5-11 萎える剛槌
-西暦2079年7月19日11時45分-
晃一達が敵性EOから逃れる為に通路側壁の破壊を決意した頃。
未だメインスロープで戦闘を継続していた片山の心情は焦れていた。
いや……焦れるというレベルの話では無い。
それは既に焦燥となっていた。
相手は二体。
それも一体は小兵、女性がベースのEOなのだ。
正面から勝つ事は厳しくても、出し抜いて上手く逃げ出す事が出来無いはずは無かった。
だがその女性形EO……一号と呼ばれた彼女は、片山の想像を凌駕する強さを見せたのだ。
体格的には晃一とほぼ同等。
ならば搭載されているアクチュエーターの量も同量程度のはずである。
EOの膂力は基となるアクチュエーターを、どれだけその身体に積めるかに掛かっていると言っていい。
片山のブラッドドラフト、郁朗のフルドライブ等の特殊駆動という例外は存在する。
だが概ねその認識で間違いは無い。
しましその認識を打ち破る存在が、片山の目の前にいるのだ。
彼女はブラッドドラフト状態の片山と正面から組み合い、その打撃を止めてみせた。
片山の洞察力は言う。
これは膂力による抵抗では無い。
何か別のギミックが存在する。
と。
確かに殴りかかった際、何かを吸われるような感覚に襲われたのだ。
打ち込んだ打撃から、破壊に必要な力がふわりと抜けていったのである。
十数合い打ち合った末の感覚なので間違いは無いだろう。
そう片山は確信を持つ。
二号と呼ばれたEOは二人の戦場から少し離れた所、片山の背を監視できる場所で腕を組んで命令通りに沈黙を守っている。
片山としては、どうにか一号との戦闘に二号を巻き込めないかと考えていた。
下手な強者と一対一で真っ向から戦うよりも、二体程の相手であれば乱戦に持ち込む方がまだ勝ち目があったからだ。
だがその望みは叶えられそうに無い。
「二号とかいったよなぁ!? 賢いワンコはご主人様の命令聞いてお留守番かァ!? ピコピコ尻尾振ってんじゃねぇぞ!」
「…………」
一号の打撃を回避しながら二号を挑発してみるが、彼はその場に佇む事が仕事と言わんばかりにピクリとも動かなかった。
(立派な忠犬だこって……まぁそんなもんだよな。強さで序列を決めちまうタイプは本当に面倒だぜ)
ほんの僅かな時間ではあるが、二号に神経を割かれた事で生じた隙を一号は見逃さなかった。
片山の基幹装甲剥き出しの左腕を掴み取ると、握力だけでその形状をグニャリと変形させる。
パン生地や飴細工を扱っている様な手軽さがその一手にはあった。
「グッ!」
慌てて左腕を振り払う。
だが彼の左前腕のアクチュエーターの半分は、握り潰された事で圧し切られていた。
ブラッドドラフトによるアクチュエーターの筋肉繊維強化があってこれである。
もし特殊駆動の状態で無ければ……そう思わされてしまった事で、片山は猛るべき戦意を冷ます何かが流れ落ちたのを感じた。
このダメージのおかげで左腕の握力は半減、ほぼ使い物にならなくなったと言ってもいいだろう。
それでも振り回して鈍器代わりには出来るはずだと、片山は自分に言い聞かせる。
こんな事で折れている場合では無いのだ、そう己を奮い立たせる事も忘れない。
「コンニャロ! ちったぁ手加減しろってんだ! 女だったら女らしくしろっての!」
その一言に反応したのか、一号の攻撃速度が一段階上がった。
「……片山淳也。わたしから女である事を奪ったお前がそれを言うのか……お前がそんな事を言えるのか!?」
「は? 生憎なんだがな、俺はあんたが誰かってのを知らん。俺に文句を言いたいんならな、一号なんて名前じゃなくて本当の名前を言ってみろってんだ」
秒間数発にも及ぶ拳の応酬の合間に、互いの主張の応酬も始まる。
片山としては何かの隙でも生まれてくれればという、ただの揺さぶりとしての会話のつもりだった。
その安易な考えは彼の首を締める事となる。
片山が大きく繰り出した右腕の一撃が、不意に動きを止めた一号へ直撃するコースに乗った。
彼自身もこれは当たると思ったその右腕は、彼女に命中する事無く勢いを殺され、何の防御姿勢も見せていない彼女の眼前で停止する。
(またかよ!)
反応速度は恐らく五分だが、馬力は上。
技術も上。
なのに相手に一撃の有効打も与えられない。
その事で片山の苛立ちはピークを迎え、荒れた精神状態はそのまま彼の行動の隙となった。
先程の無思慮な言葉の応酬と合わせて、彼は自分の行動のツケを支払わなければならない事にようやく気付いたのである。
一秒も無い棒立ちの刹那、一号は伸ばされた片山の腕を取った。
夏の木陰で小さな子供が宝物の玉虫色の虫を大事に手に取る様に。
あるいは思春期の放課後、憧れた想い人の差し出した手を取る様に。
彼女は左腕を破壊した時よりも、更に大事な物を扱う様に片山の右腕を握り……そして一息で破壊した。
「ガッ!」
咄嗟の事で痛覚を切れなかった片山は、思わず呻き声を上げる。
彼の右腕は肘と手首の中程を圧し折られ、拳は明後日の方向へと向いていた。
彼女は折れた片山のその腕を離そうとしない。
「母さんの痛みはそんなものじゃなかった! あの人の苦しみはそんなもんじゃなかった! それを判れ!」
(母さん? あの人? 本当に誰なんだよ……こいつは!)
片山は徐々に感情の乗り始めた彼女の声に、困惑するばかりだった。
「まだ思い出せないのか? "向井 祐実"…………たった一年前の事だ。忘れたとは言わせない」
片山はその名を脳裏で反芻する。
数秒の思考の後、ようやく彼は彼女が何者かを知る。
「あの時の…………嬢ちゃん……なのか……? 何でだ! 何でこんな事になってんだよ!」
片山が思い出したその女性……EOとなっている為姿は当然であるが、口調ですら別人の様になっていたのだ。
即座に気付けと言うのが無理な相談であった。
彼女はかつて片山が手掛けた調査案件の調査対象であり、そして被害者でもあった女性だ。
大手企業の役員の虚偽の依頼、その暴走により事件に巻き込まれた……ただ巻き込まれただけの大学生だったはずなのだ。
そんな機構の暗躍とは無関係と思える女性が、何故この様にEOになってしまったのか。
片山には到底想像の出来る案件では無かった。
「こうなった全てがお前の責任とは言わない。だけど、お前が関わっていた事も間違い無い。わたしはわたしの仇を狩る。それだけだ」
「仇って……あんな仕事だからよ、恨みを買うのはしょうがねぇさ。だけどよ、嬢ちゃんは違うじゃねぇか! あの事件だってうちの所長が根回ししてキッチリ解決したはずだろ!?」
「解決……解決だと? 何がだ? お前達が何を解決したって言うんだ?」
「あの豚役員にも、あんたらを追い回してたクソヤクザ共にもきっちり釘は刺してるんだ。ケリはついてるじゃねぇか……そんな身体になっちまって……嬢ちゃんの母ちゃんはそれを知ってるのか!? それにあのガリ勉君はどうしたんだよ!?」
「…………お前が」
「??」
「お前がその話をしていい立場と思っているのか! お前が! それを言うのか!」
事情を知らないとはいえ、片山の無思慮な言葉で彼女の怒りのボルテージは上がる一方である。
その怒りは当然片山に向けられ、半ば千切れかかっていた右前腕を完全に毟り取った。
そうされる事で自由になった片山は、小さくではあるが彼女から距離を取って離脱する。
寝耳に水という言葉を彼は今、正に実感している。
戦っている相手、それも命の取り合いをしている相手が、過去に見知った相手なのだ。
この戦いに関わる事を決めてから、片山は知人と戦場で遭遇する事も有り得ると想定はしてきた。
EOが軍に絡んでいる以上、元軍人である自分がかつての同輩と戦う可能性を否定出来無かったからだ。
だが民間人の女性がその相手になるのはさすがに想定の埒外の事である。
事態を呑み込み切れない片山は、既に戦意を喪失しかけていた。
「何があった? 俺を仇として狙うのは……まぁ、いいさ。そんだけの理由があるんだろ? けどな、それを聞かずに殺されるってのは俺としては納得出来ねぇんだ」
彼の立場からしてみれば、当然と言える質問だろう。
仇として狙われる……その内容の是非はどうでもいい。
人と人が関わりあって生きていく以上、どの様な形で人に好かれ、恨まれるかなど当人には判断出来ない事なのだから。
だからこそそれを聞いた上で、正当な理由であれ逆恨みであれ、片山はただ受け止めるつもりである。
勿論、黙って殺されるつもりは無い。
「……山道 隆道。今も姿を晦ましている……お前の居た調査会社の所長。あいつが全ての元凶だッ!」
「先輩が……?」
「あいつがあの企業にわたし達の情報を売った事が始まりだ……」
「あれはあの豚役員を止める為にやった事じゃねぇか。ああしてでも止めなけりゃ、あんたらだってあのままどうなってたか判んねぇんだぞ?」
「お前達からすればあれで終わりだったんだろうな。厄介な依頼を投げ捨てて小銭を掴んで……そのせいで……そのせいで……」
「そのせいで?」
「最初にあの人が殺された! わたしと関わりがあったっていうだけで! 彼の家に行ったら身体中を穴だらけにされて殺されていたんだぞッ! ご丁寧に顔を残してだッ!」
「……あの兄ちゃんが……」
「警察を呼んで話をして家に帰ったら……今度は母さんもだッ! 壁に手足を打ち付けられてッ! 身体中の肉を削がれて死んでたんだッ! 判るかッ!? それを見た時のわたしの気持ちがッ!」
「…………」
「母さんの剥き出しの骨を目の当たりにして……その場で立ち竦んでいたわたしも……連中は手に掛けようとした……わたしを押し倒して犯してから殺そうとしたんだ」
一号、いや向井祐実はその場で自分の身体をギュッと抱いた。
過去のの恐怖が蘇っているのだろう。
「のしかかってくる男の目を潰して喉笛を噛みちぎってやった……台所に逃げこんで手にした包丁でその場にいた連中を全員殺したよ……でなきゃわたしが殺されてたもの」
片山は彼女の変貌の片鱗をそこに見た気がした。
それだけの事が短時間で起きたのであれば、あの聡明だった彼女がこうなるのも仕方が無かったのだと納得してしまったのだ。
「その後はもうお決まりと言っていいんだろうさ。身体を売る代わりに情報と力を手に入れて復讐を始めた。色々殺したよ。実行犯だったヤクザの頭とその家族。あの豚役員。お前の居た事務所の人間……殺されたって仕方ない人間ばっかりだったから、気も楽だったけどね。」
「あの事務所の人間って……事務の姉さん達かよ……?」
「わたしみたいな人間の幸せを切り売りしてメシを食ってたんだ。死んで詫びるのが当然じゃないか。わたし達を殺す様に指示を出していた企業の役員を殺した時に言ってたよ。企業のイメージを守る為に、生きてわたし達にあの事件を吹聴されたら困るからって」
「…………」
「それだけの為にあの人も、母さんも殺されたんだッ! 生きている事を否定されたんだッ! でも結局…………そいつを殺した時に捕まってしまった」
「納得は出来ねぇが……そういう法がある以上しょうがねぇじゃねぇか……」
「だったら! だったら……何で母さんやあの人を殺した連中が普通に暮らしてたんだ? なんで何もしていないわたしが逃げ回る生活を送らなきゃいけなかったんだ? ヤクザのガキなんざ、何の不安も心配も無さそうな顔して眠ってたぞ? 警察は連中を捕まえようともしなかった……だったらわたしが殺すしか無いじゃないかッ!」
「……そんで、そのままその仇討ちとやらを続けたいから、その身体になったってのか?」
「ああ、そうさ。山道を、そしてお前を殺す為にこの身体になった。わたしにとっては……別に機構や極東の事なんてどうでもいいんだよ。利害が一致するから手伝ってるだけだ。お前らを殺したら、わたしもその場で死んでやる」
「まぁ……大体判った……理解は出来ねぇが理由を聞けて良かったよ」
(ただの気狂いのとばっちりじゃねぇか、あんたも同じじゃねぇかとは…………さすがに言えねぇよな……)
彼女の置かれた状況を考えれば、こうなってしまうのも仕方が無いのかも知れない。
だからと言って、はいそうですかと殺されてやる訳にもいかないのだ。
(両腕使えず、戦意もボロボロ。嬢ちゃんに同情する気で一杯だ。こんなんで生き残れるのかね……?)
そんな事を思いながらではあるが、どうにか萎えていく戦意を奮い立たせる。
使えない両腕を構え、死地へ踏み込む覚悟を決めた。
(俺の骨を拾うのは誰だろうな……きっとイクローなんだろうな……)
自身への殺意を隠す事無い上、自分の攻撃の一切通用しない相手へと……片山はその身を弾丸としてぶつけるしか手を持たなかった。
片山と環……そして晃一。
それぞれがそれぞれの戦いを劣勢ながら継続していた頃。
ようやく彼等を助けるべき手が、アジトに届こうとしていた。
「エマージェンシーからもうかれこれ一時間近く……間に合うかな」
『間に合わせるしか無いッスよ。何が起きてるか判んないスけど』
「水名神には連絡ついたの?」
『はいはーい。支援機を間に挟んで連絡済みやで』
『水名神搭載予定の輸送装備の視察に行ってたハンチョーも捕まえたで。なんやこっちに来るって言うてたよ』
「大葉さん、合流ポイントの策定をお願いします。ハンチョー一人でアジトに向かわせる訳にはいかないでしょう」
『そうだね。直通エレベーターの近辺でいい場所が無いか探してみるよ。メインゲートを使うよりもそっちの方が近いから』
「頼みます」
Sブロックの新施設へ向かいつつあった郁朗とアキラ。
そしてそこからアジトへの復路を戻りつつあった大葉と双子達。
アジトからのエマージェンシーが鳴った時、幸いな事に両者の距離は近かった。
随伴していた戦闘班員達とは別行動を取り合流、EO五名のみで迅速に行動を開始した。
移転作業の手伝いという事で兵装は所持していなかったが、ローダーシステムを全員が装備していた事は僥倖だったのだろう。
ローダーと彼等の持つ運動能力を使えば、戦闘班の使っている車両よりも短時間での移動が可能であったからだ。
アジトに入る経路を増やす為に重鎮達の行方を追うと、こちらも幸いな事にアジトに比較的近い水名神のドッグに倉橋が居てくれた。
これで認証が必要な直通エレベーターが使用出来る。
緊急事態が起こった不幸の最に重なる小さな幸運を、郁朗達は天に感謝する他無かった。
しかし未だにアジトとの連絡は取れていない以上、油断も出来ない。
アジトの状況は不明であり、あくまでもエマージェンシーコールが鳴らされたという事実しか彼等の前には無い。
残っていた人員、そして片山達がどの様な事態になっているかの把握は一切出来ていないのだから。
「とにかく全速。ローダーのモーターが焼けても構わない。今は急ぐ事だけ考えよう」
こうして全速で移動をした甲斐もあり、兵装一式を水名神から持参した倉橋と短時間での合流に成功した。
彼等のアジト到着はそれから間も無くの事だった。
郁朗は突然の出来事で焦り、そして不安になる反面、アジトには片山がいるのだからと高を括っていたのだが……彼のその期待はあっさりと裏切られる事となる。
倉橋によりロックを解除された直通エレベーターを使用し、アジト内部に突入した彼等の見た光景は……血で濡れた通路、そして……黒い巨体と相対している環と晃一の姿だった。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.07.06 改稿版に差し替え
第六幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。