4-21 ガラス越しの世界
-西暦2079年7月13日00時20分-
ピッ ピッ ピッ
規則的な計測音がその部屋の一部として響いていた。
休眠エリアから移された一つのガラス槽を、その場に居る人間は開きつつある蝶の蛹や花の蕾を愛でる様に見つめていた。
覚醒の兆候が出始めてからおよそ四時間。
検出されるベータ波は少しづつではあるが増え続けている。
彼の意識が戻るのは、もう時間の問題であった。
施術室の隣に用意されたその部屋は、覚醒直後のEOとのコミュニケートの為に用意された部屋である。
意識を取り戻した直後の人格や記憶に関して齟齬が無いかの確認は、転化で脳を改造する以上、必要と言わざるを得ない。
確認もせずに本体への接続を行って万が一にでも暴走されれば、本人のみならずこの施設自体も危うくなるからだ。
現在、この場にいる人間は二人。
状態の安定を示す測定音を聞きながら、二人は急行しているであろう来客を待つ。
一人は覚醒しつつある彼を見つめ、一人は部屋の隅で台車に乗せられぐったりとしたままであった。
数分も経たない内に内線で連絡が入る。
『到着されました』
彼を見つめていた女性は、通して下さいとだけ伝えると内線を切った。
「唐沢さん、いい加減に起きて下さい! もう千豊さん達が到着しましたよ!?」
「……うーん……嫌だ、その土地は手放さないぞ……許しておくれよ新見君……そこを取り上げられたら僕はもう……」
夢の中のボードゲームでピンチを迎えていた唐沢は、その寝言のせいで現実でもピンチに見舞われようとしていた。
プシッと音を鳴らして部屋の扉が開く。
扉が開くのもそこそこに駆け込んできた初老の男性が、ひどく興奮した様子で唐沢の助手に状況を問いかける。
「晃一は!? 晃一はどうなりました!?」
唐沢にビシリビシリと目覚まし代わりのデコピンをお見舞いしていた助手は、男性の普段と違う剣幕に呆然とする。
彼の後を慌てて追いかけて来たのか、息を切らせた千豊と平然とした顔の新見もその場に姿を見せた。
「か……門倉さん……お気持ちは……解かりますけど……少し……落ち着いて下さらないと……」
「も、申し訳無い……だがッ!」
「お気持ちは解かります。ですが我々が慌てたところで、彼の覚醒するまでの時間が変わる訳では無いですから」
新見がやんわりとではあるが門倉を窘めた。
「そう……ですな……朗報で舞い上がってしまいました。ご迷惑をお掛けして申し訳無い……」
「落ち着かれた様で何よりです。慌てずに彼を迎えてあげましょう。ところで……唐沢さんはどうしました?」
「あのー……実は……」
助手が申し訳無さそうに、台車の上に乗った唐沢を指でちょいちょいと示してみせる。
ようやく息を整えた千豊がまたかという目で彼女を見つめ、叱責する訳では無いと断り理由を尋ねた。
「……なるほど、それでまたやってしまった訳ね……」
「すいません……」
「いいわ。どう考えても悪いのは唐沢さんだから。それはともかく、晃一君の状態はどうなのかしら?」
「はい。順調に覚醒に向かっています。もう間も無くだと」
千豊は測定器の数値を見ると頷いた。
「そうみたいね……でも、本当に良かったわ……覚醒の兆候が出てくれて……」
千豊の声には心からの安堵が滲み出ていた。
それは門倉との取引に利用した子供を心配したという声では無い
もっと深い、何か大きな母性の様なものを感じさせる声だった。
測定器からさらにベータ波の増加の信号が出される。
「意識レベル2から1へ……晃一君、目を醒ましますよ!」
未だぐったりをしている唐沢を除き、その場にいる人間が晃一の頭部の浮いているガラス槽へ視線を送った。
「意識レベル1を確認、音声回路接続します」
ガラス槽の横に備え付けられているスピーカーから男の子の声が室内に響いた。
彼はカメラアイを明滅させ、目の前に見えているもの確認している様だ。
「お……おじい……ちゃ……ん?」
「おおおおおおおおおおおお!!」
門倉は晃一の声を聞くとガラス層にすがりつく。
「そうだ! 晃一! お祖父ちゃんだ! 良かった……本当に良かった……」
「ち……ほせん……せいは……?」
「晃一君、ここに居るわ。生還おめでとう。ちゃんと事前に説明しているからパニックは起こしてないわね?」
千豊は晃一の視覚に入る為に歩み寄ると、少し笑みを浮かべながら彼に尋ねた。
「う……ん。で……もうま……く……しゃべ……れな……いや」
「まだその身体で声を出す事に慣れてないだけだから大丈夫。しばらくお祖父様や私と話をしましょう。そうすればだんだんと慣れていくから」
「ありが……とう……ちほせ……んせい」
こうして門倉晃一は転化手術を乗り越え、覚醒した。
「そう……お母さんがそう言ったのね?」
「うん。コウちゃん起きなさいって。夢でも嬉しかった……」
「そう……」
「美穂さんが……」
千豊と門倉は晃一の覚醒に至った理由を聞いて言葉を失う。
十一歳の子供がこの様な状況になりながら、既に亡き母親に起きる様に促されたのを嬉しいと口にしたからだ。
「ねぇ……お祖父ちゃん。僕は外には出られないのかな?」
「晃一……手術前に約束したろう? 極東が大変な事になるから、それが落ち着くまでは目を醒ましても外には出ないって」
「それに元々予定が無いから……晃一君の今の頭部に合うボディは用意されていないのよ……」
「そうなんだ……でも、お祖父ちゃんは危なくないの? 千豊先生は?」
「心配してくれているのね。フフフ、嬉しいわ。危なくないと言ったら嘘になるけど……大丈夫よ。私もお祖父様も強い人達が守ってくれているから」
「そうだぞ。晃一は何も心配しなくていいんだ。それにその身体でいるのも一時的な事なんだからな? 少し時間はかかるが元の身体の遺伝子治療が終われば戻れるんだ」
「うん……はぁ……またガラスの中かぁ」
免疫不全が顕在化してから転化に至るまで、彼の生活は門倉の屋敷の無菌室の中だったのだ。
晃一にしてみれば自由に動ける身体が手に入るのならば、欲しいと強請りたいというのが本音なのだろう。
その儚い声にその場に居た大人達の罪悪感は増える一方である。
「あのー……」
唐沢の助手が何かに耐えかねた様に声を出した。
「こんな状況でこんな事を言っちゃうのはどうかと思うんですけど……実はですね……唐沢さんが晃一君のボディを作っちゃってるんですけど……」
「「「は!?」」」
門倉と千豊、そして新見までもが素っ頓狂な声を上げる。
告げられた内容が、本来の予定からあまりにもかけ離れていたからだ。
元の肉体は遺伝子の修復を行い、肉体の不具合が無い事を確認した後に脳をクローン培養して記憶転写を行う。
準備が整うまでは不自由ではあるが、彼は脳髄パッケージのまま過ごす事が決定していたのである。
「ちょっと待って頂戴。そんなプランは無かったはずよね?」
「はい……でも、『いつか言ってみたかったんですよ、こんな事もあろうかとって』とか言い出して……」
「それだけの為に?」
「はい……そういう人ですよね?」
「「あー……」」
千豊はそれで納得してしまったのだが、新見はもっと現実的な要素に目を向けていた。
「いやいや、確かにそういう人ですけどね……でもその機体を作る予算はどうしたんです? そう安いものでは無いのですよ?」
「それは……その……新フレームの研究用の予算とか……剛性検査に回される素材とかをちょぼっとちょろまかしてですね」
「ちょろまかしたんですか?」
「あ、あのっ、わっ、わたしは止めたんですよ? でも気づいたらフレームが八割方完成してたんです。そこまでいったらもう後はあれよあれよと……それに……」
「それに?」
「うー……」
「はっきり言いなさい、構わないから」
「……こんなに可愛い男の子が外に出たいって心から願ってるんですよ!? 協力しないなんて人としてどうかと思います!」
「「「はぁ!?」」」
つまり、そういう事なのである。
この唐沢の助手である堀口という女性はそういう趣味の持ち主であり、組織内に存在する貴腐人と呼ばれる勢力の筆頭とも言える存在であったのだ。
「あのあのっ! 僕の身体……あるの?」
大人達のやり取りを耳にしたせいか、室内に晃一の期待に満ちた声が響く。
「……どうします? 門倉さん?」
半ば諦めた顔をした千豊が門倉に決断を迫った。
子供がどうしても欲しいと望んでいた玩具を、目の前に出して見せびらかしている様なものなのだ。
門倉がガラス槽を見つめると、無菌室に居た頃の晃一を思い出す。
自分が目の前に居る時には明るく振る舞うものの、一人で居る時にはどうしても陰があった。
声にしてもそうだ。
先程の様な何かを期待する様な声は、彼が初めて倒れて以降聞いた事が無い。
聡い子供である事は門倉にも判っていた。
自分がこの先に何かを期待しても何も得られないであろうという事を、彼は自身の宿命として理解していたのだろう。
「なぁ、晃一。自由に……と言っても動ける場所は限られると思うが……外に出てみたいか?」
「!? えっと……でも……約束が……」
「それはいいからどうしたいか言ってみなさい。晃一がどうしたいかを教えてくれ」
晃一は少しだけ逡巡すると、はっきりとした意思を感じさせる声で答えを発した。
「外に……出たい。外に出て走ったりしてみたい! お祖父ちゃんとキャッチボールしてみたい! あと、あと……うー……一杯してみたい事があってなんて言っていいか判んない!」
晃一のその声を聞いて門倉は深く溜め息をついた。
ここまで言われてしまえば、彼をこのまま閉じ込めておく事など出来ないからだ。
なんだかんだと言っても門倉雄一郎、極度の爺馬鹿なのである。
「判った……済みませんが坂之上さん、お願い出来ますか?」
「門倉さんがそれで宜しいのでしたら」
門倉は黙って千豊に頷くと、晃一に話しかける。
「晃一。幾つか約束はしてくれないか? 今度は絶対に守らなきゃいけない約束だ」
「う、うん、話して」
自分に対する普段の声より幾分厳しい声だったが、晃一は大事な事なのだろうとしっかりと聞く事にした。
「お前が一時的に借り受ける身体はな、兵器なんだ。人間なんて簡単に傷つける事が出来る身体という事を……ちゃんと憶えていてくれ。それと……お前が行く場所は戦う人達の居る場所だ。彼等の邪魔は何があってもしない事。彼等の言う事はちゃんと聞く事。それと……」
「うん」
「動ける様になったら、お父さんとお母さんの墓参りに行こう……人目につかない様にしなければならんだろうが、お前が無事だと言う事を健次郎達に報告しないとな」
「うん……うん! ありがとう! お祖父ちゃん!」
喜ぶ晃一に笑みを見せた門倉は、千豊に向き直ると頭を下げた。
「では、坂之上さん。よろしくお願いします。晃一の身体にかかった費用はこちらで持たせて貰いますから。正直な所……こういう予感はあったのですよ……」
「頭を上げて下さい……私としても彼が外に出られる事は嬉しく思ってますから。では早速かからせて頂きますわ。晃一君……良かったわね?」
「うん! ありがとう千豊先生! それと……」
晃一のカメラアイが堀口に向いた。
「そっちのお姉さんにもお礼が言いたいんだけど……お姉さんは……」
「ほっ、堀口ですよ、晃一君!」
堀口がそわそわしながら晃一に名前を告げた。
「うん。ありがとう、堀口のお姉さん。お姉さんが居なかったら僕、外に出られなかったと思うんだ。だから……本当にありがとう!」
その一言で何を妄想したのか、堀口の鼻腔からは鮮血が吹き出した。
「あらあら……鼻血なんて出してる場合じゃ無いわよ? 唐沢さんを叩き起こして、晃一君の身体と施術の準備。急いでね?」
「はっ、はい! 大至急!」
堀口はそう言うと唐沢を乗せた台車を押して、隣の施術室へと駆け込んで行った。
「堀口のお姉さん、何で鼻血なんか出したの? 大丈夫なのかな?」
「晃一……動ける様になってもあのお姉さんにはあまり近づくんじゃないぞ?」
「……私もそう思うわ、晃一君」
「??」
ガラス槽の中に疑問符を大量に飛ばしつつも、久しぶりの祖父との会話を晃一は施術直前まで楽しんだ。
身体を得た晃一が、アジト内で図体の大きいマスコット扱いされるのはもう少し後の話である。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.06.14 改稿版に差し替え
第五幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。