I cut all the things which you hate : 2
「《艮》。《地球上に存在する全てのものを両断出来る》【日本刀】だってリィベルテは言ってたけど」
虹ヶ崎ショッピングモール西館三階にある喫茶店。その奥のほうの席で僕と天木は向かい合って座っていた。僕たちと少し離れた席には路城さんと、今日の天木の護衛としてやって来ていたかすみが座っている。路城さんはどうやら喫茶店に入ったのが初めてらしく、きょろきょろと落ち着き無く店内を見渡している。よほど物珍しいのか先ほどから、かすみに声を掛けている。今も離れた席であるというのに『三度一致? それって何なのですか? こっちの半刃牙ってどんな刃物なのですか? 』などと恐ろしいほど世間ずれした質問が聞こえて来る。路城さんの一般からずれた質問にも、かすみはその度に優しく丁寧に説明する。今日の天木の護衛がかすみで良かった。都会に偏見を持っている路城さんも随分打ち解けた感じでかすみに接している。
「それであの人が《艮》の所持者で良いのかな? 」
「らしいよ。本人がそう言ってるし、実物の見た感じではかなり高価なものだと思う」
そっと路城さんのすぐ傍に立て掛けられている黒塗りの日本刀に目をやる。遠目に加え、刃が鞘に収まっているにも関わらずそれが並みの刀ではないことが分かる。それほど路城さんの持つ日本刀が精巧且つ技巧が施されたものだった。イデアの生み出したものだと言われても不思議ではない。寧ろイデアでなければ造れないものなのかもしれない。
「それに、天木 海生が欲しがったっていうのが良い証拠でしょう? 」
「…ごめん…」
何気なく言った言葉だったが、どうやら随分冷たい言い方になってしまったらしい。紅茶に口をつけていた天木が申し訳なさそうに謝る。
「別に天木が悪い訳じゃないよ」
「けど、御爺様が時月君にしたことを考えると…」
「あいつはあいつ、天木は天木だよ。それに―」
天木 海生。そいつに会ったのは僕が中学一年の時だった。白髪に白髭、老齢にも関わらず、まるで自らの利益になりそうなものを探すかのようにぎらぎらと怪しく輝く瞳を今でも僕は覚えている。
そいつは僕たち家族に最悪を撒き散らした。そいつからしたら覚えてもいないだろう小さな出来事。けれど、僕たち家族にしてみれば崩壊するには十分過ぎる大事だった。現在は僕の持つ芸術作品《導きの箱》や天木の働き掛けにより修復されたが、その所為で僕は従姉弟の家に預けられ、中学の三年余りを肩身の狭い思いで過ごした。僕の人間不信の根底はそこにあるのかもしれない。
「それに、今更憎んでも仕方のないことだよ…」
僕が殺したいほど憎んでいる天木 海生は現在病院の集中治療室に収容されている。先月の中頃そいつは事故に遭い、脳に傷を負い現在植物状態で寝たきりだと天木は重い口調で教えてくれた。
あいつの事故を知った当時の僕の荒れようといえば無かった。それまでも決して人付き合いは良くなかったが、それにも増して酷くなり自暴自棄になった。もし、あの時に天木がいなかったら、僕は現在どうなっていたのだろうか。
「…時月君…」
「もうこの話は止めよう。今は路城さんの持つ芸術作品について考えよう」
「うん。そう、だね。今は《艮》の回収が優先だよね」
僕が無理矢理に話を切り替えると、天木もまた努めて明るい調子で返してくれる。天木の気遣いに僕は一体何度救われているのだろう。面と向かって伝えるのは気恥ずかしいので、僕はそっと聞こえるか聞こえないかの小さな声で感謝の言葉を述べる。全くもってして僕には意気地が無い。
「リィベルテには写メールしたから、それで確認取れると思うけど――」
天木が言い終わる前に、奇麗なメロディが流れ出した。『星に願いを』。どうやら天木は着メロ派らしく、天木の一番好きな曲が携帯から流れ出していた。天木はすぐさま携帯を開きメールの内容を確認する。暫く携帯の文字を辿り、やがて僕に路城さんの持つ日本刀がイデアによって生み出された芸術作品《艮》であることが証明されたと告げる。
ある程度予想も出来ていたので、僕は落ち着いて一口コーヒーを啜る。苦い味が口一杯に広がった。ミルクと砂糖を入れ忘れていた。けれど、今更入れて天木に醜態は見せられない。僕は真っ黒な液体を顔を顰めながら再び口に含む。
「芸術作品が見つかったことは嬉しいけど、路城さんは手放したくないって言ってたんだったかな? 」
路城さんの方に視線を向けながら、天木も紅茶を啜る。良い所育ちはたったそれだけの行動でも気品が滲み出している。そんなどうでも良い事を考えながら庶民育ちの僕はコーヒーを啜る。やっぱりブラックのコーヒーは苦かった。
「そうだよ。何でも路城さんの実家の家宝らしいからね」
路城さんの実家、夜行神社。その境内に奉納されていた御神刀が芸術作品《艮》だった。天木が冬休みに入る前に言っていた『県外にある日本刀』とは恐らくこれのことだったのだろう。向こうから来てくれたので、回収に出かける手間も省けた。《艮》を譲るのは出来ないということだが、僕や日暮のようなケースだってある。絶対に天木家で管理しなければならないということもない。在り処が分かっただけで十分だろう。
けれど、天木は浮かない顔をして、じっと路城さんを眺めている。
そう言えば天木は今日の僕への電話で『回収を急ぎたい』と言っていた。芸術作品の所持者を見つけた場合、天木はまず所持者と話し合いをする。僕も万が一事態が拗れた場合を想定して話し合いの場に立ち会ってきたが、所持者がいる場合の僕への電話は『立ち会って欲しい』と言ってくる。『回収』という言葉を使うのは所持者のいない、危険な場所で発見されたり何らかの問題を芸術作品自体が引き起こしている場合にしか使わないはずである。よくよく考えてみれば冬休み前、僕が日暮と初めて会った日の時点で確証はなかったとは言え《艮》の在り処は分かっていたのだ。所持者がいて、在り処も分かっている、にも関わらず天木が『回収』という言葉を使ったのには何か理由があるのかも知れない。是が非でも『回収』しなければならない理由が。
「天木――」
そう声を掛けようとして、僕の声がガラスの割れる音や大勢の人の叫び声によって掻き消された。
僕だって、芸術作品を所持し、芸術作品が引き起こす事件を見てきたのだ。それなりに人の叫ぶ声や無く声なども聞いてきて、慣れていると思っていた。
けれど、芸術作品が引き起こす事件に慣れることなんてないのだ。あれは僕の想像の上を行く。経験した出来事などまだまだ序の口。地獄はこんなものじゃない。そう主張でもするかのように、その時に聞こえた叫び声は今まで聞いたこともないものだった。
まず叫び声を上げた人数。ここは片田舎に一つ場違いにぽつんと浮いている、都会を模倣しようとした場所、『虹ヶ崎ショッピングモール』だ。冬休みでいつも以上に大勢の客で賑わっていた。そんな中で芸術作品が事件を起こせば当然のように大パニックになるに決まっている。まるで合唱のように男性や女性、様々な声が至る所から聞こえ、大きな一つの音を作り上げる。けれど、それは合唱とは全く違う。それぞれの声はバラバラで、そして何よりこんな悲しい声が歌な訳がない。
そして、声を上げている人々。その声の大半はまだ声変わりもしていないような子供の声。恐怖に怯える声、泣き叫ぶ声、親の名前を呼ぶ声、痛みを訴える声、それらは僕が中央広場で見かけたような、あどけない子供のものだ。芸術作品とは全くの無関係で親に連れられて楽しく遊んでいただろう、楽しく買い物をしていただろう子供たち。そんな子達までも芸術作品は容赦なく巻き込むというのか。
「…ローデッド…。…シェイブド…」
僕の持つ芸術作品。白と黒、二つの六面体。お前らはこんなことが起こる事を知っていたのか。知っていて僕に教えなかったのか。
次第に叫び声が僕たちのいる三階へと近付いてくる。何かが壊れるような音がゆっくりと迫ってくる。床から伝わる振動が何かの到来を克明に僕たちに告げる。
喫茶店の前に設置されている階段から、二メートルを超えるほど大きな黒い影がゆっくりとその姿を現した。黒い黒い影。僕が飲んでいたブラックのコーヒーなんて比では無い。それが何かも分からない。ただ辛うじて、それが人型をしていることだけが確認できる。ずんぐりした容姿で、体型に比例して大きな五指の手。足は太く、一歩踏み出すだけでも床が振動する。顔には紅く怪しく光る目のようなものしか見て取れない。
「…そんな…何で此処まで…」
かすみに庇われる様に立っていた路城さんが絶望したかのように一人呟いた。