I change you into an ideal figure : 6
屋上から地上のトラックに飛び降りるという荒業をやってのけた僕は、現在人気のない焼却炉の陰に身を潜めている。
日暮と決めたルールでは範囲は学校の敷地内となっている。その為あのままトラックに乗って何処かに逃走することは出来ない。僕は校門から出て行く寸前にトラックの荷台から飛び降りた。その際、着地に失敗してあちこちにかすり傷を作る結果になってしまったが、この左腕の骨折に比べればそんなものは些細なことだろう。応急処置として捨てられたごみの中から添え木になりそうなものを取り出し、左腕を固定した。
「さて、これからどうしたものか」
応急処置も済み、これからの行動に思考を巡らせる。日暮とは簡単にゲームで決着をつけようなどと言ってしまったが、勝つための作戦など何にも考えていなかった。勢いで言ってしまったことを今更ながらに後悔してしまう。
腕時計で時間を確認すると、昼休みが半分ほど経過した時間だった。随分と長い時間日暮と校舎内で追いかけっこをしていたらしい。それでも約束の放課後までは残り四時間ほどあり、逃げ切れるかどうか微妙な時間だった。
「取り敢えず、天木には連絡しとかないと」
朝礼で分かれて以来、帰ってこない僕を天木は心配しているに違いない。事情だけでも説明しておこう。そう思い、懐から少し時代遅れのかなり嵩張る携帯を取り出し、アドレスで天木の番号を呼び出そうとした。しかし、
「その必要はないよ」
と、今まさに連絡しようとしていた天木が僕のすぐ後ろに立っていた。久しぶりに見る親しい友人の姿に若干感動しかけたが、天木のすぐ傍に置かれていた彼女の身長の半分ほどもある大きな木箱を見て、それもすぐに薄れてしまった。
「桜から大体のことは聞いているよ。芸術作品を奪われそうになっているのかな? 」
流石天木と言うべきか、僕が事情を話す前に既に情報を掴んでいる。その御蔭で僕は天木が聞いた話に補足をするだけで済んだ。
「なるほど。それならこの子を呼んでおいて正解だったかな」
そう言って、天木は傍に置かれていた存在感たっぷりの木箱を開く。
そこに何が入っているかなど、僕にとっては簡単に予想出来ていた。天木本家の家紋の刻まれた木箱に納まっているもの、天木が芸術作品を見つけたときに呼び寄せるもの。
それは一体の人形だった。一般的にビスク・ドール、或いはアンティーク・ドールと呼ばれる可動範囲が広い作りの人形。人間と間違え兼ねないほど精巧に出来た彼女は、さらさらと金色の髪を風に靡かせ、透き通るような青蒼の瞳でじっと僕を見つめる。白い肌の露出を極力避けるようにドレスは上下共に長く、裾や袖口にはレースをあしらっていたりする。そんな彼女はゆっくりと口を開き、
「全く、何で私がこんなところに来なくちゃいけないのよ」
僕に向かって文句を言った。久しぶりに会ったというのに一言目が文句とは可愛げのない人形だ。
リィベルテ。僕の持つローデッドやシェイブドなんかと同じ芸術作品である。ローデッドとシェイブドが『六面体』であるのに対してリィベルテは『自動人形』、つまり自律して動く人形になる。リィベルテ曰く、リィベルテは他の芸術作品より優れているらしい。リィベルテが実際どのような力を持っているのか僕は知らないが、リィベルテは他の芸術作品の知識を持っている。天木はそういう点で僕の助けになると思って連れてきたのだろう。
「まぁまぁ。時月君はあたしの手伝いをしてくれているんだし、リィベルテにしても折角見つけた《導きの箱》を奪われたくないんじゃないかな? 」
「大体、何であんたはそんなぼろぼろなのよ? 」
リィベルテは僕の格好をまじまじと見つめながら、不愉快そうに訊ねる。
「いや、《導きの箱》を所持するのに当たり、どれ程覚悟がいるのか見せ付けようと屋上から地上のトラックに飛び降りて―」
「馬鹿ね」
言葉の途中で一喝されてしまった。
「大体、あんただって知っているでしょう? 私たち芸術作品は一般的な美術品なんかと違い、芸術作品自身が意思を持っているのよ。もし、その子たちが悪ふざけでタイミングをずらして教えていたらどうなっていたと思ってるのよ!? 」
声を少しばかり荒げてリィベルテは僕に問いかける。
もしシェブイドとローデッドが僕に嘘の導きをしたら、その結果なんて知れている。六階から地面に叩きつけられたら、まず助からないだろう。けれど―
「けど、六面体は僕をちゃんと導いてくれたよ。」
今こうやって生きているのがその証明。飛び降りた時に大した怪我もしなかった。
そりゃ、この六面体は悪ふざけばかりする。訊いてもいないのに天木がトイレに行くことを教えたり、訊いているのに導いてくれなかったり、数え切れない悪ふざけをされた。
けど、僕がどうしようもなく困っている時には必ず僕を導いてくれる。そんな奴らを僕は信じられる。
僕の言葉にリィベルテは心底呆れた様に大きくため息を吐く。
「何それ? 少し前までは誰も信じられない、って言って毎日をずっと一人で過ごしていた貴方が何でそんなこと言うの? 」
「さぁ、何でだろうね。もしかしたら反動なのかもね」
誤魔化すような僕の言葉にリィベルテは釈然としていないようだったが、これ以上訊いても教えないだろうと判断したのだろう。本題に入り、僕に日暮の持つ芸術作品について問う。
「それで、その芸術作品はどんなものだったの? 」
「全力疾走の僕を長時間追ってきた。それからいつの間にか僕のすぐ後ろに立ってた。それに対して日暮は壁伝いに移動したって言ってたけど」
「他にない? まだ絞り切れないわ」
「空き缶を凄まじい速度で投げてきた」
あれは本当に死ぬかと思った。最早あれは人間の域を超えていたのではないだろうか。
「どう、リィベルテ。特定出来そうかな? 」
天木がリィベルテの顔を覗き込む。尋ねられたリィベルテは眉間に皺を寄せて(人形の癖に何故か本当に皺が寄っていた)、難しい表情で答える。
「いくつかには絞り込めるんだけど、その先がね。結果だけでははっきりと言えないわ。全く違う能力を持ったものでも使い方次第では同じことが出来たりするからね。せめて、作品の形状とか名前くらい分からないと特定のしようもないわ」
名前?
確か、日暮と屋上で取っ組み合いになった時、日暮が何か聞きなれない言葉をつぶやいたような。
「リィベルテ、《理想像》って芸術作品はあるか? 」
「《理想像》? ええ、《理想像》は存在するわ。…その子が作品のことをそう言ったのね?」
「多分。芸術作品の名前かどうか自身はないけど、『《理想像》だけじゃ足りないから《導きの箱》も欲しい』って」
僕の言葉にリィベルテは面白そうに微笑む。
「そう、《理想像》が《導きの箱》をね。全く滑稽だわ。そんなものを持っていながらまだ欲しがるというのね。」
カラカラカラと、リィベルテから歯車の回る音が聞こえる。
一頻り笑うと、リィベルテは僕に向かって口を開いた。
「良い? その子が持っている芸術作品の名称は《理想像》。識別【闇】、感情が【哀しみ】の、【仮面】の形をした作品になるわ。能力は《所有者を所有者の望む姿にする、望む力を与える》ってもの」
それってつまり。
「そう。かなり厄介なものね。使い方次第では万能とも言えるわ」
他人事だと思っているのか、再び可笑しそうなリィベルテから歯車の回る音が聞こえる。
「それなのに、日暮さんは時月君から奪おうとしているのかな? 」
横で聞いていた天木が口を挟んだ。確かに僕も同じことを思った。万能型である《理想像》を持っていながら、予知するくらいしかない《導きの箱》を何故欲しがるのだろうか。
「そんなの簡単よ。所詮《理想像》とは言え、限界があるから」
「限界?」
「そう。仮面というのは本来、『素顔を隠し、誰だか特定されなくすることにより力を与える』って効果があるの。よくあるでしょう? インターネットの掲示板とかで個人が特定されないとか思ったら誹謗中傷を好き勝手やる人。それと同じ理屈。《理想像》はこれを拡大したものみたいなものだから、所有者であるその女の子に本当にその子の持つ以上の力を与えているって訳。だから、体力は女子学生以上のものを持つし、壁を伝って移動も出来る。全ての面で人間の持つ能力の限界まで底上げされていると思ってくれて問題ないわ。そしてそこで問題となるのが、『人間の持つ能力の限界』ってところ。人間には超えられない壁が無数に存在するわ。死なないこと然り、空を飛ぶこと然りね。これは人間という生物であるが故に、いくら芸術作品であっても覆すことは不可能。貴方の話じゃその子、缶で剛速球を投げたんだっけ? それにしても、あくまで女子学生の投げることの出来る速度じゃなかったってだけで、プロの野球選手だったら何人かいる程度のものよ」
やたら饒舌にリィベルテは語る。それにしても何十年も前に作られた芸術作品である癖に、『インターネット』などのハイカラな知識があるのは如何なものだろうか。まぁ、そんなことにつっこんでも仕方のないことなのだが。
「なら、時月君は日暮さんの行動を予知して、見つからないようにしたら勝てるってことかな? 」
「それはそうとも限らないのよね。仮面は儀式的には『神や精霊をその身に降ろす』為に用いたりするのよね。『理想像』はその効果を与えられてはいないはずだけど、もしかしたら少しぐらい人外の力を使ってきてもおかしくはないわ」
おいおい、駄目じゃないか。それでは僕に勝ち目は薄い。
「まぁ、そういうオカルト的なことの能力がなかったとしても、嗅覚や視力、洞察力なんかが限界まで引き伸ばされていたらどっちにしろ、すぐ見つかるんだけどね」
ますます駄目じゃないか。それならかく乱する意味も込めて動き回った方が良いかもしれない。僕は立ち上がり、慌てて駆け出そうとする。
「時月君」
と、僕の背中に天木から声が掛かった。
「勝って、日暮さんの欲しがっていた理由を聞いたら少しでも良いから日暮さんの力になってあげてくれるかな? 」
「…理由次第だけどね」
「日暮さんは絶対優しい子だよ。そんな子が泣くほど必死になって欲しがるなんて絶対ちゃんとしたものだよ」
今日初めて会った日暮を優しいと断言してしまう天木もまた優しいと思う。僕なら会ったばかりでよく知らない日暮のことをそんな風には思えない。天木はもしかしたら昔の僕とは正反対で、誰でも信じられるのかもしれない。そうでなければ、あの日僕に他人を信じるきっかけを与えてくれることは出来なかっただろう。
「ま、どっかの馬鹿が付く程優しい子は話をして事情が分かったら絶対助けてあげるんでしょうけどね」
リィベルテが僕の方を見て嫌らしくにやけている。絶対にあの目は僕を馬鹿にしている目だ。くそ、あの人形は本当に可愛げのない。
「さっさと行きなさいよ。助ける助けないを決める以前に理由を聞かないといけないんだから、その為には絶対にこの勝負に勝たないといけないのよ? 」
そう言うリィベルテの表情からは僕が負けて《導きの箱》を失う不安など一切感じられなかった。
全く、いつも僕のことを邪険に扱い馬鹿にしたりもするくせに、心の底では信じてくれているなんて、本当に何て可愛げのない人形なのだろうか。だから僕はお前が苦手なんだ。
「行ってくるよ」
天木とリィベルテに向かい、一旦別れを告げ僕は自らの芸術作品の指し示す方へと走り出す。
午後の授業開始のチャイムが鳴り響いた。