足を振って靴を脱いだ。


ぼことか、ぼとりとか重そうな音がして靴が転がっていった。


素足の下はやっぱり水辺の丸っこい石の感触だ。しっかり足で立てて歩ける感じに、妙に安心する。


おじさんは私を見下ろして、背中をそっと滝の方に押した。


ああ、はいはい。

ここで白身を洗い流せってことね。

すまんね。お手数かけたね。


頷いてローブを剥ぎとって、足元に落とす。

ずるずるに手こずりながらも、服を脱いでいると、おじさんが大声で何かを叫んだ。


なんだと驚いておじさんを振り返ると、おじさんも振り返って大きな建物に向かって何かを言っていた。


ああ。

向こうで遠巻きに見ている人になんか言ったのか。

見るなとか、そんな感じか。

みんな建物の中に消えていく。


服を全部その場に脱ぎ散らかして、水の中に入った。


うはー。

冷たくて気持ちいいぜー……。

早いとこ用事を済ませないと、冷えて冷えて風邪を召しそうだわ。


深い所まで進んで行って、とにかく顔を洗った。


うーん、さっぱり。

ねっとりした卵の白身的な何かは、水に溶けて流れ落ちてくれた。


良かった。

油みたいに簡単に落ちないものだったら嫌だなと思っていたので、安心した。


頭の先まで水に浸かって、髪の毛もわしゃわしゃ撫でた。編んでまとめていたのを水の中で解いて、さらにわしゃわしゃする。


こんな豪快に髪を洗ったことが無かったので、ちょっと楽しいな。


息を止めるのに限界がきたので、水から頭を出した。


綺麗な滝での水浴び……良い。


ついでに石鹸が欲しいな。

手のひらに呼ぼうと思っても、やっぱり魔力の欠片も無いので、何も起こらない。

くそぅ。


水辺で見ていたおじさんに、腕をごしごし擦る仕草をしてみせる。


おじさんは意を得た様子で頷いて、おじさんの方こそ手のひらの上に白い塊を呼び寄せた。


投げられたその塊を受け取る。



おじさんが発動させたのは、魔術だ。

だと思う。

私の知っているものとは仕組みが違う。

術式も、力の動きも、何も。

私には見えなかった。



かすかすの繊維質が絡み合った何かは、見た目よりずっしりした感じだ。


匂ってみると、爽やかで少し甘いような花の香りがする。


おお! これ、ほんとに石鹸だな!


おじさんを見ると、手をにぎにぎさせていた。


真似をして手を動かすと繊維質の中で何か崩れた感触がする。

水に一度浸けて、さらに手をにぎにぎした。


なんと。

泡立ち滑らか。

このまま擦って洗え的なことなのか、ナニコレすごい便利!!


頭の先から足の先まで全身洗って、岸辺に戻った。


体はやっぱり冷えっ冷えになっている。

周りの空気すら暖かく感じた。


おじさんは大きくて清潔そうな布を手元に呼んで、それを私に巻き付けた。


ううん。

柔らかふかふかあったかい。


何事かを話しかけられるも、全くもって意味が分からない。


まぁ、なんだか口調は柔らかかったので、嫌な感じはひとつもしない。


首を傾げると、おじさんはふと笑い声を漏らした。


おじさんは私に布をぐいと巻き付けると、また肩に担ぎ上げて運び始めた。


歩けるの見てたでしょう。

いちいち担がなくてもいいのに。

素直に従ってたでしょう。

暴れたりなんかしないから大丈夫。


だって、ここがどこだかも分からないのに。




言葉もちっとも分からない。

それどころか。


私のいた所に、とても良く似ているけど。

世界の成り立ちが全く違う場所だ。


ここがどこだか分かるまでは。

私に魔力が戻るまでは。


大人しく従順に振舞ってあげるから。

心配しなくて大丈夫だからね。







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