4-3 凶報
-西暦2079年6月21日12時45分-
水名神は無事に環状大河へと進水した。
装備の追加による推力の減衰やバッテリーの消耗の増加は微々たる物だったらしく、問題無く潜航活動へ入り水底を進んでいる。
巡航モード入った事を確認して、艦長と数名の主要クルーが郁朗達の待つ士官食堂に降りてきた。
その全員が老人だった事は郁朗達を驚かせる事となる。
「おう、あんたも来てたのか。悪ぃな、待たせてよ」
先頭をはばかる事無く歩いてきた筋肉質な老人が、室内に響く大きな声で郁朗達に謝罪をしてきた。
「いえ、問題ありませんわ。紹介します。先日資料をお渡ししたEOの面々ですわ。この艦の運用は、彼等との共同作戦が前提になると思いますから」
「そりゃあご丁寧な事だな。この艦を預かる事になった古関ってもんだ。このメガネが副長の近江。後はその他大勢って事にしといてくれや」
「ダメですよ、古関さん。ちゃんと紹介しないと。あんまり適当な事をやってると奥方に報告しますよ?」
「そりゃあマズい。バアさんに叱られるのは堪らんからな。右から通信・火器管制の水ノ江、ソナーの池田、機関長の立川だ。直接関わる事はそうそう無いだろうが、宜しくたのまぁ」
そのあまりにものんびりとした光景にたまらず環が口を開く。
「なぁなぁ、こんな爺ちゃん達で大丈夫なんか?」
軽々しく言われた環のその一言を聞いた瞬間に、古関がテーブルを飛び越えて彼を殴りつけた。
「口の利き方に気をつけんかっ! まともな口を利けんもんが軍隊やるなんぞちゃんちゃら可笑しいわっ!」
その瞬間湯沸器の様な行動にEOの面々は唖然としている。
まさか生身の身体のこんな老人が、機械の身体であるEOを正面から殴りつけるとは思いもしなかったからだ。
「すんません、うちのバカが。ホレ、タマキ。ちゃんと謝れ」
千豊や新見は黙ってその様子を黙って見ていた。
軍隊という組織に属していた片山も古関の行為に動じず、環の肩を小突く事で謝罪を促す。
「爺ちゃん達、ゴメン。調子に乗って悪かったよ。だけど俺は別に年寄りだからって馬鹿にしたんじゃねぇよ。うちの祖母ちゃんと同じ歳位なのによ、身体は大丈夫なんかなって思っただけだ。気分悪くしたなら勘弁してくれよ……」
年配の人間は大事にしなければならないという、彼の祖母に対する想いもあるのだろう。
普段の彼からは想像出来無い、そんなしおらしい環の声を聞いて、EOの面々は再び唖然とする。
今度は千豊と新見もそれに便乗していた。
「おめぇ、歳は幾つだ?」
「十九……暮れに二十歳になる……」
「…………」
「……自分の孫と同じ歳の若い人を、口の利き方程度でいきなりぶん殴った、と。これはさすがに黙ってる訳にはいきませんね。いやぁ、どうなるか楽しみです」
近江の一言に老人会全員が頷く。
「…………ボウズ、俺も殴って悪かったな……どうにも昔のクセが抜けん」
「昔って事は……やっぱり軍にいらっしゃった方なんですか?」
どうにか思考を取り戻した郁朗が素直に疑問をぶつけた。
「おう、俺達全員が元海軍よ。萩原は知ってんだよな? あいつと何だかんだで長い付き合いがあったからな。そのせいでこんな役目を押し付けられたって訳だ」
「痴呆になるにはまだ早いですよ。恩給暮らしで退屈してた上に、『孫に小遣いやれるわい』なんて、この話を一番喜んでたのは誰ですか? 素直に渡りに船だったと言えばいいんです」
「近江ちゃんよ、あんまりそういう話はしてくれるなよ。俺の威厳ってもんがだな……」
未だ続くそのやり取りを見ていた数名の目線が郁朗と片山に向かう。
「これは……あれね」
「ええ……そういう事なんでしょう」
「間違い無いッスね」
「考えてる事が一緒で良かった。私だけじゃなかったんだね」
まだシュンとしている環を除いた全員の意見が一致した。
「イクロー君、こちらのお二方を見てどう思うかしら?」
「……正直……大人気無いかなって思いますよ? それが何か?」
「片山さんはどう思います?」
「まぁ人前でこんな喧嘩すんのはちっとみっともねぇかも知れねぇが……仲良く喧嘩しなって感じだな」
「……自覚が無いって幸せな事なのね……」
「いやいや、全くです」
千豊と新見は溜め息をついて疲れた表情を見せた。
郁朗と片山のやり取りに似た老人二人の罵り合いは、しばしの間続く事となる。
「いやぁ、つまんねぇとこ見せちまったな、わりぃわりぃ」
「いいんだよ。似た様なのを毎日見てっから。それより爺ちゃん、手は大丈夫なんか? 俺の身体硬かっただろ?」
「……おう……こんな程度なんて事はねぇ」
古関はぷらぷらと軽く手首を振ってみせるが、拳が青黒く染まっているのを近江は見逃さなかった。
「やせ我慢してるだけです。後で医務室に連れて行きますからご心配無く」
辛抱しているのをバラされた古関はそっぽを向く事で、皆の視線から逃げる。
その様を見た片山は親近感から笑いで小さく肩を揺らし、老人会がどれ程の人材かを確かめようと声をかける。
「しかしまぁ……よくこれだけの大先輩が馳せ参じてくれたもんです。古関さん達の原隊はどちらだったんです?」
「海軍第三連隊だ。荒っぽいのが揃ってる所だったからな。ボウズ共を縛り上げるのに苦労したもんだ」
「第三……もしかして望月って奴は知ってますかね? 軍大の時の同期だったんですよ」
「ほう、あのハナタレ士官の同期ですか。世間は狭いものですね」
近江のメガネのレンズがキラリと光る。
「やっぱり……あなた達だったんですか。配属された直後に望月の奴がね、よくボヤいてました。とんでもないのが上にいるって。あの人達の定年まで俺は生きてられるだろうか、なんてよく言ってましたよ」
「あのガキ……次のOB会の視察で赤帽送りにしてやる」
「ハハハハハ。程々にしてやって下さい、昔々の話ですよ。それはともかく、水名神の運用をどうするか、うちの連中に説明してやってくれませんかね? 俺も元軍人とはいえ海は専門外ですしね」
「おう。潜水艦としての運用は、もう知っとる者もいると聞いとるから流していくぞ。要は環状大河を使いお前等を含めた戦力を秘密裏に、そして迅速に戦地に運ぶのがこの艦の仕事だ」
「今回の改修で支援艦としての働きも期待して貰えるでしょう。主な支援手段は巡航ミサイルになります。短距離型で小型の物ですが、射程は二百km程ありますから。環状大河からなら極東の大抵の場所には届きます」
近江が仕様書を片手に武装の説明を始める。
「そんなに長い射程の物を使って間違って私達の方に落ちてくる……なんて事は無いんですか?」
不安げにそう聞いたのは大葉である。
近江は彼の肩の識別ナンバーを見ると、渡りに船と解説を始めた。
「ええと……君は大葉君ですね。その辺りは事前のミーティングで支援タイミングを入念に打ち合わせる必要があります。それと君の能力もアテにしてるんですよ?」
「私の?」
「君の生体レーダーの索敵能力は尋常でないと聞いています。情報の送受信に問題が無ければ、君のレーダーとこちらの管制システムをリンクさせる事も可能なんですよ。君のレーダーの捉えた標的をこちらからピンポイントで狙い撃つ、なんて曲芸も出来るという事です」
大葉は側にいたアキラと顔を合わせると、役割の大きさに口を噤んでしまった。
「なんかスゴイっスね……」
「凄いのはカドクラの工業基幹技術です。巡航ミサイルなんて物はね、前世紀の遺産なんですよ? 地下都市ではこれまでこんなものは必要ありませんでしたからね」
「それをわざわざこの艦の為だけに、機構のライブラリの情報を元に復元させたって訳なのよ。あれの中身はその手の情報に関しては玉手箱みたいな物だったわね」
「玉手箱?」
千豊は首を傾げる郁朗に答えるべきか否かを数瞬迷ったが、結局は言葉にする事を選ぶ。
「…………原材料さえあれば私達の組織で核弾頭までは作れる様になったって事よ。そんな情報まで隠し持ってたって言うのがね……」
一同が黙ってしまった中、近江のみがその話に目を輝かせていた。
「非常に興味深い話だと思いますよ。先程私は巡航ミサイルを前世紀の遺産と言いましたが……現在の極東軍で稼働している兵装。これらはどう考えても前世紀の水準に、ほんの僅か毛が生えた程度の物でしか無いという事なんです」
「おいおい、近江ちゃんよ。まーた悪い病気が出てきたな。あんたら、スマンな。この爺さんは退役してからよ、暇に飽かせて近代兵器史の研究なんてもんをやっとるんだ。この手の話題になると煩くて敵わん」
「君の食べ物として成立していない創作料理と比べれば、よっぽど社会の役に立ちますから。君の家に行く度に食材の恨み言が聞こえてくる位ですからね。奥方にも呆れられているのによく続けるもんですよ」
「近江ちゃんよ? 喧嘩売ってんのかい?」
「お二人共、その位で。近江さん、話の続きを聞かせて下さい。技術水準の話は今聞いてみてなんですけど……僕も少し引っ掛かってるんです」
郁朗が自らの興味の為に、火の着きかけたその場を収める。
「君は藤代君でしたか。どう引っ掛かるのか聞かせて欲しいですね」
「ええ、技術の進み方の――」
郁朗が何かの推論を話そうとしたと同時に、艦内のスピーカーから非常時を知らせるサイレンが短かく鳴った。
古関は士官食堂に備え付けられているインターフォンで艦橋と連絡を取る。
「おう、どうした? ン……ン…………判った。判断は乗り合わせている上の人間に任せる。テメェらは何がどうなってもいい様に、準備だけはしてろ。俺達もすぐ上がる」
古関がこれまでとは明確に違う、軍人としての厳しい目つきをしながら千豊へと伺いを立てた。
「坂之上さんよ、タイミングとしては天佑と言っていいかも知れん。巻き込まれた連中はツキが無いとしか言い様が無いがな」
「どうしました? 潜航中のこの艦に入電があるという事は……相当に緊急の案件ですわね?」
「Eブロックで合宿中の学生、運動選手の団体が……極東軍らしき人間に拉致されて移動中だそうだ。情報の出処は空挺連隊。現場へは我々が一番近い。さて、どうするね?」
試す様な古関からの問い掛けを気にする事無く、千豊は新見に懸念材料を確認する。
「新見さん、あれは積んであったかしら?」
「当然です。EOで運用する為の兵装は全て準備してありますよ。山中君を急かした甲斐はあったみたいですね」
新型兵器の初進水という現場になぜあの山中が居なかったのか。
今の新見の話を聞いたEOの面々から、納得と同情の空気が生み出された。
そんな空気を他所に、千豊のよく通る指示を出す声がその場に響く事となる。
「古関艦長、急速浮上の後に揚陸艇の準備を。団長さん、前甲板の真下にあなた達の兵装倉庫があるわ。そこで戦闘準備、全兵装の使用を許可します。あれも上手く使って頂戴」
「「よっしゃ、行くぞ野郎共!」」
古関と片山の声が士官食堂に響き渡る。
偶然同じ言葉を発した二人は顔を見合わせ互いに敬礼を送り、各々が準備を進める為に然るべき場所へ向かう。
兵装倉庫の中にはこれまで使用してきた兵装は勿論、新式の移動システムや簡易メンテナンス用のベッドまで用意されていた。
当然アジトの兵装倉庫に置かれている物とは別の、新規製造品である。
「こりゃあすげぇな……俺の68式や大葉さんのレーダーユニットまであるぜ」
「山中君……壊れてなければいいんだけどね」
「驚くのは後だ。とっとと準備しろ。郁朗、71式は置いていけ。駆動燃料と対人兵装に予備弾倉だけでいい。アキラ、お前もいつもの個人兵装だけで十分だ。銃は置いてけ。お前ら二人には先行して貰う」
「先行って……揚陸艇で接岸するんじゃないの?」
「俺達はな。浮上と同時にお前ら二人を岸まで俺がブン投げて届けてやる。そこから現場へ急げ。時間が勿体無い」
「また無茶な事を考えるね……でもそこから先行するってあれを使うって事だよね? 僕達二人の状況を解かってて言ってるのかな?」
アキラも口にこそ出さないものの、不安なのか首を縦に振っている。
「それについてはいい考えがあるから心配すんな。とにかく装備するもん装備して、浮上したら直ぐに前甲板に上がるぞ」
極東の各ブロックの中央を、その名の通り環状に流れる河。
環状大河は平均して10kmの川幅を持つ為、緩やかな流れを形成している。
その静かな流れが、とある一角で突如乱れ始める。
EブロックとNブロックの丁度境目辺りの岸辺近くに急流が現れ、川底から濃緑色をした大きな何かが浮かび上がってきたのだ。
岸辺の公園にたまたま居合わせた人々の呆けた顔を無視し、二百メートルオーバーの巨大な艦体が水飛沫と共に浮上する。
前部装甲が格納されていき、前甲板が露出・展開を始めた。
内部へ通じるハッチが開かれると同時に、そこから飛び出す者達が居た。
たまたまその現場に遭遇した人々は怯えの色を見せ始める。
得体の知れぬ人とは思えない何かが、甲板の上で何やら動きを見せているからだ。
「ホレ、投げ飛ばしてやるから手ェ出せ。アキラはイクローの腰にでも掴まってろ」
「……ほんとにやるの?」
「たりめーだ。こんなグチャグチャ言い合ってる時間も勿体ねぇ。前途ある学生諸君達をさっさと助けなきゃいかんのだ。元教師ならいい加減腹括れ」
それを言われては言い返せないとばかりに、郁朗は片山の手を取った。
「判ったよ……アキラ、しっかり掴まってるんだよ?」
「……ウッス」
片山の腕を握る力を更に込め、バランサーへの神経回路を全てオフにして力を抜く。
運を天にとばかりに彼にその身を任せた。
「フンッ!」
片山が気合と共にハンマー投げの要領で回転を始めると、徐々に掴まっている二人の身体が水平に浮いていく。
郁朗は指の関節以外を全てロック。
いつ手を離されても良いように構える。
「3…………2…………1…………飛べッ!」
合図と同時に郁朗と片山は互いの手を放した。
遠心運動のエネルギーをそのまま受け取り、高速で横回転しながらフリスビーの様に飛んで行く郁朗とアキラ。
甲板に出て揚陸艇の用意を待っていた環は、何やらツボに嵌ったのか回っている二人を見て大笑いしている。
二人の重量は合わせておよそ半トン。
それだけの重量をそのまま五十メートル近く投げ飛ばすという事は、さすがに片山でも厳しかったのだろう。
二人は徐々に川面に近づいていく。
あわや落ちるかと思った瞬間、二人は水面を弾いて再び浮いたのである。
水切りという遊びの原理だった。
二度、三度と川面を叩いて、二人は土煙と共に転がりながら岸辺へと着陸した。
投げられた場所が土と芝生の河川敷公園で無ければ、間違い無くどこかのパーツを破損していただろう。
「団長! こんなやり方もう二度とゴメンだからね!?」
ムクリと起き上がった郁朗は、自分達の扱いのあまりの雑さに大音量の通信を片山に送った。
『無事に飛べたんだから問題ねぇだろ。とっとと行け!』
「タマキ……ちゃんと見てたからな……覚えてろよ……」
『だってよ……ククッ……あんな回って……ブハハハハハハ!!』
「行こう、アキラ。こんな馬鹿な事に付き合ってる時間が勿体無い」
「ウッス。じゃあ打ち合わせ通りにやってみるッス」
二人は周辺を見回し怪我人が出ていない事を確認すると、迅速にその場から立ち去る。
(Nブロックの奥まで連れて行かれたらまず助けられない。どんな事をしたって追い着かなくちゃ)
脚部に装備している新兵装が、甲高いモーター音を轟かせる。
公の場にその姿を晒す事を構いもせずに、交通量の多い幹線道路へと……二人の異形はその音と共に飛び込んでいった。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.06.14 改稿版に差し替え
第五幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。