I cut all the things which you hate : 1
冬休みは基本的に課題が出ない。そのはずである。高々一カ月もない短い休みであるのに加え、何かと忙しい年末年始もある。それなのに課題を出すのは野暮と言うものだろう。
…残念ながら僕の通う虹ヶ崎高校は野暮な学校だった。五教科の問題がびっしりと書かれたプリントが百数十枚。一日当たり七、八枚計算である。恐らくそのことが僕の深層心理に何らかの影響を与えたのだろう。その日の朝、僕は課題を忘れて怒られるという夢を見て飛び起きた。寝起きは最悪。冬だというのに寝汗を思いっきり掻いていた。
そんな始まり方をした十二月二十六日の午後、天木から電話があり僕は急いで天木の元へと向かった。天木が待ち合わせ場所に指定したのは『虹ヶ崎ショッピングモール』と呼ばれるショッピングモール内にある一軒の喫茶店だった。『虹ヶ崎ショッピングモール』は一昨年辺りに隣の市に造られた。ほとんど田舎に近いこんな場所に造る意味はあるのかと建設当初は僕も思ったものの、駅のすぐ傍にあり交通期間も整っており割合行き易いことと、モール内に展開している店が主婦向けの食料品店だけではなく若者向けの店舗も有しているということもあり、平日も近隣の小学生から大学生を獲得し、結構な繁盛をしているらしい。最近聞いた話では近隣の若者の間ではデートスポットして有名で、『北側の一階と二階打ち抜きの大型映画館で映画を見た後、二階南側のファッションフロアで二人でウィンドウ・ショッピングを楽しみ、その後三階にある喫茶店で景色を眺めながら休憩する』というのが定番のデートコースとして学校でもクラスメイトたちから耳にする。僕にしてみればそれまで何の関わりも無い場所だった。ショッピングモールで幾ら専門店が揃っていたとしてもそんな専門的なものを僕が欲することは無く、僕はそれまで一度としてその場所に行かなかった。
そして、初めてそのショッピングモールに足を踏み入れることになったのはつい一昨日のことだった。これは、まぁ友達に付き合っていったという感じだ。僕から能動的に行こう、と誘ったわけでは決して無い。その友達が僕と腕を組むような形で半ば無理矢理連れて来たのだ。行った当日はクリスマス・イヴということもあってかカップルで混雑していた。
僕の家からショッピングモールまではそこそこ距離があるし、交通量も多い大通りを通らなければならないので、電車で行くのが一番妥当な方法だろうか。僕はそう結論を出し、最寄駅まで自転車を走らせる。十分余り全速力で漕ぐとすぐに駅に着いた。それから電車で二駅、約八分掛けて、『虹ヶ崎ショッピングモール』に辿り着いた。
駅を出るとすぐにショッピングモールの東出入口が出迎えてくれる。天木の指定する喫茶店は西館の三階なので方向としては真逆。取り敢えず出入口を潜り東館に入り、中央の広場を抜けて西館に入るルートで向かうことにする。六面体もそのルートに異論ないらしい。二つ揃って『0』と『0』。分かりにくいが、『○』ということだ。反対の時は『1』を二つ出して『×』になる。最近決めた僕たちの取り決めだった。
中央広場は子供向けビニール製の遊具が並んでいて、母親に連れてきてもらったと思われる子供たちが夢中で遊び回っている。無邪気なものである。僕にもあんな時代があったのかと思うと少し信じられない気分だ。親の話では昔の僕はとても人懐っこく、見ず知らずの子ともすぐに友達になっていたという。今とは正反対の性格だ。また、好奇心旺盛で何にでも首を突っ込みよく怪我をしていた。こっちは方は強ち外れていない。受動的ではあるが、首を突っ込み怪我をする。三つ子の魂百までも、というやつかもしれない。立って間もない年齢から、たどたどしい足取りでやたらと辺りを走り回りよく何も無い所で転んでいたという。
「はぅ! 」
そう、彼女のように。
「・・・・・・・・・」
結構良い年齢である。僕と同い年か少し年上と思われる、そんな女性が見事なまでに人の集まるショッピングモールの中央広場で転んでいた。それだけでも十分(精神的に)痛いというのにその女性は、振袖のようにやたらと大きな袖の白い服に紅い袴という出で立ちだった。まるで巫女服のようだ。というか正しく巫女服だ。痛過ぎて言葉も出ない。女性は足元までありそうな長い長い黒髪を大輪の花のように大きく広げ、地面に突っ伏して動かない。まさか死んだとは思わないけど、顔から倒れたのだから或いは気絶くらいしているのかもしれない。子供連れの女性たちも遠巻きから心配そうに見ている。僕が一番倒れた女性の傍にいる。このまま無視して行ってしまうのは幾らなんでもまずいだろう。唯でさえ、僕のような高校生くらいの年齢の若者は老年の方々から『最近の若者は…』と嘆かれるのだ。ここで僕が声を掛けないと余計にマスコミで現在の若者について問題視されるかもしれない。
「はぁ…」
関わりたくないな。六面体を手の上で転がすと、白い六面体が『0』、黒い六面体が『1』。…『△』ということだろうか…? 優柔不断な答えだな。ちゃんと僕を導いてくれ。
「あの、大丈夫ですか? 」
結局、世間の目を気にして関わってしまう僕。声を掛けて、そっと女性の肩を揺らす。その際、巫女服がずれて繊麗された白い肌が見えてしまった。余計な肉が付いていない細く透き通るような女性の肌。けれど、その肌にうっすらと蒼く滲んだものだ見えた。痣、だろうか。
「ん…」
僕が思考していると、女性がゆっくりと顔を上げる。どうやら本当に気絶していたらしい。化粧も何もしていないと思われるのに、美しい大人になりかけの女性の顔立ち。目は大きめで鼻筋も通っている。瞳は暫し、朦朧と辺りを彷徨っていたがやがて僕の顔で止まる。
「大丈夫ですか? 転んで気絶していたみたいですけど?」
「はい、ごめんなさいなのです。ご迷惑お掛けしましたのです」
若干間延びした口調で僕に言葉を述べて、女性は緩やかな動作で起き上がり、自然な動作で着衣の乱れを直す。感心するほどスムーズな動きで肩の蒼痣が隠れてしまった。
「まさか、都会でこんな親切にされるとは思わなかったのです」
穏やかそうに微笑みながら女性は言葉を続ける。口調と併せて子供っぽい印象を受ける。けれど、彼女は僕よりも背が高く、顔立ちも大人っぽい。
都会? ここが? ここは女性の言うような都会などと呼ばれる場所とは程遠い。片田舎に一つ場違いにぽつんと浮いている、都会を模倣しようとしたけれど模倣出来なかった成り損ない。そんな場所に過ぎない。
女性は辺りを見渡し、すぐ傍の草むらから黒い細長い何かを取り出した。
「これに躓いて転んでしまいましたのです」
そう言って彼女が僕に見せてくれたものは、黒い鞘に収まった高そうな日本刀だった。漆が塗られている為か光沢を放ち、緩やかな曲線を持った刀。鞘や柄を見ただけでもかなり高価なものであることが窺える。
「…それって、本物ですか…? 」
「本物なのです。都会は危ないって聞いて、家から御神刀を持って来たのです」
護身の為に御神刀ですか。御神刀っていうくらいだからかなり高価なものなのだろうか。随分豪快な遣い方だ。これは突っ込む所だろうか。それより先に銃刀法違反じゃないかと突っ込んだほうが良いのだろうか。
僕のそんな思考などお構いなしに女性は凛と背筋を伸ばし姿勢を正す。美しい立ち姿だった。巫女服の為だろうか、その姿は正しく大和撫子という言葉がぴったりくるほど様になっていて、僕は一瞬その姿に見惚れてしまった程だ。
女性はゆっくりと口を開き―
「申し遅れましたのです。私、路城 月耶と言うのです。呼ぶときはかぐやちゃんと呼んでくれると嬉しいのです」
黙っていれば大和撫子なのに、如何せんその間の抜けた口調がイメージを打ち壊す。しかも呼び方まで希望されてしまった。
「……路城さんですね」
当然のように僕はその希望を無視する。明らかに年上の女性を『ちゃん』付けで呼ぶことなど出来ない。失礼ながらも年齢を訊いてみると十八だそうで、やはり年上だった。女性――路城さんはさらに隣の県に実家があり、そこで巫女をしていると僕に告げた。どうやら路城さんの現在の出で立ちは自前だったらしい。僕としてはショッピングモールで何かのイベントでも開催されていてそれの衣装かと思いたかったが、どうやら願いは叶わなかったようだ。さらに痛い。痛過ぎるよ、路城さん。
「都会は穢れていると聞いたのです。だから穢れから身を守る為にも巫女服なのです」
その『穢れ』というのは一体何を指しているのだろうか。犯罪が多いと言う事か、或いは環境が汚染されているということか。何にせよ豪い偏見だ。
取り敢えず名乗られたので僕も簡単にだが自己紹介をしておく。勿論極普通の自己紹介だ。それなのに、路城さんは僕のことを『瞬君』と呼んできた。『瞬君』なんてこの年齢で呼ばれるのは大分と恥ずかしい。多分そんな呼ばれ方をされたのは五歳時分に幼馴染の女の子から以来だと思う。
路城さんからの呼び方に僕は懐かしさと恥ずかしいを覚えながらも彼女の目的を尋ねる。本当は関わるべきではないのかもしれないが、ここまで話し込んで別れるのも忍びない。それに御神刀を気軽に持ち出すような人をほって置くと何をするか分からない。どうやら路城さんは『都会』に偏見を持っているようだ。だから取る行動取る行動が明らかに周りから浮いてしまっている。せめて偏見はとってあげないと。
「それで、路城さんはどうしてこんな物騒なものを持ってここまで遣って来たんですか? 」
「ん〜、簡単に言うとどうしても会わなければいけない人がいるのです。その人に会うために私は此処まで遣って来たのです」
日本刀をぎゅっと握り締め、路城さんは何か決意を秘めた目で僕に告げる。
凛とした、引き締まった大人の女性の顔。正直先ほどまでの間の抜けた口調や何処かずれた行動から、僕は路城さんは年齢の割りに随分幼稚な人だと思っていた。箱入り娘で世間知らず。天然で頭の螺子が抜けている。そんな酷すぎる印象で彼女を見ていた。けれど、今の路城さんの顔はそれとはまるで正反対。何もかも全てを見通し吟味し理解し決断したかのような力の篭ったものだった。
よくよく考えてみれば、彼女は酷い偏見を持っていたこの『都会』に遣って来たのだ。護身刀まで抱えて、態々県を越えて。
一体どれ程の決意だったのだろう。一体どれだけの道程だったのだろう。そこまでして路城さんが会わなければならない人物。それは一体どんな人なのだろう。
「あの、もし差し障り無かったらその人の名前聞かせてもらえませんか? 」
あれほど関わり合いになることを避けていたというのに気付いたら僕はそう口にしていた。
成程。親が言っていた僕の性格、『好奇心旺盛』の方も強ち外れていなかったのかもしれない。
僕の言葉に路城さんは一瞬考え込み、それから――
「天木 海生さんってご存知なのですか? 天木財閥の総裁さんなのです。
私はその人に会って、この御神刀、『艮』はお譲り出来ないことを告げないといけないのです」
そう僕に告げた。
その名前を、僕はよく知っている。
そいつは、僕の待ち合わせの相手である天木 淡雪の祖父であると共に―――――
―――――僕が殺したいほど憎んでいる相手なのだから。
前回の投稿から今回の投稿までの間に、初めて評価を頂きました。この場を借りて改めて御礼を述べさせて頂きたいと思います。
読んで頂いた方々に感謝を。