I let time accelerate : 2
【11/9追記】本文を修正させていただきました
僕が日暮に本題を切り出すことが出来たのは、デートの休憩がてら入った喫茶店でだった。
僕としては本題はまた後日にして、今日一日日暮の言うところの《デート》に付き合ってあげようかと思ったが、どうもそうはいかなかったらしい。そうでなければ、たまたま入った喫茶店に彼女がいることなんてありえない。恐らく、僕がちゃんと日暮に話すかどうか見張っていたのだろう。そんなに僕は信頼無いのだろうか、軽くショックを受けてしまう。
彼女はクリスマス・イヴでカップルで込み合う喫茶店で一人だというにも関わらず、店の奥のテーブル席に座り、文庫サイズの本に目を通しながらコーヒーを飲んでいた。一見すると普通の客のように見えるが彼女の目は本など読んでいない。その証拠にずっと瞳がただ一点を見つめて動いていない。薄く脱色したかのような灰色の髪に、カラーコンタクトだろうか瞳まで灰色。着ているものは灰色のスーツに、灰色のネクタイ。彼女の座る隣には奇麗に折り畳まれた状態で灰色のコートに灰色の手袋まである。二十代前半だろうと推測される全身灰色一色の彼女は、恐らくそれで世間から注目されることを避けているつもりだろうが、ここまで過剰にすると逆に目立ってしまう。けれど彼女はまるで人々の意識から外れたように、誰からも注目されていない。
僕と日暮は店員の案内で彼女の座る席の後ろのテーブル席に座らされる。しかも運の悪いことに日暮が先に席に彼女から離れた方の席に座ってしまったので、僕は必然的に彼女の真後ろの席になってしまった。出来るなら日暮の隣に座ってやりたいが、テーブル席で隣同士に座るなんてどれだけ周りに醜態を晒すか分からない。僕にはとても無理だった。
「デート、楽しいね」
席に着くなり、日暮は笑顔で僕に話しかける。日暮は彼女と面識がないので僕の胸中など知らず、暢気なものだ。僕の背中にはさっきから冷たいものが流れ続けているというのに。
(…デートは楽しかったですか…? )
「っ! 」
聞こえるか聞こえないか微妙な声量で、彼女が僕に話しかけてきた。くそ、これからどうやってこの状況を打破しようか考えようと思っていたのに、速攻で勝負を着けようと言う魂胆か。
(…彼女に気取られないようにして下さいね…。…私だってお二人のデートの邪魔はしたくありません…。…けれど、事態は出来る限り早い方が良い…。…時月様だってご存知でしょう…? )
平坦なしゃべり声。恐らく口を動かさず、僕にしかこの声は聞こえていないだろう。
(もしかして僕をつけていたんですか? )
(…まさか、そんな野暮なことは致しません…。…念の為ですよ…)
僕も彼女の真似をして出来る限り抑えた声で返すと、彼女は悪びれもせずに告げる。
(…もし時月様が既に日暮様に本題を告げられておられましたら、この場所で私を見かけても別段取り乱すことも無く、もしかしたら私を紹介して頂けるかと思ったのですが、その様子ではまだ、ということで宜しいですか…?)
恐ろしい人だ、貴方は。どうでも良い事だが、これは芸術作品とは関係ないはずなんだが、何故僕はこうもピンチに陥っているのだろうか。
「時月君は楽しかった? 」
「ああ、それなりにね」
(…まだ告げられていないのでしょう…? )
(ええ、すみません。まだです。なかなかタイミングが取れなかったんです)
「今度はどこ行こうか。ゲームセンターってほとんど行った事無いんだけど、面白い? 」
「まぁ、好き好きかな。じゃあ、ゲームセンターにしようか」
「本当? やったー」
(…リィベルテ様の予想通りでしたね…)
(あいつ、そんなこと言ったんですか? )
「時月君は何飲むの? 」
(…ええ、仰っていましたよ…)
「えっと、コーヒーにしようかな」
「コーヒーだね。それじゃ、あたしはココアにしよう。すいませーん」
日暮が店員を呼び、注文をするのを眺めながらも僕の意識は後ろの席の女性に向けられていた。
(兎に角、日暮にはちゃんと伝えます。だから、今日の所は帰ってもらえますか? )
(…残念ながら、淡雪様は本日クリスマス・パーティーに出席されていらっしゃいますので、帰っても誰もいないのです…)
(良いんですか? そんな日に貴女が仕事を休んで)
(…心配には及びません…。…これは淡雪様直々のご命令ですので…)
「あ、時月君。お腹は減ってない? 」
「あぁ、大丈夫。ありがとう」
「そっか、残念。良かったら一緒に何か食べようと思ったんだけど」
(確認のためだけに態々貴女に頼んだんですか? )
(…この仕事が終わったら、今日は一日休んで良いと仰って下さいました…。…クリスマス・プレゼントだそうです…)
「日暮、お腹すいてるんなら頼んでいいよ? 」
「大丈夫だよ。『二人で半分こ』をしたかっただけだから」
「やっぱりお前、欲求不満だろ」
(…だから、告げるにしても早くしてくださいね…)
「分かってますよ。ちゃんと言います」
「? どうしたの? 」
ヤバイ、間違えた。てか、普通間違えるだろう。けど、ここで彼女の存在が日暮にばれる訳にはいかない。何としてでも隠さなければ。
…二股を掛けている男ってこんな修羅場を何回も味わっているのだろうか。僕にはとてもじゃないけど耐えられないや。
「ああ、ごめん。何でもない」
「ふーん。けど、さっきから後ろの女の人とずっと話してるみたいだけど? 」
隠せていなかったじゃないか。
日暮も気付いてたんなら、もっと早く言ってくれ。
(…彼女は《理想像》の所持者なんですから、聴覚も優れているでしょう…)
それを知っているなら、僕に話しかけてくるなよ。
「日暮、ごめん。別にこの人は何でもないんだ」
「? 時月君が謝ることないと思うよ。だってあたしたち《友達》だもん」
日暮は不思議そうに首を傾げる。
自分で日暮に言っておきながら、いざ日暮の口から《友達》と言われると凄く悲しくなるのは何故だろう。
「…隣、失礼しても宜しいですか…? 」
灰色の彼女は、一言添えて僕の隣へと移動してきた。普通に声を出しても抑揚の無い平坦な話し方。これが元々の彼女のスタイルだから仕方のないことなのだ。
彼女が僕の隣に腰掛けるとほぼ同時くらいに日暮が注文していたココアとコーヒーがそれぞれの前へと配られた。
「で、時月君。この人は誰かな? 」
日暮がまじまじと全身灰色一色の彼女の顔を眺めて訊いてくる。
さて、何と答えたら良いものか。僕もきちんと紹介できるほど彼女のことを知っている訳ではないのだが、取り敢えず知ってることだけでも話して日暮の機嫌を少しでも回復しよう。
「彼女の名前は宇月。天木家直属の執事兼メイド兼SPといった役職の天木淡雪専属の部隊のリーダーだよ」
「それって何? 」
日暮は何だか理解できなかったように、再び首を横に傾げた。
……まぁ、当然の反応だろう。