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プロローグ:コドクな指輪

 ここがどこだか分かった時には、もう息が続かなかった。

(どこだっていいからここじゃない場所へ)

その手をつかんだとき、力が抜けていくのを感じた。

(まだ、まだその時じゃないから)

こんなに簡単に来るものなのかと(こんなにも訪れないものなのかと)

願うのにくらべてあんまり簡単に(あっけなく)ここは(どこかへ)諦めではない

始めようと(終わってくれと)今から


いつから こうだったんだっけ?

(いつだっていい)

いつから?

(いつか) 

始まりはたしか…………



 いつから始まったのかというと、難問だった。バイト先なんて他にいくらでもある中からリサイクルショップを選んだのがそれなのか、次々辞めていく中居座っていたからなのか。

 それとも今朝、店長がクイックルワイパーを振り回しながら自分を呼んだときに聞こえないふりをしなかったことか。


「よし、じゃあ君に頼もう。佐々木さんは忙しいみたいだから」

 

そういう後ろでウインクしてた佐々木の顔を店長に見せてやればよかった、なんて後悔してももう遅いか。通話中の端末からは、今朝と変わりない店長のゆったりした声がする。それで苛々をかんじるのは、そういえば初めてだ。

 

「店長、だから早退にしてくださいよ。そんで病院行きます」

 

「だから、そう慌てなさんな沖田くん」

 

「店長何でそんなに冷静なんですかこれやばい物なんでしょう」


「うん」


「だからわざわざこんなとこまで宅配させられてるんですよね」


「たしかに、いわくつきでヤバいっていうか、そうとうヤバいからうちに置いとけないんだけどね」

 

「ほらああ!」

 

「でも指輪でしょう? 指輪は指にはめるものなんだから、なんらおかしなことはないじゃない」

 

だめだ、なにも伝わってない。


 なんで俺がこんな目に。通話しながら、その言葉だけが頭の中をかけめぐっている。

 

 リサイクルショップに持ち込まれるのは、たんなる中古品だけではない。中には遺品だったり、良くない出来事の末に厄介払いされた物だったり、あまり良い噂を聞かない国からきたものだったり、一言でいうと「いわく付き」な品物が集まることも多くある。

 

 単に男女関係の曰くなどだったらいいのだが、決して少なくない数持ちこまれるそれらの中には本物(まじもん)がある。店のバックヤードの最奥に、そんな経緯で引き取った品物の保管庫がああって、店長だけが知っている方法で本物かどうか判別できるらしい。無責任に売ってしまうわけにもいかないし、だったらどうするのかというと、ちゃんと引き取りルートが存在するのだ。

 

 今朝その本物(まじもん)についての知識と引き取りルートを店長から教えられ、段ボール箱にみっちりつまった本物をびくびくしながら抱えて引き取ってもらいに歩いた。

 

ひとつだけ、どうしても引き取ってもらえない品物があった。シルバーのリングだった。アンティーク屋の店主はリングを見るなり、というより俺には見る前に顔をそむけたようにしか見えなかったが、とにかく二、三歩後ずさって俺に謝罪した。

 

「長年シルバーアクセサリーは扱ってきたが、ここまでになると私の手にはおえない。すまないが、店長さんにもそう伝えてくれ」

 

そうなると、これは店頭に、いいやあの薄暗い保管庫にずっとあることになるのか。

 

店主の言葉にいよいよ恐怖心をおぼえた俺が何度交渉しても、店主は同じ言葉を繰り返すだけだった。

 

「私には無理だ」

 

と。

 


 ともかく、一度アンティーク屋から出た。そうしてあらためて明るい日の光のもとで見てみると、そんなヤバいものには見えなかった。ともかく、一旦店に戻ろう。そう思った。指輪がひとつ入った段ボールを抱えてまた電車移動するのはだるいな。どこかのゴミ捨て場に置いてきてしまえばいいだろう、店長もなにも言わなかったし。


 しかし、大切な品物を無くすわけにはいかない。もう一度指輪を見た。指輪なんだから、指にはめれば済むじゃないか。そう思って見れば、そう恐ろしいものではないことに気付いた。でもこれ女物だよなあ、と頭をよぎったものの、ぴったりはまった。ここで嫌な予感がまた来た。いくら引っ張っても指輪は俺の指から動かなかった。

 

「だーかーら! そんだけヤバい指輪と一緒にいるなんて無理です! 病院で取ってもらうしかないでしょう!」

 

「ちなみに、どの指なの」

 

「左手人差し指です」

 

ふむ、とご満悦そうな店長。

 

「積極性の向上、だね。これからも期待してるよ、沖田くん」

 

「そう思うなら今すぐ早退扱いにしてください」

 

「大丈夫だって。まだ手はあるんだよ」

 

それを、もっとはやく言ってくれ。


「ヒサキさんとこに頼めば間違いないから。ともかく一度帰っておいで」

 

「そういうことなら、分かりました」

 

「あ、あとさ」

 

「なんですか」

 

「段ボール箱、安全対策用に仕込みしてあるからちゃんと持ち帰ってね、って言ったよな?」

 

人差し指から悪寒が這い上がってきて、俺は通話を切らずに悲鳴をあげた。


 教えられた住所に着いてみれば、それはそれは立派な日本家屋がそこにあった。ぐるりを取り囲んでいる塗り壁の切れ目を探し出して、門の大きさに驚いて、インターホンを探し出して、押す。住所に着いてからここまで五分くらいかかった。


 一体この敷地は何坪あるのか頭の中で概算していると、若い女性の声で応答があった。これも教えられたとおりにリサイクルショップの店名を告げると、どうぞお入りくださいと言われておそるおそる引き戸を開けて、屋敷に足を踏み入れる。門から玄関までまた少し歩いて、お邪魔しますと我ながら間抜けな声をあげてスリッパに履き替えた。

 

 通されたのは応接室で、西洋アンティークの燭台(しょくだい)や絵皿の隣に東南アジア風の絵があったり、甲冑のとなりに西洋騎士の鎧が平然と並んでいたり、ともかくごちゃごちゃといろんなものがあった。何年かリサイクルショップで働いているのでブランドやアンティークの知識はそれなりについていると思っていたが、ここには読めないロゴや文字が多い。

 

そういえばよく金持ちのインテリアにありそうな、動物関連の毛皮とか木彫りの熊とか、そんな類のものが見当たらないのは家主の趣味だろうか。ソファに座ってしばらく一人でそれらを眺めているうちに、交渉相手が到着したらしくノックの音がした。


「ようこそおいで下さいました」

 

少し高めの声に、すこしだけ違和感をおぼえたがそのまま飲み込む。洋間に似つかわしくない、神社で見かけるような白と水色の袴姿の人物はにこりと笑って対面に腰をおろす。腰まである長い髪の毛は、なんだか毛先に向かうにつれて赤く染まっているようだ。なんだろうこの赤は、まるで血のような……。


久樹史人(ひさきふみひと)と申します」

 

違和感ではなく勘違いだった。

 

史人と名乗った青年は、俺の視線の意味に気付いたようだ。

 

「巫女さんじゃなくて、すみません」

 

「い、いいえ。冨和店長の使いで参りました、沖田です」 

 

 青年、いいや久樹氏の方が良いか、は失礼な言動にも関わらずすこしも気にしない様子で笑う。失礼は承知だが、綺麗とか和風美人とか言い現したくなる姿だ。ここで先ほどの女性がお茶を持ってきてくれた。

 

 お盆にお茶の入った湯呑みが、三つ?


彼女も同席するのかとおもっていたが、俺の前に二つ、久樹氏の前に一つ湯呑みが置かれると彼女は出て行ってしまった。

 

「はっ?」

 

しまった、声が。

 

「早速ですが」

 

スル―された。

 

「ずいぶんとお気に入りでいらっしゃるんですね」


 お気に入り。

 

誰に向けられた言葉なのか分からず、挙動不審に部屋を見渡してみる。まず久樹史人氏、そして俺。当然だ。

 

「楽にしてくださってかまいませんよ」

 

ああ、そういう風に見えているのか。慌てて正面に向きなおった時、

 

「そうさせてもらうわ」

 

さっきの女性とは違う、妙齢の女性の声が、俺の左横でした。

 

 落ち着こう。とりあえず落ち着くんだと自分に言い聞かせて湯呑みに手を伸ばすと、左側の湯呑みが勝手に持ちあがった。ずず、と熱いお茶を啜る音がする。湯呑みが元の位置に置かれた。白くて細い手がちらっと見えた。

 

 どうすればいいのか分からなくて、伸ばしかけた手で湯呑みを持ち上げて頂いた。いつもバックヤードで飲む五十袋二百円くらいのティーバックのやつじゃなくて、なんだか高級な味がした。そうすると少し落ち着けた気がして、姿勢を正して久樹氏を見てみる。

 

「いきなりで、驚かれたでしょう。でも見当はついていらっしゃるんじゃないですか?」

 

「アンティーク屋の人が言ってた手におえないって、これっすか」

 

「ええ。しかし彼女たちの相手が無理というわけでもないんですがねえ」

 

「……なんで俺にも見えてるんですかね」

 

「貴方が宿主、つまりは憑かれているからですかね」

 

 ここまでくると、もうどうにでもなれという気分になってきた。

 

 改めて、俺と久樹氏が座っていることをそれぞれ確認して。

 

「では、改めて自己紹介しましょうか。わたくしは久樹史人と申します」

 

「沖田です」

 

「…………」

 

 二人して黙りこむ彼女を見つめる。白い肌に銀色のウェーブがかった髪、碧い瞳は我の強そうな印象を与えてくる。両耳についたピアスには、それぞれ赤と透明な水晶のような宝石がぶら下がっている。こんな場面、どこかでみたな。ここにきてついに現実逃避が始まった。そう、悪魔払いだかの映画のワンシーンだったか。

 

 汝の名を名乗れ、とか言って聖水振りまいたり聖書押しつけたりしてたっけ。名前が分からないと祓えないんだっけ。そういう法則って西洋東洋問わないのだな、とぼーっとしながら考えていたら、しゃらりと衣擦れの音がした。結婚式で見かけるような形の、白いワンピースが前に移動した。移動したというか、衣擦れの音はしたのに足が床につく音が聞こえなかった。

 

「そう簡単には祓われないわよ」

 

 声は、俺の前でした。

 

どういうことだ? とよく見れば、彼女はテーブルの上にいた。もっと言えば、足は膝のあたりから薄くなって消えていた。ああそうか、そういう御方か。幽霊を信じるかと言われれば、リサイクルショップで働いている経験から品物のオカルトめいた云われを聞く機会も多かったから否定まではいかない。

 

 だけど、自分が関わってくると話は別だ。

 

 いったいどこからが始まりなんだろうか。

 どこからが夢なんだろうか?


 そうだ、きっと夢なんだ。

 

 夢なんだ。

 

 だからこんなに意味が分からないことばかりおきるんだ。

 

「眠いの?」

 

「うーん、いっそ寝たら醒めるのか……」

 

「いい線いってるとおもうけど、残念ね」


言ってるうちに本当に眠くなってきた。女がなにか言ってる。

 

「夢を扱えるようになれれば、もっと楽に手に入るのに」

 

 よく分からない。もう訳が分からないし、考えるのをやめたい。女が、俺の左手に触った。すべすべして、あたたかい。あれ、ユーレイって触れるんだ。それともユーレイじゃないのか。それでなくても、今日はあちこち宅配させられて疲れてるんだ。もう知るか。

 

「おたのしみのところ恐縮ですが」

 

「なんですか」

 

「なんですかとは失礼な。ていうかそのままでも支障ないんじゃないですか」

 

「冗談じゃない」

 

「じゃあ、指輪を外してください」

 

 店長はなにを伝えたんだ。眠気と戦いながら、自分で外せないので店長にここに来るよう言われたのだと説明した。久樹氏は表情をまったく変えずにこう言った。

 

「それは無理です」


 霊能力者とかエクソシストは、こんなのばっかりなんだろうか。久樹氏は真顔でこっちを見つめたまま、無理ですと繰り返す。

 

「……それは、こいつをお祓いするなりなんなりができないってことすか」

 

「そうはいってませんよ。ただ、彼女から引き離すことが私にはできないんです」

 

 なにが違うのか。

 

「そうよ、指輪は指にはめるものなんだからいいじゃない」


 店長みたいなことを女が言ってる。おまえのせいだ。なに手握ってんだ。黙ってないで止めるなりしろよ久樹氏は。

 

「……めんどくさいですね」

 

 ふーっとため息をついて久樹氏は立ち上がった。やっと何かしてくれる気になったらしい。

 

「調整めんどくさい……」

 

不穏なセリフをつぶやいてはいるが、やはりなにかしらの力が働いたらしく急に女が手を離した。

 

「なによ、宿主もろともヤル気な訳」

 

「そんな訳ないでしょう。ヤルのは貴女だけです」

 

 赤い髪が揺れる。血みたいな赤い髪。あいかわらずの真顔が女に向いて、女はじりじりソファまで下がった。やっぱり怖いのか? ユーレイも怖がるのか? 理不尽に人を怖がらせたり歩きまわらせたりしたコイツが?

 

 「同情すれば付け込まれますよ。無視してください」

 

 女を見ながらそう言って右手を上げた。右手は真っ黒で、それは黒い革のような素材の手袋によるものだとすぐに分かった。 着物に手袋なんて、妙なファッションだなと思って、いつのまにか眠気がとんでいるのに気がついた。夢じゃなかったことにちょっとがっかりもしたけど。寒い季節でもないのに手袋なんて、やっぱりこういう類の人は変わってるのかなんて失礼なことを考えて気をそらしつつも、小刻みに震えだした女を横目で見ずにはいられない。

 

「じっとしててくださいね、怖くありませんよーすぐ済みますから」

 

「そういわれるとなんか信用できませんね」

 

「あー、痛かったら手をあげてくださいと言われたけど実際あげたらスル―されましたか」

 

よく聞く話ですよねと微笑みつつ、にじり寄ってくる。

 

 忘れかけてたけど、この人は綺麗だ。ニ、三人くらいころっと騙せてしまいそうだし、すでにそうしていると言われても納得することだろう。そんな、うさんくさい微笑み。


「まさか、でしょう? それとも、他に手がないのかしら」


「まさかですね」

 

 怖がり震えながらも、碧の瞳はあいかわらず強い意志を含んでいてこちらも負けていない。女同士の争いこわい、って違うんだった。二人の間でおとなしくしているうちにお茶も飲み干してしまって、のどが渇いてきた。

 

「あの、久樹さん?」

 

「なんでしょう」

 

「その、こういうお祓いって、御神酒とかって使わないんですね?」

 

 ふとした疑問をなげてみたのだが、返事は煮え切らない。


 うちの店でも、簡単な御払いをするときがあるので知識は一応もっていたりするのだ。

 

 「御神酒上がらぬ神はない」

 

 ということわざがある。

 

 「神様でさえ御酒を召し上がるのだから、人間が酒を飲むのは当然だ」と、酒飲みの言い訳として使われたりするのだが、日本の神スクナビコやオオヤマツミは酒造の神とされているというし。

 

日本に仏教が伝来する以前から神様にお願いをきいてもらう「神事」は存在し、神様とのコミュニケーションのために御神酒の存在が必ずあった。


「最近は、スプレー消臭剤かけるだけに簡略されてるんですけどね」

 

「成分のひとつの構造が魔法陣とよく似ているから除霊につかえるとか、聞いたことがあります。便利ですよね」

 

「魔法陣って」


そんなまさか。

 

「本当かどうかは分からないですが、楽しいじゃないですか」

 

「怒らないんですね」

 

「ネット上でデマ紛いの噂が飛び交うの、見てて楽しいですよ。バルサンが悪霊に効くとか」

 

「……ほんとにそうだったら企業が敵になっちゃいますね?」

 

「そんなんで祓えるようなのはそもそも私達のところに来ない話なので、大丈夫ですよ」

 

 話がずれている。女はあきれながらじっとしている。

 

「……まあ、御神酒を使う人は多いですが、私はやり方がちがうもので」

 

「はあ」

 

 これ、うまくかわされたんだろうか。


 そうしたやりとりがあって、今の状況。

 

 久樹氏が胡散臭い微笑みでにじり寄ってくる。

 

 女は久樹氏をにらみつけながら震えてる。

 

 俺は、逃げたい。


「沖田さん? どうして逃げるのですか?」

 

「逃げてなんか」

 

 そういえば、久樹氏は立っているのに目線が同じくらいだ。

 

「いまのうちになんとかしておいたほうが、いいですよ」

 

「だから、逃げませんから。そんなに怖がらせないでくださいよ」


「怖い、ですか」

 

 微笑みが急に泣き出しそうな顔にかわる。

 

 なんか地雷だったか?まばたきする間にもとの胡散臭い微笑みにもどっていた。

 

「あなたは、指輪が怖いとおっしゃる」

 

「ああ」

 

「なぜそう思ったのか、わかりますか?」

 

 また、理屈っぽいことを聞いてくる人だ。

 

「そりゃあ、イワクツキだと聞かされているし、アンティーク屋の店主も引き取れないと言われたし。そこまでのもので、自分が一番近くにいれば怖いですよ」

 

「具体的になにかされた訳ではなくて、その情報から判断したと」

 

うさんくさい微笑みが、ほくそ笑みにレベルアップした。

 


「そう、そうです。それが彼女らの本質です」


 一気に室温が下がっている。長袖なのに寒くて、またすり寄ってくる女の温度が不気味で気味悪くて、どうしようもない。

 

「貴女たちのようにつくられて長いモノを、九十九神(つくもがみ)といいますね。災いを成すことも(さいわい)をもたらすこともできます」

 

「私が前者だって言いたいのかしら」

 

「……ものを粗末に扱うとバチがあたる、感謝の気持ちをもって扱いましょう。そんな感じで、言葉として使われる事が多いです」

 

久樹氏が一歩前に出る。俺と女はソファから離れる。

 

「古来より、すべてのものに霊が宿るという汎霊説に基づいた信仰ですね。貴方が今日まわった方たちや私のところに持ちこまれるのは九十九神(つくもがみ)関連が多いですね」

 

また一歩前に出て、俺は一歩下がった。

  

「さて、そろそろ貴女のお話をお聞かせ願えませんか」

 

「いや」

 

 女の爪が左腕に食い込んで、痛い。でも二人のオーラに気押されたのか、痛いとも言えない。寒い。

無言でまた一歩、二歩と前に出る。二歩下がって、背中が壁にぶつかった。


「彼に影響がでるわよ」


「出しませんよ、そこまで無謀ではありませんから」

 

「また独りになるのね」

 

「…………」

 

「そういう意味では同類なのよね、私たち」

 

 何の話だろう、体を暖めようにも体が動かない。佐々木がいつだったか話していたような、半分起きて半分寝ている状態とは今をいうのかもと思う。また微笑みが泣き顔に変わった。泣き顔さえも綺麗な人だ、この世のものではないみたいに。


 泣き顔はやがて元にもどって、真顔になった。無言で俺に近づいてくる。


 黒い手袋の右手が、左手に伸びて。触れた瞬間、なにかの目玉が二つ見えた。

 

「なにか視えましたか」

 

「なに、あの、すごく見られてます」

 

 何も言わずに首を横にふられたので、されるがままに身を委ねる。


「では、失礼します」

 

「まって、まって、まってよ!」

 

 女の、断末魔みたいな、悲鳴。

 

淡々と黒い右手が指輪に触れた。


 ひたすら指輪と黒い手を見つめる。

 

 「まって、まって、まってまってまってまって!」

 

 「え!?」

 

 指輪が触れられたところから黒くなっていく。同時に、左側から小枝が折れるような音が立て続けにおこった。

 

「まって、いや、壊さないで!」

 

「貴女の名前は?」

 

「わた、私はイメルダ! 一九三七年に造られた婚約指輪です!」

 

 ぱきぱきと音がする中で、女は叫ぶように名乗った。

 

「ありがとうございます」

 

 久樹氏は指輪から手を離し、イメルダに一礼。

 

「そうか、だからその組み合わせなのですね。とりあえず座りましょう」

 

 元の位置にのろのろと座りなおして、イメルダの話を聞くことになった。


 彼女が最初に見たものは、持ち主の女性の泣き顔だった。周囲の人間の会話から、女性がメリッサということと酒場だというのが分かり。そしてメリッサから伝わってくる感情と彼女のなかにある感情がよく似ていることに気付いた。

 

「それは、怒りだった」

 

 言葉とは裏腹に、今の彼女の目に光はない。相槌をうつ史人と沖田にちらりと視線をあげて、すぐに伏せて口をひらく。

 

「メリッサから伝わってきたのは怒りで、指輪である私にもそれがあって、そしてそれ以上に悲しかったのよ」

 

 九十九神がうまれるには、通常百年ほど必要といわれる。

 

 元となる指輪がつくられて十五年、メリッサの希望でガーネットとカルセドニーを追加されて一週間ほどだった。異例なほどの短期間で彼女はイメルダとしての自我を手に入れたといえる。

 

「うーん、そのメリッサさんの影響だいぶうけたんですね。性格や外見も、かなり似ていらっしゃるのでは?」

 

「……そう、かもしれない」

 

 はっきり覚えてるわけじゃないのだけど、と前置きしてから髪型や服の嗜好はたしかに似ている、とうなずいた。


 そこからの記憶はしばらく曖昧で、浅い眠りをくりかえしてはたまにショーケースから人間を観察したり、他のアクセサリーと話したりしていた。数十年があっという間にたって、何人かの手に渡っては店に売られ、またプレゼントされては質に入れられ。浮気に使われる事もあれば恋人への贈り物になったり、数ヵ月後には分かれて処分されたり。

 

「それなりに楽しい思いもさせてもらったけどね」

 

「あまり楽しそうな顔ではありませんね」

 

「裏切りとか恨みとか、憎しみとか、そんな感情にさらされるほうが多くてね。ここ十年くらい前からかしら、イワクツキってよばれるようになったのは」

 

「そんなに最近?」

 

 沖田が首をかしげると、史人はお茶をすすって答える。

 

「大切に扱うのも粗末に使って邪神化させるのも、結局人間しだいってことですよ」

 

 人間同士でも、評価は自分ではなく周りから下されるものでしょう、とまた綺麗に笑い。

 

そんなもんっすかね、と会釈をかえした。


 長い身の上話が終わると、急にイメルダが立ちあがった。

 

「さあ、ここまで話した私は消されるのでしょうね」

 

「ご理解、いただけましたか」

 

 久樹氏も、間合いをつめるように立ちあがり胡散臭い微笑みをうかべて、黒い両手を差し出して見せた。

 

「お、俺はどうしたら」

 

 いまにも闘いでも始まりそうな空気に、怖気づいているのも隠すのを諦めて聞いてみる。ここにきてそろそろ四時間、本当にもう勘弁してほしい。

 

「その前にひとつ、いいかしら」

 

「どうぞ」

 

「何故消されるの」

 

「そんなに消されたいですか」

 

「はあ?」

 

 おもむろに懐に手をやる。取り出したのは、白い紙。あの大きさはうちの店の奥でも見覚えがある、御札か。

 

「私の仕事は、貴女たちを封印して監視することです」

 

「それは、どう違うんだ?」

 

「ものすごくおおざっぱに言うと、除霊は強制的に排除すること。浄霊は穢れを清めて災いを起こすのを止めさせることです」

 

「成仏させるとか、ですか」

 

「若い世代の方には、そうですね前者はバトル。後者は平和的解決、くらいに思っていただければ」

 

「全然違うじゃないですか」

 

 て、世代なら同じくらいじゃないのか。性別不詳で年齢不詳とか、もうすぐにでもおいとましたい。ため息をつく俺には目もくれず、久樹氏はイメルダににじり寄っている。

 

「いままでさぞお疲れでしょう、そろそろ御隠居したいなーなんて思いませんか」

 

「思わない!」

 

「見たところ、だいぶくたびれているじゃないですか。あ、メンテナンスはご安心ください。ちゃんと専門の業者さんにやってもらってますから」

 

「いやよ」

 

「今まで、間接的に持ち主に影響をあたえたことはあっても誰かを操ったのは初めてですよね?」

 

 急に話題が俺にふれた。

 

「さっきも、夢がどうとか」

 

「あなた、オキタだっけ? あなたみたいに視える人ならいいけど、そうでない人とコンタクトとるには夢の中がいちばん良いのよ」

 

「モノまで夢枕に立つんですか……生霊の話なら恋愛がらみでたまに聞きますけどモノまでですか」

 

「わかったら、このまま私と一緒にいましょうよ。女の子との仲は邪魔しないから」

 

「駄目です。沖田さん指輪を抜いてください」


「抜いちゃいやだったら!」

 

 イメルダには申し訳ないが、リサイクルショップで扱う商品なんて無数にある。また別の何かが同じように俺に関わってくるとしたら、いや、もう勘弁してくれ。同情は割に合わない。

 

 指先で注意深くシルバーリングをつかんで、力をこめた。

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