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EO -解放せし機械、その心は人のままに-  作者: 臣樹 卯問
第五幕 血海に踊る隷獣
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5-17 少年の有り様

 -西暦2079年7月19日16時05分-


 多大な犠牲を払ったアジト脱出から、既に三時間と半ばが過ぎつつある。

 水名神に収容された一同は助かった喜びと共に、生き残った罪悪感にも苛まれていた。


 アジトにいた人員は非戦闘員を合わせた総員で六十七名。

 生存できたのは僅か十二名、その内の一名は重体である。

 その重体の鹿嶋は生死の境を紙一重で彷徨っており、容態は思わしくない。


 潰された片肺と周辺内蔵群や肋骨を含む骨格の損傷、そして挫滅した片足。

 肺を潰された事による脳へのダメージの問題は、片肺が生き残っていた事でかろうじて難を逃れる事が出来た。

 潰された内臓も出血の少ない部位であり、潰された片足からの出血も太い血管が圧潰された事もあり、 見た目のダメージの割には致命的な事にはなっていない。


 上手く幸運が重なってくれたおかげで、どうにか命を拾う事が出来たのだろう。

 他の犠牲者達と違い、七号が彼女の言葉に興味を示して殊更丁寧に扱ったという事も大きかった。


 だが安心出来る状態では無く、彼女の最大の敵は時間であった。

 これだけの傷を負いながらまともな処置も出来ず、一時間以上も逃走を続けたのだ。

 感染症の危険もある。

 水名神に収容された時点で、彼女の予後に関して出された結論が七分と三分。

 勿論、悪い方が七分である。


 水名神の医療用ベッドには包帯とケーブルに塗れた鹿嶋の姿があった。

 彼女の側には晃一が付きっきりである。

 望まない戦闘、周りの人間の死。

 それらの経験で彼の心は疲れ切っているはずなのに、ここに居させて欲しいと鹿嶋の側から動こうとしないのだ。


「間崎のおじさんが側に来るまででいいから……お願いします、イクロー先生」


 晃一を預かる身としては休眠を取らせ、少しでも彼の心身を健やかなものにしてやらなければならないと考える。

 だが郁朗も彼のこの言葉遣いを聞いて、真っ向から否定する気にはなれなかったのだ。


「頭痛なんかは無いんだね? やせ我慢するとみんなに迷惑を掛ける事になるから」


「大丈夫だ……です。身体にも異常は無い……です」


 郁朗が人の身であったならば、せいぜい歯噛みした事だろう。

 晃一の急変……この言葉遣いの変化に、教育者としての彼は警鐘を鳴らす。

 大人ですら見る事が無いであろう凄惨な現場をその目でしかと見、絶望的な戦いを経験したのだ。

 彼の精神は今日一日でどれ程老成してしまったのだろうか。

 子供として過ごさなければならない心を、自ら無理矢理引き上げなければならない事はどれだけ恐ろしい事だろうか。


 そういう子供が居ないとは郁朗は思わない。

 様々な環境から、それを強いられる子供が居る事実はある。

 環にしてもそうだ。

 間も無く二十歳という年齢でありながら、社会的な生活を損ねた事により、彼の言動は自分と祖母だけという幼稚で狭い世界で完結していた。

 その子供染みた世界への認識の反面、大人としての自立しなければならない生活を強要された事により、その精神は歪な老成の仕方をしていると言っていいものになっている。


 EOに転化された事で世間を知り、自分知っていた世界以外を知る事が出来たのは彼にとっては……恐らく良い事だったのだろうと郁朗は考えている。

 結果的には年齢の割に、という前置きはつくものの、言葉遣いとは裏腹に周囲に気を配れる青年になりつつあるのだから。


 かといって今の晃一を彼と同じケースとして捉えてはいけないのだろう。

 そんな風に郁朗に歯止めを掛ける何かがあるのも否定出来無い。


(こんな事なら……もっとちゃんと児童心理学を勉強しておくんだったな……)


 机上の理屈だけで今の晃一の心を救えない事は判っている。

 だが彼の心を楽に出来る方策が一つでもあるのならば、それに縋りたい心境になるのも仕方が無い事なのだろう。


「……判った。二つだけ、約束してくれないか?」


「何……です?」


「気が済むまでその話し方をしてもいいけど……するなら僕だけにして欲しい。急に話し方の変わったコウを見たら……みんながびっくりしちゃうからさ」


「…………」


「それと……間崎さんが来ても……絶対に謝らない事」


「ッ!」


 郁朗のその要望に、晃一の追い詰められつつある心は跳ねる。

 彼が新アジトに到着した後に、真っ先にやろうと思っていた事を、先手を取って封じられたからだ。


「そうしなければコウの心が耐えられないっていうのは判らなくも無いんだよ……僕にだってそんな経験が無い訳じゃないからさ」


「…………」


「でもね、鹿嶋さんはまだ生きてる。たとえその先にどんな結果が待っていても、生きてるんだ。彼女を救ったのは、コウ。君なんだよ? でも間崎さんは側に居る事が出来無かった……守る事が出来無かった。そんな心を抱えたまま彼女の元へ来るんだ。そんな人に対して君は何を謝罪するって言うんだい?」


「でもッ!」


(今のコウは……あの時の僕と同じなんだな……コウが大人びているのか……僕が子供だったのか……)


 郁朗は中尾を失った時の自分がきっとこうだったのだろうと、コウの心情を手繰った。

 ならば、今度は自分が彼の目の前にきっちりと立ってやる必要があると。


「そう、でもだ。コウ、君にとっては今の結果は満足いかないものだろうね。君みたいな子供にこんな言い方をするのが正しいのかどうかは判らない。でもね……それは僕達だって同じなんだよ? 僕達の到着がもっと早ければ、鹿嶋さんだって怪我一つ無く助かったかも知れない。戦闘班や他のみんなだって……」


「…………」


「それでも……助かった人が居るって事を忘れちゃダメだ。戦闘班のみんなが何故、君を守ろうとしたのかをよく考えなきゃいけないよ……僕達には人の力を遥かに越える力がある。彼等はそれすら無いのに戦えるのは何でだと思う?」


「……それが……仕事だから?」


「仕事なんて生半可なものじゃない……見知った誰かの為だよ。誰だっていい。家族、友達、恋人、子供。そんな誰かの当たり前を当たり前にしておきたくて戦うんだ。コウ、確かに君は戦う人間じゃない。病気でたまたまその身体になってしまっただけの子供だ。みんなはそんな君の未来を守りたくて死んでいったんだよ。それが彼等に出来る事だったから」


「じゃあ……じゃあッ! これからも僕はただ大人に守られていろっていうの!? 何も出来ないで……また……」


「何も出来無かった? じゃあ聞くよ、コウ? 君は出来る事をやらないで遊んでたのかい?」


「――ちっ、違うよッ! 僕に出来る事は全部やったよッ!」


「ほら見ろ。コウは自分に出来る事は全部やったんじゃないか……なぁ、コウ。君に僕と同じ割り切り方をしろとは言わないし、言えない。ただ……無力な自分を責めるって事は、君以上に何も出来無かった人間を更に責める事になるって事は……憶えておいて欲しい」


「……僕が間崎のおじさんに謝るって事は……おじさんを責めるって事になるの……?」


「君がそう思っていなくてもね。間崎さんは今……君以上に自分の無力を嘆いているはずだよ。でもそれが出来る立場じゃないから、必死にそれを呑み込もうとしていると思う」


「…………大人だから?」


「……大人になったからって、出来る事なんてたかが知れてるんだ……でもそうしなきゃこんな戦いなんて続けられない……先に進めないんだよ」


「……先に?」


「……バカみたいな戦いを一日でも早く終わらせる事さ。その為に自分が血みどろになるなんて矛盾してるのかも知れないけど……理想的な言葉ってやつだけじゃ極東はもう救えない所まで来てるんだ……」


 郁朗の握った拳がギシリと音を立てた。

 まるで届かなかった何かを引き摺り戻すかの様に。

 その音を聞いて晃一はその場で身じろぎした。


 そのまま沈黙が二人を覆う事になるが、郁朗はそれに身を任せた。

 晃一は聡い子供ではあるが故に、色々と考える事が出来てしまうのだろうから。


「……イクロー先生……僕はどうすればいいのかなぁ?」


 時計の針はさして進んでいなかったが、二人にとっては永劫に続くと感じられた沈黙を晃一は破る。

 その口調がいつものものに戻っている事は、郁朗を少しだけ安心させた。


「子供の君に自分で決めろなんて言葉は使いたくは無いけどね……でもコウにはそれを決める事が出来る力も心も多分だけど……もうあると思うよ。ただね……一人で考える事と慌てて結論を出す事だけはやめて欲しいかな。君のお祖父さんだって……僕だってタマキだって居るんだ」


「……うん」


「まぁ……団長なんかが相手だと、好きにしろーで終わっちゃうんだろうけどさ」


「……あはは。そうだね。僕……考えてみるよ。僕がこれから先にどう進みたいのか、どうなりたいのか」


 郁朗はそう言った晃一の頭をグリグリと撫でる。


(これで良かったのかな? 団長……)


 晃一の事だ。

 結論を急ぐなと言った所で、今の彼にそれを聞き入れる程の精神的余裕は無いと思える。

 この会話の結果として、彼が郁朗達と同じ道の上を歩く事になる可能性は高いのだろう。

 こんな少年が戦場に立つかも知れないという事に対して、一人の大人として郁朗が禁忌感を持つのは当然と言える。

 壊れゆく心を救う為に、更なる心の破壊の場へ彼を誘ってしまったのではないか?

 そんな考えがちらつく事も否定は出来無い郁朗であった。


(後は……周りの人間……僕達次第なんだよな)




 晃一の雰囲気が幾分柔らかくなった事を確認すると、郁朗は医務室を出た。

 ブリッジへ向かおうとする道すがら、医務室の側にある搬入スペースで、環がふてくされた様に座っているのが見えた。


「タマキ……心配なんだったら行ってあげればいいのに」


 不意に郁朗に声を掛けられ、環は心配で重いだろう頭を彼に向けた。


「んー……こういうのはイクローさんの専門なんじゃねぇかなってさ。俺なんかがコウに何を言ってやれる訳でもねぇからよ」


「らしくないね。そうやってこんな所でふてくされてる位なら、顔を合わせてあげた方がコウだって少しは落ち着くさ」


 郁朗の言葉に、環にしては珍しくオドオドとした反応を返す。


「コウの奴……大丈夫なんかな……? アキラに聞いたけどよ、ひでぇ目に遭ったって言うじゃねぇか。俺達だって頭がおかしくなっちまうんじゃねぇか、って思う時があるんだぜ? コウはまだちっこいのに……」


「頭ごなしにコウは子供だから僕達の言う事を聞いてろ、ってのは通用しないかな。あの子の想像力と即応力はある意味普通じゃない。特に今回の件で、守られるだけの自分に嫌気が差してるみたいなんだ」


「だからってよォ……」


「コウがどうしたいか、そのどうしたいかを現実問題としてどう動かしていくのか。僕らに出来るのはコウの話を聞いて……その手伝いをしてあげるくらいの事しか出来無いんだよ」


「…………」


「タマキ……君はコウの何になりたいんだい? 先生か? 友達か? それとも兄貴か? お祖母さんと二人で生きてきた君に、人との距離とか関係性って問題はあんまり慣れ親しんでいない話なのかも知れないけどさ」


 郁朗は環の肩をポンポンと叩き、その言葉を続けた。


「それでもコウに何かしてやりたいんだろう? だったら今のタマキに出来る事をしてやりなよ。心配だったら側にいる。不安そうなら手を握ってやる。なんだっていいんだ。それが押し付けにならないんだったらね」


 環は人と人が寄り合いながら生きていく難しさを、転化されてから何度か経験している。

 だがそれは彼にとって悪く感じるものでなく、心地良かったものである事もまた確かなのだ。

 少しの時間だけ思案すると、環はその場から立ち上がった。


「コウんとこ……少し、行ってくるわ」


「ん……そうしてやって」


「こんな話してると実感するわ。イクローさんってやっぱり先生ってやつなんだなってよ。学校なんて行った事ねぇから解かんねぇけどさ。人の背中を押すのが上手ぇんだもんよ」


「僕だって同じさ。誰かに背中を押して貰って生きてるんだもの。僕が誰かの背中を押せるなら躊躇う理由は無いかな」


「カカッ、そういうもんなんかね?」


「ああ、そういうもんなんだよ」


 環は少し笑って背中越しに手を上げると、そのまま医務室へと向かって行った。


(タマキも本当に変わったなぁ……)


 初めてアジトで彼に会ってからもう半年以上になる。

 彼の変化を意識しなければ認識出来ない程、馴染んでしまっている関係性。

 これから自分達はどうなっていくのだろうか。

 絶望と希望を綯い交ぜにしながら、郁朗は報告の為に水名神のブリッジへ向かうのだった。




 水名神が順調に航行を続けていた頃、Sブロックにある新しいアジトで千豊は想定外の客を迎えていた。

 ここ数ヶ月コンタクトを取り続けていたのだが、色良い返事を貰えなかった。

 それが旧アジトが襲撃を受けたこの日に、その来訪を受ける事になるとは思いもしなかった。


(何の因縁かしらね……)


 邂逅の席には客人の他に千豊と新見、そして唐沢が居る。

 唐沢の挙動がいつもよりさらに不審である事を除けば、交渉の場は鉄火場という鉄則に則った雰囲気であるのは間違い無い。


「人様の家のガキをとっ捕まえて好き勝手に身体をいじくり回して、挙句に兵器に変えちまうとはどういう了見なんだい? あの子から連絡があった時に嘘をついてるのは直ぐに判ったよ。あの子がそうしたいんだってんだから黙ってたけどね、アタシにまでちょっかい掛けようってんならそれなりの事はさせて貰うよ?」


 静かな言葉遣いとは裏腹に、その空気は剣呑そのものであった。

 その一言一句が発せられる度に、唐沢の横に大きい身体はビクンと揺れた。


「なんとか言ってご覧よ? 特にそこのデッカイの! アンタはすっかり肉達磨になっちまったねぇ、唐沢ッ!」


「ヒッ……勘弁して下さいッ! 許して下さいッ! 見逃して下さいッ! 飯抜きは勘弁して下さいッ!」


 来客と唐沢の関係性は不明だが、彼のトラウマが蘇りつつある様だ。


「その辺りで勘弁して頂けませんか、雪村先生?」


「フンッ!」


 千豊の言葉に機嫌の悪い鼻息を返事として返したのは、環の祖母である|雪村《ゆきむら 志津乃( しづの)、その人であった。

お読み頂きありがとうございました。

引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。

それではまた次回お会いしましょう。


2016.07.06 改稿版に差し替え

第六幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。

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