4-6 水底の再会
-西暦2079年6月21日15時20分-
終息したはずの現場は喧騒に包まれていた。
郁朗は既に姿を消し、代わりに現場に現れた片山を出迎えたのは、警察局の緊急車両の団体だった。
動かないバスに違和感を感じた市民の通報により出動したのだそうだ。
片山の姿を見た警察局員は一斉に銃を構えた。
だが片山が両手を挙げ対話の姿勢を見せると、肝の据わった現場主任がそれに応じたのである。
マジマジと見つめられるのには辟易したが、これも仕事だと片山は辛抱した。
事のあらましをしっかり説明したにも関わらず、『被害者達から事情が聞きたいので、拉致されそうになった学生達を引き渡せ』、そう現場主任は片山に迫る。
現場の状況と先入観から片山達が拉致の実行犯と疑い、噂通りのテロリストと決め込んでいるのだろう。
だが片山はそれを怒声で一蹴すると、完全に無視を決めこむ。
急に違う空気を纏いだした彼に、現場主任の肌は粟立った。
解体されかけの警察局と言っても政府とどう繋がっているか判らない。
はいどうぞと渡してしまって、彼等がEOに転化でもされようものなら取り返しはつかないのだ。
片山が慎重になるのも当然と言えるだろう。
バスの前に仁王立ちになる片山と周辺警戒にあたるアキラ。
空挺連隊からの派遣大隊が到着するまでその睨み合いは続く。
派遣大隊の到着後、力関係もあるのか警察局はあっさりと引き下がり撤収した。
片山がホッとしたのはつかの間で、派遣されてきた部隊の部隊章を見て固まってしまう。
かつての古巣、空挺連隊の物だったからだ。
焦る片山は郁朗と同様に、どうにかしてこの場を立ち去ろうとする。
だが今後の第二師団や空挺連隊との連携を考えた千豊が、その申し出を容赦無く突き返した。
『現場責任者としての責任を全うして頂戴』
この一言により、彼は全体の完全撤収が終了するまで現場に拘束される事になってしまったのである。
「極東陸軍第一空挺連隊第一普通科大隊大隊長の岸部です。この度はご協力感謝します」
隙の無い敬礼を見せた派遣部隊の隊長、岸部。
挨拶に来たという彼の顔を見た瞬間に、片山は硬直してしまった。
「…………」
「どうしたンスか? 団長……ちゃんと返事しないと……マズいッスよ?」
『うるせぇッ! 古巣なんだよ、知り合いなんだよッ! 声出したらバレちまうだろうが』
片山は黙りこくったまま短距離通信をアキラに送る。
『バレると……マズいんスか?』
『マズいとかじゃねぇんだ。この人仏さんみたいな顔してな、マジでおっかないんだぞ? 連隊の合同演習の時にどんだけシゴかれたか……お前は知らねぇからそんな風に言えるんだ……』
「どうしました? 何か不都合でも? 片山元一等陸尉?」
ニヤニヤしながらそう言う岸部に片山は再び硬直する。
「野々村さん経由で田辺さんから聞いてるよ。今回手伝ってくれている部隊の中にお前が居るってな」
人の良さそうな笑みを浮かべながら、岸部は肩を揺らしながらそう言った
「…………岸部さん、相変わらず人が悪いですね。今でもそうやって、下のモンばっかり虐めとるんでしょう?」
「それが仕事だからな。それより助かったよ……俺達じゃきっと間に合わなかった」
「それは何より。てな事で引き継ぎも完了、もう俺は帰っていいですかね?」
「まぁそう言うな。最後まで付き合っていけ。あん時も……お前があんな形で軍を去らなきゃならん事は無かったんだがな」
片山は急に昔話を始めた元上官の顔をマジマジと見つめる。
「田辺さんが動き出してからうちらの連隊も変わったよ。お前がおん出る原因になったあの馬鹿な。隊費を水増し請求して横領してやがった」
「俺の中じゃあ、あれは昔の話になってますから。もう忘れましたよ」
「お前が良くてもこっちが困る。顛末くらいは聞いておけ。でだ、その横領した金がどこに流れてたと思う?」
「さぁ。どこかに愛人でも囲ってたんですかね?」
「……技研だ。あの野郎が機構の犬だった事がはっきりしている。そんな連中が第一から来た連中の中に何人か居たがな、腰巾着と合わせて全員叩きだした」
「思い切った事をしたもんですね。第一はカンカンでしょう?」
「文句は言えんさ、犯罪者だからな。免職の後に起訴しようとしたら全員が姿を晦ましている。機構が裏から手を引いてるのは間違い無いだろう」
「……俺にそんな話をしてどうすんです? 何もかんも今更でしょう?」
「あの騒動の時に俺達には何も出来んかった。お前に呆れらたままでいられるのはちょっと寝覚めが悪い。それだけだよ」
バツの悪そうな顔をしながらも、真摯にそう言う岸部。
犬塚と並ぶ鬼上官の、そんな珍しい態度に片山はおどけて首を横に振るだけだった。
「そりゃあ岸部さんらしくない。七十二時間行軍の時に仮想敵をやって、うちの中隊をねちっこくフルボッコにしてくれた件は忘れて無いですからね?」
「……お前意外に根に持つよな。まぁらしいっちゃらしいか。犬塚の懐刀だもんな」
家族の様に付き合っていた片山の元上官。
田辺からも原隊に戻ったという噂は聞いていた。
世話になった人物の動向が気にならない訳が無い。
「…………犬塚のオッサンはどうしてます?」
「めでたく原隊復帰だ。今回の掃除の一件も犬塚が居なかったら片付かなかったよ」
「そうですか……相変わらず偉そうにしてるんでしょうね」
「ああ。閑職に飛ばされて色々鬱屈してたんだろうな。大暴れしやがってこっちが心配になった位だ」
何も変わっていない恩人のその後に安心し、片山は大きな笑い声を響かせる。
「ハハハハハハハ。何も変わってない様で何よりですよ」
空挺に籍を置いていた時にも、こうして岸部とは犬塚の事を冗談でこき下ろしていたものだ。
片山はそんな昔を思い出したのか、今は何も無い顎の無精髭のあった辺りを撫でている。
「そう言えば今回の出動の件でも大騒ぎしやがってな。なんで俺を出さねぇんだって」
「そう言えばそうですよね。あのオッサンなら真っ先に駐屯地を飛び出すでしょうに。何かあったんですかね?」
「ああ……そりゃあな、田辺さんに止められてたんだよ。ちゃんと事情はあるんだ。実はな――」
岸部が事情を話そうとした時、不意に片山の硬い腕を掴まえた人物が居た。
「片山さん……だよね?」
僅かに息を切らせながらそう言った少女は、片山のよく見知った少女であった。
「う~ん……」
片山と警察局に睨み合いも終わり、被害者達はようやく車外へと出られた。
その一人である犬塚由紀子も例外では無く、彼女は路上で身体のあちこちを軽いストレッチで伸ばしていた。
座っていた時間の長さと緊張感から、彼女の身体はガチガチに凝り固まっていたのだ。
「坂口君の身体伸ばしときなよー。帰るのにまた車に揺られるんだからね」
「ウッス。先輩元気ッスねー」
「予定通りなんとか助かったんだもの。何時迄もジクジクしてらんないじゃない。それよりも……さっきの話はどうなの? 間違い無いの?」
「俺が聞き間違える訳無いッスよ。あれは……絶対にイクロー先生の声だった。俺がどんだけ先生に怒られてきたと思ってんスか」
「いや、あんまり自慢にはなんなんよねぇ……坂口君は藤代さんの事大好きだからなー。ホモなのかって位……」
「そっ、そんなんじゃ無いッスよ!」
「あはは、ゴメンゴメン。でも、間違い無いんなら会いたいよね…………それにしても、あの姿は何だったんだろう」
「俺にもそんなん判んないッスよ。前にテレビで見たテロリストに奪われたっていう、あの新型の軍用オートンに似てたッスけど」
「んー……お父さんに聞いたって無駄だろうなぁ……軍の機密の事なんて教えてくれないだろうし……」
二人が頭を悩ませながらそんな話をしていると、拡声器で救出に来た軍の事務官が指示を出し始めた。
『バスに乗っていた皆さん。申し訳ありませんが身元の照合を行います。気分のすぐれない方は後回しで構いません。元気な方からこちらへお越し下さい』
二人は顔を見合わせるとゆっくりとそちらに向かう。
「まぁ元気だからね。面倒くさい手続きは早めに終わらせるに限るよ」
「そッスね」
既に数人が並んでいる場所に二人も並んだ。
その場から見える景色の中にアレが居た。
郁朗と同じ声の持ち主とは少し形と色が違うが、その場に居る軍人と何やら会話をしている。
「ねぇ、坂口君。あそこ……」
由紀子の指差す先を坂口も視線を送った。
「……話が聞きたいッスけど……きっと無理ッスよね……」
「そりゃあね……軍隊って秘密の多い場所――ん……あれ?」
「どうしたんスか?」
「あそこで喋ってる軍人さんね、知り合いなんだよ。お父さんの同僚。何か聞けないかなぁ……」
由紀子は僅かに聞こえてくる会話に懸命に聞き耳を立てている。
「……犬……サンは……ます?」
「めで……原隊復帰……今回の掃……一件も……塚が居なか……なかったよ」
「そう……相変わら……うにしてるんで……」
「ああ。閑……れて色……だろうな。大暴……っちが心……った位だ」
「ハハハハハハハ。何も……ない様で何よ……よ」
笑い声が聞こえた時、由紀子ははたと何かに思い当たる。
しばらく聞いていなかった音を、その声の中に見出したのだ。
その声を発した機械が気になりその動きを見つめていると、その手が顎に伸びる。
それは彼女のよく見知った動きだったのだろう。
笑い声だけでは至らなかった確信を得、由紀子は列を仕切るロープを潜って走り出していた。
坂口とその場に居た事務官の制止の声も振り切って駆けて行く。
(うそうそうそ……! まさかまさかまさかだよね!)
軽く息を切らせながら、それの腕を掴み由紀子は問う。
「片山さん……だよね?」
長らく相見えなかった身内にようやく巡り会えた感覚を、由紀子の心は味わっていた。
「……由紀ちゃん……か?」
「やっぱり! やっぱりやっぱりやっぱり! なんでなんでなんで! なんでそんな事になっちゃってるのッ! あたしとお父さんに心配かけてッ! なんで今まで連絡の一つも寄越さないのッ!」
「ちょ、ちょっと落ち着け由紀ちゃん。片山が困ってる」
「岸部のおじさんは黙ってて! 今は片山さんに話を聞くのが先なのッ!」
あまりの剣幕に岸部とアキラ、そして彼女に追いついた坂口と事務官も黙って状況を見守るしか無かった。
「勝手に喧嘩して軍も辞めちゃうし……新しい仕事で大変なのかなって思ったら行方不明になっちゃうし……どんだけ……どんだけお父さんとあたしが心配したと思ってるの!」
「…………悪かったな……心配かけてよ……でもよ、こんな身体になっちまったら会うに会えねぇってのは判るだろ?」
「それでもッ! それでもッ……グスッ……良かったよぉ……生きててくれて……」
由紀子は片山の冷たい身体に抱きつくと、人前なのを構わずに号泣した。
由紀子が泣き止むまでたっぷりと三十分はかかった。
現場は撤収の準備がほぼ完了し、由紀子と坂口以外の被害者達は既に帰路についている。
アキラもメンテナンスを受ける為に、片山を置いて先に帰投していた。
「落ち着いたみたいだな。由紀ちゃんが泣く所を見るなんてチビスケの頃以来だぜ」
片山は泣き止んだ由紀子の頭を、壊れ物でも触る様にそっと撫でる。
「ううー。全部片山さんが悪いんだから反省しなさい……事情はもう聞かない。代わりにお父さんを通してでもいいから……偶には連絡してちょうだい。それと……」
「なんだよ?」
「藤代郁朗さんの事……彼が聞きたいんだって」
二人の傍らで所在なさ気にしていた坂口の事を片山に紹介する。
片山はじろりと坂口を一瞥すると、うんうんと頷いた。
「おー……とうとう由紀ちゃんも彼氏が出来る歳になったかぁ……なんか感慨深いもんがあるぞ」
「そっそっそっそんなんじゃないのッ! 部活の後輩なのッ!」
「ほっほっほっ本当にそうなんス! 面倒見て貰ってるだけッス!」
片山は慌てる二人の様子を見ておやおやと顎に手を当てた。
「そんで? その藤代某ってのがどうしたって?」
あえて言葉をぼかす片山だったが、どうやらそれは通用しない様だった。
「誤魔化さないで。彼は藤代さんの教え子だったの。助けて貰った時に聞いた声が間違い無いって言うんだもん。片山さん……知ってるんでしょ?」
「あの……俺……イクロー先生に礼だけ言いたいんスよ。先生のお蔭でこうやって水泳続けられてるんスから。会えるなら会いたいんスよ! 頼ンます!」
「…………あのなぁ。あっちに会う気があるならよ、あんなにさっさと帰っちまう訳ねぇだろう? あいつにその気が無いのに、それはちっとばかし無理ってもんなんじゃねぇか?」
暗に郁朗を知っている事を認めるのだが、会うどうこうに関しては否定的だった。
(俺の決めていい問題でもねぇからなぁ……)
「どうしてもッス! 頼ンます!」
坂口はとうとう土下座までし始めた。
「坂口君……ねぇ片山さん……」
その声で由紀子をチラリと見てしまった片山は後悔した。
昔から彼女が片山にお願い事をする時の表情だったからだ。
この顔になった由紀子が引かない事もよく知っている。
それが亡くなった彼女の母親にそっくりであった事も拍車をかけた。
(圭子さん……由紀ちゃんは逞しく育ってるよ…………ったく……)
坂口の土下座よりも由紀子のそれにより、片山は一肌脱ぐ事を決めた。
郁朗が無理矢理帰投した結果、古巣の人間や由紀子と再会し少しばかり気不味い想いもさせられたのだ。
意趣返しという訳では無いが、この位の仕返しはさせて貰ってもいいだろうという思惑もある。
「……そんなにか?」
「ウッス!!」
「……ちっと待ってろ」
片山はそう言うと、どこかへと通信を送る。
その様子を坂口と由紀子は食い入るように見つめるのだった。
「ふぅ……」
郁朗は現場から早々に水名神に引き揚げてメンテナンスも終了、今は艦が動き出すのを兵装倉庫のメンテナンスエリアで待っていた。
だが片山の到着が遅れている事で、出発の見通しは立っていないらしい。
「全く、何時だって迷惑をかけるのは団長なんだよね。時間を守らない、いい加減なプランを立てる、態度がデカイ。団長が問題児っては本当にどうなんだろうね?」
「なんでぇ? イクローさんなんか機嫌でもワリィの?」
ぶつくさと言い続けている郁朗を見て、環がアキラにこっそりと問いかける。
「救出に行ってから何かおかしい……でも俺達が知っていい事でも無いんだろう……」
「なんか八つ当たりにしか見えねぇよな……」
「二人共ひそひそ何話してるのさ。内緒話は良くないよ? ねぇ大葉さん」
「私に振られても困るんだけどな……おや……お帰りなさい、団長さん」
郁朗達の様子がおかしいと集まっていた面々の元へ、ようやく片山が姿を見せる。
「悪ィな、遅くなっちまった。ちっと野暮用があってよ」
「遅いよ、団長。何時迄も待たされる側の身にもなってよね」
「誰かさんが任務放棄してとっとと帰っちまうからよ、こんな時間になっちまったんだがな?」
「そっ、それは……ほらあれだよ。僕なんかが軍の人と折衝なんて出来ないし、団長の方がどう考えたって適任だったし」
「イクローさん、そりゃあちょっと言い訳にするには厳しいぜ? なぁ?」
環の言葉にアキラも黙ってそれに頷いている。
「という訳でだ、罰代わりにお前には客の相手をして貰う」
「客? そんな人来る予定なんて――」
「姐さんには許可は取ってある。おう、坊主。入っていいぞ」
そこに姿を見せたのは坂口だった。
この場に居る事があり得ない人物の出現であったが、慌てるどころか郁朗の気分は冷え込む一方であった。
(団長……何て事をしてくれるんだ……僕がどんな想いで……)
「…………なんでさ? 人が折角――」
「知ったこっちゃねぇよ。俺だけがこういう目に遭うのは、どうにも理不尽で許せねぇって事だけは言っとくぜ。おう、野郎共。イクローは客の相手で忙しい。俺達は艦橋に報告と打ち合わせに行く。とっととついて来い」
片山の棒読みに付き合うのが正解と判断したのだろう。
憮然としているであろう郁朗を残し、EOの面々は片山に同行して倉庫から艦橋へ向かって行った。
「…………」
「…………」
二人の間に会話は無い。
沈黙を重ねるまま時間は過ぎていき、少し経つと艦は潜航を始めたのだろう。
小さな沈降感を感じた郁朗は、坂口に作業員用のシートを勧めた。
「……立ったままだと危ないから、こっちに座りなよ」
坂口はシートに腰を掛けるが、表情は硬いままでまだ一言も言葉を発しない。
このままでは埒が明かないと、郁朗は意を決して彼との対話に臨んだ。
「…………びっくりしたろ? 僕がこんな姿になってて」
坂口はただその言葉にただ頷いた。
それはそうだろうと郁朗も納得する。
かつての生身の身体からは想像も出来無い、冷えた身体になってしまった知人が目の前に居るのだ。
「試合……どうだった――違うな……まずは君達を放ったらかしにした事、ちゃんと謝らないとね。ゴメンな、ダメな先生で。最後まで君達につきあってあげられなかっ――」
「そんなんッ! ……そんなんどうでもいいんだよ……俺は……俺はッ! あー……だめだぁ……先生に会えたら……ちゃんと話そうと思ったのによぉ……」
坂口は郁朗の言葉に、望んでいた再会に……天井を仰ぎ小さく嗚咽を漏らす。
郁朗は以前の癖でつい彼の背を二度、ポンポンと叩いてしまった。
それは機械の腕の感触であるはずなのに、坂口にとっては中学時代と何も変わらない安心出来るものだったのだろう。
それを感じた彼は涙を流しながらもようやく笑みを浮かべ、これまでの出来事を郁朗に報告し始める。
環状大河の仄暗い水底の中で再会したかつての師弟は……その緩やかな流れに抱かれながら、何時迄も温かい対話を続けていた。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.06.14 改稿版に差し替え
第五幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。