5-6 意思を持つ黒獣
-西暦2079年7月19日10時50分-
郁朗とアキラがアジトを離れて三十分程が経過した。
アジトの最下層に近い演習場では、環が片山との訓練で散々投げ飛ばされ疲弊しており、ぐったりと地面に伏している。
その代わりとして彼の相手を強要されている晃一は、ビクビクとしながら片山からの格闘教練を受ける事となった。
幸いな事に片山は加虐趣味を持ち合わせてはいなかったので、その教練の内容は彼にしては穏やかなものである。
「そうじゃねぇって。ここだ、判るか? ここを掴んで後ろに……そう、それでいいんだよ。やりゃあ出来るじゃねぇか。おっかなびっくりやるんじゃなくてよ、もっと自信持ってやれ」
「そんな事言ったって……やられた方は痛いじゃない……」
「あのなぁ……自分が今何をやってんのか自覚しろよ? 相手を無力化する訓練やってんだぞ? 痛みも無しに無力化なんて、今のお前の実力で出来る訳ねぇだろうが」
「むー……」
「唸ってる暇があったらかかって来い! ホレ!」
晃一が組みやすい様にいつもよりも少し腰を落として構えると、彼の伸びてくる手を待った。
天才的とまでは言わないものの、戦闘における晃一の勘は悪く無い。
先程までは守勢前提、防御の為の組手であったが、今度は彼に攻めさせる為の組手なのである。
覚悟を決めたのか、晃一が片山に躍りかかった。
腕を取ろうとする晃一とさせじとする片山。
小さく擦過音と打撃音が鳴るものの、互いにダメージの出る様なものでは無い。
「動きが真っ直ぐ過ぎるな。もっと工夫しろ」
「うー!」
右腕を回り込ませる様にしてようやく片山の腕に縋りつけたのだが、即座に振り払われてしまう。
痛みは無いが、訓練とはいえ暴力的に他者から拒絶されるのが晃一には辛かった。
「ようやく触れたと思ったら次は同じ事しかしてこない。リズムも単調。色々混ぜんと奇襲は奇襲になんねぇぞ」
「うにゃー!」
可愛らしい気合の声と共に晃一は再度片山へと向かう。
確かに何かの打楽器を演奏しているかの様に、規則正しいリズムで打撃音や空を切る音が演習場に響いていたのだ。
それを自覚した晃一は、ならばと右右左だったリズムを様々なパターンに変えていく。
先程も記したが、彼の勘は悪く無い。
本来の身体では病気という大きなハンデもあって、身体を動かそうにも彼の意思にそれがついて来る事は無かった。
そう考えればアクチュエーターの量は正規の体格のEOに劣るものの、反応や動作再現性の面では現在の身体は悪い物では無い。
むしろ力に振り回され気味な片山の身体等と比べれば、動作のバランスの取れている良い身体と言えるだろう。
晃一は元々持っていた自身の感性と機体の追従性で、どうにかその場を乗り越えようとあがき始めた。
(スポンジなんてもんじゃねぇな。なんつったか……紙オムツの……)
高分子吸水ポリマーを思い出させる彼の吸収力に、片山は舌を巻き始めた。
与えたら与えた情報分だけ、行動を是正し片山との経験の隙間を埋めていくのである。
(こりゃあ、イクロー達がこのボンズを可愛がるのも判らんでも無いな。こんだけ吸い上げてくれるんなら、物を教えるのは楽しくもなるわ)
ボーっとしていたらガッチリと掴まれてしまいそうな腕捌きが垣間見え始め、片山の中から油断という文字が消え始める。
かといって即座に晃一が片山を簡単に掴まえる事が出来る訳も無く、数分後には腕を逆に取られてジタバタとする羽目となった。
「ホレ、背中を取られるとこうなるんだ、憶えとけ」
「うー……団長さんの教え方は意地悪だッ! 景ちゃんや勝ちゃんの言ってた通りなんだもんッ! もう僕やだッ!」
晃一はとうとう子供らしく拗ね始めてしまった。
当然ではあるが、素人の自分が油断の消えた片山と数分対峙出来た、という事の意味には気づいていない。
「いや待て待て。俺のこの教え方なんてまだ優しい方だぞ? イクローが相手になったらお前……こんなもんじゃ済まねぇからな?」
「嘘だッ! イクロー先生はそんな怖い事しないもんッ!」
片山はかぶりを振ると環に同意を求める。
「タマキィ……なんとか言ってやってくれや」
もぞりとどうにか身体を動かす環は、珍しく片山の意見に同意した。
「コウ……残念だけどよ、団長さんの言う通りだぜ? イクローさんと格闘訓練だけは止めとけ。さっきの団長さんがマシだって思える荒行をお見舞いしてくれるからよ」
「…………」
「イクローさんと喜んで訓練してんのはアキラぐれぇだよな? 団長さんだって正直、嫌だろ?」
「負ける気はしねぇけどな。あいつの相手すんのは本気で面倒臭い」
「……だって僕の歩行訓練とか手伝ってくれたけど、全然怖くなかったよ……?」
「そりゃあお前、ただ歩いたり走ったりするだけの訓練で何で殴ったりするんだよ。俺だってそんな事しやしねぇよ」
片山が粗暴である事は自身ですらも認めている事だが、さすがにその程度の訓練で暴力と呼べる様な行為を働く程、片山も破綻した人間では無い。
「しゃあねぇな、コウ。俺とやっか?」
環がここぞとばかりに自らを売り込む。
その口調からは、これ以上片山の相手をしたく無いというのがありありと感じられる。
「駄目だ駄目だ。お前が相手したってコウには何の身にもなんねぇよ。こうやって身体で覚えた感覚ってのはな、身体が変わっても案外忘れねぇもんなんだ。俺やアキラが生身の時の技術をそのままこの身体に持ち越してる様にな」
「そりゃあ言いたい事は判るけどよ。コウが嫌がってんだからしょうがねぇだろ」
「お前らがそうやって甘やかすから、コウがこんな根性無しになっちまったんだろうが。ここに来てまだ一週間も経ってねぇのによ、すっかり甘ったれじゃねぇか」
その一言に晃一は怒りの感情を顕にする。
自身の手元でジタバタと暴れる作業を再開した晃一を見た片山は、大きく笑い声を上げた。
「ハハハハハ! やる気になった様で結構。さぁ続きを――」
訓練を再開しようとしたその空気を切り裂くがごとく、施設内放送からこれまで流れた事の無い種類のアラートが鳴った。
本来なら付随するはずのオペレーターからの詳細アナウンスは無い。
アラートの発生先が他の部署からだという事であり、現状が把握出来ていないという証拠でもあった。
「何だぁ? 非常警戒態勢のアラートだってか? どこから――」
『片山さんッ! ヤバイです! 敵性EOの浸透がァァァァァァァァァァァッ!』
どこの部署からからかは判らない。
だが片山を名指しで呼んだという事は、声の主は戦闘に関わる部署の班員なのだろう。
火器の発砲音と共に通信は途切れ、演習場のスピーカーからはノイズだけが不気味にザリザリと響いている。
「このタイミングで強襲食らうとはな……お前の勘も馬鹿に出来ねぇもんだ……悪かったな、コウ」
片山は掴んでいた晃一の腕をスッと離すと、今朝の彼の言動を思い出していた。
そして自身が訓練や戦場で勘をあてにする事があるにも関わらず、子供の言う事と晃一の言葉を軽視した事を僅かにではあるが後悔した。
「で、どうすんだ? 団長さんよ? 当然ツブすんだろうな?」
環の問い掛けに片山は意識を切り替える。
「当然だ。ナメた真似してくれてるんだ。熨斗付けて返してやんねぇとな」
「団長さん……タマキ兄ちゃん……」
不安そうな声を出す晃一の頭を二人は安心させる様にポンポンと叩くと、先程までとは明らかに違う雰囲気を纏わせ始めた。
「コウ、お前は残ってるオペ班の所へ行ってやれ。姉ちゃん達を守ってやるんだ。侵入してきた敵と鉢合わせても、無理に戦おうとするんじゃねぇぞ? とにかくみんなを無事に逃がせ。いいな?」
「そんなに心配すんな、俺達が全部片付けてやっからよ、コウ。お前の出番なんかねぇさ」
そう言って大きく笑った環の声を聞いてもまだ安心出来ないのか、晃一はグズり始めた。
「そんなの……僕に出来るのかなぁ……? 自信無いよ……」
「出来るかなじゃねぇ。出来ると思ってるから言ってんだ。それともお前の目の前で姉ちゃん達を殺されてもいいのか? 相手はそういう連中なんだぞ?」
晃一の肩をがっちり掴み、彼のカメラアイをしっかりと見つめながら片山は言葉を続ける。
「こんなタイミングでこのアジトに居なきゃならなかったってのは……その……なんだ。運が悪かったってだけで済ませていいとは思えねぇんだ。俺は無神論者だがな、こんな巻き込まれ方をするって事は……お前にもそういう何かがある様な気がするんだよ」
「……何か?」
「俺やタマキ達がこの身体になったのだってな、偶然じゃねぇ……何かの賜物なんだろうなって、今は素直に思ってる。だからこの身体で出来る事をやってんだぜ? なぁ?」
「まぁそうだな。俺だって、最初は祖母ちゃんの為に金さえ稼げりゃいいって思ってたけどよ……人はあんな殺され方しちゃいけねぇって思う様になったぜ? 人ってのは……もっとマシに死んでいかなきゃなんねぇよ……その為に連中を殺していくなんてすげぇ矛盾なんだけどな」
「うん……」
「お前にこんな説教してる間にも、上で身体張ってる連中がたぶん何人か死んでる。俺達が行かなきゃそんな人間がもっと増えるんだぜ? いいか? もう一回言うぞ? お前はお前の出来る事をやれ、いいな?」
晃一は覚悟を決めたのか大きく頷くと、オペレーション室へ走り出す。
「僕も頑張るから……二人共死なないでね!」
背中越しにそう叫びながら、演習場から姿を消した。
「……タマキ、兵装倉庫へ行ってくれ。68式だけじゃねぇ。高い火力のもんをコンテナごとありったけ持って来い。俺は先に足止めに行ってどうにか戦える場所を拵えるからよ」
「まぁ、そういう役割分担になるわな。居ない人間アテにしたってしゃあねぇ。やれるだけやってやる」
二人は互いの肩をゴチリと叩くと、急いでその場からの移動を開始する。
気になるのはただのEOが相手なのかという事だ。
いくら強襲されたとはいえ、ここに居る戦闘班の人間達は対EO戦を経験しているのだ。
ただのEOに襲われた程度で、あれ程の切羽詰まった声を上げて通信を送ってくる訳が無い……そう片山は考える。
(とんでもないもんが相手なのか……畜生、嫌な予感しかしねぇぞ……)
そう考えながらも、今は戦闘状態になっている場所へ急行するしか無かった。
時間は少し遡る。
千豊達の構築したこのアジトには、外部への出入りの可能な場所は三箇所しか存在しない。
車両の通行が可能な物資運搬口となるメインゲート。
地上からアジトの重要基部へと直通するエレベーター。
エレベーターに関しては認証の関係から、新見や倉橋クラスの人間の同行が無ければ使用出来ない物となっている。
そして最後に、内部の人員のみを非常用の地下経路へ移動させる緊急用ゲート。
この三箇所以外から侵入するのならば、数回爆撃でもしてアジトの天井に穴を空けるなりしなければならない。
そしてメインゲートには、常に歩哨が数名配置されている。
戦闘班が持ち回りで担当しており、今日もいつも通りといった感じでゲート周辺を警戒していた。
新拠点への移転があと数回の移動で完了するという事から、彼等も安心から気が抜けていた部分はあったのだろう。
ただ平時の緊張感があったとしても、ソレの接近に気付く事は無かったであろう。
今回の敵勢力の強襲において……その浸透経路の隠蔽があまりにも巧みであったからだ。
最初の二人が犠牲になった時点でも、歩哨担当の戦闘班員は相手が何者であるかを認識出来ていない。
出来る訳が無いのだ。
十メートル先にいる同僚の首がいきなり圧し折れる。
そんな物を目にして唖然としない人間はいるのだろうか?
首が有り得ない方向に曲がり、ビクビクと痙攣しながら崩れ落ちる様。
唖然としている内に一人、また一人とその場に倒れ伏していく。
何も無い空間が少し揺らいだかと思うと、その場に黒い巨体が顕現した。
光学迷彩でも使っていたのだろう。
その数は九体。
彼等は無造作にメインゲートの坂を降り始める。
だがあるラインを越えた瞬間、施設内に大きく警報が鳴り響いた。
組織関係者にはPPSナノマシンが射ち込まれている。
それ以外の来訪者には、専用のIDチップが渡される事で通行が許可されているのだ。
当然ではるが、それらを持たない者がゲートを通過すれば警報が鳴る。
当たり前のセキュリティであり、侵入の発覚を恐れるのならば何らかの対策を練らなければならない。
だが侵入者である彼等はそれを意に介さず、堂々とアジトの中枢へ向けてスロープを歩き始める。
光学迷彩の再展開は出来ないのか、それともあえてやらないのか。
彼等が再び姿をくらます事は無かった。
警報を聞きつけた数名の戦闘班員達が、武装した78式バギーに乗って地下から応戦の為に上がってくる。
彼等は侵入者の発見と同時に、問答無用で搭載した71式改による射撃を開始した。
その判断は明らかな悪手であり、この戦闘における最大の失敗を犯したと言っていいものだった。
その失敗とは敵勢力を視認した瞬間に、通信による施設内放送でその正体を片山達に正確に伝えなかった事である。
射撃している時間をその様に使っていれば、この後の展開も少しは変わったかも知れなかったからだ。
71式改の弾幕を浴びた黒い巨体達は数秒立ち竦んだものの、機体に異常は見られず、何事も無かったかの如く再び移動を開始する。
射撃していた戦闘班員からすれば信じられない事だろう。
71式改の有効射程から考えれば、それなりの至近距離にあたる位置から12.7mm弾の弾幕を食らったのだ。
片山達であったとしても、ただでは済まないレベルの弾幕だった事は間違い無い。
黒い巨体達はある距離まで接近してきたかと思うと、半数の機体が仁王立ちとなり一枚の壁として残りの機体を守り始めた。
これで足止めが出来たと安心した戦闘班員達の射撃は継続されている。
だが弾頭は敵性EOの身体に吸い込まれているはずなのに、彼等のその機能が停止した様子は一切無い。
撃破出来無くともこの場での足止めをどうにか継続しよう。
戦闘班員達がそう思ったと同時に、目の前の黒い壁の後ろから、今度は黒い塊が跳ね上がって飛び出して来た。
それは壁を蹴り天井へ、更に天井を蹴ってと車両へと、一息する間も無く距離を詰めて来たのだ。
大きな衝撃と共に一体はバギーのボンネット、もう一体は後部の荷台に着地する。
彼等は着地と同時に二人の兵員を即死させている。
一体は助手席に立ち小銃で牽制射撃を続けていた兵員の頭をクシャリと潰し、もう一体は71式改で弾幕を張っていた兵員の心臓を鷲掴んで摘出してみせたのだ。
この瞬間、分隊を率いていた班員は自分の失敗を悟った。
相手が何者なのかを皆に伝える必要がある。
そう考えた彼は同乗していた人間が犠牲になっている内に、車両から飛び出し距離を取ろうとした。
済まない、そう犠牲になった部下達に心で謝罪しながら通信を開始する。
現在アジトに残存している戦力で一番アテに出来る人間へ、少しでも侵入者の正体を伝えなければならない。
「片山さんッ! ヤバイです! 敵性EOの浸透がァァァァァァァァァァァッ!」
彼の最後の試みは半ばで潰える。
胸元にあった通信端末ごと胸骨を粉砕、そのまま心臓を貫かれ壁に磔にされたからだ。
戦闘音の消え去った通路からはグチャリ、ペシャリという水音だけが響いている。
「……趣味が悪いな……死んだ人間を解体してどうする?」
黒い巨体の一人が言葉を発した。
「……うるさいッ! ボク達の研究に口出しするなッ!」
「全くだ! 邪魔をするならお前から潰すぞ!」
反論した二体は機嫌の悪さを叩きつける様に、犠牲となった兵員達の身体を文字通り解体していく。
玩具のプラモデルの関節を外して遊ぶかの様にだ。
子供の遊びと違う事と言えば、生々しい肉の音がその場に響いている事だろう。
「面白い事を言うものだな? 潰して貰ってもいいぞ? 出来るのならな?」
その声が響いた瞬間、二体は動きを止めた。
「……ちょっとした冗談だよ。本気にしないで欲しいな」
「ほんとだよ。君は冗談が通用しないから困る」
軽口を叩いてみせるその二体に一瞥をくれると、細身の身体を持つその声の主は歩みを再開する。
「時間がもったいない。手早く終わらせる」
残りの機体達もそれに続き、血塗れとなったその場を後にした。
片山の予感は悪い形で的中していたと言っていいだろう。
戦闘の相手となるべき、強襲をかけてきた敵性EOの集団。
それは新型機とも呼べる、意思を持ったEOだったのだから。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.07.06 改稿版に差し替え
第六幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。