3-18 柳風を止める者
-西暦2079年5月28日16時15分-
環とアキラはここまで善戦していたと言って良いだろう。
格闘適性Aプラスの木村に対して、BプラスのアキラとCプラスに毛が生えた程度の環で戦わなければならなかったのだから。
二人の専用兵装が手元にあったのならば、まだ分はあったかも知れない。
アキラが前衛として木村を翻弄し、環が狙撃出来れば……恐らくは圧勝と言って良い勝ち方をしただろう。
だがその肝心の兵装が兵装倉庫に置かれており、扉のセキュリティが木村側に握られている以上、使えないなりの戦い方を選択せねばならなかった。
郁朗か片山が来てくれれば。
そんな希望をうっすらと抱きながら、彼等はとにかく時間を稼いだ。
そうして善戦はしたものの、とうとう環が腕を取られる。
肘と肩の関節を瞬時に砕かれてしまい、両腕の自由を奪われてしまったのである。
「タマキ……大丈夫か……?」
両腕の関節を砕かれた環をチラッと見つめ、まだ戦えるのか確認するために彼に声をかけた。
「正直な所、逃げてぇな。このまま殴り合うよりは、山中の兄ちゃんに腕を治して貰って68式持ってくる方が早い気がすんだ」
「……倉庫を開けてる時間を考えると……マズイな。俺一人じゃ厳しいぞ……」
「判ってるってよ。だからこうして付き合ってんじゃねぇか。まだ足は使えっから引っ掻き回すくらいはできらぁ」
「……とにかく当てる事は考えるな……掴まれると終わるって事だけ……判ってればいい。後は……」
「イクローさんが来るまで保たせろってんだろ? 無茶言いやがる。くそったれ、こんな時に団長さんは何やってんだか」
「片山さん……いや団長か……来たとしてアテに出来るのか……?」
アキラの疑念ももっともである。
彼がまだ片山と未接触であるという事もあるのだが、彼の力量を目にしていない以上、その実力を信じろと言われてもなかなか難しい事なのだろう。
「格闘だけならイクローさんよりタチ悪ィから心配すんな。来たら木村の野郎はそれで終わりだ。問題は……来るかどうかだな」
「そこは信じよう……少なくともイクローさんは……来てくれる……」
木村は彼等を脅威と思っていないのだろう。
二人が喋っている間、一切手を出さなかった。
状況によっては彼等は自身の手駒になるのかも知れないという打算もあったのだろう。
破壊し過ぎてその身体が使い物にならなくなっては後で困るという考えが、これまでの攻撃からも透けて見えていた。
「話し合いはもう終わったか? そろそろ諦めてこちら側へ降れ。貴様らごときでは私に勝てないのは判っただろう?」
「…………オメェは俺に幾らくれるんだ?」
「タマキッ……!」
木村に迎合するかの様な環の発言に、アキラは瞬間的に憤る。
「アキラ、ちっと黙ってろ……なぁ、木村さんよ? アンタは俺に幾らの値段をつける?」
「馬鹿か貴様は。大義を前にして金だと? これだから何も考えてないガキは困る。お前みたいな考え無しは、黙って私に従えばいいんだ。私が導いてやる」
「おいおい、目先のもんも払えねぇのかよ。そんなんじゃ人はついて来ねぇよ。ああそうか、だからあんた売られたん――グッ!!」
二人は木村の動きを目で追う事が出来なかった。
風が鳴ったかと思うと環の姿がそこには無く、演習場の壁面に叩きつけられていたからだ。
打撃を正面から食らって吹き飛ばされた環ではあったが、その減らず口は健在であった。
「…………なんでぇ、図星って事かよ。カカカッ。そんなんでよく千豊さんを蹴落とそうと思ったもんだな。いや、狙いは新見のオッサンか……どっちだっていいんだけどよ、オメェみたいな小物じゃ、あの人らにはとてもじゃねぇが届かないからよ。諦めろって、な?」
ジリジリと近寄ってくる木村を相手に、環は未だに挑発的な言葉を吐き続ける。
アキラが動きを止めようと牽制しても木村は意に介していない。
環がアキラの方を見つめると、彼の聴覚回路にザザッとノイズが入る。
EO同士が作戦中に使う、通信レンジ百メートル程の超短距離通信用のチャンネル。
木村が事を起こした時の為に用意されていた、彼の知らない周波数でその言葉は届けられた。
『手を出すフリをして今は黙って見とけ。これで少しは時間が稼げるってもんだぜ』
『タマキ……お前……』
『さすがに頭がやられそうになったら全力で止めろよ? まだ死ねねぇんだ』
アキラは環のカメラアイを見つめると小さく頷いた。
「私が新見より下だと? これだけの力を手に入れてまだ下だと言うのか! クソがッ……貴様の様なクズはまずは動けなくしてやる。後でどんな手段を使ってでも私の手駒にしてやるからな。記憶なんぞ残ると思うなよ?」
壁にもたれかかる環の足を掴むと地面に叩き伏せる。
抵抗も出来ずにされるがままだ。
生体アクチュエーターの爆ぜる音が、駆動モーターの空転音が、生体装甲のひしゃげる音が……アキラの聴覚回路を抉る様に響いている。
下半身の駆動部分をあらかた潰され終わった所で、木村は環を投げ捨て解放した。
(痛覚切れなきゃどうなってたかなんて考えたくもねぇな……さて、これで俺は使いもんになんねぇぞ。アキラだって時間の問題だろうしな……イクローさん、団長さん。これで来てくんなきゃ、さすがにキレるかんな……)
循環液を大量に失った、もしくは肉体の損傷の激しいEO――勿論改良された郁朗達だけであるが――は、脳の保護の為に一時的に休眠状態に陥る。
明暗どちらかの反応によるまともに発電出来なければ、少なからず脳の安全と維持に問題が出るからだ。
薄れていく意識の中で環は祖母を思う。
(次に起きた時も俺が俺だといいんだけどよォ……ちくしょう、祖母ちゃん……)
そこで環の意識はプツリと途切れた。
(タマキ……)
「さて、次は貴様か。貴様はどうする? 今のを見てもまだ私に抵抗するか?」
「するさ……あんたはタマキを無茶苦茶にした。それだけで理由としては十分だ……」
アキラにしては言葉がスムーズに口から出ている。
環を擱坐させられた怒りが、普段は選んで口にしている言葉を感情のままに吐かせているのだろう。
「クズの仲間はクズと言う事か。お前も同じ様にしてやろう」
アキラは木村と正対し、彼の手を待つ。
(どこでもいい、関節を一つ潰せれば)
先を取るために神経を研ぎ澄まし、ひたすらに木村の動きを待つ。
アキラとしては時間が稼げればいいので、待つ分にはいくらでも待てる。
だが彼の心情として、環をああまで破壊した木村を許せはしなかった。
木村の手が無造作にアキラに伸ばされる。
(取れる……!)
そう確信を持ってアキラも木村へと手を伸ばすが、目論見は外れて触れる事が出来なかった。
正確には触れる直前に、木村の腕がふわりとアキラの腕を浮く様に躱したのだ。
(これがこの人の機体特性……? 訓練の時はやっぱり本気じゃなかった……)
今の攻防で既に左の手首にダメージが出ている。
いつの間にか関節を握られていた様だ。
(触れ無い……リズムも不規則……この人、反則だな)
手が取れたと思った瞬間には空気を掴んでいる。
その不思議な感覚にアキラは困惑した。
相手へ触れる為に手数を増やすが、木村に触れる事も無く躱されるだけである。
その攻防が繰り返されるその度に、アキラの関節や装甲が軋んだ音を立てて破損していった。
「どうした? もう左腕は限界だろう。抵抗するんじゃなかったのか? さっき私に利いた偉そうな口はなんだったんだ?」
「あんたこそえらく口が回るな……そんなにイクローさんが怖いのか?」
「何を言っている?」
「あんたは……手っ取り早くこの状況を片付けないとならないだろ? ……そうでないとイクローさん達がここに戻って来るからな……その前に俺をどうにかしたい……だから俺はそれに乗っかって嫌がらせをしている」
「嫌がらせだと?」
(かかった……)
「……時間稼ぎとも言うがな。あんたがこうやってグズグズしている内にも……イクローさんは戻って来てるぞ?」
「ハン! 小狡いガキのやりそうな事だな。戻って来た所で潰せばいいだけの事よ。しかし……二匹相手にするのに骨が折れるのは確かだ。ならば貴様は今直ぐに壊してやろう」
「俺は潰せても……イクローさんはどうかな? 聞いてるぞ? あんた……あの人に一回折られてるんだろう?」
その言葉はアキラの狙い通り、木村の癇に障ったのだろう。
怒気を剥き出しにした彼はその身体を震わせながら激昂した。
「……黙れ……黙れッ! あの時はまだ生身の身体だっただけだッ! 対等の身体さえ持てば負ける訳がなかろうッ!」
「……プッ」
アキラは更に嘲るように、小さく肩を揺らして笑ってみせる。
(もっと怒れ……もっとキレろ……それだけ俺達が有利になる……)
「笑うなガキがッ! もういい……貴様は手駒にするのも勿体無い。壊し尽くして殺してやるとしよう」
木村はそう言うなり、アキラに正面から飛びかかり攻撃を見舞う。
吐いた言葉の通り、その攻勢には容赦が無かった。
猛禽に啄まれていく獲物の様に、アキラの身体が削られていく。
演習場にはEOの肉体が破砕されていく硬質な音が、徐々にではあるが再び響き始めた。
擦過音、打突音、捻転音。
アキラのその身に変化がある度に、少しづつその音が鳴っていく。
既に彼の右足と左腕は繋がってはいるものの、だらりとぶら下がっているだけになっていた。
破損した部分からは循環液も少しづつ漏れ始めていた。
動けなくなるのも時間の問題なのだろう。
そんな身体でも防戦一方ではあるが、アキラは諦めずに木村への抵抗を試みている。
しかし二肢の自由が奪われてしまっている今、それも叶わない。
木村の手が無事な右腕を押さえ、左足を勢い良く蹴り払う。
かろうじて立てていたバランスをあっさりと崩し、アキラは倒れ込みそうになる。
木村の追撃はそこで終わらず、倒れそうになっている彼を力任せに演習場の中心へ投げ飛ばした。
アキラの身体が……硬く固められたクレイコートの演習場の床を削って転がっていく。
地面に這いつくばるアキラを見て、木村は優位を確信したのだろう。
少しばかり愉悦の混じった笑い声を上げる。
「少しは堪えたか? 一方的に蹂躙される気分はどうだ? ククククク……これが持つべき者の力というやつだ。貴様ごときでは届かん領域よ」
「御託はいい……やるなら早くやれ……」
木村を挑発するアキラのカメラアイの光はより輝きを増している。
「ここまでして折れないとはガキにしては大したものだ。いいだろう、殺してやる」
木村がゆっくりアキラの元へと歩んで来る。
彼の腕がアキラの胸の装甲板を大きく抉り、そして掴んで大きく真上へ掲げる。
このまま床に叩きつけて残りの関節を砕いてしまおう。
その後に頭を引き抜いて潰してしまえば終わりだ。
木村がそう思いアキラを床に叩きつけようとした時、それは起こる。
演習場の天井が粉々に砕けて、大小様々な破片が二人に降り注いだ。
慌ててそれを回避しようとする木村の指先に激痛が走る。
「ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!」
落下物の回避に神経を向けたからだろうか。
木村の意識から数瞬、アキラの事が消えた。
そのほんの小さな隙をアキラは見逃さず、自身の胸倉を掴んでいた木村の指の一本を捻じり折ったのだ。
先程までの余裕に溢れていた木村はいずこへ。
そう言いたくなる質の悲鳴を上げ、地面を転げまわっている。
痛覚のカットが出来るEOであるはずなのに、たかだか指一本でこれ程迄の悲鳴を上げるだろうか?
(これは何かの糸口かも知れない……)
反撃の切っ掛けを掴んだと思ったアキラであったが、彼の身体はもう動きそうに無い。
胸部からの循環液の流出が激し過ぎたのだ。
(さすがに……俺はもうダメか……でも……)
そう。
彼が最後に木村を挑発する直前の事である。
例のチャンネルでノイズ混じりの超短距離通信を受信したのだ。
『真上に居るよ。状況が判らないから、そっちに飛び込む合図が欲しい』
待望の郁朗からの通信だったのだ。
そして、今……その郁朗が破壊された天井から、アキラの目の前に降ってきたのだ。
「アキラ……よく頑張ったね。間に合わないかと思ったけど良かった……タマキはどうしたのかな?」
「スンマセン……タマキはあっちで……」
アキラがふるふると震える指先で、擱坐している環を指差す。
「…………頭に大きいダメージは無いんだよね?」
「それは大丈夫ッス……循環液が無いせいで休眠してるだけみたいッス。自分も……たぶんもうすぐ眠ります……」
「そっか…………木村の事で何か言っとく事は?」
「あの人が瓦礫を……避ける時にやっと触れたッス……多分……機体特性は……神経系の強化かも……痛みに弱いのがその……証拠ッス」
「うん……判った、そういう戦い方をすればいいんだね」
「あと……」
「うん……?」
「ブッ飛ばして……欲しいッス…………」
「……任せといて。アキラが目を覚ました時に、勝ったって報告するからさ……ゆっくり眠ってていいよ」
「…………ウッス」
そう言うとアキラのカメラアイは光を失い、そのまま休眠状態に入った。
郁朗はアキラを担ぎ上げると、これからの戦闘の邪魔にならない様、演習場の内壁側で擱坐している環の側へ運ぶ。
動作を停止している二人の姿を見た郁朗は、その拳をきつく強く握りしめる。
指の関節に使われている擬似生体パーツのギチギチと鳴る音が僅かに響き、彼の戦意を明らかなものとしていった。
木村はようやく我を取り戻したのか、郁朗を睨む様にカメラアイを光らせている。
「また貴様か……何度人の邪魔をすれば気が済む? まぁ……今となっては邪魔者にもならんか。あの時と違って今の私にはこれだけの力がある……貴様を縊り殺せるだけの強さがな!」
郁朗の脳裏には初めて自分の意思で殺した、機構のあの男の言葉がふと蘇った。
『これだけの力を得ればほとんどの人間はそれに酔い、暴虐の限りを尽くします。命令に従う事しか脳の無い人間程、破壊衝動に襲われていますからね』
この己の力に酔っている様に見える木村の状況はそういう事なのだろうか?
木村という男が、本来は受動型の人間であったという事は新見から聞かされている。
それが力をつける度に増長を重ねていったという事もだ。
ならば目の前の木村の言動こそが、EOにされた生物として行き着く形なのかとも思えてしまう。
(嫌な事を思い出させてくれるなぁ……)
木村は人でなくなりつつある。
郁朗はそうであるならばと認識を変えた。
「貴様もそいつらみたいにしてやろうか? いや、まずは心から壊してやる。家族がいるらしいな? ここを掌握すればすぐに詳細は手に入るだろう。首を引き抜いて……お前の見ている前で家族を殺してやろうじゃないか。クッ……ククククク」
小さく肩を震わせて笑う彼を郁朗は一瞥すると、特にその内容に関心を持たないかの様な冷たい声を響かせた。
「……出来もしない事を言わない方がいいよ? だって、あなたはここで死ぬんだから」
「ほう……誰が私を殺せると言うのだ? まさか貴様か?」
「さぁ? やれるかどうかは判らないけど。ただ、一度あなたみたいな人を殺せなかったせいで痛い目を見てるしね……今度は間違えないだけだよ」
郁朗は腰にマウントしてある使用済みの強制駆動燃料を外し、積んできていた最後の一つと交換する。
「フン! 手を抜いていた訓練ですら私に禄に触れなかった貴様に……一体何が出来ると言う!」
「あなたがその機体特性を隠してた様に、僕にも切り札があるって事さ」
強制駆動燃料が郁朗の身体に浸透していく。
郁朗の循環液が濃緑から薄く発光するエメラルドグリーンへ変貌を始める。
先の作戦で届かなかった自身の指先。
それを望んだ場所へと何としてでもねじり込む為に手に入れた……郁朗の力を最大限に活用する新しいシステムが動き出す。
演習場の照明の光量は十分にあった。
郁朗の循環液は発電能力を機体の許せる限界近くまで引き上げると、体内の光化学反応がピークを迎える。
強制駆動燃料の成分からグルコースが生成され、それを燃料として生体モーターが発電を開始。
暗反応で生まれる糖質すら発電能力に変えていくのだ。
電子受容体はその受け皿を最大にし、蓄電された電力を駆動モーターへ湯水の如く供給を始める。
こうして生まれた電力は郁朗の音声コード一つで各部のモーターへと通電・呼応し、郁朗を平常時のスペックから一つ上へ押し上げたモノへと変貌させるのだ。
「フルドライブッ!」
彼の身体中のモーターが一斉に唱和を始めた瞬間、郁朗の姿は木村の視界から掻き消えた。
その直後、郁朗の姿を見失った木村は見えない何かに襲われ吹き飛ばされる。
アキラの読みは的中していた。
木村は吹き飛ばされた衝撃で生まれた小さい関節の痛みを、体を掻き抱く様にして堪えているのだ。
痛覚をカット出来ない理由が彼の機体特性にあると見て良いのだろう。
「ほら、簡単に触れちゃったね? で、誰の心を壊すって? 誰の家族を殺すって? もう一度言ってみてよ。ホラ、早く」
郁朗の冷えた声が木村に降り掛かる。
怒りの熱量を冷徹な鉾に変える術を、先日の喪失を以って彼は獲得したのである。
彼を弾き飛ばした場所でモーターの予備動作音を響かせながら、彼は木村への挑発を止めない。
「……この痛み……貴様にも返すぞ……貴様の家族にもだッ!」
郁朗は挑発に乗ってきた事をありがたく感じ、心中で小さく凄惨な笑みを浮かべる。
同時にここまでの戦闘経験から、木村の雰囲気が変わったのを敏感に嗅ぎとっていた。
自らへの攻撃を機体特性で感じ取り、巧みに回避する技術を持つ木村。
発電能力をフルに使い、ハード的な超高速移動を可能とする郁朗。
そんな二人の戦いは、まだ開戦の鐘を鳴らしたばかりであった。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.05.13 改稿版に差し替え
第四幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。