5-5 不安という生き物
-西暦2079年7月19日10時05分-
「……どうしても行っちゃうの?」
「コウ、どうしたって言うんだ? ここに来てから、そんな我儘一度だって言った事無かったじゃないか?」
郁朗に宥められるのだが、晃一は自分を襲う不安に押し潰されそうになっていた。
「だって……」
「俺達があっちに行く事で……作業が捗るっていうのは判るよな? ……あんまりイクローさんを困らせるな」
「アキラ、僕は別に困ってる訳じゃないからさ。今までこんな事を言わなかったコウがだよ? いきなりこういう事を言い出したってのが、どうしても気になるんだけなんだ」
郁朗はアキラの肩をポンポンと叩いて落ち着かせる。
彼は晃一が何に対してこうも怯えているのか、それを聞きたかっただけなのだ。
事の起こりはこの日の早朝に遡る。
機構南侵開始の報が彼等にも届けられ、参戦するかどうかの打診を千豊が第二師団に行った。
だが次の作戦の主力になるであろう郁朗達を浪費しない為にも、防衛ラインの戦闘への参加に植木は待ったを掛けた。
ならば完全な内戦状態になった以上、非戦闘員の危険性を出来得る限り排除するという意味もあり、新アジトへの組織中枢の機能移転を最優先に行うとの判断を千豊は下す。
人員と機材の移動が本来の予定よりも数日早められ、Sブロックに作られた新しい施設へそれらの移動が開始された。
郁朗達は搬入用重機の代わりとして便利に使われる予定であり、同行を命じられていた。
彼等が居るのと居ないのとでは、細かく狭い箇所での作業効率がかなり変わるからだ。
そしてその話を晃一にしたところ、
「ダメだよ! 僕達はここから動いちゃだめなんだ!」
と、急に大声を上げて移動する事を拒否し始めたのだ。
彼が駄々をこね続けてかれこれ数時間……説得を続ける郁朗達の努力の甲斐も無く、未だに郁朗達の移動に納得していない。
「コウ、僕達が作業班と一緒に行く事で、向こうの作業が早く終るって言うのは判るよね?」
「…………うん」
「じゃあどうしてコウは僕達に行っちゃ駄目だって言うんだい?」
「……よく判らない」
「それだけじゃあ僕達にはどうしようも無いじゃないか……」
郁朗は腕を組んで立ち尽くし、どうしたものかと考えあぐねてしまう。
「でも! 判らないけど怖いんだもん……」
「怖い?」
「……景ちゃんと勝ちゃん……大葉のおじさんも行っちゃって……イクロー先生達までここから居なくなったら……」
既に大葉と双子は先行して出発している。
彼等とは道中で入れ違う予定だそうだ。
「……僕達は作業が終われば戻って来るんだよ?」
「解かってるけど……それでもなんかヤなんだもの!」
晃一は郁朗達に背を向けると、それっきり黙ってしまった。
間も無く郁朗達の同行する便が出発する時間となる。
それまでに説得とまではいかなくても、どうにか晃一から不安を取り除いてやりたいと郁朗は思う。
「コウ、どうしちまったんだ? 朝から変だって聞いたぜ?」
機材の積み込み作業を手伝っていた環が姿を見せた。
晃一が騒ぎ出した話は聞いていたのだが、彼には彼のやるべき仕事がある。
郁朗とアキラが出発するギリギリのこの時間まで、晃一に構っている時間は無かったのである。
「タマキ兄ちゃん……」
「俺と団長さんはお前と一緒に留守番なんだ。それでも不安か?」
「…………」
「信用ねぇんだな……ちっとガッカリだわ……」
「そうじゃないよ! タマキ兄ちゃんも団長さんも強いのは知ってるよ! でも……」
「でも、何だ?」
「判んないだもん! みんながここを離れちゃいけないって……気がするだけで……」
漠然とした不安。
朝から周囲を騒がせている原因がこれでは、さすがに郁朗達でも対処のしようが無かった。
うーん、と小さく唸り声を上げて郁朗は考え込む。
教員として児童心理学も僅かながらに齧っている郁朗ではあった。
だが晃一のこのケースを、ただの思春期が近い少年にありがちなものとは受け取れなかったのだ。
かと言って既に動き出しているスケジュールを止められる程の説得力も無い。
悩みに頭を抱えだした、そんな郁朗の思考を停止させる声が響く。
「オラッ! イクロー! アキラッ! お前らこんなとこで何やってやがる!」
車列の出発時間が迫っているのに姿を見せない郁朗達を探しに来たのか、片山が苛つきを隠さない態度で彼等の前に現われた。
「お前らが行かねぇと車出せねぇんだよ。とっとと行ってこい」
「でも、コウが――」
「コウが泣いたら戦争止めんのか? コウが頼んだら決まってる予定を引っ繰り返すのか? テメェら勘違いしてんじゃねぇよ。可愛がるのと甘やかすのを一緒くたにしてんじゃねぇぞ!」
片山はそう言うや否や、晃一の前にノシっと立った。
「コウ……お前が何を不安に思ってるかは俺達には判んねぇ。当たり前だよな?」
晃一は小さく頷く。
「俺達が戦争やってるって話は門倉さんだけじゃなく、みんなに聞いて知ってるよな?」
さらに晃一は頷いて答えてみせた。
「俺達も何時だって目に見えねぇ不安とガチンコで喧嘩してんだ。根拠のある不安もあればそうじゃねぇのもある。だからって手元にあるやらなきゃならん事を放り出していいのか?」
片山は一息つくとさらに言葉を続ける。
「確かにほっぽり出さなきゃならん瞬間もあるかも知れん。でもよ、そんな事はその時になってみなきゃ判んねぇもんなんだ。目の前にある現実から逃げ出して、訳の判んねぇ不安に押し潰されてどうするよ?」
「…………」
「何もお前の言ってる事を信用しねぇとかそんなんじゃねぇんだ。見えない不安に振り回されてる時間があるなら、お前はお前の出来る事をやれ。はっきり自分には出来ないと判ったら俺達を頼れ。そん時は身体を削ってでも助けてやるからよ」
晃一の頭をガシガシと擦りながら片山はそう言った。
「団長さん……」
「とまぁ、そんな訳でコウは今から格闘訓練な?」
「「「「えっ!?」」」」
「そりゃあ当然だろう。変に考える時間があるからこんな事になるんだ。そんな時間をくれる程、現実の時間の進み方ってのは人間に優しくねぇんだよ」
「だからっていくら何でも格闘訓練ってのはねぇんじゃねぇの?」
「タマキ、お前もだからな? コウを甘やかす分、お前は一段と厳しくする事にするわ」
「なっ!」
「痛いのやだよぉ……先生……助けてぇ……」
「イクロー、アキラ。お前らはとっとと行け。あんまり俺に手間をかけさせるなよ? いいな?」
片山はそう言うとぐずる晃一を肩に担ぎ、環の顔面を鷲掴みにして引き摺りながらその場から去って行った。
「結局……どうなったんスか?」
「団長が何もかも持っていったね……いい意味でも悪い意味でも……」
「……仕事しましょうか」
「そうだね……」
二人は得も言われぬ疲労感を感じながら、移動を開始しようとしている車列へ向かう。
晃一の不安の正体が何なのかは結局は判らないままではある。
(出来るだけ早く仕事を終わらせて、コウの所に戻って来よう……)
晃一の為にもそうしようと郁朗は思うのだった。
郁朗とアキラがアジトを出発して少し経った頃……。
「で……まだ続いてるって事でいいんだな?」
「はい。早朝の第一報から間も無く五時間、未だ戦闘状態が継続されています。攻勢は緩やかなものではありますが……十中八九陽動かと」
「そりゃそうだろう。けどよ、こんな見え見えの陽動にわざわざ引っ掛かってやらなきゃいかんってのも辛いとこだぜ?」
「かといって少数とはいえ、侵攻してきているEOを無視する訳にもいかんでしょう。我々の後ろには数千万の市民がいるんですから」
第二師団師団本部では植木達集い、侵攻して来るEOへの対応に苦慮していた。
今回の攻勢が明らかな陽動である以上、本命とも呼べる敵戦力の把握が必要になる。
だが敵陣への浸透は人的損害を避ける意味でも控えられている為、その必要な情報が出揃っていないのであった。
「なぁ、田辺ちゃん。目的は何だと思う?」
「目標物は何かは判りませんが……生産ラインや生活インフラ等の後方の重要施設の直接破壊、もしくは可能性は低いですが要人襲撃の線でしょうね。この攻勢を隠れ蓑にして、何らかの動きを見せるのは確実でしょう」
「施設が狙われるとすれば……発電及び浄水施設、東明の大規模工場、兵装集積所、あとはうちらの駐屯地……そんな所かい? 田辺君?」
「小松さんの挙げられた施設ぐらいでしょうね。他の施設を破壊するとなると、焦土作戦でも考慮していない限りは意味がありません」
「……あちらさんが狙われてる可能性は?」
普段でも有事でも、ほとんど言葉を発しない第五連隊連隊長・吉川がその重い口を開いた。
「ゼロではありませんね。むしろ我々よりも狙われる可能性は高いでしょう。ですが甲斐の性格を考えれば、立ち向かってくる勢力の要人を……それも先手を打って潰しにかかってくるでしょうか?」
「あんにゃろはこの戦争を楽しんでやがるからな。むしろ手放しで放置、そんで手元に引き込んで真正面から叩き潰すタイプだわな」
「……待てよ、大将。甲斐はやらんかもしれんが……あいつなら何か仕掛けてきてもおかしくないんじゃねぇか?」
植木の眉がぴくりと上がった。
「…………藤山か……」
高野の指摘に植木が苛立ちを隠せず、枯野になりつつある己の頭をペチペチと叩き始める。
「甲斐が藤山陸将にどれ程の権限を与えているのか、それに尽きますね。恭順を示しているのは間違い無いでしょうけど」
「野郎の頭の中身はよく知ってる。自分で直接手出ししねぇ癖に……いつだってに戦場を欲しがってた。自分の頭に描いた戦場を作り出したいだけなんだ。軍大時代から何も変わってやしねぇ」
「……では後方強襲の可能性を考慮するとして、その方策はなんだろうね?」
「河はねぇな。物理的に塞がれてる以上、どうしようもねぇよ」
環状大河は現在封鎖されている。
地下都市構築当時の隔壁が残っており、そのコントロールシステムと河川の通航は第二師団が掌握していた。
全長十数kmに及ぶ隔壁周辺は、警察局の河岸警備艇により24時間体制で監視されている。
「なら……空か?」
「先の作戦の前例がありますからね。その線が一番濃いでしょう。ですが対空監視に関しては、こちらも既に想定済みな訳です。機構側もそれは承知しているはずですよ?」
「野々村君。君はこの状況、どう見る?」
それまで沈黙を守っていた空挺連隊の野々村が、同じく静かに経緯を見ていた第三連隊の北島に請われ意見を述べ始める。
「私見レベルの話になりますが宜しいですか?」
その場にいる一同は頷いて野々村の言葉を待った。
「まず輸送機材に関しては、先日姿を見せた大型輸送ヘリがありますので問題無いでしょう。降下技術に関しても、EOの機体自体の頑強さを考えれば……少々ムチャな降下をした所で、機体にダメージ無く作戦遂行出来ると思っていいですね」
「まどろっこしいぜ、野々村。もうちっと手短に頼めねぇか?」
遠回しな野々村の予測に高野が痺れを切らす。
「そう言わんで下さい、高野さん。さて、仮にそれで降下が出来るとして、どれ程の数が投入出来るのでしょうね? つまり、我々の対空監視網を越えて後方に辿り着けるEOが何機いるのか。そして辿り着いたところで、オートンのAIと代わらないレベルのEOに、どれ程の作戦遂行能力があるのか」
「後方に強襲をかけたとしても……現状の性能であればそれ程の危険性は無い、という事なのかな?」
「……仮にあの輸送ヘリが五十機浸透を試みたとします。先日の戦闘データと照らし合わせて見る限り、対空監視網を越える事が出来るのは十分の一がいいところですね」
「確か……一機辺り十二機のEOが運搬出来るんだったか」
「そうですね。となると……降下してまともに稼働出来るEOはせいぜい五十機を越える程度。事前に降下位置の把握が出来れば、新型榴弾を使用して一撃で終わる数です」
小さく唸り声を上げる連隊長達を尻目に、植木は討論を継続させる。
「なら野々村ちゃん。どういう作戦なら空からEOを投入出来ると考えるよ?」
「そうですね……自分ならば――」
野々村が想定立案した作戦に、その場に居た連隊長達は今度は呻き声を上げる事となった。
そしてこの閉鎖された極東における空挺戦力の恐ろしさを彼等は再認識し、ならばと対応策を絞り出し始める。
実際に彼の想定したものに近い動きが敵側にあったのだが、既に事態は取り返しのつかない段階まで移行しており、彼等がその報を聞くのは僅か三十分後であった。
「何でこんなになるまで放置してたんだ!」
明け番だった為に遅参した犬塚の怒声が空挺連隊本部に響く。
作戦立案用のモニター付テーブルに表示されているマップデータを見れば、彼の怒声の意味も納得出来るというものである。
明け方からの侵攻により、防衛ラインの一部が僅かではあるが破錠していたのである。
破綻と言っても修復不能な穴が空いている訳では無い。
ほんの少し歪んでしまっているだけ。
それだけの事なのだが、犬塚と同じく遅参した岸部はこの状況に危機感を持っている。
「これだと監視網に隙間が出来るぞ! 今直ぐラインを再構築しろ!」
「……これはしてやられたかもしれんな、犬塚」
「……全くですよ、岸部さん。上手くコントロールされたもんです」
「連携が良すぎたのが原因とは、皮肉としか言えんよ……よくもまぁここまで細かく動かされてしまったもんだ」
「間に合いますかね……?」
「だといいんだがな……」
二人の不安は的中し、後に師団本部から報告を受けた際、犬塚は悔しさで唇を切る程の歯噛みをしたそうだ。
この時点で既に機構側の本命戦力は移動のヤマを越え、誰にも知られず目標地点に到着しつつある。
機構側からの初めての強襲作戦が、もう間も無く開始されようとしていた。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.07.06 改稿版に差し替え
第六幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。