コドクな王子
煌びやかな建物と笑顔と皮肉をやっと抜け出して図書館のアーチをくぐったというのに、冷ややかな目で迎えられた。
「いらっしゃいませグレン様。またくだらない相談とやらでしたら後にしていただきたいのですが」
「そうか忙しいのなら仕方ない。閉鎖域の鍵を貸してくれたら勝手に漁るから」
眠そうな水色の瞳が、突如かっと見開かれて彼女は立ちあがった。
「どのような用件でございましょう」
カウンターから出てくると、こちらに向かって軽く一礼。最初からそうしろと何度言えば覚えるのだろうか。
一つ年下の彼女は見た目こそ小娘だが、この王宮図書館の司書にして三人いる宝物庫の管理者の一人でもある。学生の頃同級生だったこともあって、いまでも気安く話せる関係が続いているが、表面上の礼儀だけはきちんとしろと何度言い聞かせた事かわからない。
「魔族関係でしたら、ここよりあちらに問い合わせた方が確実なのですが。ちょうどあちらに行く予定もありますし、そのときにでもお持ちしますよ」
水色の魔法陣を立ちあげて連絡を取ろうとしてくれたのを、そうじゃないと止める。
「あら、毒薬関連のここの資料は読みつくしたばかりじゃありませんでしたか」
「好き好んで毒を飲みたがってるわけじゃない。勇者について知りたいんだ」
「やっぱり心中する気なんじゃないですか!」
「話を聞け!」
カウンターを占領して話しこむ訳にもいかないので、閲覧室に移動して簡素な机と椅子にほっとした。
「どうぞ」
あたりまえのようにお茶を出してくれたが、ここは図書室のはずだが。
「角砂糖いくついれますか?」
「じゃあ二つ。 火気厳禁、飲食禁止じゃなかったか」
「ここは私の部屋ですからいいんです」
最近忙しくて帰る暇がないと言っていたが、とうとう限界が来てしまったのか。可哀想なことをしたな……。
「閲覧室はいくつもありますから、問題ないそうです」
「本当に借りてるのか」
「給料から天引きにしてもらってます。ね、私の部屋でしょ」
そうは言っても、本棚と机と椅子しかない部屋ではなあ。色味と言えば、対面に座るイェレナの水色の髪の毛でさっそく気が滅入りそうだ。お茶はリンゴのフレーバーティーだった。美味い。カップにごてごてした装飾がないのもいい。
「それで? どうしてこの時期に勇者なんですか? 魔王はもういないのに」
「勇者が倒すのは魔王だけじゃないだろう」
「グレン様がそんな前向きに考える時点でおかしいです。どうせねらいはもう一つの方なんでしょう」
じとーっと水色の目で睨むイェレナにすら癒しを見出してしまうなんて、俺は相当疲れているんだな。
お互い、カップに視線を落したまま話は続く。
「まあ、引っ張り出す手間は変わらないので良いんですけどね」
「そこまで調べても、分からないのか」
一瞬、時間が止まった。
「あれを二百年前の記録と繋げて良いのかすら分らない。なにしろあちらの者ですらないんだから」
「向こうはなんて?」
「魔力の構造には類似点がいくつか見つかったみたいだけど、それ以上良い話は聞かないんです」
「そっか」
昔、俺たち人間と魔族は戦争をしていたという。あちらには恐ろしい魔王がいて、人間は魔王を恐れそして全力で抵抗した。
そのうち、とんでもない事実が判明した。魔族もまた魔王を恐れ、抵抗するために戦力を蓄えていたのだ。
これには御先祖も大層混乱したらしく、何人か自殺したり暗殺されたりクーデーター未遂が起こったり、大変だったと聞かされている。そうして何度かの接触とぎこちない対話の結果、魔王は双方の協力によって倒され、かくしてふたつの世界は国交を持つに至った……。
二百年前の歴史をざっと思い出しているうちに、お茶は冷たくなっていた。
「おかわりどうぞ」
お茶を注ぐイェレナの手がやけに細く骨ばっているのが気になって、すぐに自分の見た目もそう変わりない事を思い出して自嘲の笑いが思わずうかんだ。気を張り続けて疲弊しているのは誰も同じなのだから、二人きりのこの場でくらい、だらけても良いだろう。王族だって、みえない場所ではただの人だ。
「また第一王子あたりになじられますよ」
「かまうものか。……今、口に出てたか」
「大分お疲れの御様子で」
イェレナはおもむろに立ち上がると、一冊の本を手に取った。
「まずは、基礎から行きましょう」
「それは?」
地味な茶色い表紙の本。三日もあればまあ読めるくらいの厚さだ。
「まずは条文を頭に叩き込まないと、話になりませんよ」
条文? 今更二百年前の歴史でもやるのか?
「もう覚えているし。そういうの、徹底的にたたきこまれてるのお前知ってるだろう」
「王族が必要とするのは第十四条から第六十条までですよね」
契約のなかで普段用いるのはそれくらいだからな。
「ま、とくに必要なのは第百条以降なんですけど。この際すべて覚えたところで同じでしょう」
さらっと怖いこというな。
「さっきから黙ったままですけど、大丈夫ですか? 私は貴方様の命に従っているだけですよ」
「正直、つきあってくれるとは思わなかったけどな」
「そうだ、夕食も食べていきませんか? 久しぶりに」
ああ、いい笑顔だ。口元が三日月の形になって、瞳を輝かせて。
「ね? それなら勉強に心置きなく集中できますわ。そうしてくださいな」
「こういうときだけ妙な敬語で媚びるのはやめろと」
「シチューお替りし放題ですよ」
「う……っ」
「鬱陶しい席順もありませんよ」
……こいつは、俺が王族のしきたりや、責務や重圧から逃げ回っていることを知っている理解者だが、同時に一番の弱みを握られている状態でもあるので時々こうしていいようにされるのだった。
「不敬罪が無い時代でよかったな」
精一杯の嫌味をこめた台詞は、涼しげな瞳に吸い込まれただけだった。
そういえば、後悔ばかりしている気がする。兄上達の遊びに入ろうなんてしなければよかった。褒められたいなんて考えなければよかった。
好かれようなんて思って立ち回るんじゃなかった。自分が勝とうなんて、勝つための努力なんてするんじゃなかった。
その最たるものは、生きているべきじゃなかった。
今のまま、責務も何も与えられないまま歴史から姿を消せたならば。別に、してはならぬと定められているわけではないのに、いつも俺は生き延びている。ほら、どこにも記されていないじゃないか。逃げ出してはならないなんて。
「ともかく、なんで俺は独学を考えなかったんだろうな」
ノートとペンと茶色い表紙の教科書を相手にして、早一週間が過ぎていた。
「独学ごときで勇者召喚がなせるとお思いですか。それは私達文官への侮辱では」
「いや、そんなんじゃないって」
「それならいいんですが」
最低限の公務が終わるとイェレナの閲覧室に直行する日々の中、また暗い感情が後悔がじわじわ染み出してきているのがわかる。
「仕事はいいのか」
「出せるものは出しました。あとは欠片が集まるのを期待するくらいですよ」
つまりお手上げということか、敵の正体も目的も、神の加護すらも。
さて、 独断で勇者の召喚を決めたとはいえ、実行するには王の許可は必須である。そろそろ場所の確保、魔術師の確保もしなければならないだろう。
「そろそろ父上のお耳に入れておかないとな。明日にでも行ってこよう」
「よろしいのですか」
「ああ」
「……そうですか」
この不自然な受け答えになぜひっかかりを覚えなかったのか、また後悔することになるとは露ほども思わないのだった。
「兄上達の負担もこれで少しは減るだろう」
「それで感謝なさるような方達ではありませんよ」
「知っているさ」
その日はイェレナがあたらければならない資料の問い合わせがあったので、早々に切り上げてねぐらに帰った。夜着に着替え、一人ベッドに寝転んで考えるのはあの影のような敵と、血に塗れた兄上達や兵士達の姿だ。
毎日正体不明の敵と戦い、日に日にやつれていく皆。最近は出歩いていないので分からないが、国民達もにたような状況だろうと思う。それらを外側から見ている自分。
そういえば、なぜそんな俺が勇者を召喚しようと思い立ったのだったか。
「俺が中心に立てないことは、よく分かっている」
そして、それが望まれていないことも。ならば何故。
「逃げるため……か……」
やっぱりそこに行き着くのだと、眠りに落ちていく意識の中でそう思った。