3-21 その手に得たもの
-西暦2079年5月28日18時45分-
木村の死亡が確認されて二時間が過ぎようとしていた。
擱坐していた環とアキラは郁朗達の手によって整備場へ運ばれ、今は山中を中心とした整備班により集中的にメンテナンスが行われている。
状態を聞いた所、脳や神経回路には損傷が全く無い為、破損したパーツの交換と循環液の充填だけで問題無く再起動が可能だそうだ。
但し、二人は共に頭部と脊髄を除く全てのパーツが破損している。
それらの全てを交換する事となると、倉橋不在の現状では少しばかり時間がかかるとの話だった。
珍しく山中が悔し気な顔でそう言ったのが郁朗には深く印象に残った。
それは整備班全員の気持ちを代弁していた様である。
あくまで非戦闘員であるが故に、アジト内で戦闘が行われれば彼等の動ける範囲狭くなる。
その結果、彼等に出来た事と言えば……他の非戦闘員と共に、避難した食堂で状況の好転を願う事だけであったからだ。
その分を取り返すかの様に、彼等の手は休む事無く動いている。
慌ただしく人が動き回る整備場を、郁朗は隣接する地下駐車場の側でボーっと見つめていた。
千豊への報告を片山と同伴して行う段取りになっている為、彼の循環液透析が終了するのをそこで待っているのだ。
時間的にあっという間の出来事だった木村の起こした反乱。
ほんの三時間と少しで終息したとは思えない疲労感を郁朗は抱いていた。
(身体は疲れを感じないからいいんだけど……この草臥れたって感じはなんだろうね)
実際身体も各部のモーターが限界を迎え、走る事などは出来無い状態になっている。
そんな身体的な損傷よりも別のものが郁朗の心を疲れさせていた。
木村という人間の見せた、狂気と呼べる程の力と矜持への執着である。
自らが万事の主導権を握る事、自分を軽く見た人間への復讐。
そして……新見にズタボロにされ捨てられたという過去の汚点の払拭。
そうして自らの力を過信した行動は、たったの三時間で潰えてしまった。
自身の命という大きな代償を支払ったにしては、なんともお粗末な結果ではなかろうか。
そんな木村の行動原理を郁朗は理解出来無かった。
いや、理解したくも無かった。
彼の様な生き方をしてこなかった自分に、一体彼の何が判るのだろうかとも思う。
だがあれ程までに他人に対し、自分の情念だけをぶつける事をしたいと思えない。
最期は獣の様に死んでいった木村の姿が脳裏に焼き付いている。
(恭子や生徒達に何かされたら僕もああなっちゃうんだろうか……あの男の言っていた機体の力に飲まれるっていうのは……こういう事なんだろうか……)
中尾の時の……あの心が冷めていきつつも衝動に駆られた感覚。
あれは戦場で必要な感覚であるという事は郁朗も理解している。
今回の木村のとの戦いでも、あの冷えた心で相手を見つめなければ……片山の到着前に地に伏していたかも知れない。
あれが積み重なれば……自分も木村の様になってしまうのだろうか?
いや……ああはなるまい。
そう郁朗はこの疑問を自戒とし、結果を結果として受け止めるべきだと考える。
その上で……この身体と共に、人間・藤代郁朗として生きていこうと心に決めた。
フッと地下駐車場に目をやると、一台の車両がスロープを降って来る。
助手席に座っていた分隊長が手を上げ、郁朗に合図してくれた。
南部廃棄地区に向かっていた面々がようやく帰投したのだ。
意識の戻らなかった柳原の覚醒を待ってから、あの場所を出発したのだと聞いている。
到着が遅いこの時間になるのも仕方が無いという事だろう。
地下駐車場の詰め所でじっと待っていた長瀬が、柳原到着の報を受けて詰め所のドアを勢い良く開けた。
郁朗の視界に入った彼女は、一目散で車両へ目掛けて走り出す。
荷台から目当ての人物が降りてくるのを今か今かと待つ。
その人物が車両から降りて姿を見せると、躊躇無く彼女へと飛び掛かっていった。
「副班長~よかったぁ~よかったよぉ~」
未だシーツを衣服代わりにしている柳原に抱きついた長瀬は、子供の様な大声を上げて泣いている。
普段の少し醒めて見える丁寧な言葉遣いも、今は完全に鳴りを潜めていた。
柳原もごめんねと言いながら長瀬の頭を優しく優しく撫でてやっている。
目当てのビュッフェで和気藹々と食事をして、午後からの仕事の活力とするはずだった。
各所に分散して仕事を片付ける予定が、自分と組むはずの柳原がいつまでも化粧室から戻って来ない。
焦って必死に探しても、近くには既に居そうに無かった。
慌てて本部に連絡を取ったものの、無事かどうかはアジトに戻るまで知る事が出来ず、無事と知らされた所で、顔を見た今の今まで安心出来無かったのだろう。
そして顔を見た途端、ここまで耐えに耐えていた自制心が大きく音を立てて崩れ、柳原にむしゃぶりついて大泣きするという結果になったのである。
長瀬の泣きっぷりを遠くから、先程とは随分と違う穏やかな気持ちで見つめていると、誰かに肩を叩かれた。
振り返ると大葉がそこに居た。
「お疲れ様、イクロー君。こちらに通信を入れた時に聞いたけど……タマキ君やアキラ君は大丈夫なのかい?」
「大葉さんも……お疲れ様です。タマキ達なら大丈夫です。少し時間はかかるかも知れないけど、ちゃんと元気な身体に戻りますから……機械なのに元気ってのも何か変ですけどね」
「ハハハハハ…………でも良かった。ああやって見送ったはいいんだけど、やっぱりずっと心配でね…………それで、木村さんは?」
「……亡くなりました。でもそれだけの事をしようとしたのは間違い無いんです。止めなければタマキもアキラも……ヘタをすれば僕も……それだけじゃない。このアジトの人間が何人も死んでたかも知れません」
「……そうだね。私はあの人の事をそんなに知ってる訳じゃないけれど、やっぱりこんな強引なやり方は好きになれない」
強引なやり方と聞いて、郁朗は自身がEOになった時に事を思い出したのだろう。
いい機会だと思い、大葉がこの身体に至る経緯を聞いてみる事にした。
「…………大葉さんは何が切っ掛けでEOになったんです?」
「うーん……自分の恥を晒す様でとても恥ずかしいんだけどね……私の勤めていた会社で不正があったんだ……私の上司がやった事なんだけど、責任が全て私に廻ってしまってね。そういう書類なんかもかなり前から用意されてたみたいだったんだ。要は会社とってのにスケープゴートとして飼われてたって訳なんだよ」
その事情になんとも言えなくなった郁朗は黙ってしまった。
「ああ……ごめんごめん、黙らないで。まぁそれで告訴されない代わりにね、ありもしない借金を抱えさせられて……実家や妻には迷惑をかけられないから……妻には離婚届を渡してから……自殺しようとしたんだ」
「……自殺って……」
「今考えるともっとやり方もあったんだろうけどね。先の事を考えるともう目の前が真っ暗になってしまったから……でもその時にね、中尾さんが私を助けてくれたんだよ」
「中尾さんが?」
不意に聞かされると郁朗の心が疼く名前であったが、彼ならばそういう事もあるだろうと納得も出来た。
「中尾さんからしてみればね、私は貴重な適合者だからって事だったのかも知れない。だけど……あの時に彼に土下座して言われた事を私は忘れてないよ」
「……僕にも教えて貰えませんか?」
郁朗は今はもう居ない中尾が、過去にどんな言葉を残したのか気になった。
彼が如何にして死にゆく大葉を説き伏せたのか、郁朗は知りたかったのだ。
「うん……『間に合って良かった……あんた大葉さんでいいんだよな? どんな理由があるか知らないけどな、首括って死んでどうなるってんだ? 捨てるんだったらその命を俺達に預けてくれよ。あんたにしか出来ない事だって世の中にはあるんだ。頼む! 俺と一緒にこの街と街の人達を守ってやってくれ!』ってね」
「……えらく真っ向勝負だったんだなぁ。中尾さんらしいというか……一本気な人だったから……」
「これから自殺しようって人間にそれだけ真摯に土下座までして頼むってどれ程の事なんだろうって思ったよ……どうせ死ぬならと転化手術を受ける事を決めた直後にもね、『あんたが眠っている間、奥さんの事は任せといてくれ』って、そう言ってくれたんだ。私が居なくなったら、会社の人間が妻にも手を出して来るだろうからって」
「…………」
「そして私が起きた後に聞いた話なんだけどね、私の居た会社が何時の間にか倒産してたんだってさ。私の上司や社長なんかが逃げ出したって事らしいんだけど……どうやら中尾さんが千豊さんに頼んで色々と手を回してくれたらしくて」
大葉は一息置くと話を続けた。
「でもその時にはお礼を言いたくても、もう中尾さんは居なかった。結局は一緒に何かを守る事は出来無かったけどね……それでも私にしか出来ない事があるのなら、私は私の出来る事で妻や両親……そして極東の人達を守っていこうと思ったんだ。彼の代わりなんてとても出来ないとは思うけど」
郁朗はここで大葉の戦う意味の源泉を知る事が出来て良かったと考える。
自分の経緯とはかなり違うが根付く物は同じだと思えたからだ。
郁朗は自分の中で今日生まれたある想いを、大葉に打ち明ける。
「大葉さん、僕は……拉致されてここに来たんです。説得なんてすっとばしてEOに転化されちゃって。今考えても……かなり強引な方法だったと思います」
大葉は自分がそんなやり方は好きになれないと言った事を気にしたのか、黙って話を聞いている。
「それでもね、やっぱり千豊さんやここの人達は木村とは違いますよ。彼は自分が何もかもを手に入れる為だけに、力と組織を求めたんです。それも力づくで強引に。でも千豊さん達は僕みたいな人間を産み出しながら、それでも極東に住む誰かの日常の為に戦おうとしてるんですから」
「日常かぁ……ねぇ、イクロー君。君は……この身体でいる事が辛いと思った事はあるかい?」
「……無いと言えば嘘になります。でもね、さっきようやく……ようやく本当の意味で、折り合いをつける事が出来た気がするんです」
「折り合い……?」
泣いている長瀬を宥める柳原、そんな二人を見て郁朗は自身の想いに確信を持つ。
「柳原さんは木村の強引なやり口のせいで命を失う所でした。でも……このEOの身体があったから彼女を救う事が出来た。それだけでもこの身体になった甲斐がある。無事に戻って来た彼女を見て、やっとそう思えたんです」
柔らかな落ち着いた声でそう言った。
「僕は身内や自分の生徒達を今の危険な極東の状況から守りたくて……この身体でいる事を選択しました。動ける様になって今までやってきた事と言えば、武器を強奪したり、人を攫ってきたり。情報を獲得する為に、軍隊相手に戦争紛いの事もして……でも結局、何かを守っている実感なんて、一つも得られなかったんです」
「…………」
「あの二人を見て下さいよ。あの笑顔も涙も、僕や一緒に行った分隊のみんな……そして大葉さんが居なかったらここに無かった物なんですよ? 凄いと思いません?」
大葉は同意出来たのか、静かに頷く。
「取りこぼす事だって勿論あるんだろうけど……ああいうものを守っていけるんだって判っていれば……僕達はこんな身体でも木村みたいにならずに、人として生きていけるんじゃないかなって……僕にはそう思えたんです」
郁朗は自身の掌を見つめながらそう言った。
人としての身体を失って尚、人として生きていく指針を得られた事は、彼にとっては何よりも喜ばしい事であった。
「俺が居ない間に教師から坊主に転職でもしたかぁ? 随分と悟ったような事を言う様になったじゃねぇか。だが……まぁ……悪くはねぇな」
郁朗と大葉の横合いに立つ人影。
何時の間にかその場に居た片山が頷きながらそう言った。
「…………そんな日もあるって事さ。団長、透析は終わったの?」
「おう。大葉さんよ、あっちで一回会ったきりだったな。元気にやれてたか?」
「ええ、イクロー君には迷惑ばかりかけてますけどね。今日だって私が役に立てたかって言われればそれほどは……」
「そんな事無いですよ。大葉さんが居なかったら、あんなにスムーズに事は運びませんでしたから。団長、次から狙撃訓練の時はポイントの確保は諦めた方がいいからね? 大葉さんとタマキが組んだらまず逃げられないんだから」
「話には聞いてるがそんなにか?」
「間崎さんにも聞いてみるといいよ。車両で走り回っても隠れても、どっちにしたって隙間無く塗料で染められちゃうんだもの」
「んー……って事はタマキの野郎、随分と調子の乗ってんじゃねぇのか?」
「そりゃあもう。そろそろ色々と締めてあげなくちゃといけないとは思ってるんだけど」
「いい話だな、それについては俺も手伝おう。さて、姐さんとこに報告に行くが……イクロー、お前も呼ばれてるんだったよな?」
「うん。木村と戦った時の詳細が聞きたいからって。だから団長を待ってたんだよ。あ、そうだ、大葉さん。あれだけ広範囲の索敵をやったんです。この後ちゃんと神経系のチェックを受けて――」
郁朗が大葉にメンテナンスに行く様に指示を出そうとした時に、駐車場に大きな悲鳴が響き渡った。
視線を巡らせれば発生源は柳原の様だ。
どうやら彼女にへばりついていた長瀬が原因らしい。
医務室に移動するという柳原の後ろに続いて同行しようとしたのだが……勢い余って衣服代わりにしていたシーツの裾を踏んでしまったのである。
シーツはピンと張ったかと思うと、綺麗に床に置き去りにされた。
そして柳原はその場に居た男性諸氏に、下着姿という素敵なサービスシーンを提供する事になってしまったのだ。
慌てて彼女にシーツを掛ける長瀬だったが、その罪が許される事は勿論無かった。
一度悲鳴を上げた事で落ち着きを取り戻し冷静になった柳原に、直下式の拳骨を脳天にお見舞いされる事になる。
顔を真っ赤にしながらこの場を立ち去る柳原。
痛みのあまりゴロゴロと地面を転がる長瀬。
その光景は凄惨な戦いを繰り広げた郁朗達の心をさらに和ませ、地下駐車場に彼等の笑い声を大きく木霊させた。
この様な日々を得る為に自分達は戦っているのだという実感を残して。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.05.13 改稿版に差し替え
第四幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。