1-4 異形
-西暦2078年11月21日21時20分-
(そうだ、僕は……)
再び郁朗の意識は覚醒した。
自分がどうされたかまでは思い出す事が出来た様だ。
ただ未だに自身がどうなったのかは解らないままでいる。
思考は鮮明であり、パーソナルな部分の自分の記憶にも混濁は無い……無いはずだと認識出来る。
明日の部活の練習メニューを増やすのも憶えていた。
首は動かせないが視界に入る情報をまとめてみる事にしたのだろう。
メガネが無いのに視界がクリアなのを不思議に感じたのだが、今の彼にとってはどうでもいい事であった。
そうする中で得られた情報とも呼べないものではあるが……彼は今、何らかの液体の中にいてガラスの様な物で外界から隔てられている事。
そして透明な壁の先には様々な機材が置かれているという事であった。
照明の量も然程無い為暗く見えるせいかも知れないが、そこには生活感というものが一切無かった。
(何かの実験施設なんだろうか?)
そう考えると、次は体を動かそうとするが動く気配が無い。
呼吸をしている感覚もどうやら無く、彼は自分が今どうやって肉体を維持しているのかの想像が全く出来なかった。
体が動かないのであればと声ではどうかと発声を試行する。
「……」
どうやら声も出ない様である。
そもそも口を開く感覚や自分の顔の感覚すらも無かったのだ。
郁朗がこの状況に手詰まりを感じ始めた頃。
「いい反応だわ。自分の状況をどうにか判断しようとしてるのね。以前の事故で慣れてしまったのかしら」
彼が隔離されている入れ物の中に声が響く。
一度目の覚醒の時に郁朗の意識をこちら側へ呼んでくれた声だと直ぐに理解した。
「…………」
返事をしようにも声を出し様が無く、なんとかしてくれと彼は願う。
「あら……ごめんなさいね。発声機関に接続するのを忘れてたみたい……これでいいわ。話してみて」
視界に突然現れた彼女を見て、郁朗は息を呑んだ。
胸元まである艶のある柔らかそうな長い髪を、郁朗は素直に綺麗だと思ってしまったのである。
そんな彼の視線に構う事無く、彼女は入れ物に接続されている端末で内部に何らかの操作を施した。
「ア……あ、あア……。ぼ、ク……い、ッた、イ……」
(声が出た……でもはっきりとは出せない……まるで長い間誰とも喋っていないみたいな……)
「視覚、聴覚に問題無し。会話は時間の問題ね。気分はどう?」
「ワ、から……な、い。かラ……だう、うご、カな……」
「もう少し会話が出来るようになれば説明してあげる。質問もある程度は受け付けるけど一つづつね? しばらくそうして声を出すのに慣れていって頂戴」
「あ、な……タは……?」
「蒔田、中川、棚口。名前はいくつか持っているけどしばらくはこう名乗るわ。坂之上千豊。長い付き合いになるかどうかはアナタ次第になるわね」
坂之上の名乗った女性は端末の前にあるシートに座ると小さく微笑んだ。
「こ……こ、はど、こ?」
「私達の隠れ家よ。隠れて生活しなければならない、その意味は判ってくれるわよね」
「ぼく、はな、ゼここに?」
「アナタが私達の求める人だった、そうとしか説明の仕様がないわね」
「いえ、にかえり、たいで、ス」
「それについての話ももう少し後ね。そもそも今のままでは帰れないわ。帰れるかどうかの為にもまずは会話の練習をしましょうか。アナタの事を教えてくれる?」
郁朗は聞かれるがままに答えた。
物心ついて以降の記憶を一つ一つさらう様に話したのだ。
父親の部屋にあった模型の戦車を持ち出し砂だらけにして叱られた事。
妹と収納に隠れて掘削オートンごっこした事も。
母親が作ってくれたおやつが少し焦げていたけど美味しかった事も。
生徒達が試合で負けて泣いていた事も。
何度かの休憩を挟み、藤代郁朗という人生の輪郭を彼女が知る頃には、郁朗の発声も本来の物と変わらなくなっていた。
「そろそろ教えて下さい。僕の体はなぜ動かないんです? それに今のままでは帰れないとはどういう事です?」
「……思考も記憶も正常、声帯サンプリングも気づかないくらいに本物と遜色無いみたいだし……答えましょうか。ただし……お願いだから狂わないで頂戴ね」
(狂うな……?)
その言葉の意味を飲み込めないままである郁朗を尻目に、彼女は大きいプレート型のモニターらしき物を入れ物の前に引っ張ってきた。
映されていた何かを見た郁朗の心が何故か跳ねる。
そこには……得体の知れない物体が映し出されていたのである。
丸い物に少し曲がった棒を突き刺した様な物体だった。
ピントを合わせる様に視覚を集中していくとそれが何かはっきりと判った。
人の頭部と脊髄に似た何かだった。
再び郁朗の心は跳ねる。
正確には人の様な何かのだ。
少し縦長の楕円形で材質はよく判らないが、半透明な素材の頭部には双眸らしき物が光っている。
昔アニメで見た人型のオートンの目の様でもあった。
脊髄は人の物とほとんど形は変わらないが、もっと硬質で金属質な感じがする。
郁朗の心は得も知れない感覚で跳ねて、荒れた。
きっと身体があれば、心臓は早鐘の如くその鼓動を響かせたであろう。
この時点で恐らく郁朗は自身の置かれている状況を正確に理解していた。
だがそれは認められない。
認めてはいけないのだと彼の心は認識にブレーキをかける。
「これがなんなんです……?」
「これが今のアナタよ」
「何を、言ってるんですか……?」
「アナタが身動きを取れない理由は今のアナタには身体が無いから。それだけの話なのよ」
そんなわけがない。
藤代郁朗は人間だ。
だったはずだ。
こんな何かも判らないようなモノじゃない。
絶対に違う。
バカを言うな。
僕を騙そうとするな。
僕は人間だ。
僕は化け物じゃない。
バケモノじゃない。
バケモノジャナイ……ナイ。
思考が激しく揺れる中、ふとモニターの中の双眸と目があった。
郁朗がそれを睨みつけると双眸の光がギンッと強くなった。
そうなった事で……彼の心はその認識を受け入れるしかなくなってしまったのだ。
自分はこうなってしまったのだと。
「ウあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
「そう……さすがにすぐは受け入れられないわね……」
叫声を発する郁朗をの状態を当然のものとして受け止め、千豊は淡々と端末と発声機関の接続を切る。
それと同時に……郁朗は自分の意識を閉じた。
カチリカチリ。
カチリカチリ。
カチリカチリ。
「随分とまた意地の悪い情報公開だったなぁ。あれじゃあ心がアッチ側にいって戻ってこれないかも知れんぜ?」
ソレは鉱物的な接触音をさせながら、その部屋に無造作に入室して来た。
彼から発せられる音はそれだけでなく、耳を凝らすと時折小さなモーター音も聞こえてくる。
「彼は大丈夫な気がするわ。なんとなくだけど」
千豊はモニターの数値を見ながらサラッとそう答えた。
「……俺の時もそうだったが姐さん……こうなってしまうと俺もだが……碌な死に方しないな、間違い無い」
「どんな死に方するかなんて考えてる余裕なんて無いわ……。どれだけ人の尊厳を無視しようがそれでもよ……。どんな事をしてでも止めてみせるわ」
二人は沈黙し、しばらく室内には機材の作動音しかしなかった。
沈黙に耐えかねた彼が、観念した様に言葉を繋げる。
「……どうにか上手にこの兄さんを口説いてやってくれや。説得に応じてくれそうなら俺も手伝うしよ……もうそろそろ一人で訓練すんのは辛いんだわ」
「頑張ってみるわ。増員された時の事を考えて教導メニューを考えていて頂戴……鍛える時間はいくらあっても足りないかもしれないから」
「あいよ。あんたもあんまり無理すんな、覚醒始まってもう三日もここに詰めっぱなしじゃねぇか。ちゃんと寝ろよ」
彼は片手を上げながら振り向かず、来た時と同じ音を立てながら部屋から出て行った。
千豊はシートから立ち上がり、もう一度だけ郁朗の目を見つめる。
その目には揺らがない何かが秘められていた。
少しの間そうしていたが、先程言われた事を思い出したのだろう。
部屋の端に置かれている大き目のオフィスチェアに、しばしの仮眠を取る為に向かうのだった。
-西暦2078年11月24日17時15分-
あれから郁朗は度々目覚め、その都度意識を閉じた。
起きていれば辛い現実に苛まれるのが解っているからだ。
さすがに今回は彼の心も折れるかに思えたのだが、最初の意識遮断から3日が経った頃。
「…………僕をこんな姿にして何をさせたいんですか……?」
覚醒以降、初めて郁朗の方から彼女達への対話が試みられたのだ。
こうなってしまった以上、閉じ籠もっても何も進展しないからと決断したのだろう。
「ようやく話に応じてくれる気になったみたいね。嬉しいわ」
「そうしないとどうにもならない事はさすがに判ります。話して貰えますか?」
「そうね、そう言ってくれるのなら単刀直入に話した方がいいのかも知れないわね。アナタには私達と一緒に戦場に立って貰いたいの」
(戦場って……何を言ってるんだこの人は……)
千豊から出てきた物騒な単語は、これまでの彼自身の日常とは……余りにもかけ離れた物であった。
郁朗は言葉を失う。
「黙りたくなる気持ちも解かるわ。でもね、これだけ平穏な地下都市をその戦場に変えようとする勢力が存在するのは確かなの。アナタにした様な理不尽な行為を尽くさなければ事態を動かす事も叶わない。そんな相手が平然とこの地下都市の舵を握っているのよ? その方が怖くなくって?」
大型のプレートモニターに設計図の様な物を映し出してこちらへ向けた。
人型の何かの図面に様々な注釈が書かれている。
それはどう見ても自然の物では無い……明らかに人の手によって作られた存在であった。
「アナタの脳は既に戦闘用のモノとして再構成されているわ。アナタの理解さえ得られれば、後は新しい身体と四肢に繋げるだけ。物騒な話だと私も思うわ。でもね、その物騒な戦闘用の身体の基になる物を造ったのは誰だと思う?」
郁朗は彼女のその物言いに辟易していた。
まるで彼自身がこの様な目に遭遇するのは、どうあっても仕方が無いとのだと……そう聞こえたからだ。
郁朗が黙って答えようとしなかった為、いつの間に彼の視界の外に立っていたソレが言葉を引き継いだ。
「政府、軍部、機構、財界、全部だ。判るか? この地下都市仕切ってる全部がこの身体の元になるもんを造った。何をするのか見当つかねぇか?」
そんな言葉を並べながらソレは……郁朗のカメラアイの視界内に姿を見せた。
(何だ……? あれは人なのか……? 僕と……同じ顔……?)
ソレは三日前に見た自分の顔……そして先程見た図面の物に、とてもよく似た造形をした人型の何かだった。
クリアグレーの装甲の下を濃い緑色の体液の様なものが循環し、息づいているのがよく見える。
郁朗はそんな異形と呼べる造形をしながらも、平然と自分に話かけてくるソレに向かって問いかけた。
「あなたは……? どういう人なんです……?」
「兄さん優しいな。この姿見て人って単語が出てくるなんて、少し泣けそうだ。見ての通り兄さんのご同輩ってやつだな。この身体の開発元での開発コードは"EO"。Esclave-cerveau Ouvrier、奴隷の様に従う労働者だとさ。フランス語でつけるなんざ小洒落てるつもりだろうが、開発担当のネーミングセンスと思想を疑いたくなるってもんだ。まぁ俺達は"イオ"と呼んでいるがな」
「……機構がソレで何をしようとしてるかは想像がつきます……。地表への帰還……ですよね?」
機構。
地下都市の人々にそう呼ばれている組織、地表帰還開発機構。
地下都市への移住完了寸前、各都市のEEAC(地球環境監査委員会)に参加していた学者達が提唱した団体である。
今は地下で耐え忍ぶしかないが、いずれ人類は地表に返り咲いてみせる。
ある意味では傲慢とも取れるその志ではあるのだが、賛同する政治家や財界人も少なくはなかった。
彼らの援助を受け、地表へ帰るためのあらゆる計画を試行しデータを蓄積していく事となる。
廃棄地区や酸素供給の為の緑化計画に使われている土壌や種子もそれらの計画の産物であった。
そうした組織の目的上、政治の中枢や企業体との繋がりは年を追うごとに強くなる。
数十年の地下都市の変遷は、機構の力をより強大なものへと変貌させていった。
(そういえば次の授業であの子達に教える所だったな……)
郁朗は残してきた授業の事を思い出してしまった。
生徒達の笑う顔や家族の事……そんな望郷の念をこらえて会話を続ける。
「機構に関しちゃ概ねそれで正解だ。だが他についてはどうだ?」
「政府は大して関わっていないのでしょう。ただの市民の僕にも今の政権が機構の傀儡なのは判りますから。財界は……コレのパーツの製造やなんかで利益を得るんですね。でも軍部は……何と戦うって言うんです?」
「そういえば社会科のセンセーだったな、そんくらいは理解できるか。ならこれを見てみな」
先ほどのプレートモニターに何枚かの画像が映し出される。
「……これは……船? いや……潜水艇ですか?」
父親の書斎にある模型コレクションに並べられていた二十世紀の深海潜水艇とは幾分形状が違う。
だが葉巻の様な細長い楕円の筒型の船など、形状からして潜水する物だろうと容易に推測出来たのだ。
画像にはかなりの排水量になりそうな大型のそれが十隻以上ドッグに鎮座していた。
「惜しいな。ここまででかくて武装もしてりゃあ、もう艇ってレベルじゃねぇんだ。潜水艦だよ。これはEブロックとWブロックの海底ドッグで一ヶ月前に撮られた画像だ。こんだけの数を何に使うかって一つしかねぇよ……侵攻だ」
「!?」
彼等が嘘を言うメリットは無い。
知ってはならない事を知ってしまう怖さというものを今、郁朗は酷く実感していた。
これで本当に今までの生活には後戻りは出来ないだろうという予感と共に。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.04.29 改稿版に差し替え