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EO -解放せし機械、その心は人のままに-  作者: 臣樹 卯問
第五幕 血海に踊る隷獣
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5-3 老人、語る

 -西暦2079年7月18日21時45分-


「そうですかぁ、あのアホタレ共は元気やってますかぁ」


 男の顔に深く刻まれたものはシワだけでは無かった。

 人の手によって付けられた傷とはっきり判る線が何本か存在している。

 その傷のせいで初対面の人間には警戒感を抱かせる。

 だが彼の人懐っこさはそれを何時の間にか溶かしていき、数分も話せば懐の深い人間味溢れる人物なのだという感想に変わるタイプの人間だった。


「ええ、お調子者ではありますけど……彼等の持つ明るい空気は壊れそうになる私達の心を救ってくれていますわ」


「そないな大層なもんでもないんですけどねぇ……」


「いえ、辻さん。あなたの教育の賜物なのでしょう。私の隊の人間達も、皆言っていますから。苛烈な戦いの中で……人である事を忘れそうになった時に、彼等を思い出すと何の為に戦っているのか原点に帰れると」


 新見のそんな同意に、辻という老人は首を傾げながら答えを返す。


「いやいや、そないに持ち上げられても……アレはただアホなんですわ。ボクに似てしもてホンマ申し訳無いなぁて思てるんです…………EOて言いましたっけ? あの子らがそんな凄いもんの適合者や言うのにはほんま……驚かされました」


「巡り合わせなのでしょうね……それは辻さんも感じられてるんではないのかしら?」


「……そりゃあねぇ。無い言うたら嘘になりますわ。ボクがあの子ら連れ出してあの家から逃げ出して二十年……その子らがこんな役目を背負わされるて……ほんまに何の因果なんでしょねぇ」


 辻は自分の湯呑みを手に持ち窓から外の景色見つめ、近いとは言えない過去を思い出している様だ。


「……彼等は言っていましたよ。自分達のルーツが知りたいと」


「ええ、彼等はEOになるのを同意する時にそう言ってましたわ。辻さん、アナタに迷惑をかけない為にもそうしたんだと」


「あのアホ共の考えそうな事ですわ。ここでも一番年上やから言うて、いっつも貧乏クジばっかり引いて……ボクらが家族っちゅうんではアカンかったんでしょうね……」


 千豊は勘違いにも程があると、彼のその言葉をはっきりと否定する。


「それは違いますわ。家族だからこそ、という事じゃないかしら? あの子達は薄々気づいていながら、アナタへの負担になると思って何も聞かなかったんだと思いますよ?」


「そらそうですわ……ボクの顔見たら、昔に何かがあった位は子供でもすぐに判る事でしょ。せやから言うて何も聞かんて……水臭いにも程があるん違います?」


「家族だからこそ聞けない事だってあるでしょう。それがどんな形で心の傷になっているか判らないのですから。辻さんが大事だからこそ、彼等は自分達で探そうとしたんでしょうね」


 辻は双子の性格を顧みると、確かにそう考えかねないと納得する。

 軽口を叩いていても、何時だって彼等は我慢してきたのだと。


「……早村に連れられてあの子らがあそこに来た頃、ボクはもう機構の事が信じられんようになってたんですわ。あの家から出て行った子らは、みんながみんな狂信者の様になってしもて……中には上の指示に従って、笑いながら死んでいった子もおるて……」


「あの家では何か……普通は違う変わったやり方が子供達に施されていた、という事はありませんでしたの?」


「ボクの知る限りですけどそれは無かったはずです……でも彼等がまともでなくなる片棒をボクが担いでたんは間違い無いんです……許されてええ事やとは思ってません……」


「それで機構を出奔されたんですか……しかし、よく機構がそれを見逃したものですね?」


 新見の疑念はもっともである。

 [陽光の家]は機構にとって、下手をすれば脛の傷どころでは済まない暗部なのだ。

 その実状を知る辻が野放しにされているという事に、小さくない違和感を感じるのも当然だろう。


「それについては早村が手を回したとしか思えませんわ……何を思ってそうしたんかは、さすがにボクにも……」


 千豊が結論を急ぐなという目で新見を窘め、流れを双子の話に戻した。


「それであの子達を連れてここを……」


「それ位しかボクには出来る事が無かったんですわ……何の罪滅ぼしにもならんのでしょうけど」


 辻の表情は険しいにも関わらず、今にも泣き出しそうなものになっている。

 これまで誰にも言えずにいた事なのだろう。


「それでも辻さん。アナタはあの子達を真っ当な人間に育て上げたじゃありませんか。あのままあの家にいたらどうなっていたか……」


「でも! でも……ボクはまた自分が大事に育てた子供を、あんな殺し合いの場に送ってしもたんですよ? そんなボクがまだのうのうと生きてるんです……あの子らには恨まれてしゃあないて思てますよ……」


「……恨まれてるならこんな事はしないと思いますけどね」


 千豊は一冊の金融機関の通帳を取り出した。

 名義はとある慈善事業団体のものである。


「この半年ほど、毎月この団体からこの養護施設に入金があった事は把握してらっしゃいますよね?」


「そらそうですわ……こんな苦しい時勢にありがたい事やと思てますけ――まさか!」


「ありきたりな話で申し訳無いですけど、この様な慈善団体は存在しないんです。彼等の意向ですから、黙って察してあげて下さいね?」


 その言葉の意味を理解した辻は俯くと、その肩を小さく揺らしていた。

 辛抱していた何かが決壊したのだろう。

 千豊と新見はそんな彼を黙って見つめるしかなかった。

 しばらくして感情の昂ぶりに収まりをつけた辻は、小さく二人に問いかける。


「…………あのアホタレ共にはそのうち会えるんですかね?」


「間も無くこちら……Sブロックへの拠点の移動が完了します。その時には必ず」


「ありがとうございます……その時が来たらよろしくお願いします」


 辻は深く深く頭を下げ、辞去する千豊達を見送った。

 二人が去って行く姿を窓から見つめながら、彼の意識は過去へと飛んだ。


 何故、早村社があの双子を自分に預けたのか。

 その意図を辻は未だに理解出来無いでいた。

 機構に対しての不信感を隠そうともしなかった当時の自分に、という事を考えるととても理解出来るものではなかったからだ。


 だからこそこの二十年、彼は時折その事を振り返り考えていた。

 双子達との巡り合わせには感謝している。

 それが切っ掛けで行動を起こせたのだから。


 だがそれすら早村の掌の上では無いか? とも考えてしまうのだ。

 一体彼は自分に何をさせたかったのだろう。

 恐らくそれを彼に尋ねる機会はもう無いという事だけは、辻の中でもはっきりとしている。


「爺ちゃん先生、今ええかな? お客さんは?」


「もう帰りはったからええで。どないしたんや?」


「真一がおねしょしてもうて、またいじめられる言うて大泣きしとるんやわ」


「真一もそんなん気にせんかったらええのになぁ。そういう所は景と勝を見習って欲しいもんやねんけど」


「景兄と勝兄のあれは図太いんとちゃうやん。図々しいだけやんか」


 辻に知らせに来た少年はカラカラと笑いながらそう言った。


「それは……そうやな……ほな真一の布団替えたってくれるか? 爺ちゃんは真一と話するわ」


「うん、頼むで」


 少年は駆け足で部屋から出て行った。

 彼の後を追って部屋から出ようとすると、一枚の写真が目に入る。

 双子がここから出て行く直前に撮った写真だった。


「……景、勝。ちゃんと帰って来いや……」


 辻の呟きは誰に聞かれるでもなく、静かな部屋の中に消えていった。






「母さん、それは置いていくんじゃなかったの?」


「そうは言ってもねぇ……やっぱり使い慣れた物の方がいいじゃない?」


 同時刻、Eブロック北部にある藤代家では、差し当たって必要な物の梱包作業に追われていた。

 家長である郁朗の父親の勤める会社の移転により、Sブロックへの転居が必要となった為だ。

 先日のテレビ放送により、Eブロックにもきな臭い空気は届いていた。

 北部にある藤代家では尚の事である。


「ねぇ……兄さんの部屋はどうするの?」


「……そのままにしときましょう。たぶん……ひょっこり帰って来るだろうから」


「でも……もしもこの辺りが戦場になっちゃったら……」


「大丈夫だろうってお父さん言ってたわ。この移転も一時的なものだって。落ち着いたらまた戻って来る事になるから、なんてね」


「そんな根拠も無い事を……」


「それを聞いてお母さんもね、ああ、大丈夫かな、って思っちゃった」


「もうやだ、このお気楽夫婦……」


「勘が当たる当たらないよりも、そう願っている事が大事なんだって……お母さん思うの」


「……そうね。兄さんだってきっとどこかであたふたしてるに違いないわ」


「フフフ、きっとそうね」


 恭子は母親と共にクスクス笑うと荷造りを再開した。

 台所の荷物が最低限を残してあらかた片付いた頃、玄関のインターフォンが鳴った。


「はいはーい」


 恭子は母親が荷物をパンと叩き、玄関へと急いで行ったのを確認すると続いてリビングの荷物を片付けようとした。


「恭子ー、お客さんよー」


 来客の予定の無かった恭子は一体誰だろうと考えながら玄関口へ向かう。

 そこに居たのは坂口だった。


「えっと……坂口君だっけ? はー……なんか随分大きくなったねー」


 この半年程で身長が20cm近く伸びた彼を見た恭子は感嘆の声を上げた。

 以前に家へ来た時には同じ目線だったのが、すっかり見上げる形になっている。


「夜分に申し訳無いッス。お陰様でガンガンでっかくなってるッスよ。まだまだ身体が軋むんでもうちょっと伸びるんじゃないッスかね?」


 声も以前より低くなっており、最早少年とは呼べない程に大人になっているのだと恭子は実感した。


「なんか半年で別人みたいになっちゃったね。兄さんが見たらびっくりして声も出ないんじゃないかしら……それで、今日はどうしたの?」


「……あの……俺んち明日、Sブロックの祖母ちゃん家に引っ越しするんスよ」


「あら、偶然。うちもそうなのよ。父さんの会社があっちに行っちゃうから」


「そうなんスか。今、危ないスもんねこの辺」


「それでわざわざ挨拶に来てくれたの?」


 坂口の口が急に重くなったのを感じ取り、恭子は彼に優しく問いかける。


「坂口君……何かあった?」


 その言葉にビクリと僅かに身体を動かすと、坂口は顔を二回バシバシと叩いて意を決すると話を続けた。


「その……イクロー先生の事ッス」


「……兄さんの?」


「お母さんも呼んで貰っていいッスか? ちゃんと話したいんで……」


「とりあえずこんな玄関先じゃあれだから……上がって上がって。引っ越しの準備で散らかってるのは勘弁してね」


 恭子はスリッパを出して坂口に勧めると、慌ててリビングへと駆けて行った。

 坂口はリビングのソファーに腰掛けると、出された茶にも手を付けず恭子と母親に伝えるべき事を口にし始めた。


 自分が軍によって拉致されかけた時に助けられた事。

 その助けてくれた相手が郁朗だった事。

 そして……彼の身体が人の物でなくなっている事も。


 郁朗からは当然口止めされている。

 だが今の極東は、誰もが生死を含めて何が起こってもおかしくない可能性を孕んでいる。

 このまま何も伝えずにSブロックに移って藤代家に何かあったとすれば、罪悪感と後悔で坂口の心は潰れていただろう。

 苦しげにその事を口にする彼の話を黙って聞いていた恭子は、話が先に進むごとに怒りを露わにし始めた。


「兄さんのバカッ! 教え子にこんな重たい話背負わせてどうすんのッ! 帰ってきたらぶん殴ってやるッ!」


「あの……お姉さん?」


「そうねぇ、大人の私達でもこんなに辛いのに高校生になったばかりの子に……これはお父さんにも叱って貰わないと……」


「あの……お母さんも……?」


 少なからずこの話で喜んでくれると思っていた相手が、予想とは違っていきなり怒り出したのだ。

 坂口はどうしていいのか判らなくなった。


「「でも……」」


「良かったね……母さん。信じて待ってて良かった……」


「本当にね……恭子も頑張ったもんね。偉かったね」


 それだけ言うと抱き合って泣き出してしまった。

 女性の涙に慣れていない坂口はオロオロするしか無かったが、二人の嬉しそうな顔を見てこの事を伝えたのは間違いでは無かったと確信を持つ。

 恐らく次に郁朗に会った時に説教の一つもされるだろうが、あのまま重荷として持ち歩くよりはその方が随分と楽だった。




「ありがとね、坂口君。兄さんが生きてるって事を聞けただけでも良かったわ。本当にありがとね」


 話を終え玄関から出て行く坂口に、恭子は頭を下げた。


「何言うんスか。礼なんて勘弁して欲しいッスよ。あ、そうだ……そういえば先生こんな事も言ってたッス。今はこの姿をとても家族には見せられないって」


「…………」


「でも今は、って事は気持ちを固めてるとこなんじゃないかなって思うんスよね。ホラ、イクロー先生って結構頑固なとこあるから」


「……そうね。そうやって勝手に考え込んで袋小路に嵌っちゃうのよね。兄さんらしく無いけど場合が場合だもの。しょうがないか」


「お姉さん達はこれまで通り先生を待っててあげて欲しいッス。その為にあんな事やってるんだと思うし……」


「そうね……そうだ、坂口君。君はSブロックに行っても水泳は続けるの?」


「そりゃあ……俺にはこれしか無いッスから。あと少しで先生の高校時代のタイムに届くんスよ。ありがたい事に監督の伝手で、あっちでも練習させて貰える場所は確保出来たんで」


「そう……あんな甘ったれのタイムなんて、さっさと抜いてやりなさいね。次会った時に悔しがらせてあげて頂戴」


「ウッス……そんじゃあ俺、帰りますね」


「うん、坂口君も気をつけてね。こっちに連絡があったら必ず報せるから」


「頼んます、そんじゃ」


 坂口は一礼すると振り返る事無く、走り去っていった。


「本当……何やってんだか、兄さんは」


 そう言いながらも口元に浮かぶ笑みを彼女は隠しきれなかった。

 生きていてくれたのならどんな姿でも構わない。

 待っていて本当に良かった。

 様々な想いが恭子の胸に去来する。


 母親が恭子を呼ぶ声が玄関先まで響くと、


「ああ、荷物荷物」


 そう言って恭子はリビングへ慌てて走って行った。

 今は兎に角、郁朗の帰って来るべき場所をきちんと確保しなければならないのだから。


 その日の夜半に帰宅した藤代家家長は、その話を聞かされて大いにヘソを曲げた。

 もっと早くに電話してくれなかった事がお気に召さなかったらしい。

 ただその目尻が少し濡れていた事は黙っておいてやろう、そう恭子は思うのだった。

お読み頂きありがとうございました。

引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。

それではまた次回お会いしましょう。


2016.07.06 改稿版に差し替え

第六幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。

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