5-15 それぞれの脱出行
-西暦2079年7月19日12時30分-
その機体の右腕が鷲掴みにしている物体を認識した時。
郁朗の感情の箍が外れようとしていた。
激昂から僅か数秒。
郁朗の感情は、あの時の様な過度の冷却を始めている。
壁を蹴る音。
何かの回転数が跳ね上がる音。
そして。
メシリと響く、何か硬質な物体が剥ぎ取られる音。
一号がそれらの音を認識した時には、既に彼女の手元から片山の頭部は増加装甲を残して消え去っていた。
地面を削る音が自身の後方で鳴った事を確認すると、彼女はゆったりとそちらへ振り向いた。
そこには腰にマウントしていた使用済みの燃料をパージし、片山の頭部を片腕でそっと抱いた郁朗の姿があった。
「……邪魔をするな」
「……邪魔? 馬鹿言わないでくれ。僕は仲間を助けただけだ。君のやりたい事なんかは知った事じゃないんだよ」
郁朗は片山を嬲られた怒り。
一号は仇を奪われた怒り。
対峙する二人は互いにそれを隠そうともしなかった。
「あと少しでそいつをちゃんと殺せたんだ。もう一度言う、邪魔をするな」
「……五月蝿いなぁ。勝手に世界の中心に居座らないで欲しいんだけど。こっちだって団長には大事な用事があるんだからさ、邪魔なのはどっちなのかをしっかりと自覚して欲しいね?」
郁朗はいつもの柔らかい雰囲気では無く、冷たく鋭利な薄い刃を思わせる空気で彼女に応対した。
右足のマウントに積んでいる強制駆動燃料を外すと、そのまま腰のマウントへ装着する。
フルドライブを使い、この場から一息に逃走する気なのだろう。
さすがに先程までと状況が違うと感じたのか、二号が音も無く一号の背中を飛び越え、郁朗目掛けて動き出した。
その巨体からは想像出来ない素早さではあったが、郁朗の冷めた思考は彼の不意打ちを許さなかった。
アキラとの訓練にて、最近ものにしつつあった合気による受け流し。
力の流れを見極め、その行く先をコントロールする事で相手の身体の行く先を決める。
二号の膂力と硬質化した緩衝素材が、郁朗の鼻っ面を襲おうとした那由多とも言えるタイミング。
フルドライブにより高速化された郁朗の腕が軽い打撃を見舞う事により、二号の力の行方を自分に害の無い方向へ流す。
彼は自分が触れられた事も自覚出来ず、片山によって壁面へと追突した六号以上の力に乗せられ、彼に倣うが如く壁面へと飛び込んで行った。
壁面内部の相当深くまで入り込んでしまったのだろう。
抜けだそうと藻掻いてはいるものの、容易くは抜け出せない様だ。
二号の内包する力にも驚くべきだが、それをあっさりといなし躱してのけた郁朗の技量も相当なものだと言える。
狙った訳では無いのだろうが、そこで一度フルドライブが途切れる事となった。
郁朗の循環液の色が従来の濃緑に戻っていく。
二号に割かれた僅かな気と時間は命取りになるか、と郁朗は一瞬だが考える。
だが一号はその場から微動だにしていない事を確認すると、もう一度フルドライブを起動するタイミングを窺った。
対する一号は慎重であった。
生身の身体の頃に復讐の舞台に立った際にも、最後に詰めを誤ったが、細心の注意を払ってその復讐劇を演じてきたのだ。
明らかに自身よりも早い動作を行う相手へ、無造作に手を出せる程に考え無しでは無い。
「……逃げる気か?」
「そうだけど? 何か問題でも?」
「…………」
「どういう事情があって団長をここまで追い込んだかは知らないし、知る気も無い。だけどね……だけどだ。片山淳也って男はこのまま終わる男じゃ無いって事だけは、しっかりと憶えておくといいよ。嬲る様にして団長の頭を最後まで残した事を、次の機会には後悔する事になるさ」
「次だと? 今ここでお前ごと潰してやってもいいんだぞ?」
「出来もしない事を言うもんじゃないね。君の性能がどれだけ高いかは知らない。だけど君も僕の性能を知らない。僕が本気を出して逃げれば、簡単には追いつけないって事……君にはもう判ってるんじゃないのかな?」
「…………」
「再戦の保証だけはしてあげるよ……僕が団長に伝えておく。それまでせいぜい生き残って、自分の少しでも性能を向上させなよ。僕はもう二度と会う事は無いと思うけど……その日まで元気でいてやって」
「……待てッ!」
郁朗は一号の言葉を完全に無視。
彼女の感情が昂ったのを機会と判断、再びフルドライブ状態になると、明緑の残光といくつかの騒音を残してその場から姿を消した。
残された一号は変わらぬ自分の詰めの甘さを嘆き、周囲の構造物へその感情をぶつける事となる。
郁朗がメインゲート通過する際、動作している二体の新型EOを少しだが見る機会があった。
(このまま最高速でいけば……認識はされても発見される事は無いはずだ)
郁朗のその考えは甘く、二体の内の片方の機体は高速移動する彼を視認している様だった。
(今……目が合ったのは間違い無い……この状態の僕を予備動作も見ずに視認出来るなんて……厄介な相手がまだまだいるって事か……)
幸いな事に郁朗へと攻撃を加えてくる事は無かった。
どの様な命令を受けているのかは判らないが、郁朗という敵性勢力の突破をみすみす許す辺り、その内容も強制力もそれほど密度の無いものなのだろうと彼は思考する。
命令系統が不明瞭であるいう事は、今後の彼等との戦闘の際の懸念材料になるのは間違い無い。
だが片山の頭部というデリケートなパーツを抱えながら逃走している身としては、その様な知った所でどうなるか判らない情報よりも、一刻も早くこの場から離れる事が急務なのである。
郁朗は片山と共に倉橋の元へと今は急ぐ事だけを考え、自身の駆動モーターに厳しく鞭を入れるのであった。
一方、アキラと双子、そして晃一と鹿嶋はあの惨劇の場からの逃走に成功していた。
「……質の悪い相手だったな……ここで潰しきれなかったのが次にどう影響するか……」
「アキラ君、それは今言うても始まらんて」
「そやで。今はとにかくみんなと合流せんと」
「そうだな……コウ。身体の具合は……どうだ?」
アキラは彼の戦闘でのダメージ、そして使っていた謎の力の事もあって、彼の体調に何か変化が無いかが気になる様だ。
「うん……身体はたぶん問題無いよ。下半身は動かないけど、頭が痛いのももう収まってるし……」
彼が普段見せる元気が無いと感じるのは仕方が無いのだろう。
晃一はEOの身体を持ってはいるが、本来なら戦闘に巻き込まれてはいけないはずの少年なのだ。
初めて遭遇した自身への明確な害意を持つ者達。
知人の死。
自身の生命の危機。
どれを取ってみても彼の精神を削るには十分な理由であった。
(それにしても……またアレとやり合う事が確定しているってのがな……次はどうなる事か……)
アキラはほんの数分前まで激しく戦闘していた相手の事を思い出していた。
キュキュイッ!
「――ッ!」
双子のギガントアジャストする時間を稼ぐ為に、アキラのマルチプルストリングスが三号へ襲い掛かる。
だが彼の肉体は狭い通路という、その巨体には向かない戦場でありながら致命的なダメージを受けていない。
糸の経路を読み緩衝素材を剛柔自在に使い分け、時には一部を切り離し犠牲にする事で拘束や致命傷を回避しているのだ。
恐らくは先日の送信施設での戦闘で手の内を見せ過ぎたのだろう。
三号はアキラの糸の存在を認識しているらしい。
初見であっさりと回避出来てしまう程、アキラのモーターコントロールと糸の連携は甘いものでは無いのだから。
だが現在のアキラ達の目的は彼等の撃破では無い。
糸の猛攻で晃一に構っている余裕が無くなったのだろうか。
三号の意識がアキラ達に完全に向いた瞬間に、双子は動く。
合体の時間を得た彼等はギガントアジャストを完了し、その敵性EOに負けない巨体を狭い通路に擦りつけながら、三号へとその身体を質量として無造作にぶつけた。
巨体同士の正面から衝突。
糸で削られつつあるとはいえ、三号の本体へのダメージは緩衝素材により皆無なのは仕方が無い。
だがそれは織り込み済みとばかりに双子はその膂力を更に加えていく。
双子に押され、ジワリジワリと通路を後ずさる三号。
緩衝素材を半分近くを削られた事によって出来た三号の隙間を使い、晃一の"力"が鹿嶋をそっとアキラの側まで送り届ける。
自身もその"力"を障壁として展開しながら、七号の打撃を無効化しつつアキラ達の元へ後退を完了しつつある。
「あ~! わたしの玩具~! 三号ちゃん邪魔だからそこのいてッ!」
「無理言わないで下さい。この狭い通路でどうやって動けって言うんですか」
自身の感情剥き出しの癇癪を埋めたい七号と、それを受け入れる感情的余地を無くしつつある三号。
双子の膂力は通路を埋めながら向かって来る二体の力を、しっかりと塞ぎ堰き止めていた。
これでアキラ達の目的は半ば達したと言ってもいいだろう。
後は晃一達を危害を加えられない範囲まで逃し切ってしまえば、ひとまずは勝ちなのだ。
「アキラ君! ここからどないする!?」
「このままやと埒明かんで!」
互いに押し合うだけの通路内の力比べは拮抗している。
余剰空間の狭さのお陰で、殴打系の攻撃が飛んでこない事は双子にとって幸運だったと言える。
しかしここから逃げ出す為には拮抗では足りない。
もう一手、強力な痛撃が必要となる。
アキラがどの様な手を打つか僅かに迷いを見せた時、その音は鳴った。
倉橋に持たされていた小さな箱型の装置。
耳を突く甲高い警報音……そして箱の中心に装飾する様に配置されたランプの色が、何かの危険を示すかの如く赤に染まっていた。
その色を見たアキラは焦燥を隠す事無く、双子に現状を伝えた。
「景! 勝! プランDだ! 引くぞ!」
「えっ!?」
「そんなにアカン状況なん!?」
倉橋から持たされた装置は、無線の通じなくなった空間での作戦時、あらかじめ決められた命令を伝達・即応する為に用意されたものであった。
特定の周期で送信される大葉のミリ波を受信し、その内容によってランプの色を変えるのである。
今回の色は赤。
プランD……つまり、アジトからの全面撤退とその破壊である。
地上にいる倉橋にもこの信号が受信されていると考えていいはずだ。
ならば事前に聞かされていた行動が、予定通りに為されているのに違い無い。
「アジャスト!」
「パージ!」
双子は分離の音声コードを叫び分離すると、既に十分な距離を取っているアキラ達の元へとローダーで全速後退する。
三号と七号は互いを通路につかえさせ、思った様に身体を動かせないでいたのは絶好の機会であった。
アキラは鹿嶋を、双子は晃一を抱え、七号の怨嗟を纏った罵声に見送られながら、即座にその場から離脱した。
当然通路には粘着硬化剤の塗布されたワイヤーによる網を幾重にも張って、新型EOの追走を封殺しながらである。
そうして安全圏までどうにか到達し、今に至っている。
恐らくあの敵性EOは生き残るのだろう。
あのしぶとさを実際に戦って感じたアキラ達は、悔しく感じながらもそう思わざるを得なかった。
アジトの破壊まで後どれだけの時間的余裕があるのか。
アキラは重体の鹿嶋を、双子はまだ下半身が不自由な晃一を抱きながら、ローダーのモーターを最高出力にして通路をひた走る。
「次は……こんな逃げ方はしたくないもんだな……」
「ん~……大丈夫とちゃうかな」
「勝、なんかええ対策でも思いついたん?」
「そんなんボクの頭で思いつく訳ないやんか。これ……な?」
勝太の掌に握られていた物は、新型EOの身体から剥ぎ取られた緩衝素材だった。
「アキラ君がちょっとずつもいでったあれや。ボクらがどうこう考えんでも、ハンチョーとか山中さんが何とかしてくれるって」
「勝……お前……手癖悪いな……」
研究用にちゃっかりと緩衝素材を拾ってくる勝太の抜け目の無さに対し、感心よりも呆れを含んだアキラの声が彼の耳を突いた。
「そんな言い方ないやん! ボクかて良かれと思って持ってきたのに……ああ……景……ボク傷ついたわ……」
「いや……ボクもちょっと呆れるわ……あの余裕の無い状況でそれを拾ってこれるて……なんかちょっと……なぁ……」
「えっ? 景? えっ?」
「勝ちゃん凄いなぁ……これで次は勝てるかもしれないんだね? やっつけられるんだね?」
双子に担がれたまま、晃一は勝太の機転を尊敬を以って迎え入れる。
その声からは彼を守る為に二分足らずで散っていった戦闘班の面々に対して、何も出来無かった自身への無念さが感じられた。
「コウ……」
「そうやな、コウ。次は勝ったろうや。勝って……おっちゃんらに静かに眠って貰おうや」
四人は互いに頷きながら、今回の悔しさを呑み込もうとしている。
正確な犠牲者の数字が出るまでまだ時間はかかるだろうが、彼等の無念をどうにか晴らさなければという想いは合致していた。
「鹿嶋さんの容態が……あまり良くない。急ぐぞ」
「「はいな」」
三人はローダーのモーターへとさらなる負荷をかけながら、地下深くへと進んで行った。
「イクロー君の離脱を確認。ハンチョーさん達と合流するみたいだね。そっちに真っ直ぐ向かっているみたいだ」
「て事は……団長さんは助かったって判断していいんかな?」
「ン……イクロー君の動きが速過ぎてこっちでは捕捉出来無かったからね……箱を開けて見るまではちょっと判らないかな」
「そっか……アキラ達は?」
「最短ルートでこっちに向かってるね。新型EOの追撃も無さそうだ。上手く振り切ったみたいだね」
「……何人生き残ったかな……?」
「…………」
地下経路への入り口で生存者と合流した環と大葉は、アキラ達の到着を待っていた。
合流出来た生存者は僅か十一名。
オペレート班六名、整備班三名、戦闘班二名。
引っ越し作業中という事もあり、残留していた人員は本来の五分の一も居なかっただろう。
だが、少なくとも五十名以上の残留は確認されているのだ。
その中から生き残った人員がこれだけである。
たった九体のEOのよって流された血の量がどれだけなのか。
逃げる事しか出来無い今の彼等に……それを知る由は無い。
ただ、身内とも言える人間達を殺されてしまった以上、彼等の抱える怒りが尋常でないものという事だけは確かである。
「……来たね、アキラ君達だ」
モーター音が徐々に静かになり、アキラ達は環達の手前で停止した。
「コウ……無事だったか……」
「タマキ兄ちゃん……」
「生き残りは?」
「鹿嶋さんだけやったわ……それも大怪我……命も危ないで……」
「差し当たりの応急処置はしてあるけど……急がんとあかんかも……」
「…………」
オペレート班の面々は鹿嶋にむしゃぶりつきたいのを我慢しているのだろう。
今は急いでこの場を離れなければならない事を理解しているのからこそ、静かに出発を待って大人しくしている。
「……車両は?」
「輸送車両が二台、逃走用に用意されてたみたいでね。こっちだよ」
大葉に先導され、生存者達は車両に乗り込んだ。
「行くよ、タマキ君!」
大葉の声は環の耳を通り過ぎ、誰も居なくなったアジトへの出入口を彼は見つめていた。
「勘弁な、おっさん達……あんたらの身体、連れて行ってやれねぇよ。手向けってのには物騒かもしんねぇけどさ、これでも持って行ってくれや」
抱えていた68式改を通路に構えると、マガジンに入っていた弾頭を全て撃ち尽くす。
突然の発砲音、突然の奇行で、皆は何事かと環の方を見つめた。
「行こうぜ、大葉さん。アジトが吹っ飛ぶ前にトンズラだ」
何かを吹っ切ったのか、はっきりとそう言った環の声には迷いは無く、輸送車両を追随する為にローダーのモーターを大きく唸らせるのだった。
各々が脱出口へ乗った事で、小さくではあるが安堵の息をつく事を彼等は許される。
だが安全圏まで逃げ切れたか、と言えば……それはまだだと言えるだろう。
アジト破壊までの時間は、もう僅かしか残されていないのだから。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.07.06 改稿版に差し替え
第六幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。