過去の夢
僕は日本の西の方、どちらかといえば田舎である街に生まれた。僕が生まれて一月後に、マンションの横の号室に瑠佳の家族が引っ越してきたらしい。
僕ら家族は、息子娘の年齢が同じこともありすぐ打ち解けたようだ。僕と瑠佳はまるでの姉と弟のように育った。
「あの木まで競争よ!」
幼い瑠佳がとてとてと走る。僕はその後ろを追走するが、こけてしまった。地面で擦った膝から血が滲み出る。幼い僕は泣いてしまった。
「泣くなよ。かっこわるーい。」
瑠佳はそう言い、僕を無理やり立たせ、公園の水飲み場で傷口を洗った。瑠佳はするとニヤリと笑って、蛇口を指で押さえて、僕の顔に向かって強い水流を飛ばした。
「うぅ・・・。」
「あははははははは。」
瑠佳は両足でピョンピョン飛び跳ねて、笑いながら僕に水をかける。瑠佳は幼い頃から、僕にとって女王様だった。
「ねぇー、早く続きを読んでよ!」
「ちょっと待ってよ。今ページをめくるから。」
僕と瑠佳がベッドで横になって、絵本を読む。絵本を上に掲げるのも、口に出して読むのも僕の仕事だ。だけど、僕は気にしてなかった。だって、僕は外で遊ぶよりも絵本を読んでる方が好きだったからだ。
「いつも、いつも、いつまでも、君と一緒にいられますようにってさ。」
僕が続きを読む。それは二匹のうさぎの物語。その本は僕と瑠佳のお気に入りだった。
僕と瑠佳はそのまま一緒にベッドで寝た。
「晴夜ったら、口をだらしなく開けちゃって。」
暗くなった部屋を覗いて、明るい茶髪のボブの女性が微笑む。これが僕の母親だ。
「すいません。他所様のベッドで寝させてしまって。すぐ連れて帰りますので。」
と、黒い短髪の男性。これが僕の父親。
暗い茶色をゆるふわパーマにした男性が、父の肩を持って首を振った。この男性はもちろん瑠佳の父親。
「仲が良いって良い事じゃないですか。」
「そうですよ。晴夜くんみたいな良い子が瑠佳ちゃんと仲良くしてくれて嬉しいです。これからもずっと仲良くしてくださいね。」
黒い長髪の女性が首を大きく縦に振る。四人の視線の先には、仲良く眠る僕達がいた。
僕の父親は良い父親だった。格好いいと思っていた。ただ少し問題があったとしたら、ストレスを溜め込み、それが爆発してしまうことだった。
「ごめ゛ん゛なざい」
僕は泣きじゃくり謝る。休日に家で仕事をしていた父親の邪魔をしてしまった。注意する父親を無視してしまった。父の怒りは爆発した。
「黙れ!と!言ってることが!わからんのか!!」
父が僕を殴る、蹴る。父が怖かった。幼い僕は、ただただ父の怒声に萎縮し、父の暴力に怯えていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、わかったか。」
僕は、父の顔を見ることができず、涙でぐちゃぐちゃになった顔を、ただ小さく上下させた。
母が近づいてくる。僕を優しく抱くと、
「ダメでしょ。お父さんの邪魔したら。」
僕は反省して、二度とお父さんの仕事の邪魔はしないと誓った。
しかし、それからも父からの暴力は、定期的に僕に振るわれた。爆弾は爆発することに慣れてしまった。
「仕事中に顔を見せるなと言っただろう!」
「声がうるさい!」
僕が小学高学年になっても中学生になっても、度々僕は傷つけられた。母は暴力から守ってくれなかったが、優しく僕を抱きしめてくれた。僕はだんだんと殴られても泣かなくなった。
繰り返すけど、僕は父親の事を良い父親だったと思っている。父親と母親と僕で旅行によく行ったし、運動会にも参観日にも瑠佳の両親と来てくれた。家族で過ごす時間、瑠佳の家族と過ごす時間が僕は好きだった。
「お前のそういうところが気にくわないんだよ!!」
「あなたこそ!話を変えないで!」
「だから、あれこれうるさいんだよ!!俺に指図をするな!」
「家族の問題でしょ!?私は心配して言ってるんじゃない!!」
僕が中学二年生の時だった。何を話しているか僕にはわからなかったが、毎夜両親の喧嘩する声が、二階の僕の部屋まで響いていた。僕は下にジュースを飲みに行く時に気まずくなるな、ぐらいに思っていた。
「ほら、つぶつぶ。餌だよ。」
衣装ケース内に入れたミルワームに、つぶつぶはすぐ食いついた。その大きな口でパクッと一飲みだ。
「僕とおまえみたいに仲良しにして欲しいよなぁ。」
僕は人差し指で、ヒキガエルを撫でた。つぶつぶは、丸々と太っている。僕は生き物を飼うのが好きだ。誰かに愛情を注ぐという行為を僕は尊いと思った。
この時は、そういえば冬だった。辛い思い出が景色とシンクロする。
「父さん。再婚することになったから。」
珍しく父が、ファミレスに食事に誘ってきた時だった。つい先日に離婚したことを知らされたばかりで、混乱している僕の脳に父は追い討ちをかける。僕は何も話す気も聞く気も持てなかった。僕の顔はひどいものだったろう。子供の僕は悲しみと憎しみを隠しきれず父親を睨んでいた。僕は父と母に仲良くしていて欲しかったのに。いつも、いつも、いつまでも、一緒であって欲しかったのに。
「今の世の中、離婚する家族は三分の一もいるんだ。晴夜はわかってくれるよな。それに父さんはもう母さんと一緒に過ごすことに耐えられなかったんだ。ごめんな。うまくいかなかったんだ。」
一般論を語る父も、見苦しく言い訳を言う父も、許せなかった。それに再婚するだって?それってつまり・・・
「後、これも言っとくが浮気はしてないからな。父さんは間違ったことはしていない。」
僕の思っていることを見透かしているように父が言う。僕は信じられなかった。人が離婚した直後に再婚できるというものなのか?浮気相手と一緒になっただけじゃないのか。
結局僕はその日、一言も言葉を発さず、パフェを食べたのみだった。
「ちょっと待ってよ。なんで先に行くの?」
中学二年生も終わるという頃、僕は初めて瑠佳を無視して登校した。小学生の頃から毎日、瑠佳と僕は二人で一緒に登校していた。どんなにクラスの男子やテニス部の女子にいじられようと、僕らはずっと一緒にいた。瑠佳はクラスの中心にいつもいて、贔屓目なしに見て可愛いと思う。淡い恋心を僕は抱いていたけど、瑠佳よりも背が低く、クラスでも地味な僕は、瑠佳の恋人になんてなることができないと思っていた。これは、兄妹が一緒に登校するようなものだ。
「ちょっと!なんで無視するん!?」
瑠佳が僕の肩を強く握る。振り返ると、怒った瑠佳の顔が僕の目線よりも少し上にあった。その目は僕への怒りのみで染まっている。すると、
「わかった!ちょっと考え事をしているんでしょ?それか、願い事!」
怒った顔を一転させて、瑠佳がニヤニヤしながら聞いてきた。瑠佳の言って欲しい事が僕にはすぐわかった。あの絵本の事だろう。僕が悲しんでいる時に、これまでも瑠佳がこのセリフを言ってきたことは二回あって、僕は二回ともこう言った。
「うん。瑠佳といつも一緒にいられますようにってね。」
しかし、僕は今回このセリフを言わなかった。黙ったままの僕に、瑠佳がイライラし始める。だって、この時の僕にはこんな言葉言えなかったんだ。
いつまでも一緒。永遠の愛。そんなものは幻想だった。何もかもが信じられなくなった。
僕が今まで父に殴られても、母が庇ってくれなくても耐えられたのは、守りたかったから。父と母と僕、そして瑠佳の家族も入った和を守りたかったから。しかし、そんなものは容易く瓦解してしまった。
どうせ瑠佳と僕が付き合えることは無いし、僕と瑠佳がいつもいつまでも一緒にいることは不可能なんだ。瑠佳だって、他のかっこいい人と一緒にいれた方が幸せだろう。
「・・・もう一緒にいるのはやめよう・・・。」
僕がボソッと言う。瑠佳は聞き取れなかったのか、
「は?」
と、怒った顔で聞き返してきた。僕はムカっときて、
「もう!瑠佳と一緒にいるのは嫌なんだ!大嫌いだ!」
と大声で叫んだ。瑠佳が驚いて目を丸くする。
「え・・・どうして・・・なんで・・・。」
僕は繰り返した。
「瑠佳なんて嫌いだ。うざいし、もう一緒にいたくないんだよ!」
僕は、瑠佳は怒って言い返してくると思っていた。それで喧嘩になるだろうと思った。しかし、現実の瑠佳はその真反対の顔をした。瑠佳の目から涙が溢れる。
僕は足早にその場を去った。怒鳴ってしまった。これでは父と同じではないか。罪悪感で胸がいっぱいだったが、瑠佳は、僕といるよりも他の人と一緒の方が幸せなんだと自分に言い聞かせた。
僕はかつて、女王様を裏切った。
「なんて珍しい!♢」
「本当に幸せ!♡」
「こんな玩具が手に入るなんて!♤」
「楽しくなってきた!♧」
四人の妖精たちがくるくると、寝ている僕らの頭上を飛び回る。
「何をさせて遊ぼう!?♧」
と、髪色が緑で触覚の先がクローバー形になっている妖精。
「そんなの決まっているよ。どっちが強いか戦わせるんだ!♤」
そう言うのは、黒色の髪に触覚の先がスペード形の妖精。
「いやいや。戦わせるのなら、ブラックマンティス同士の方が面白いよ。それよりも、いろいろとお話が聞きたい。僕たちの知らないことをたくさん知ってそうだ。♢」
と、赤髪に触覚がダイヤの形の妖精。
「話を聞くだけなんてつまらない。それなら人間と野獣で恋愛ごっこさせる方が面白いよ。♡」
最後に、桃色の髪に、先がハートの形の触覚を持つ妖精。
スペード、ダイヤ、ハート、彼らはお互いに譲る気はなさそうだった。視線がぶつかり火花が散る。
クローバーがケラケラと笑いながら仲裁に入った。
「僕らで争うのも楽しそうだけど、とりあえず玩具を動かしてみようよ。♧」
「「「賛成!♤♢♡」」」
三人は顔つきを変えると、クローバーに同意した。とにかく妖精は楽しいことが好きなのだ。
四人の妖精の目が青く光る。横たわっている僕と瑠佳が目を閉じたまま、立たされる。
四人の妖精たちが、凛とした声を発し、背中の羽をこすらせ音楽を奏でる。不思議な和音が鳴り響いた。
僕と瑠佳が静かに目を開けた。
夢を見ていた。嫌な夢だったのは覚えているが、どんな夢か思い出せない。そんなモヤモヤを感じながら目覚めると、僕は夢がまだ終わってないのかと錯覚した。というのも、目を開けると、まるでハリウッド映画のファンタジーものに出てきそうな妖精たちが、CGよりも繊細な鮮明さで僕の前に並んでいたからだ。夢ではないとわかるのは腹部の確かな痛み。このズキズキは、夢ではありえない。僕は言葉を失った。ごくりと唾を飲み込む。目の前の妖精たちから目が離せなかった。
沈黙がしばらく続いた。それを破ったのは、当然至極、その場で明らかに優位に立っているだろう、妖精たちだった。妖精たちは不思議そうな顔をしてお互いを見て話し始めた。
「話せないのかな?♧」
「いやいや、記憶を見ただろ?ちゃんと言語を持っている。♢」
「もういいだろ。バトルの開始だ。僕の持ち駒は男の方な!♤」
「じゃあ、僕の持ち駒は女の子の方かな。引き裂かれた男女、戦わされる運命。うーん、面白い!♡」
自然と妖精たちの話す言葉は頭に入ってきた。と、その時、
「あなたたちは誰?虫?それとも人間?それで、ここはいったいどこなの?」
僕よりも一足早く、観客から当事者目線に戻った瑠佳が尋ねた。すると四人の妖精たちは皆一様に腰に両手を当てると言った。
「虫だなんて失礼な!♤」
「人間だなんて失礼な!♢」
「僕たちはピクシー!ここは、イデアにいくつも存在する妖精の塚。♡」
「妖精郷への秘密の入り口さ。ねえねえ、楽しいことしようよ!♧」
瑠佳が眉間にしわを寄せる。瑠佳は子供も虫も嫌いだ。子供は理解できない行動をするし、言うことを素直に聞かないからだそうだ。僕はと言うと、子供は好きなのだが、さすがに今は思考が置いてけぼりでぽかんと口を開けていた。
「馬鹿なのかな?♤」
「昔から人間は馬鹿じゃないか。♢」
「馬鹿だからこそ面白いんだよ。♡」
「やれやれ・・・。それなら・・・♧」
三人の妖精がクローバーの妖精の方をじっと見る。
「妖精郷まで競争だ!♧」
「「「いえーい!!!♤♢♡」」」
四人の妖精たちが、歌い始めた。歌詞なんてないが、不思議とワクワクしてくるような楽しい歌。羽で旋律を奏でて、指を鳴らしてリズムをとる。すると急に不随意に体が歩き始めた。僕はびっくりする。
「え!?」
「ちょっと!どういうことよ!」
瑠佳が歩きながら、前を飛ぶ妖精たちに怒った。
「競争だよ。楽しいよ〜。♤」
「安心していいよ。僕らに任して。♢」
「ビグ!ラジ!お願い!♡」
「よーし。行くよー?♧」
どぉん、という轟音が右、左で響いた。地面が揺れる。僕は背筋がぞわっとした。両隣に非常に大きな足が見えた。辿っていくと、巨躯が目に入る。僕がその巨体に目を奪われていると、突然自分の体が跳んだ。
そして、ぼてっと何かに着地した。それは、木でできたトロッコのような箱。箱は同じく木でできたレールの上に乗っている。先ほどまでこのようなものは無かったはずなのでついさっき作られたようだ。
横を見ると、瑠佳は僕とは別の木の箱に座っていて、その木の箱は、別の木のレールに乗っている。
「ありがとう!ビグ!ラジ!じゃあお願い!♧」
妖精が巨人に声をかけると、二人の巨人は重々しく片膝をついた。そして、僕が座るトロッコにスペードとハートが、瑠佳の座るトロッコにダイヤとクローバーが乗る。
「発信。」
「出陣。」
二人の巨人が唸り声をあげ、手を振りかぶると、その大きな掌で、二つのトロッコをそれぞれが弾いた。
物凄い勢いでトロッコが木の合間を縫って進む。僕は恐怖心で目を開けるのがやっとで、力が入ることにより手足はカチコチに固まり、歯をくいしばることになった。僕はジェットコースターが嫌いなんだ。顔に空気がぶち当たる。風で髪が後ろになびく。
「びびんなよ。格好悪い。♤」
「恐怖心も楽しめるといいよね。♡」
妖精たちが何か言ってくるのがそんなのどうてもいい。とにかく早くこの地獄が終わって欲しい。
必死に耐えていると、速度も緩慢になってきて、木々が見えていた景色が一気に晴れた。少しホッとしたのも束の間、僕はレールが消えたのかと思った。実際には崖になっていて、レールがほぼ直角に下に向かっている。
僕は恐怖心で足が震えた。顔は青ざめ、背筋が凍る。
「行くぜぇ!♤」
トロッコが降り始め、あっという間にトロッコの速度は再び増した。内蔵がふわっとする。崖の下は見えず、だんだんと暗くなっていった。
「あ。」
トロッコが木のコブで跳ねた時だった。僕の体が闇に投げ出された。恐怖で固まった僕の体がとっさに動くはずもない。死んだと思った。
すると、やはり僕の体は勝手に動いてトロッコの端に捕まると、再び元の位置に座った。
「安心してって言ったじゃん?♤」
「そう簡単に玩具は壊さないよ。♡」
僕の方を振り向いて、二人の妖精がにこりと笑った。
トロッコは更に加速する。完全な暗闇だったのが、だんだんと光が見えてきた。地面に、よくわからない流線形の光る文字が円状に描かれているからだ。
トロッコは止まる気配はなく、重力に任せ加速する一方。このままでは、ぶつかる。
僕は衝撃を予想して眼を瞑ったが、そのようなものは無かった。文字円の中心がまるで口が開くように裂け、僕らのトロッコを飲み込んだのだった。
僕は眼を開けて辺りを見渡す。トロッコは止まっていた。安心したことにより涙が出てくる。
辺りは明るく、湖畔にトロッコは止まっていて水がチャプチャプと当たった。
上を見ると、緑と青の縞模様の天井が高くに見え、鍾乳洞にあるような突起物がいくつも垂れ下がっていた。