I cut all the things which you hate : 7
まるで舞を見ているかのようだった。
路城さんは先程までの苦戦などなかったかのように、黒い影を相手に自身の芸術作品《艮》を振るう。黒い影が放つ太い腕をかわし、投げ付けられるコンクリートの破片を薙ぎ、黒い影に一太刀を浴びせていく。日本刀を振るう度に白い衣がはためき、投射物を薙ぐ度に紅い袴が揺れる。足先から髪の先まで、正しく身体全てを用いて神楽を舞い奏でる。
「奇麗…」
心身共に疲労困憊となった日暮でさえも、疲れを忘れて路城さんの舞に魅了されている。
今やこの場所にある全てのものが神楽によって支配されている。荒れ果てたフロアは神聖な神殿へと昇華され、店内に差し込む夕日は優美に路城さんを照らし、時に彼女の手にする日本刀を妖しく輝かす。先程までの支配者であった黒い影など、神楽を舞う為の伴奏者にまで成り下がり、最早霞んで見える。主役は舞い踊る路城さんであり、それ以外の全てのものは彼女を引き立てる脇役に過ぎない。
路城さんはさらにその舞を激しくする。
神楽とは神を祀る為に踊られる歌舞。その意味する通り、不法投棄され怒れる八百万の神を崇め怒りを静めようとするかのように、必死に、訴えかけるように、舞はその熱を帯びていく。
日本刀《艮》が、黒い影の残っていた腕を捉え、一気に跳ね上げる。フロアに叩きつけられた腕は縛りが解けたかのように、金属片やゴミへと形を崩す。
続いて、脇腹、足首、頬と連続して太刀筋が入り、黒い影の体を削っていく。
「これで……最後、なの! 」
力強くフロアを踏み締め、跳躍。二メートル近くまである黒い影の顔をその刃が捉え、真横に二つに絶ち斬る。路城さんが再びフロアに降り立つとほぼ同時、残っていた黒い影が形を失い本来の形へと戻る。辺りに膨大な量の廃棄物をばら撒き、遅れて未だ形を保ったままの顔の上部が落ちてくる。紅く光る目で路城さんを見つめ、黒い影は再び暴れようとするが、此処まで小さくなってしまうと叶わない。カタカタと虚しく足掻く音が響くだけである。
「終わったね」
「きちんと勾玉を回収するまで油断は出来ないけどね」
力が抜けたようにへたり込んだ日暮を気遣いながら抱え、路城さんの元へと近付く。黒い影の核たる芸術作品、《牙を剥く魂》だったか、をきちんと回収するまでは安心出来ないが、これから先は《導きの箱》を用いて、慎重に回収しなければならない。不用意に手を出すと《艮》は《牙を剥く魂》まで両断してしまいそうだと思ったからだった。
「目から上は斬っても大丈夫です」
二つ六面体が教えてくれる通りに路城さんに伝える。僕の言葉の通りに日本刀が走り、まるで豆腐を切るかのように、意とも簡単に解体していく。こうやって近くで見ると路城さんの所持する芸術作品《艮》の凄まじさを改めて感じる。顔の上部を構成していたのは鉄工であり、それを日本刀でやすやすと切断する光景というのは些かシュールで滑稽である。
「 ―――!!! 」
必死の抵抗だろうか。黒い影が頭を激しく揺らして移動しようと試みる。しかし移動速度が遅過ぎる為、激しい戦闘直後の為肩で息をするほど疲れている路城さんにも簡単に捕まってしまう。
「ごめん、なの」
哀しそうな表情を浮かべ、再び《艮》を構える。黒い影があまりに動くので、紅く光っていた目が片方取れた。目はテールランプのものだろうか紅い電球だった。
黒い影はその姿は先程までの圧倒的な破壊を振るっていた存在からは程遠い、哀れみさえも孕んだ滑稽で情けない存在へと成り果てていた。
「じゃあ、路城さん。回収を」
それで終わりだった。《牙を剥く魂》さえ回収して万事終了のはずだった。
しかし――
「少しだけ、私の話を聞いて欲しいの」
路城さんは《艮》を鞘へと仕舞い、黒い影―――最早その残骸と呼ぶのが適切なのかもしれない―――を大事そうに抱え上げて僕と日暮に向かいそう言った。瞳に涙を溜めて、必死に訴え掛けるように。
今このタイミングで。もう少しで終わるというのに。もしかしたらこの躊躇が元で今までの苦労が無駄になりかねないというのに。
僕は頷くことが出来なかった。それを簡単に認めることは出来ない。日暮の様子を窺うと最早床に座り込んで、負傷した足を抱えて動かない。苦しそうに呼吸する音だけが聞こえるだけである。日暮の怪我は大事なのかもしれない。一刻も早く手当てをしてやりたい。提案した路城さんにしても、最早立っていることも辛そうで時折よろめき慌てて立て直すを繰り返している。彼女の美しかった巫女服も見るも無残なまでに破れ、汚れ、血が滲み、彼女の潜った闘いの激しさを物語っている。路城さんにも一刻も早く体を落ち着けて貰いたい。だから僕は首を縦に振ることが出来ない。
僕は先程言われた、リィベルテが路城さんを語るのに用いた言葉を思い出す。
路城さんの性格を『甘い』と称した自動人形。
この場面で、止めを先延ばしにするなど在り得ない。戦場ならば命取り、戦場でないこの場所でさえも路城さんの取るその行動は理解不能だった。幾ら僕でも、路城さんの行動を理解することが出来ない。一刻も早く闘いを終わらせるのが得策に決まっている。僕の考えを肯定するかのように、僕の手の上で二つの六面体が転がる。『八』、『八』、『九』と。
《導きの箱》が示す選択に間違いはない。それはこの場所にいる誰よりも僕がよく知っている。今まで僕に道を示してくれた。何度も助けて貰った。所持者になってから今まで一度だって六面体の示すことを無視してきたことはない。黒い六面体にからかわれても、白い六面体にシカトされても、命の危険に晒されている時、僕が導きを求めている時、二人は決して僕を裏切らないと知っているから。だから。だから僕は二人の示す選択を疑わない。
なのに――
「壊してしまう前に、この子が暴れ回ってしまった理由だけでも知って欲しいのです! 」
必死で言葉を紡ぐ路城さんを見ていると揺らいでしまう。
今僕はその示す選択に従うことを躊躇っている。どう考えたって早く終わらせるべきだ。二人の体調を考えれば尚更。
…けど、だからって路城さんが此処まで訴え掛けているのに、それを無視することなんて僕にはとても、無理、だった。
「日暮。路城さんの話を聴かせて貰って良いか? 」
「…言った、でしょう…。時月君、は『自分の…思う、通りに行動してくれて……良いんだよ』って…」
疲れの為か痛みの為か予想がつかないが、最早息も絶え絶えに日暮は出来る限りの笑顔を作る。全く、良い根性をしている。終わったら全速力で宇月の元に運んであげるよ。
「悪いな。二人とも」
続いて手の中の二つの六面体にも詫びる。二人は怒っているかのように激しく僕の掌の上を転がっていたが、最後に『一』、『一』、『四』と指し示し動きを止めた。二人の導きを無視してどのような結果が出るのかは今の僕には分からない。『甘い』とリィベルテは怒るかもしれない。天木に心配をかけるかもしれない。けど、それでも僕は路城さんの『優しさ』も尊重したい。その為には導いてもらう選択肢は僕だけじゃなく、誰にとっても間違いないものであって欲しい。
六面体が再び掌の上を転がる。示してくれたのはカウントダウン。シェイブドが絶えず動き続けていることから十の桁がローデッド、一の桁がシェイブドということらしい。一から六までしか数字がないので零、九、八、七は角を中心として回ることで表現し、路城さんの話を聴くのに許された猶予を伝える。何分、二つで猶予を示さなければならないので大変そうだったが、僕が残り時間は何分かと訊ねると、一瞬『五』と『四』を指し示し再び秒数表現に戻ってくれたので、残り時間は九分四十二秒だと判明した。
どうやら僕の考えを踏まえて、新しい選択肢へと僕を、いや僕たちを導いてくれようとしているらしい。
「じゃあ、路城さん。話を聴かせて貰えますか? 」
路城さんは黒い影を抱き締める腕に力を込めて、しっかりとした口調で話し始める。
それは路城さんと《牙を剥く魂》が初めて出会った日のことだった。