5-13 覚醒の片鱗
-西暦2079年7月19日12時15分-
(なんでこんな時に身体が動かないんだよッ! ああ……おじさん達が……みんながッ!)
一人頭、十数秒。
たったそれだけの時間を捻出する為に、次々と命を散らせていく戦闘班の面々を見た晃一は、動作不良を起こしている自らの身体を呪う事しか出来無い。
神経回路が衝撃を受けた事により、脳からの命令伝達が上手くいっていないのである。
現状で回復を望むのであれば時間の経過が必要であり、その動けない中で仲間の死に様を見せられるのである。
最早この状況は、彼にとっては拷問でしかなかった。
そして今……晃一を守る為に生身で敵性EOに立ち塞がった鹿嶋の小さな悲鳴を他所に、七号は買って貰ったばかりの人形で遊ぶ様に彼女を弄り始める。
「ど~こ~か~ら~いこうかなっ!」
七号は左腕で優しく鹿嶋を保持すると、右腕を彼女の身体を這う様に彷徨わせた。
「ヒッ! ……ヤダ……ヤダッ! 死にたくないッ! 助けてッ! 間崎さんッ!」
ただのオペレーターである鹿嶋が死の淵に至り、この様な醜態ともとれる体を晒しているのは当然である。
いや……誰であろうと目の前に迫る不条理な死に対して、整然と納得し呑み込める訳が無いのだ。
現実の不条理さを実感する前に蹂躙された戦闘班の兵員達と違い、ゆっくりと嬲る様に扱われているのだから尚の事である。
「…………な~んかガッカリかなぁ~。さっきはカッコイイと思ったんだけどなぁ……え~っと、ここ押せば静かになるんだっけ?」
七号は鹿嶋から興味を失ってしまったのだろうか、彼女は何かの家電の電源を切る様に鹿嶋の脇腹をグイと押したのである。
「――――!!」
何かの折れる音と肉の潰れる音が、小さく晃一の耳に届いた。
押した位置から考えれば何が起きたかは一目瞭然であった。
肋骨が何本か折れ、肺をも潰したのだろう。
他にも何か内蔵が潰されているのかも知れない。
「ゲヒュッ!」
鹿嶋の口からは呼気と共に赤い塊が零れ出した。
その綺麗な紅色の血は周囲に飛び散り、乾きつつあった他者の血液で赤黒くなった七号の顔を、別の鮮やかな赤に染めていく。
「わぁ、綺麗な色だぁ。ん……あれ? ほんとに静かになっちゃった……え~と……ねぇねぇ三号ちゃん。このお姉さん、眠っちゃったみたいだけど、どうやって起こせばいいんだっけ?」
強烈な痛みで意識を飛ばした鹿嶋。
彼女の反応が無くなった事を不思議に思っているのか、七号は三号に解決策を求めた。
「もっと強い痛みを与えてあげればいいんじゃないですかね? 七号さんも人の身体だった頃にそうされていたらしいじゃありませんか」
「そうだったね~。でもね、同じ事をパパにしてあげたら壊れちゃったよ?」
「やり過ぎない様にそっとやるのがコツでしょうか。そうすれば壊れませんから」
「は~い」
七号は三号からのアドバイスを元に、鹿嶋の意識の覚醒を痛みで促そうとした。
痛みを強く与えるには身体の神経の末端を狙えばいい。
彼女はこれまでの人生の経験でそれを知っていた。
鹿嶋の左足の靴を脱がせ、ストッキングを丁寧に摘んで千切ると、彼女の素足をその場に晒した。
足の指の一つをそっと摘むと、葡萄の実を皮から押し出す様に力を加えた。
「えい」
ブジュリ
鹿嶋はその音が鳴ったと同時に身体を跳ねさせ、少しばかり血を吐くと再び動かなくなった。
「なかなか起きないね~。ちょっとずつやれば起きるかな?」
「これも経験でしょうから、じっくりとやってみるといいですよ。あなたは直ぐに飽きて壊してしまいますからな、偶には丁寧にやる事も大事ですよ?」
「そうだね~。けいけん、けいけんっと」
七号はそう言いながら次々と鹿嶋の足の指を潰していく。
その度に彼女は身体を跳ねさせ、小さく喀血する。
(やめろッ! やめろやめろやめろやめろやめろやめろッ!)
凄惨な儀式にも見えるソレを見せつけられた晃一は、動かない自身の身体に抵抗を始めた。
小さく、ほんの僅かにその指先が動く。
二体のEOはまだその事に気付いていない。
(動けッ! 届けッ! 間に合えッ!)
指先からその直ぐ下の関節、拳、手首。
徐々に……たった片腕一本だけではあるが、その機能は回復し始めている。
だがこのままでは間に合わない事は確実である。
既に鹿嶋の身体は左足の膝下まで挫滅し、三号が彼女の右足にまで手を掛けているのが見えたのである。
(僕は間に合わないのかなぁ……お父さん達みたいに……みんな居なくなっちゃうのかなぁ)
普通の子供よりも聡明な彼は知っていた。
自分の父母が他者によって害された事を。
その事で祖父が時折、目に見えない血涙を流していた事を。
手が届かないという後悔がどういう物なのかを、その目で見て知っているのだ。
自分の手が今ここで届かなければ、その後悔に見舞われる人間が増える事も。
晃一はじわりじわりと、その腕を鹿嶋と七号へと向ける。
霞でも掴もうとするその所作はみっともなく……だが、とても綺麗なものだった。
(――ッ!)
ギチリ
再び何かを握る音が鳴った。
「えっ!?」
「どうしました?」
何か不思議な事にでも遭遇した様な声を上げた七号の声に、三号はそれを訝しむ声を返した。
何か異常は無いか?
三号は自分の視界内の変化の有無をトレースした。
ギチリ
ギチリ
何かを締め付ける音だけがさらに大きく響き始める。
「三号ちゃん……どうしよう……これ……」
鹿嶋を左腕でぶら下げたまま、七号は血に濡れたその右腕を三号の視界へ入る様に振り上げた。
その下腕部に充填されている緩衝素材が大きく歪み、正体不明の現象は今も尚その圧力を強めている。
彼女の本体基部へ届かんとする勢いでだ。
「な……」
三号はその有り様に言葉を失う。
何が彼女の腕をこうしているのか。
咄嗟の判断は出来無かった。
彼の視界内ある物といえば、七号と彼女に吊り下げられている女性、そして動作を停止している晃一だけである。
晃一の伸ばしている腕は、幸いな事に彼の視界の中には入っていなかった。
ギチリ
ギチリ
ゴギッ!
「痛ァい!!」
七号は大きな悲鳴を上げた。
緩衝素材が圧力により千切れ、彼女の右前腕装甲が大きく歪んで形を変えていた。
右腕に走った痛みのせいで、左腕で保持していた鹿嶋の身体を取り落とす。
そのまま地面に落下すると思われた鹿嶋の身体は、そのままふわりと浮いた。
「七号さん!」
一連の出来事への理解が進まず硬直していた三号ではあったが、七号のあげた痛みによる悲鳴が停まっていた彼の思考を蘇らせる。
鹿嶋の身体は浮遊を続け、晃一の側まで来るとゆったりと地面にその身体を横たえた。
上半身の動きを取り戻した晃一がのそりと動き出し、彼女の呼吸を確かめる。
涙と鼻水と喀血した血でぐしょ濡れになっている鹿嶋の呼気は、弱々しいながらもなんとか継続されていた。
かろうじてではあるが生きている事を確認して、晃一はホッとする。
だが事態がまるっきり好転した訳では無い。
このまま放置していては、彼女の命の灯が潰えるのも時間の問題だろう。
自身に発現したこの力……それが何なのかと思う所はある。
だが、今は二体のEOと渡り合えるだけの力が必要だった。
晃一は七号の腕を握り潰した力を丸く、自身と鹿嶋を覆う様に広げていく。
「……つき……そつきッ! 嘘つきッ! 三号ちゃんの嘘つきッ! この身体になったら痛くなくなるって言ったのにッ! 何でわたしの右手はこんなに痛いのッ!」
突然襲われた痛みによって、七号の抱えている過去が首をもたげる。
発生した怒りは八つ当たりとして三号にぶつけられた。
「落ち着いて下さい、七号さん。座学で勉強したでしょう? 痛いと思う感覚を切るんです」
「そんな事言われても判んな――あれ? 痛くない?」
七号は破損している右腕をブンブンと振り、痛みが流れて来ない事に首を傾げている。
「ね? 大丈夫でしょう?」
「う~……だれ~? わたしの手をこんなにしちゃったのは~」
痛みが消えた事で感情の昂ぶりは収まりつつあるものの、不機嫌さを隠そうともしない七号は周囲を見渡す。
目についたのは存在は、自分の玩具である鹿嶋を奪った晃一だった。
彼女の視線と憎悪が彼へと注がれる。
「そこのちびっ子だな~。その玩具はわたしのなんだから返してッ! それとこの手を痛くした分、あんたも痛くしてあげるッ!」
無事な左腕を振り上げ、鹿嶋を庇う晃一へとその拳をぶつけようとする七号ではあった。
だがその拳が晃一達へ届く事は無い。
目視は勿論、あらゆるセンサー類にも反応しない、不可視の力場がその動きを遮ったからだ。
「なんなの~これ~? む~ッ!!」
七号はムキになったのか、力場への力押しを止めようとしない。
だがどうした所で、目の前に存在する見えない障壁を通り抜ける事は出来無かった。
「一号ちゃんと同じなの~? ねぇねぇ三号ちゃん?」
「…………」
「ねぇってば~! 三号ちゃん、無視しないで~!」
「……サイコキネシス……? まさか、ESPが居るなんて……そんな三文小説みたいな事が……」
「む~……そんな三号ちゃん、嫌いだ~。帰ったら虐めてやるッ!」
「……すみませんね、七号さん。ちょっと有り得ない事が目の前で起こったものですから。あの少年の力は一号さんのものとは明らかに異なります。それは間違いありません」
「だってわたしのゲンコツ当たらないんだもん……そんな事出来るのって一号ちゃんくらいしかいないもん」
「詳しい説明は家に帰ってからにしましょう。それより……」
三号は晃一の状態の観察を継続、自らもその障壁へと拳を振るい始めた。
「七号さんはそのまま攻撃を続けて下さい。私の仮説が正しければ、短時間でその壁は無くなりますから」
「ほんとに~? 今日の三号ちゃん冴えてないからな~。信じていいの?」
「そう言われると困りますが……恐らくその壁の長時間の維持は不可能だと思いますよ」
三号の仮説はこの力場はサイコキネシスによって生まれた障壁である、というものだ。
その制御が晃一の脳によって行われているのであれば、七号程の大質量物から繰り出される物理攻撃を無効化して、脳への負担が小さいものである訳が無い。
本当に晃一にESPの素養があるにしても、思念という概念で動作するESPに、脳が関わっていない事は有り得ないという結論に達したのである。
であれば持久戦を仕掛け、晃一の脳の疲弊を待つ選択を彼がするのも当然だろう。
自分達が攻勢を続ける限り彼の力は防御として使われ、こちらへの刃として向く事は無いだろうとの打算もあった。
EOの規格どころか、物理法則すらも度外視するという意味では一号と同類なのだろう。
だがいざとなればそれを攻勢に使える分、晃一の力の方が厄介な性能を持っているのだろうと三号は推察する。
三号の読みは当たっていた。
晃一は力を行使している間、断続的な頭痛に襲われていたのである。
頭痛といっても殴られる時に味わう様な鈍い痛みでは無い。
常に脳を何かで刺されている、それも針等の細い物で無く、もっと太いアイスピックの様な物で刺されている感覚とでも言うのだろうか。
それでもその痛みに晃一は耐え続けていた。
自分の後ろには瀕死の鹿嶋がいるのだ。
使い方もその正体もよく判らない力ではある。
だが二体のEOに抗う事が出来るのであれば……彼の目には窮地を脱するまでこの力で生き抜いてやろう、そんな意思が溢れていた。
(でないと……あんな死に方していったおじさん達に……どうやって顔を向けていいか判らなくなるもの! せめて鹿嶋のお姉ちゃんだけでも……)
痛みで朦朧としつつある意識に鞭を打ち、晃一はその力を振るう。
そして二体のEOの攻撃に耐え続けた末、その時はやって来る。
晃一のセンサーが複数の足音を捉えたのだ。
二体のEOも同様に捕捉したのだろう。
晃一への攻勢を止め、唯一の脱出経路となっている通路へと視線を送っている。
そこへ姿を見せたのは三体のEO。
彼等は大柄な三号の機体の隙間から僅かに見える晃一の姿を目敏く認め、その声をあげた。
「コウ……なのか……?」
「「コウなんか! 生きてるか!?」」
アキラと双子。
彼等のその声を聞いて、晃一はようやく安堵する事が出来たのだろう。
『アキラ兄ちゃん……景ちゃん、勝ちゃん……僕……僕……』
晃一から送られてきた短距離通信。
心の底から安心した様なその声を聞いた三人の胸は締め付けられる。
目の前には一人の女性を守り、血の海の中で抗い続ける晃一の姿があるのだ。
この少年が目にした光景がどの様なものだったのか。
通路の血と肉塊の量を見れば明らかであった。
それはアキラと双子の怒りの熱量にさらに火をくべる。
『コウ……よく頑張った。後は俺達に任せてくれていい』
『そうやで、コウ。ようここまで頑張ったな』
『それより、遅なって堪忍な。頑張って急いで帰って来たんやけど……』
『戦闘班のおじさん達が……みんな……』
『そうか……こいつらは?』
アキラの問いに、晃一は感情の昂ぶりを抑えてしっかりと答えてみせた。
『僕達と同じ意識を持ったEOだよ。お兄ちゃん達の言ってたAIみたいな動きはしないし、動きも早かった。それと……銃でも爆発でも衝撃で攻撃する物は、ほとんど通用しなかったよ……あのぶよぶよが全部吸収しちゃうみたいなんだ』
『やっぱりコウは出来る子やな! さすがやで!』
『ほんまやなぁ、よう見てるで。ボクらやったら訳わからんで終わっとったやろな』
『景、勝……アジャストしろ。連中をコウ達から引き剥がす……いいな?』
『『ええで! いっちょやったるわ!』』
ようやくアジト内部へと届き始めた救援の手。
果たしてどれだけの戦に間に合い、どれだけの命を拾えるのか。
たった九体の敵性EOに振り回され続けたこの戦闘は、もうしばらく継続する事となる。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.07.06 改稿版に差し替え
第六幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。