プロローグ
ここは”外”
轟々とうねりをあげながら、まるでここが自分の世界であるかのように自由奔放に振る舞う風をその一身に受けながら、ここではないはるか遠くを眺めるひとりの青年がいる。彼が立つ場所は巨大な壁。前には広大な自然が広がり、後ろには広い町がその息を潜めている。すでに町の喧騒は鳴りを潜め、その寂しげな姿を青年に晒すのみである。
空には、三日月がまるで世界をあざ笑うかのようにその姿を見せている。世界の理はすでに崩壊し、絶対的強者、生物ピラミッドの頂点に君臨していたはずの人類は、500年ほど前には”狩られる側”へと、その意義を変えた。それは、「魔獣」と呼ばれる捕食者が突如としてこの世界に出現したからである。なるほど、幾億年もの間世界を我が物顔で歩いていた者たちが今やご機嫌取りのような存在になっているわけだから、月が嘲笑をしているかのように感じることで、我々人類は我々自身の存在を哀れんでいるのかもしれない。
しかし、壁に立つその青年の瞳を満たしているのはそんな感情ではなく、強い嗜虐心だ。
「準備はいいか?」
唐突に青年の耳に厳格な声が届く。その声に青年はただ一言
「あぁ」
とだけ答える。しかし、その瞳には眼下にうごめく魔獣の群れしか写ってはいないだろう。その表情は、まるで餌をお預けにされた犬のようにすら見える。もっとも、この場合はただの犬ではなく狂犬であろうが…
彼が待っているのは、ただ一言。その一言で、彼は狩りへと身を投じるのであろう。
「では、やれ」
その一言を皮切りに始まったそれは、先ほど使った狩りなどとはいうものとは違う、単なる虐殺の部類であった。
青年は、まず壁から戸惑うことなく体を投げ出すと、苦もなく魔獣の群れの真ん中へと着地する。見ればその周りにはわずかに光り輝く粒子が舞っているのが見える。それこそが人類が魔獣に対抗しうる最終手段。太古の昔よりその力を磨き、魔獣の出現により、その技術を飛躍的に進歩させた技術。すなわち、「魔術」である。
「吹き荒れる暴風」
そう彼が呟けば、周りにいた魔獣の全てが風にその体を切り刻まれ、例外なくその全てが一瞬のうちに絶命へ至る。そこにあるのは、絶対的な優越と嗜虐心、そして魔獣どもの死骸である。
彼は瞬く間に別の魔獣の群れへと移動すると、今度は別の魔法を紡ぐ。
「燃え盛る業火」
灼熱の炎は、数多の魔獣の身を焦がしながら、されどその威力を微塵も衰えさせることなくその場を照らし続ける。事実、彼の炎に限界などはなく、彼が命じない限り、この平原をどこまでも燃やし続けるだろう。しかし、その炎は急激に衰えを見せ、瞬く間に消えてしまう。すなわちそれは、彼が自らの意思で炎を消したということであり、別の場所では、またもや別の魔術が行使されようとしているところであった。
ーーー
そうした光景がおよそどれぐらいの間続けられたのか。あたり一面は、まるで嵐が過ぎ去ったような爪痕を残しており、所々にはクレーターができている。青年は、その世界の中心で一人地平線を見つめている。不意に、あたりが白い光に包まれたかと思うと、青年が見つめる先から、太陽が上がってくる。その光景を目に焼き付けると、青年はそのままそこに腰を下ろした。
「任務完了。ご苦労だった」
そう言って耳に流れてくる先ほどの声を聞くと、青年は一度その目を閉じた。再び開けた目には、先ほどまでのような凶暴な光はなく、あるのは慈愛に満ち溢れた、優しげな光だけであった。
「ごめんね、痛かったよね?」
そう言って青年は、地面に向けて話しかけ、おもむろに手をかざした。すると、完全に死に体であった大地が流動し、先の戦いでできたクレーターを修復していく。それだけではなく、そこには緑すらも見えるようになっている。その光景は、はるか昔に失われたはずのその場所本来の姿のように思えさえする。
青年は、その光景を最後まで見届けるとにこやかな笑みを残して、壁の向こうへと消えて行ったのだった…